平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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 グルメ 川崎東口地下街

2015年09月21日 | Weblog

グルメ

 川崎東口地下街 

川崎東口地下街にある洋食 浅草軒にはいった。地下街にはとんかつ店、寿司、てんぶら店などさまざまなお店がある。各お店は工夫しお客さんへの対応している。浅草軒はハンバーグに牛たん、トロロやカボチャ、ニンジンなど添え出されている。また、さまざまなハンバーグやオムライス、デザートに白玉あんみつなど甘味物ある        店に入り、ハンバーグに牛タンを注文した。店内は、若い夫婦と元気な良い5つぐらいの坊や、若い男女が何人かいた。しばらくすると、注文したハンバーグに牛タンとライスが来た。おなかも空腹で、早速に、フォークをハンバーガにくいと入れ、そして、口に入れた。美味しい。うまいー。よし、牛タンだとフォークを牛タンに。おーー。いける。そして、カボチャなどにもフォークをいれ口にもっていく。すぐさまライスがなくなり、ライスの追加を店員さんに注文した。あっというまにハンバーグと牛タンを食べ終わった。うまい、幸福と思った。

 川崎東口地下街は、地下面積が約56、700m2でクリスタン長堀、八重洲地下街に次いで日本で3番目に大きな地下街である。1981年12月に着工1986年位完成した。総事業費約445億円。駅から接続する地点にはアゼリア宇宙カプセルがある。時計式オルゴールが時間にお人形出てきて演奏する。 駅ビルも大きいので、東口地下街と駅ビルのお店など見るのもいいと思う。

 川崎区の観光

 東扇島東公園、夜景で有名

 川崎マリエ 50Mある展望台など

 

案内 川崎市

1871年8月札幌市、福岡市とともに政令指定都市となった。横浜市、横須賀市に次いで、3番目の都市として川崎市が誕生したのが1924年(大正13年)であった。

江戸時代の川崎は、江戸の入る門戸として宿等は約70軒、飯盛女が66人いた。街は繁栄ににぎわった。しかし、農村は貧冨の差が激しく地区によっては打ち壊し事件など起きている。明治5年には鉄道、新橋―横浜間が開通し川崎宿は廃れた。1907年頃からに川崎に企業が進出し次第に大型化していった。南河原、明治製菓、東芝、富士紡、浅野セメント(現太平洋セメント)、コロンビア、日本鋼管、いすゞなど工場が建てられ京浜工業地帯となった。また、このころ、浅野氏による広大な埋め立て事業も行われた。しかし、粉塵問題で地元住民、労働者とのトラブルも発生した。

戦後は、石油化学会社なども進出し京浜工業地帯は、敗戦国日本の経済発展に大きく貢献した。がだ、公害問題も発生し住民との公害補償裁判も行われた。近年は、川崎西口および東口にも大きなショピングセンターが建てられ休日には人々で大きくにぎわっている。

写真は川崎、夢見が崎動物園(幸区) 

 

 

偉人 ナイチンゲール

ナイチンゲールはお金持の家に生まれたが、当時、世間から嫌われていた看護の道を選んだ。当然に母から反対された。しかし、その道を選んだ。そして、戦地に行かれ、負傷者ら苦悩の人々を救ったのである。今は、看護婦はいなくては病院は成り立たないが、当時は看護婦は差別されていたのだった。ナイチンゲールは先駆の人であった。また、国を問わず、負傷者であったら誰しも手当をしたのであった。


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