あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

詩「ゆづり葉」を読む

2013-12-25 12:40:30 | インポート

以前紹介しました「ゆづり葉」の詩を、改めて読み直してみました。いのちのバトンを通して続いてきた 譲り・譲られる 人間の普遍的な営み。この詩を読むことで、譲り手である大人たちは(詩の中では、作者も含めた世のお父さんお母さんたちに該当するのでしょうか)、子供たちのために本当に価値あるものを一生懸命造っているのかどうかと、問われているような気がしてきます。同時に、ゆづり葉のように潔く自然な形で、そうして造ってきたものを譲り渡すことができるのだろうかと。

しかし、太陽の廻るかぎり、いのちが譲り・譲られる繰り返しの中で今生きて在るのだと考えた時、すべての疑問が消え去ってしまうような気がします。はるか昔から、いのちはバトンのように親から子へと受け継がれてきました。その中で限りないほどたくさんのものが子供たちのために造られ続け、それを子供たちは受け取ってきました。この詩を読むことで子供たちは、やがて自らが大人となり、親となり、譲られる側から今度は譲る側となって命のバトンを受け渡していくことに気付いていくことでしょう。そうして、どんなものを子供たちのために残していけるかと自問しながら、いのちあるもの・よいもの・美しいものを造り続けていくことでしょう。

時を超え、国境を超え、世代を超えて受け継がれてきた もう一つのサンタクロースとしての役目を 人間は誰でも担っているのかもしれません。

            ゆづり葉

                      河井 酔茗〈1874~1965〉

子供たちよ                  

これは譲り葉の木です

この譲り葉は

新しい葉ができると

入り代って古い葉が落ちてしまうのです

※子供に語りかける出だしとなっています。「子供たち」とすることで、我が子だけではなく多くの子供たちに伝えたいという作者の思いが込められているように感じます。ゆづり葉の姿に託して 譲り・譲られる という普遍的な営みを 子供たちに気付いてほしかったのだと思います。子供にあたるのが新しい葉であり、古い葉は作者を含めた「世のお父さんお母さんたち」。入り代わるは入れ代わると同義。つなぎ言葉の「と」は、その前に書かれていることが誘因となり、その後に書かれていることが結果として引き起こされることを表す働きがありますので、新しい葉ができたことが、古い葉が落ちる誘因となったのでしょう。新しい葉ができたのを見届けて古い葉は落ちてしまうのであり、「入り代わって」とあるので、その様子は自分の席を新しい葉に譲るように落ちるのであろうと想像します。

    こんなに厚い葉

    こんなに大きい葉でも

    新しい葉ができると無造作に落ちる

    新しい葉にいのちを譲って ---

※「こんなに」と強調するところに、古い葉によせる作者の思いを感じます。「厚い葉」や「大きい葉」になる前は、古い葉も生まれたばかりの小さな新しい葉であった時期がありました。1年という時をかけて 譲られたいのちをもとに、葉はこんなに厚く大きい立派な葉に成長してきたのです。それなのに、新しい葉ができたことに気付くと、その体を惜しげもなく「無造作に」落としてしまうのです。自分がつくりあげてきたものに未練も後悔も残さずに潔く落ちる様子を「無造作に」と表現したのではないかと考えます。そんなふうに落ちることができたのは、ゆづられる側からゆづる側になったことに気付いたからなのでしょう。古い葉は、新しい葉にいのちを譲る時が訪れたことを悟ったのだと思います。入り代わって落ちながら、新しい葉がこれから自力で厚く大きな葉に成長していくことを祈ったことでしょう。一方、新しい葉が譲られ受け取ったものは、いのちそのものと古い葉から託された願いです。譲られたいのちを輝かせるように、厚く大きな葉をつくり、やがてその時が来たら、新しい葉にいのちを譲っていくことになるのでしょう。こうしていのちはバトンのように譲り譲られ受け継がれていくものなのだということを、作者は子供たちに伝えたかったのではないかと思います。

