あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

秋が そこに

2013-11-14 21:05:26 | インポート

丘の中腹に建つ一軒の家の前に、一本のイチョウの木がありました。葉はすべて落ち、幹を囲むように鮮やかな黄色のジュウタンが 地面をおおっていました。身にまとった秋の衣服をきれいに脱ぎ捨てた、裸のイチョウの あまりの潔さに、深い感動を覚えました。そして、しみじみと そこに 秋を感じました。

一つ一つの小さな秋が過ぎていく中で 秋は深まり、やがては 冬の訪れとなるのでしょう。遠くの山々には、すでに積雪が見えます。

鮮やかな紅葉から白い雪へと移り変わる中で、世界は 原色から無彩色の世界へと転じていきます。それはまた、無垢な白にリセットされた世界が 鮮やかな原色の世界へと移り変わっていくための 準備の段階なのでしょう。そうして やがては 冬から春へと 季節は転じていきます。

こうして巡る季節だからこそ、今 秋が終わらないうちに 小さな秋を いっぱい見つけておきたいものです。

イチョウの潔さに感動したとき、思い浮かんだのが「ゆづり葉」の詩です。改めて、そこに込められた作者の思いを汲み取りながら、ゆずり葉を見上げてみたいと思いました。

            ゆづり葉

                      河井 酔茗〈1874~1965〉

子供たちよ

これは譲り葉の木です

この譲り葉は

新しい葉ができると

入り代って古い葉が落ちてしまうのです

    こんなに厚い葉

    こんなに大きい葉でも

    新しい葉ができると無造作に落ちる

    新しい葉にいのちを譲って ---

         子供たちよ

         お前たちは何を欲しがらないでも

         凡てのものがお前たちに譲られるのです

         太陽の廻るかぎり

         譲られるものは絶えません

              輝ける大都会も

              そっくりお前たちが譲り受けるのです

              読み切れないほどの書物も

              みんなお前たちの手に受取るのです

              幸福なる子供たちよ

              お前たちの手はまだ小さいけれど---

                   世のお父さんお母さんたちは

                   何一つ持ってゆかない

                   みんなお前たちに譲ってゆくために

                   命あるもの、よいもの、美しいものを

                   一生懸命に造っています

                        今、お前たちは気が付かないけれど

                        ひとりでにいのちは伸びる

                        鳥のようにうたい

                        花のように笑っている間に

                        気が付いてきます

                             そしたら子供たちよ

                             もう一度譲り葉の木の下に立って

                             ゆづり葉を見る時がくるでしょう

            ※旧かなづかいを現代かなづかいで表記しました

いのちのバトンと共に 都会も書物も 親たちが一生懸命に造った すべてのものが、子供たちに譲られていく。やがて親となった子供たちは、同じように我が子にすべてを譲っていく。季節の巡りと同じように、譲り譲られながら世界は巡っていくのでしょう。何一つ持っていかない潔さと 命あるもの・よいもの・美しいものをつくる努力を忘れずに、今を大切に過ごしていきたいものだと思います。


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