先日「な」さんからコメントを頂きまして、「な」さんが「クイーン」のことに触れてまして、それで思いついたことを書きます。
おそらく「な」さんは、新宿コマ劇場のWE WILL ROCK YOUをご覧になったんじゃないかと思います。
FMで七尾藍佳さんも行ったよと言うことですが、こういう話を聞くと東京っていいよなと思います。
ん?
まあいいか。
今日は「パープル」、「紫」のお話なんですが、始めに断っておきますが、多分本題に入らないと思います。
僕は昭和35年生まれで、この年っていうのは、歴史でも習うように60年安保があったり、池田勇人首相が所得倍増計画なるものを発表して、いわゆる高度経済成長の時代の幕開けになったりして、色々と派手な年なんですね。
僕らは1960年代に子供期を過ごしているんです。
で、ようやく物心ついて、自分の近所の世界からもう少し広い世界に目を向けようとすると、もう色んなものが終焉を迎えていたりします。
小学校5年生のとき、10歳か11歳の時ですね。昼休みに音楽をかけるのですけれど、ある日突然ビートルズがかかったことがありました。
後で聞くと音楽の先生が彼等の曲は歴史に残るから小学生に聞かせるべきだって他の先生を説得してまわったそうです。
僕らはラジオでよく聞く曲だ、程度の認識で、そういう曲のことより仮面ライダースナックのカードの方に心が向いていましたから頓着なかったと思います。
僕が「みのもんたのオールジャパンポップス20(ツウェンティ)」を聞き始めビートルズにかなり関心を持ち始めたころには彼等は解散していました。
中学に入ったときに周りのみんながフォークギターを持っていて、かぐや姫とか井上陽水とか吉田拓郎、ちょっと気取った奴は六文銭とかブレッドアンドバターとか言って騒いでいました。
僕も必死になって親に頼みギターを買ってもらい「かぐや姫」を弾こうと練習しました。
で、中学二年の時にヤマハリゾート施設「つま恋」で拓郎とかぐや姫で12時間コンサートをやったんですね。かぐや姫が再結成だ!って言って大騒ぎでしたから、つまりかぐや姫は解散してたんですね。
楽器屋さんでチケットを2500円で購入して、当日はどうやって行こうかとか誰の家に集合するかとかわくわくした日が続きました。
で、ご存じの方はご存じなんでしょうけど、静岡県の教育委員会かなんかで問題になりまして、未成年がそんな場所へ参加するのはまかりならん。という風になってしまったのです。
で、チケットを楽器やさんに払い戻しにいきました。
それでも僕らはフォークギターにのめり込んでいました。
高校生になると、フォーク派とハードロック派にきっちり分かれましてしまいました。
フォーク派はギターを片手に一人の世界にはまっていましたし、ハードロック派はバンドを組もうとして人数を集め、楽器屋さんが運営するスタジオを時間借りして活動したりしてました。
フォークについては「つま恋」でヤマハ主催のポピュラーソングコンテストが始まりましたし、地方ラジオ局でも盛り上げようとする動きがありました。
ハードロック派は「ツェッペリン」や「ディープパープル」に心酔し、FM放送のチェックやアルバムの貸し借りを頻繁に行い、高校の昼の放送や文化祭のテーマ曲に自分たちのアピールの活路を求めようとしていました。
とにかくフォークもハードロックも普通のロックも学校の先生を代表とする、世間の常識からは随分と外れたものだったので、まともなライブどころか「電気ギターは使用禁止での参加可能」という、とてつもないハードル課してきました。
バンド参加者は、フォークギターにピックアップマイクを付けて対抗する手段に出ましたが、あんまり成果はなかったように記憶してます。
それでも、「天国への階段」に通じる精神を伝えたとかで、それなりに満足げでした。
そういう意味で僕らは余り無茶をしなかった世代かも知れません。
僕の高校では「アスパック」といって高校生が学生運動して授業ボイコットや教員の吊し上げや、デモなんかした学校でしたが、僕らの入ったときは、国公立進学者120名突破とか言っていて、全くそんなことがあったとは思えない学校になっていました。
70年安保で暴れた人たちも既に僕らの認識の中では、内ゲバを繰り返し、民間人を人質に取って立てこもったり、仲間を殺して山の中に埋めたりする悪い人たちということでしたから、父親の「頑張っていたんだけどな」というつぶやきはどうしても理解出来なかったことを覚えています。
今回僕が言おうとしてるのは僕らの世代は常に前の時代の価値観が終わろうとしてる節目に立たされてきた世代なんじゃないかということで、ビートルズもかぐや姫も高度経済成長もバブル経済も全てが転換期に差し掛かったときに僕らはそれを受け止めなくてはいけない時期に遭遇してるわけで、僕らは明確な対象を見失いながら足掻いてきた世代と言えるのではないかと思うのです。
僕らは3無主義とか5無主義とか言われました。
無思想、無節操、無駄、無知、無感動といわれ、新しい物差しを見いだせないまま大人になって行きました。
僕ら世代の後は、フラストレーションを爆発させ。校内暴力が盛んな世代になります。
地元の国立大の教育学部に進んだ人たちがこぞって小学校教員に進む道を変更したのを覚えています。
金八先生の第二シリーズの頃に僕らは大学生でしたから。
あれはあれで僕も感動し、それなりに涙を流したわけですが中学校の先生が「あんなのはテレビだから成立するんだ!」と言って憤慨していたのを覚えてます。
中島みゆきの唄が印象的で、中学生には中学生なりの正義があったように描かれていますが、校長が生徒に謝っちゃうってのは今でもあり得そうにありません。
で、いつになったら「紫」になるのでしょう?
