「釣初心者日記」

宮崎の釣り情報・釣れた魚の事・魚料理・その他ゴルフ話など書いてます。

8月14日(青島ゴルフクラブ)

2009年08月16日 | ゴルフ


14日に義理の弟・けんちゃんとG君・師匠のWさんとのゴルフ。
Wさんには申し訳ないが、いつも練習せよ!と指南を受けているものの、今や腕の痛みが持病となっている身で練習はしちゃならんという状態なので、スコアはどうでもよいと思う気持ちもあるんだけど、反して、やはり今のままではいかんという足掻きがある。結局最近はゴルフ=リズムだと思っているので、ゴルフ番組などでイメージトレーニングしたらそこそこには行けるんではないかと思っているのだが、なぜかレッスン番組も面白くない。
とにかく前回のゴルフが110オーバーという悲惨なスコアだった事もあり、その事実を払拭したいという思いから早くラウンドしたかったのだが、なぜか最近は金欠ぎみで簡単に行けない雰囲気もあるので、この14日のゴルフには期待していた。

スタートからダブルスコアを叩いてしまった。ドライバーショットがフェアウェイバンカーに入り、そこからグリーンを狙おうとしたらバンカーの壁でつまずき、3打めもざっくりで4打目はグリーンをオーバーして奥バンカー。その返しも大き過ぎて結果6オン2パットの8打というような悲惨なゴルフ。

前半はパーも取れず6ボギーだったけど、残りの3つはほとんどダブルスコア(つまりダボでもトリプルもない大叩き)でなんとハーフ55。

後半はパーは2つあったけどダボ先行で8打もあって49。結果合計104だ。

師匠のWさんは82で安定。けんちゃんは何とか100切りのスコアでまあいつもの通り。

そんな感じでスタート時のワクワク感は、当然ながらの夏の暑さに打ちのめされて、スコアも散々感があり、どうにもうっぷんが貯まる。

もともと練習しないけど、こうなるとちょっと練習場に行ってみたい気にはなる。
何とか腕の痛み・肩の痛みが克服したいもんだ。
(鍼治療しだしてから随分良くはなっているんだけど、まだ違和感はあるので無理に練習して壊したくない)

個人の時代

2009年08月16日 | 雑記
今回東京に行く際に、空港で2ヵ所分の土産の買い物をして、ついでに文庫本を買って余暇に備えた。事前に大きい本屋で準備しておけばよいのだが、いつも直前に空港で買うので欲しいと思うものには出会えない。いつも最初に探すのは魚関係の豆知識本みたいなもんだけどなかなか無い。

さて今回も「養老孟司」氏の随筆集なのだが、「無思考の発見」なる本。ビジネス本を買わなきゃという思いもあるのだが、タイトルを見ていかにも・・・という物には手が出ない。その点、この人の本のタイトルは気になる。「バカの壁」というベストセラー本は読んでないが、売れた理由もあるんだろう。

まだ途中までしか読んでないので総評というわけでもないのだが、気になった記載があり、頭にこびりついているので、ここに記録しとこうと思っている。

極論でいえば、今の世の中というか個人主義というのは、憲法の「思想・信教の自由」からなるもので、憲法ができる以前は「家」が単位だったものが、今の世は「人」が単位であって、この世の中で「核家族」化が、結果少子化をもたらしている。

もっと細かく書くと

「個人は社会を構成する最小の公的単位であり、その内部が私」ということであり日本では私に2つの意味がある。SelfとPrivateだ。
判りやすい例としては「靖国問題」だが、公人としてか個人としてかの問題であり、どちらの立場で参拝しているのか問われた場合に、個人なら靖国参拝は憲法で守られた個の自由だから、とやかく言われる筋合いのものではなく、公人だと具合が悪くなるというか批判も受ける。

日本はもともと塀で囲まれた「家」を単位としていた。どんな小さな家でも塀があるが、塀の中は私的空間であって、この単位の内部では嫁姑の関係とか家柄とか、襲名などという文化があり、この単位で関係を築いているから簡単には絶えることがないというかその地域の絆も深まるし、その単位ならではの環境で子育てもできるわけだ。つまり大家族だからこそ子育てができる。

日本国憲法の民法に係わる部分はベアテ・シロタという若き女性が草案を作ったと言うことで、つまり日本で生活したこともある外人さんが、どの程度の思慮で作ったのか図り知れない部分であり、西洋文化の個人単位を注入されたという事になるが、それは間違っているわけでもないけど、結果が少子化なのだ。

さて、現実。私もなんら迷いもなく、勝手に自分の家を造り、嫁と子供と生活しているわけで、最小単位の核家族なのだが、今の日本はこの構成が60%以上なんだそうで、昔からある形態ではあるけれど割合は増えているようだ。
私も子供たちが巣立ってしまえば嫁と2人の生活となる。

つまりはだんだんと細分化している個人の時代の一員であるわけだが、少子化という問題に対して今までさほど気にもかけず過ごしていた感がある。
最近の自民党・民主党のマニフェストで子育て支援金というのが取り沙汰されているけど、お金の問題ではないのは明らかで、上記の通り生活形態の問題なのだと思う。

少子化は様々な弊害をもたらす。特に過疎地域の問題が大きいと思うのだが、農業・林業・漁業の従事者が高齢化しているのは、若き担い手が少ないからであり、核家族化して世襲という雰囲気が薄れてしまって跡を継がない。都会に出ても子育て環境がないから、少なく生まざるを得ない。そんな日本の抜本的な姿勢というものを政治でなんとか改革してくれないだろうかと思うのだが、そういう意味での「幸福実現党」の人口増加策などは面白い。