歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

アバドの『プルチネッラ』

2014年01月21日 | 音楽について
クラウディオ・アバド死去。80歳。そうか。アバドも死ぬのか。しかしアバドがアーノンクールより先に死ぬとは思わなかった。などとえらそうに言っても、うちにはアバドのCDはほとんどありません。ストラビンスキーの『プルチネッラ』があるくらいかな。曲を知らない方は、なんで古楽マニアがストラビンスキーを、と思われるでしょうね。『プルチネッラ』はバレー音楽なのですが、ペルゴレージの音楽の綴れ織りなんですよ。謡曲の詞章は古典の詞藻の綴れ織りですが、ちょうどああいう感じ。でも『プルチネッラ』の爽快さは、レスピーギとは一味違う。『プルチネッラ』におけるペルゴレージはとてもひんやりした感触。べたべたしない。そこいくとレスピーギの古楽受容はストラビンスキーよりずっと無邪気で、あれはあれで好きなんだけど。

そしてアバドの『プルチネッラ』には独唱者として、わたしの大好きなベルガンサが出ている。バレー音楽だけど歌が出てくるの。じつはわたしはベルガンサの歌う〈Se tu m'ami〉が聴きたいばかりにこのCDを買ったのですよ。(その『プルチネッラ』を買ったあとにベルガンサの『イタリア古典歌曲集』がCD化されて、もちろんそちらも買いましたけどね。)アバドは若い時期にベルガンサを起用してロッシーニのオペラをあれこれ録れています。食指が動かなかったわけではないけれど、そんなところまで手を伸ばすとキリがなくなるので、ロッシーニ買いは思いとどまりました。

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