         子供たちよ

         お前たちは何を欲しがらないでも

         凡てのものがお前たちに譲られるのです

         太陽の廻るかぎり

         譲られるものは絶えません

※この第3連から、ゆづり葉の世界が人間の世界に置き換わります。欲しがらないでも、すべてのものが子供たちに譲られ、譲られるものには限りがありません。「太陽の廻るかぎり」ですから、人間が誕生して以来のこれまでの期間も、また太陽が廻り続けるこれからも 譲られるものは絶えることなく造り続けられ、子供たちは受け取っていくのでしょう。いのちのバトンという視点で考えるなら、太陽の廻り始めた頃に誕生したいのちの始まりから受け継がれきたものの延長戦上にある 人間としての営みととらえることができるのかもしれません。それはまた、人間だけではなく この地球上に在る すべてのいのちあるものが、子として生まれ親として生きることで繰り返されてきた営みとしてとらえられるのかもしれません。

              輝ける大都会も

              そっくりお前たちが譲り受けるのです

              読み切れないほどの書物も

              みんなお前たちの手に受取るのです

              幸福なる子供たちよ

              お前たちの手はまだ小さいけれど---

※どんなものが譲られるのでしょうか。 ・ 輝ける大都会…人間の手で造られたすべてのものの象徴、建物も交通網も、社会環境や都市文化・文明も含め すべての造られたものや環境をそっくり譲り受けます。輝けるとあるので、受け取るに値する よりよいもの・価値あるものが譲られるのでしょう。 ・ 読み切れないほどの書物…目に見える形あるものだけなく 人間としての自分を豊かに育ててくれる書物も読み切れないほどたくさん譲り受けます。読めるとしても、その一部だけしか目を通せないほど、膨大な書物。それだけたくさんのものを譲り受ける子供たちは、幸福です。それをすべて受け止めるには、まだ手は小さく、その幸せを感じるにはまだ幼いかもしれないけれど、限りないほどたくさんのものが譲られるものとして、子供たちの目の前に用意されているのです。

                   世のお父さんお母さんたちは

                   何一つ持ってゆかない

                   みんなお前たちに譲ってゆくために

                   命あるもの、よいもの、美しいものを

                   一生懸命に造っています

※この連は、譲り手の側に立って書かれています。世のお父さんお母さんたちは、ゆづり葉が落ちるように、何一つ持ってゆきません。ゆづり葉が厚く大きい葉をつくるように、子供たちに譲ってゆくために、命あるもの、よいもの、美しいものを一生懸命に造っているのです。今のこの瞬間も、受け取ってくれる子供たちのために 心を込めて造り続けているのです。

                        今、お前たちは気が付かないけれど

                        ひとりでにいのちは伸びる

                        鳥のようにうたい

                        花のように笑っている間に

                        気が付いてきます

※この連は、譲り受ける子供によせて書かれています。今は、たくさんの譲られるものやそれを造り続ける譲り手の気持ちに気付くことができなくても、やがては 受け止めることのできる手の大きさになり、譲られることの幸福を感じることができるようになることでしょう。子供でいられる今は、ただ 鳥のようにうたい 花のように笑いながら 自由に 健やかに いのちの伸びる時間を過ごしてほしいのです。そんなふうに過ごしていく中で 気が付く時が必ずやってくるのですから。

                             そしたら子供たちよ

                             もう一度譲り葉の木の下に立って

                             ゆづり葉を見る時がくるでしょう

※そしたら=その時(気付く)がきたら、子供たちはゆづり葉を見て確かめることができるのでしょう。自分が譲られるものがどんなにすばらしく尊いものであるか、それを造ってくれた世のお父さんやお母さんたちがどんなに一生懸命につくってくれたものであるのか ということに。そして、いのちのバトンを通して 受け継がれてきた 譲り・譲られる人間としての営みの中に、自分が生きているのだということに気付いていくのでしょう。そうして、やがては自らが親となって子供のために命あるもの・よいもの・美しいものをつくり譲っていくのだということにも…。「もう一度」とあるので、その前に見た時は受け取るには小さな手だったので、気付けなかったということなのでしょうか。さらにもう一度見るときには、譲る時が来たことを自ら悟った時なのかもしれません。

どんなものをどんな形で子供たちに残していくべきか、子供たちにとって本当に必要としているもの、大切なもの、かけがえのないものを譲ることのできる 父であり・母であり・大人でありたいものだと改めて思います。

 

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