歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

困った進歩主義

2013年05月11日 | 音楽について
とはいえわたしは、ガーディナーの『晩課』新録音についても、あまり食指を動かされたわけではありません。ソリストも合唱もみな暗譜で歌っているDVDの映像はたしかに迫力あったけれど。(まだ売り出し中だったターフェルとかが出ていました。)あれは、ガーディナーの思い入れが先行して、そして演出過剰で、モンテベルディの音楽のよさをそのまま味わう演奏ではなかったように思います。ざわざわした感じで、わたしは好きになれなかった。

さて、録音の古さ新しさは、CDを選ぶ時の手がかりの一つではあるけれど、あくまでも手がかりの一つに過ぎない。古い録音でもいいものはいいし、新しい録音でもダメなものはダメ。これは当り前のことだと思うんだけど、とくに古楽ファンのなかには、当り前だと思わない人もいる。「古楽の演奏は新しければ新しいほどいい」という人がいるの。

赤の他人が音楽をどう聴こうが、まあどうでもいい事なんだけど、古い録音が「古いから」という理由で軽んじられているのを見聞きするのはあまり気分のいいものではない。

確かに、70年代あたりまでの古楽は、ものによっては古楽器の扱いがたどたどしくて聴いててハラハラさせられたり、声のビブラートがきつくてちょっとイライラすることもあった。でも「ものによっては」だ。マンロウ指揮のたとえば『デュファイ_ス・ラ・ファセ・パル』や、レオンハルト以下の面々による『バッハ_ブランデンブルク協奏曲』(セオン)といった奇跡的な名盤が生まれたのも70年代のことだった。

要するに70年代も巧い人は巧かったわけです。そして当初モダン楽器のオケを率いていたガーディナーも、70年代の末には時代楽器派に移行し、そしてその頃以降、時代楽器の演奏技術や古楽的な歌唱法はさらにどんどんレベルアップしていきました。80年代もなかばを越えると、もう、古楽は、演奏技術の面では安定期に入ったんぢゃないですかね。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