「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

BLOG表現の困難さ3 鏡の中の自画像 左右非対称の現実

2005年04月07日 23時30分26秒 | BLOG論
 日記は鏡のごとく自分の姿を映し出すもの。そしてブログは映した姿を大勢の人が行き交うスクランブル交差点の真ん中に立てかけて置くのに似ている感覚がある。

 最初はかなりの勇気が必要で、密かな期待と不安が交錯し、日々記事を書き足しながら、アクセスの数に一喜一憂し、コメントをもらえないうちは、宛名のない手紙を出し続けるがごとく、虚しさに襲われたりもし、自分に言い訳したり、自分を責めたり、慰めたりもする。

 そしてその日は必ずやってきて、一人でもコメントしてくれる人がいると、それは恋人に出会ったように、百年の知己を得たように、命を共にする同志を得たように、前世からの因縁を感じたりもし、ブログ上の孤独から天から日が差すがごとくあなたの心をを解放してくれるのです。



 そしていくらか時が経ち、あなたの周りには、にぎやかな、あるいは暖かな人の輪が出来てきます。



 でもそのころになってあなたは一つの違和感を持ち始めます。それは書けば書くほど、人の輪が大きくなればなるほど強くなります。


 愛されているのは、暖かさに包まれているのは、誰?

 
 そしてあなたは気付くのです。


 愛されているのは、輪の中にいるのは鏡に映った自分!
 

 本当の私じゃない…。



 鏡というものを知っていますか。

 鏡に映った自分の姿は真実じゃ無いんです。

 時計を映してみれば分かります。

 左右が逆になっているでしょ。

 とっても不自然でしょ。

 鏡に映った姿は本当は不自然なんです。

 でも私たちは鏡の中の自分しか知らない。

 写真や画像で知ってるよ、そういうかも知れません。

 でも、写真写りが良いの悪いって、あなた信用してないじゃないですか。

 本当はそっちの方が真実だったとしたらどうですか。

 2,3年前に真実を映す鏡がファンシーショップで売り出されたことがありました。

 今もあるのかな?

 その鏡に時計を映すと左右は逆になりません。



 つまり他の人が見てる自分を見ることが出来ます。



 鏡に映った自分の姿の感想は一様に「あり得ない!」だそうですよ。

 ブログも同じだと思いませんか?

 自分の全てをさらけ出していますか?

 ブログに表現された自分というのは鏡に描いた自画像なんです。

 
 どこか自分を偽っている。よく見られようと思っている。真実の自分とはかけ離れた自画像…。


 そう思っていたり、そう思う時期があったらこの記事を思い出してください。



  
 
 それでもあなたは愛されています。


 たとえ鏡に映った自画像でも、あなたの真実は伝わります。

 だってあなたが描いた自画像ですから


 そしてこの自画像はどんどん書き足すことが出来るんです。

 これで終わりというものがない。 


 クロッキーがやがて精密なイコンになるように


 人はあなたのことを時間をかけてゆっくりとゆっくりと理解して行くでしょう。


 だからあなたは自分を偽っているのではなく、あなたという像を描き上げてる途中なんだと思ってください。

 そう思えばブログを書き続けることができます。





 

 そんなこと心配してる人いないか…。
 


 
 

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2 コメント

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いや~ (たつろ)
2005-04-08 10:51:00
すごい考えさせられました。

確かに偽ってます。はい。

自分というものはなかなか客観的に見ることはできません。どこかでこうありたい、という主観が働いていると思います。

でも、偽りでも、それはこうありたい、という願望なわけで、真実にしたい、と努力すればいつか真実になるのではないかな、と思います。
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うん (aniki)
2005-04-09 10:12:12
 偽善者でも一生続いたら善人ですからって感覚で生きてます。





 嘘から出たまことってことはままあるわけで、そんなのも全部ひっくるめてそういう自分を丸ごと許しちゃってる立ち直りの早い自分です、ハイ。
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