あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

天声人語を読んで

2014-02-26 08:24:34 | インポート

一昨日の天声人語に強い共感を覚えました。夏目漱石の語る「私の個人主義」には納得です。

◇本文より引用……わがまま勝手にふるまうのではない。自分を尊重する以上、他人も尊重しなければならないというのが漱石の考えだった。個人主義を退治しなければ国家が滅びるなどと唱えるものがあるが、そんな馬鹿なことはあるはずがない、と。……

閉じられた利己主義とは異なり、個人主義には開かれた形で他人を受け入れ尊重する考えが含まれているのだと思います。それはまた、私という個人の存在を認めることと同様に、他人という個人の存在を認めるという考え方でもあります。金子みすずが詩の中で表現した「みんなちがって みんないい」という想いにもつながっていくような気がします。一人一人の個人が尊重されることによって成り立つのが、理想の社会であり国家なのではないかと思えるのです。

本文の中では、憲法13条の「すべての国民は、個人として尊重される」という条文を取り上げ、自民党の改憲草案で、個人が「人として」という文言に変えてあることを問題視しています。

変えた理由は、「個人主義を助長してきた嫌いがあるので」ということであり、その背景には「おそらく自民党内に昔からある声を踏まえたのであろう。いま憲法こそ日本社会に利己主義をはびこらせ、『家』を壊してきた元凶、という議論だ」と、洞察しています。

個人という言葉の重さと 個人主義という思想を 否定する考え方に、大きな疑問を感じます。国家の前では個人は不要なのでしょうか。国家という抽象的な存在よりも、個人という存在の方がはるかに現実的で確かな存在なのではないでしょうか。国家を重んじる考え方は、滅私奉公にもつながる危険な考え方に結びついていくような気がします。むしろ、利己主義の方が私を大切にするという点では、容認できる考え方と言えるのかも知れません。政治家がよく使う国益のためにという考えにも、個人の考えや生活感を無視した全体主義的な論理が潜んでいるような気がします。

個人か国家か、どちらに重きを置くかによって、憲法のとらえ方も国のありようも180度異なってしまうような印象があります。

個人があって国は成り立ち、個人が尊重されることによって民主主義国家は成り立つ。その逆は真なりとは言えないと思います。個人という言葉の重さを理解する中で、現行憲法と向き合うことの意味と大切さを感じます。

半沢直樹が示したように、個人としての理想や志が、銀行という会社組織の硬直した古い論理を覆し、よりよい方向へと組織を変革していく原動力になっていくように思います。個人と国家との関係においても同様のことが言えるのではないでしょうか。

一人が大切にされることでみんなが大切にされる、個人が尊重されることで社会も国家もよりよい方向へと歩むことができるのだと思えるのですが……。