おそらく「な」さんは、新宿コマ劇場のWE WILL ROCK YOUをご覧になったんじゃないかと思います。
FMで七尾藍佳さんも行ったよと言うことですが、こういう話を聞くと東京っていいよなと思います。
ん?
まあいいか。
今日は「パープル」、「紫」のお話なんですが、始めに断っておきますが、多分本題に入らないと思います。
僕は昭和35年生まれで、この年っていうのは、歴史でも習うように60年安保があったり、池田勇人首相が所得倍増計画なるものを発表して、いわゆる高度経済成長の時代の幕開けになったりして、色々と派手な年なんですね。
僕らは1960年代に子供期を過ごしているんです。
で、ようやく物心ついて、自分の近所の世界からもう少し広い世界に目を向けようとすると、もう色んなものが終焉を迎えていたりします。
小学校5年生のとき、10歳か11歳の時ですね。昼休みに音楽をかけるのですけれど、ある日突然ビートルズがかかったことがありました。
後で聞くと音楽の先生が彼等の曲は歴史に残るから小学生に聞かせるべきだって他の先生を説得してまわったそうです。
僕らはラジオでよく聞く曲だ、程度の認識で、そういう曲のことより仮面ライダースナックのカードの方に心が向いていましたから頓着なかったと思います。
僕が「みのもんたのオールジャパンポップス20(ツウェンティ)」を聞き始めビートルズにかなり関心を持ち始めたころには彼等は解散していました。
中学に入ったときに周りのみんながフォークギターを持っていて、かぐや姫とか井上陽水とか吉田拓郎、ちょっと気取った奴は六文銭とかブレッドアンドバターとか言って騒いでいました。
僕も必死になって親に頼みギターを買ってもらい「かぐや姫」を弾こうと練習しました。
で、中学二年の時にヤマハリゾート施設「つま恋」で拓郎とかぐや姫で12時間コンサートをやったんですね。かぐや姫が再結成だ!って言って大騒ぎでしたから、つまりかぐや姫は解散してたんですね。
楽器屋さんでチケットを2500円で購入して、当日はどうやって行こうかとか誰の家に集合するかとかわくわくした日が続きました。
で、ご存じの方はご存じなんでしょうけど、静岡県の教育委員会かなんかで問題になりまして、未成年がそんな場所へ参加するのはまかりならん。という風になってしまったのです。
で、チケットを楽器やさんに払い戻しにいきました。
それでも僕らはフォークギターにのめり込んでいました。
高校生になると、フォーク派とハードロック派にきっちり分かれましてしまいました。
フォーク派はギターを片手に一人の世界にはまっていましたし、ハードロック派はバンドを組もうとして人数を集め、楽器屋さんが運営するスタジオを時間借りして活動したりしてました。
フォークについては「つま恋」でヤマハ主催のポピュラーソングコンテストが始まりましたし、地方ラジオ局でも盛り上げようとする動きがありました。
ハードロック派は「ツェッペリン」や「ディープパープル」に心酔し、FM放送のチェックやアルバムの貸し借りを頻繁に行い、高校の昼の放送や文化祭のテーマ曲に自分たちのアピールの活路を求めようとしていました。
とにかくフォークもハードロックも普通のロックも学校の先生を代表とする、世間の常識からは随分と外れたものだったので、まともなライブどころか「電気ギターは使用禁止での参加可能」という、とてつもないハードル課してきました。
バンド参加者は、フォークギターにピックアップマイクを付けて対抗する手段に出ましたが、あんまり成果はなかったように記憶してます。
それでも、「天国への階段」に通じる精神を伝えたとかで、それなりに満足げでした。
そういう意味で僕らは余り無茶をしなかった世代かも知れません。
僕の高校では「アスパック」といって高校生が学生運動して授業ボイコットや教員の吊し上げや、デモなんかした学校でしたが、僕らの入ったときは、国公立進学者120名突破とか言っていて、全くそんなことがあったとは思えない学校になっていました。
70年安保で暴れた人たちも既に僕らの認識の中では、内ゲバを繰り返し、民間人を人質に取って立てこもったり、仲間を殺して山の中に埋めたりする悪い人たちということでしたから、父親の「頑張っていたんだけどな」というつぶやきはどうしても理解出来なかったことを覚えています。
今回僕が言おうとしてるのは僕らの世代は常に前の時代の価値観が終わろうとしてる節目に立たされてきた世代なんじゃないかということで、ビートルズもかぐや姫も高度経済成長もバブル経済も全てが転換期に差し掛かったときに僕らはそれを受け止めなくてはいけない時期に遭遇してるわけで、僕らは明確な対象を見失いながら足掻いてきた世代と言えるのではないかと思うのです。
僕らは3無主義とか5無主義とか言われました。
無思想、無節操、無駄、無知、無感動といわれ、新しい物差しを見いだせないまま大人になって行きました。
僕ら世代の後は、フラストレーションを爆発させ。校内暴力が盛んな世代になります。
地元の国立大の教育学部に進んだ人たちがこぞって小学校教員に進む道を変更したのを覚えています。
金八先生の第二シリーズの頃に僕らは大学生でしたから。
あれはあれで僕も感動し、それなりに涙を流したわけですが中学校の先生が「あんなのはテレビだから成立するんだ!」と言って憤慨していたのを覚えてます。
中島みゆきの唄が印象的で、中学生には中学生なりの正義があったように描かれていますが、校長が生徒に謝っちゃうってのは今でもあり得そうにありません。
で、いつになったら「紫」になるのでしょう?