Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 229

2021年05月10日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

ローマのローズウォーター取引

バラの花びらや切り花は寿命が短いので、パエストゥムとカプアのバラ栽培者は、彼らの切り花をそのままの姿で、大都市中心部、特にローマの顧客にできるだけ早く輸送しなければなりませんでした。イタリアの海岸に沿った輸送を考慮すると、高速船での海上輸送が好ましい方法でした。小売業者である調香師が待つ港へは、生産者–馬車-埠頭-帆船-埠頭―輸送-そして最後に小売業者である調香師の待つ港への輸送と物流システムは整っていました。

 

マーシャルは、このシステムがどのように機能したかについて詳細に述べています。

(Martial、Epigrams X、31)ローマ人が贅沢にふける傾向があるため、バラの栽培産業が繁栄し、それ自体が問題になりました。ローマ人は薔薇に身を任せ過ぎたのです。彼らは淫行を自制することができなくなり、耽溺するあまりローマの理想的な生活に影響を及ぼし始めたのです。

ルキウス ユリウス シーザー(Lucius Julius Caesar, BC135-87)とP. リシニウス クラサス (P. Licinius Crassus , BC 87-53 ) は、過剰な風潮を鎮めるために、「エキゾチックな香水」と呼ばれている(edixisse it quis venderet unguenta exotica; sic enim appellavere)の販売を停止する必要があると判断した程です。

 薔薇を取り巻くビジネスは、需要が減少したローマ帝国の衰退まで機能しましたが、(Martial、Epigrams。VI、80、6:X、60、1:X、26、3)栽培地はマラリアが発生する沼地となりました。BC7~BC4世紀の間に、おそらく、海面の変化、または河口の状態の変化により、その地域に塩性湿地が侵入し、湿った沼地になった結果マラリアを感染させるアノフェレス(Anopheles、ハマダラカ)の生息地になりました。マラリアがもたらしたとき、住民はその場所を離れることを余儀なくされ、雑草や植物に占領されたまま、18世紀にスペインのカルロスIII世(Charles III)、当時ナポリの王が街を通る道路を建設するまで人の手は入りませんでした。

パエストゥムの薔薇の生産と貿易に関しては5世紀まで言及されることはありませんでした。ミラノの南35キロにあるパヴィア(Pavia)の司教、エンノディウス(Ennodius , 474-521)が、6世紀に2か所で育ったペスタンローズについて言及し、Columellaに記載されている、薔薇の色と二度咲き、そして栽培状態をパエストゥムの薔薇になぞらえました。

 

中世には、Columnellaに触発されたアレマンのベネディクト会修道士であるWalahfrid Strabo(808-849、アレマンのベネディクト会修道士)が、癒しの効果のあるパエストゥムの薔薇に触発されたようですが、これらのいくつかの言及は別として、薔薇に関する関心は中世初期まで失われたままでした。中世初期に、十字軍によってシリアからヨーロッパに再導入された薔薇は、一般の認識も高まり、damascenaという名前が付けられましたが、信じるに足る内容はありません。ジェニファー ポッター(Jennifer Potter)になる「The Rose A True History, 2010 and other ditions」は単に神話でしかありません。

ローマ人は薔薇を高く評価し、その絶妙な香りを会議、宴会、パーティで使用しましたが、初期のキリスト教徒は異教のシンボルとして薔薇を排斥しました。 聖書外典にあるヘリオガバルス物語がそうであるように、この絵の主題は、古典ローマの薔薇と、ローマ人の堕落と解散の傾向との関係を見事に示しています。 つまり、パエストゥムの薔薇は、ローマの崩壊後、数世紀の間無視されていました。

                                                                   

この時期、キリスト教の“薔薇とローマの伝統”に対する嫌悪の時代に、薔薇を育てる余暇と感性を持ったのは僧侶と尼僧だけでした。キリスト教作家は、薔薇が果たした役割を非難しました。

 

  Roman del a Rose {Venus at the castle} https://kittysol.com/tag/moon/

3/19のブログでVenus (ウェヌス:ビーナス)を、性的欲望を象徴する存在として紹介しました。上の絵(薔薇物語の中)で描かれているのは、薔薇が投獄されている城に火を放つビーナスです。物語では、ビーナスはキューピッドの母として描かれていました。

 

彼らにとって、薔薇は金星(ビーナス)との繋がりがあるため好意を持って受け入れられないのです。しかし、キリスト教の図像学の中で徐々に再現されることになります。キリスト教の文化では、花はかつて退廃と関係がありました。中世において、キリスト教徒は自然の美しさを高く評価し、これを神が世界を創造した証拠と見なしてきました。

 

『薔薇垣の聖母』Madonna of the Rose Bower, シュテファン ロッホナー(Stefan Lochner, 1400~1451、ゴシック後期のドイツの画家) c. 1440–42. 画、、 Wallraf-Richartz Museum, Cologne

 

聖母は「天の女王」として姿を現し、天使によって隔てられた赤いカーテンのある天蓋の下に座っています。彼女は赤いベルベットのボルスター(細長いクッシォン)の上に座り、キリストを膝に抱いています。彼女の王冠とメダリオンは彼女の処女の象徴です。彼女は、ユニコーンを抱えて座る乙女の姿を刻んだブローチを身に着け、キリストはリンゴを持っています。宙に舞う天使は贈り物をしたり音楽を演奏したりしています。 5人は彼女の前の芝生にひざまずき、携帯用オルガンなどの楽器を持って、他の者はフルーツを差し出しています。

メアリーは曲がった石のベンチの前に座っており、その周りにユリ、デイジー、イチゴが生え、左側にアカンサスの花が咲いています。メアリーは神を具象化した姿で表現され、荘厳な威厳のある地位を強調しています。赤と白の薔薇など、無垢と純粋さの象徴が深く溶け込んだ絵に仕上がっています。

赤い薔薇はキリストの血から生まれ、慈善、殉教、復活のしるしとしました。赤い薔薇は、イエスが十字架につけられたときに失われた血と、アリマタヤのヨセフ(Joseph from Arimathea、新約聖書に登場するユダヤ人。イエスの遺体を引き取ったことで知られる)がキリストの血を集めた器である聖杯と関連づけました。血と結びつけられた薔薇は神秘的な再生の象徴になったのです。

 

 


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