「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

どなたか そろばんの割り算のやり方教えてください。

2005年05月11日 23時12分56秒 | 日記
 小学校4年生の娘が悩んでいます。1月近くやってるのに全然出来ません。
 先生に聞いても分からないそうです。

 来月の26日には5級の検定があるそうです。

 どうやら複数桁の割り算が出来ないようです。

 本の紹介でも構いません。

 塾を紹介されても、もう通っています。

 要は父親である僕が理解できれば娘に教えてあげることが出来ると思いますので、そういう方法でも結構ですから教えてください。

 

お探しのお品はございましたか? という話

2005年05月11日 23時04分43秒 | BLOG論
 gooのアドバンスを使うと、ページごとのアクセス数を表示してくれる。これは前から付いていたモノだが、最近ページタイトルが表示されるようになった。
 今までちゃんと見てなかった証拠みたいだが、改めて見ると、かなり昔の記事まで見ている人がいる。

 僕の場合、以前チェ・ジウさんの画像を揚げていた関係で、それ関係の記事が多い。画像は全て消してしまったので随分がっかりして去って行かれる方も多いのではないかと思う。
他にも僕が勝手に気に入っている七尾藍佳さん関連のアクセスも後を絶たない。

 でもアクセス自体は多岐に渡っているので、検索してヒットしたところに飛んで来るんだろうなと思う。

 そうしてみると僕のブログの最新記事を期待している人は、アクセス全体の30%に過ぎないことが分かる。

 知らぬが仏とはよく言ったモノで、人(僕だけ?)は当日のアクセス数のほとんどが自分のブログのファンで記事がアップされると飛びつくように読んでくれているものと勘違いをしている。

 人(僕だけ?)というものは余程おめでたく出来ているものらしいということが自覚できてきた。
 

 僕らのブログは情報源という側面を持っている。世界中のブログやHPが

 「現代用語の基礎知識」
「広辞苑」
(ちょっといたずら)の1行を担っていると言っても過言ではない。

 いいですよ、お好みの辞書になっても、広辞苑が嫌いなら「ブリタニカ」
でも「ジャポニカ」でも何でも良いですよ。

 とにかく僕らの記事に込めた思いなどに関係なく、人はブログを訪れてくるということなんだ。
 以前僕はブログをフリーマーケットに例えた。
 しかし、ブロガーにとって過去は「古物」であり、「骨董」に近いものといえよう。店頭に陳列していながら、その品揃えの多さに自分で感動しながらも、個々の記事についての責任感はほとんど希薄になっていると言えよう。

 記憶に強く残るのは、コメントが多かったり、褒められたり、素敵な人との出会いがあったりした記事である。
 
 僕だけ?

 コメントも付かず、アクセス数も少ない記事は、それがどんなに気合いをいれて書いても自分自身が余程気に入らなければ記憶から遠のいていく。

 そして検索語に引っかかって、アクセスがあると、こっちがビックリするのである。
 そうビックリするのである。

 なんで?って

 でも不思議なことじゃないんです。

 単語に対する好奇心の針に引っかかっただけですから、あなたに惚れた訳じゃありません。

 パーツ(部品)ですよパーツ。

 あなたのブログは骨董市でもフリーマーケットでもありません。

 ジャンクショップです。

 それだけのことです。

 だから、ちょっと時間があって、あなたの記事という商品を見ちゃった人の中には、絵の具を買いに来て、額に入った絵を買ってしまった人のようになる可能性だってあるんですから、無碍にしてはしてはいけません。

 なんちゃって…。