平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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続3 戦争の悲惨

2007年08月28日 | Weblog
その3戦争体験者

 壮年 南方面、すなわち、フイリッピンでの戦争は物質なものが
何もない、武器も送ってこなかった。銃は一発銃、米軍は何発も撃
てる最新型、話にならん。
 聞き手 日本は食糧、武器も送ろうにも送れなかった。日本でも
ないのであった。戦争の原因の一つに貧乏からだった。隣国を支配
し豊かな資源を得ようとした。これは日本だけでなく当時の先進国
戦略だった。
 壮年 しかし、よく日本に帰ってこられたと思う。食料なく、の
ち、捕虜になり身体も悪くなったが、米軍は敵ながら、最低限の食
料を補給してくれた。それで、身体もよくなり、帰国も出来た。
 B壮年 広島がひどかった。原爆落とされ多大の人が亡くなり、重
などの人の中には、顔が焼けて、可愛そうに。
 聞き手 顔は人間の生命となる。男でも子供でもいやなのに、女性
はそれ以上だ。
 壮年 広島に原爆を落とされたのは戦地で聞いた。一発で20万
人ともいう人が亡くなるのだからひどい。
 B壮年 昔の戦争は刀だった。しかし、今は核兵器ですぐだ、生き
残った人も後遺症で悩まされる。

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