平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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続4 戦争の悲惨

2007年08月29日 | Weblog
 その4戦争体験者
 壮年 何もない食料で多くの兵士が苦しんだ。
 聞き手 司令部では現場の苦労はわからない、ただ、進撃の号令。
 B壮年 広島もひどかったが、長崎もひどい、核は恐い。
 聞き手 広島では被爆女性を米国で治療のため米国のノーマン・ガ
スンズ医学博士が活躍された。多数の被爆乙女を米国の病院にある最
新の治療機で治療させました。
 B壮年 今はゲーム感覚、青年らテレビ、映画で戦争のイメージは英
雄のように出来上がっている。
 壮年 戦争の悲惨を話してもわからんよ。。駄目だよ
 聞き手 しかし、聞く青少年も多いいです。真剣に未来を思ってる
ひともいます。ですから、話は大切です。
 B壮年 聞く青少年はいます。ですから、話は必要です。原爆の実態を
知って原爆反対の声が出るのです。ですから、真実は大切です。
                           次回へ

参考 ノーマン・カズンス博士 1915年米国生・大統領の特使として当時緊張状態であったソ連に行き話し合いを推進。大戦後にては、広島で被爆者孤児400人を救済へ米国里親世話など活躍する。
 

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