「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

合併してわかったこと。    苛政は虎よりも猛なり?

2005年05月08日 22時47分47秒 | 日記
 僕は今、自治会の役員をしている。何せ45軒で一つの自治会を形成してるから、誰しもが何らかの役に付いている。これは多分、自治会長をして引退した後も、なんだかんだと体が動く限り、やるモノらしい。
 もっともそのくらいの年齢になれば、社会的にも役割を終えていて、楽隠居してるだろうから体と気力があって暇を持て余していればやることにやぶさかではない。
 ただし、僕の20年後の生活にそんな余裕のある社会があるかどうか分かったモンじゃない。
 年金無し、仕事無し、退職金無し、貯金無しじゃ段ボールの家に住む他はない。
 そのことは別に今から心配しても仕方がない。
 個人年金なり、積み立てなり財形貯蓄なりをしているが、それより前に家のローンを終わらせないといけない。
 
 で、他の自治会も、そうかというとそういう社会的名誉とか、根っから政治家とか、世話好きとか仕切りたがりとかがいる自治会があって、候補者が多くて選挙で決めてるとこもあるらしい。

 僕は地元の青少年が心身共に健康に成長していくことを援助する役割であるようで、安易に予想できた夜回りの他に子供読書会とか紙芝居とか他の団体に協力してやるらしい。

 なにせ頼りない支部長である。
 昨年お祭りの責任者が終わってほっとしていたらこの始末である。

 仕事が地元じゃないし、小中高と地元じゃないので、地縁、血縁に薄い。

 今日は再来週に開かれる、総会のための打ち合わせなんだけど、町から市に変わったから規約の改正やら何やらでめんどくさいことこの上ない。
 名簿の一覧作るにもいちいち問い合わせしなくちゃなんない。
 
 で、この組織は教育委員会の社会教育課に属するようで、市役所に聞いてみると、今は合併した旧隣町に部署がまとめられたらしい。そうかと思ってそちらの役場に連絡した。
 そして話をしていて驚いたのが、旧隣町には僕の所属しているような、役職はないとのこと、カミさんにそのことを話すと、「子供会の組織もないのよ。」とのこと。
 へーそんなもんかねって感じです。
 隣町は僕の町より1万人ほど人口が少ない。小学校はウチが6校隣が4校。中学はウチが2校、隣が1校だった。それが程度の差かしらないが他にもウチにはあって隣には無いものが結構あるらしい。

 しかも今後もやるつもりはないらしい。

 それでやっていけるのならそれの方がいい。
 役職だけ増やして仕事の合間縫って、会議だの、打ち合わせだのの準備をしても大変なだけだ。
 
 政府が地方交付税をなくす。ただ、合併したら10年間は交付しますよって言うんでそこら中でお金ほしさにドタバタ合併をしている。

 でも10年後には無くなるわけだから、街としては仕事と人員を減らして何とかやりくりしなくちゃならない。
 そこで、決定権や裁量権を自治会に移し、街がサービスで行っていたモノを自治会という名のボランティアにやらせようとしていると言ったところか。
 
 これからは皆さんの自治会が中心となって地域を活性化して行かなくてはならない時代です。などど市会議員は言うけれど、要するに自分たちの手弁当でやれってことで、これはかなりの負担増だ。
 景気は回復仕切れていない。
 だから、そしてリストラは限界近くまで進んで、一人が今までの2倍3倍分を働くことで利益を生み出している。
 だから、仕事はきついし滅多なことでは休めない。
 休めばすぐにクビに近づく。

