Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ダマスクローズ 238

2021年05月28日 | ダマスクローズをさがして ― Ⅲ

ヨハン コンラート フォン ゲミンゲン( Johann Konrad von Gemmingen、1561/10/23-1612/11//7 or 8 )司教は、8つの庭園からなるアイヒシュテット庭園(Eichstätter garden)を持っていたことで名高く、ヨアヒム カメラリウス(Joachim Camerarius)がこれを管理していたのですが、1598年にヨアヒム カメラリウスが亡くなると、司教はニュルンベルクの薬剤師であるバシリウス ベスラー(1561〜 1629年)に庭園の指導を依頼しました。バシリウス ベスラーは、広大な庭園を記録し、四季を通じて咲く各植物を描写するというアイデアを創案しました。多くの、非常に珍しい植物のカラースケッチは1610年から1612年の間に作成されたもので、これにより壮大な書物ホルタス アイステンシス(Hortus Eystettensi)が生まれたのです。

     

                アイヒシュテット庭園

 

ホルタス アイステンシスは、バシリウス ベスラーが1613年にコーデックス(冊子写本)にしました。(ベスラーに作品の制作を依頼し、16年以上にわたって編集に携わってきたアイヒシュテット司教は、完成前に亡くなっています。)ベスラーは、彼の兄弟と、熟練した画家であるセバスティアン シェーデル( Sebastian Schedel、(1570-1628)、アウグスブルク出身の熟練した彫刻家であるヴォルフガング キリアン(Wolfgang Kilian、1581–1662)、熟練したドイツの画家と彫刻家のグループの支援を受けて編纂を続けました。

 

ヴォルフガング キリアンと彼のチームは最初の銅板を彫りましたが、司教の死後、作業はニュルンベルクの新しい彫刻家チームに移りました。その中にはヨハネス ライポルド(Johannes Leypold)、ゲオルク ゲルトナー(Georg Gärtner)、レビン(Levin)、フリードリッヒ ファン フルセン(Friedrich van Hulsen)、ピーター イッセルブルク(Peter Isselburg,)、ハインリッヒ ウルリッヒ(Heinrich Ulrich)、ドミニクス( Dominicus Custos)、セルバティウス ロイベン(Servatius Raeven)がいました。甥のカメラリウス(Camerarius)とルドウイッグ ユンゲルマン(Ludwig Jungermann)(1572–1653)は植物学者であり説明文を書いています。

 

ホルタス アイステンシス(Hortus Eystettensi:アイヒシュテットの庭)は、これまでの植物画を一変させました。

図版には、庭の花、ハーブ、野菜の他、トウガラシやサボテンなどエキゾチックな植物が実物大に近い形で繊細に描かれています。レイアウトは芸術的で、構成は非常にモダンで、ハンドカラーリングがさらなる効果を挙げています。

この作品は1613年に最初に出版され、367の銅版画で構成され、1ページに平均3つの植物、合計1084種が描かれています。初版は300部を印刷し、販売には4年かかりました。この本は57x 46cmの大きなシートに印刷されました。

参考書として使用するための安価な白黒版と、高品質の紙に印刷され、贅沢に手彩色されたテキストなしの豪華版の2つのバージョンが作成されました。

高級バージョンは法外な500フローリン(金貨)で販売され、無地の無着色のコピーはそれぞれ35フローリンで販売されました。ベスラーはついにニュルンベルクのファッショナブルな場所にある快適な家を2500フローリンの価格で購入することができました。これは、Hortus Eystettensi 5册分に相当します。如何に本が高価だったかが想像出来るでしょう。

 

白い薔薇の花が赤い薔薇を押しのけて ? 、『庭園植物誌』に載せられていたことは、意外でした。何故なら、ダマスクローズは、まず赤い花を付け、その後その花が褪色して白くなるものと思っていたからです。そのことは以前のブログでも触れました。10/26にセルシアーナ( Damask Rose Celsiana )の薔薇の花を見ていただきました。その絵をもう一度ここに引用しておきます。

                     

 

この絵を見てそれまでの疑問が払拭されたと思いこんでいたのですが。そうではなかったのでしょうか。それにあと一つ疑問が。濃い、どちらかといえば、紫っぽい花びらの薔薇の花は何を根拠に描いたのでしょう。銅版画の説明は、バシリウスの甥のカメラリウス(Camerarius)とルドウイッグ ユンゲルマン(Ludwig Jungermann)(1572–1653、植物学者)が当たったということですから信頼して良いと思われます。1613年に書かれた内容にしては中々のものです。いままで一年と半年を費やして書いてきたブログ「ダマスクローズをさがして」を短くまとめたような、文章は本当に大した内容です。

  

               プレート97:Vern Ordo 6、fol 4

 

この絵の説明も白い薔薇に描かれた内容と全く同じでした。上左の白い一重の薔薇(Rosa Damascena forisum plici )についての説明は見つけることは出来ませんでした。分類は難しいと言うことですから、その言葉通りなのでしょう。それにしてもダマスクローズは白い花が本流とは ?! 意外でした。           

   

   

  

  

 

今年も薔薇の花が咲きました。スーッと鼻先を薔薇の香りがかすめて通ります。夏の暑い日の水遣りの苦労が遠くへ消えてゆきます。不思議なブログに長い間お付き合い頂いて有り難うございました。私はとても幸福な時間を過ごすことが出来ました。本当に有り難うございました。

                                            完

 

6月からはかねてから申し上げておりましたとおり「ハーブ」を取り上げます。かつて誰も書かなかった内容を予定しております。引き続き呼んでいただけると嬉しいです。毎月10日頃を予定しています。

 

 


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