歌わない時間

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カウンターテナーの御三家(20世紀版)。

2006年02月23日 | 音楽について
HMFの「三大カウンターテナー」はパスカル・ベルタン、アンドレアス・ショル、ドミニク・ビスだそうだが、ここでわたしなりに、カウンターテナー御三家を考えておこうかと思う。(パスカル・ベルタンという人は最近BCJのカンタータ全集に出るようになったらしい。わたしはミンコウスキの『ジューリオ・チェーザレ』でニレーノを歌っているのを聴いただけである。)

二十世紀最後の四半世紀における古楽復興を担ってきた大物御三家としては、エスウッド、ボウマン、ヤーコプスということになるのではないだろうか。ヤーコプスはもう歌いそうにないし、さすがのボウマンもそろそろ終わりだろうし、エスウッドにいたってはとっくに一線を退いている気配だが、しかしこの三人の仕事は、質量ともに他を圧している。

ポール・エスウッドはわたしが最初に好きになったカウンターテナーだ。この人の歌の品格の高さはちょっと比類がない。プロ・カンツィオーネ・アンティカでボウマンとともに活躍しつつ、例のテルデックのバッハ・カンタータ全集に参加しておもにアーノンクールの指揮でバッハを歌い、かつヘンデルのオラトリオも録音した。ヘンデルのオラトリオでは高潔な若い戦士がアルトに振り当てられることが多いが、この人で聴くと、声と役柄とがまさにぴったりの相性で聞こえるのだ。

大陸に渡ったエスウッドと違い、ボウマンはイギリス国内にとどまった。そのおかげでこの人はイギリスの古楽のほとんどのリーダーたちと仕事する機会に恵まれた。マンロウ、ガーディナー、ホグウッド、ピノック、パロット、キングなど。たとえばホグウッドの『アタリア』やキングの『ヨシュア』ではカークビーと恋人同士だったり夫婦だったりで共演しているのだが、わたしとしてはこれがボウマンではなくてエスウッドだったらもっといいだろうに、とつい思ってしまう。この人の声はなんかこう、ぬめぬめした不気味な感じがあって、わたしは苦手である。

ヤーコプスについてはそんなに多くのことは知らない。エスウッドとともにテルデックのバッハに参加して、おもにレオンハルトの指揮で歌っていたと思う。いまやHMFを代表するアーティストの一人だけれど、そういえばこの人の歌手としての初期の代表盤の一つである『ペルゴレージ/スターバト・マーテル』もHMFだった。この人の声もかなり個性的で、わたしはあんまり好きではない。ドミニク・ビスはその異能ぶりでヤーコプスの直系だろう。

旧御三家の話だけで長くなってしまった。新御三家、でも御三卿、でもいいのだが、若手では、ショル、アサワ、ジャルスキ、といったところでどうだろう?

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