 代わりならいくらでもいる。

 そう言うんだよ。 

 自治会の役を受けようモノなら「そういうのは好きな奴にやらせておけばいい」と言われる始末。

 去年なんか「スミマセン。祭りの責任者なんで休みます。」って言うと

 「まつりい~。オマエそんなに祭りが好きだったか。」

 「そう言うんじゃないですが、責任者なものですから今年だけお願いします。」

 「時期考えるよ、時期を。大切なのは分かっているんだろう。」

 「すみません、申し訳ありません。影響でないように段取りつけますんで、お願いします」

 「ホントー?頼むよー、仕事なんだから」

 「あんたはそういうの、全部カミさんにやらせて、近所で悪く言われてるらしいじゃないですか。」て…言えないよね。

 ふう~。

 事情が分かっていらっしゃらない。

 従って査定にも響きます。
 
 この土地で行きてく限り仕方がない。

「苛政は虎よりも猛なり」というが、僕の場合は「緑は苛政を耐える環境なり」で子供が安全且つ、素直に育つ環境は棄てがたくて離れずにいる。
 住む人の質も悪くない。
 田舎だからそれなりに、プライベートに踏み込んでくる。当初それが耐え難かった。でも、仕事でない人間的環境をもって、それを受け入れてしまえば、それはそれなりに、違う価値観を持てるようで勉強になる部分もある。
 
 だけどなあ。これから交付税もらえなくなって、市民から広く薄く税吸い上げて、公共事業とかを継続させるために役職が増えていくのは勘弁して欲しいなあ。

 

ブログの経営力

2005年05月08日 01時09分06秒 | BLOG論
 JR西日本のことをブログにあげたら、今まで面識のなかった方々からトラックバックを頂いた。
 さすがに注目されている事故だけあるなあというのが最初の実感である。
 僕は今回の件についてはかなり慎重な意見を述べたつもりであった。それは人の目を引くような過激な意見ではないということを意味している。それでもTBはくる。
 訪ねてみると、みなさんどの方のブログもたくさんのコメントやトラックバックをつけているブログであるということに共通性がある。
 どうやら単語で検索し、近いニュアンスの記事(確認したわけではない)には全てにトラックバックをつけておられるようで、コメントを読むとトラックバックに対するお礼が書かれている。
 
 自分の意見を多くの人に知ってもらうだけではない、自分のブログに社会性を持った意見の潮流を作ろうとしているとうだけでは説明のつかない何かがあるような気がしている。

 自分の記事を揚げると同時に検索をかけて、同様の記事を洗い出し、トラックバックやコメントする価値があるかどうか判断しておられる。

 記事ごとに30数件のコメントが付いているのだからそれに対するコメントを書くだけでも大変な作業であろうと思われる。

 いったいどんな人なんだろうと思ってプロフィールを読むと、お二人の方が詳しく書かれている。一人は中国大連にある会社の社長さん、もう一人の方は外資系の金融会社に勤めている方で2000億円ぐらいのお金を扱っているらしい。
 だからなんだ、人としては変わらないじゃないかという意見は抛っておいて僕が気付いたのは二人とも経営のプロと言うことだ。
 ブログを運営するのに、いや実際のところ僕は運営という意識ですらなく、ただ気儘に書いて、気に入った記事があればコメントしているだけの日々である。

 つまり日記に毛の生えた程度のものでしか考えていない。

 以前チェ・ジウさんの画像を揚げていたことがあった。その期間は1週間に1000のアクセスを数えることもあった。
 それもやめた。
 
 それと比較すると、前述のお二人は実に堅実な経営理念をもってブログの経営に当たられていることが分かる。
 意見の質とか文章力とかの問題とは別の部分で自分を表現する方法に長けていらっしゃる。
 その根底には御自分を極めて社会的な存在として認識し、個が敢然と社会と対峙して、それが当たり前のような、悠然とした風貌が浮かんでくる。

 僕のブログがブログ界の辺境「風の谷」にあるとすれば、お二人のブログは「東方の強国トルメキア」であると言える…。

 すみません。
 自分トコをよく言いすぎました。

 しかし、畏れながらもブログ論を展開する身なれば、こういうブログ経営理論も勉強しなきゃ、又は取材しなきゃいけないなと思ったこのごろでありました。