あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

演劇『百鬼丸』を観て

2019-06-03 10:15:24 | 日記
 手塚治虫の漫画『どろろ』を基にした演劇です。
「芝居でないと描けない描き方で書くのだ」とは、脚本と演出を担当した横内謙介さんのメッセージ。
 そのアプローチの一つして、日本の伝統芸術・浄瑠璃を取り入れたとのこと。

  地獄の闇と川に浮く 旅人が名は百鬼丸
  諸行無常と流れゆく 行きて戻らぬ 定め川
  夢の灯火便りにて この世の岸に着きにけり

 冒頭の義太夫の一節。芝居の展開をつなぐように、一節一節が挿入され、物語を重厚なものに方向づけていきます。


 父が天下を取るという野望を抱き、それを叶えるために 生まれてくる我が子の身体を、48匹の魔物に与えてしまいます。
そうして生まれたのが のっぺら坊の百鬼丸(母が守り刀として与えた刀の名でもある)で、失った身体を取り戻し母のもとに戻りたいと願い、
どろろという人間の力を借りながら魔物と闘う旅を続けるという物語です。

 漫画の記憶は定かではなく、この芝居を観ることと脚本を読み直すことで、改めて「どろろ」の持つテーマを見出すことができたように思います。
 原作の漫画もじっくり読み直してみたいと感じました。

 劇中では、登場人物のセリフに、心打たれるものがいくつかありました。(脚本から抜粋)

 気落ちした百鬼丸に語った言葉。母に会えるまでは代わりになって百鬼丸を抱いて守ると約束した みお(村が襲われ女郎とされた)に裏切られた時のこと。
 
  どろろ  つまりね、カラダが傷つき痛えのも、汗だくで苦しいのも、恋しい女を抱いてうれしいのも、人と別れて悲しいのも、全部カラダに流れる
       赤い血が教えてくれるンでさァ。若様のその身にも赤い血が流れ始めりゃ、人間てのがもう少しわかってきまさァ。

 すべての事情を知った母が語る言葉。我が子を手にかけ殺そうとした愚かさを悔い、夫の野望のために犠牲となった我が子の苦しい胸の内を思いやり、

  阿佐比  手もない、足もない、目もない、口もない、耳もない・・・景光様(夫) 、それは我らの姿でござりました。カタチばかりの目はあれど、
       我らには大切なものが何も見えていなかった。口はあれども、事実を語らず、耳には、偽りばかりを聞き、何一つまことの宝はこの手に
       掴めず、自らの足で、行くべきところに歩んでいくことも出来なかった。我らこそ、のっぺら坊でございました。

 百鬼丸を救おうと犠牲になったどろろに会うため、百鬼丸の心が冥界に行きます。その時にどろろが語った言葉。

  どろろ  せっかく立派なカラダが出来ても、その中に、肝心の心が入ってなくちゃ、しょうがねえです。だからしっかりと、あのカラダに張り付
       いてて下せえよ。こんなことしてる場合じゃねえです。早く飛んでって、カラダの手綱をしっかりと握って下せえ。カラダが言うことを
       聞かねえ時には、鞭を持って、ひっぱたいてやって下せえ。百鬼丸が、ただ一つこの世に持って生まれてきた、一番大事なお心を、なく
       しちまってどうすんですかい!


 のっぺら坊で心しか持たない百鬼丸と 妻子を助けられなかったことを悔やみ心を失っていたどろろが 出会い,魔物との闘いの旅を続ける中で、
失っていたカラダと心を取り戻す ストーリーと言えそうです。また、生きることの意味やその尊さについても、問いかけ考えさせる劇でもありました。
その意味で、特にどろろを演じた俳優の演技力や存在感が秀逸でした。刀(百鬼丸)に脅され、いやいやながら供をしながらも、次第にその心によりそい、
カラダを通して人間の心の内を伝えていく中で、自らの心を取り戻していく姿を巧みに演じていました。
 舞台も、左右に櫓を組み、その上で対立する場面や状況を象徴的に表す演出が、印象的でした。


「これは、未来へ届けるべき普遍の物語です」と語る 横内さんの言葉に、深い共感を覚えた演劇でした。
 
        

     
コメント
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