「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

統一球について考える

2013年06月13日 23時20分58秒 | 文化論
 叩いてますねえ、マスコミさんは。煽っております。
 「開き直り!」とか過激な言葉を使ってます。ひさしぶりに全力で
 叩けますからね。元大使なんだ。どおりで見たことある顔だと思いました。

 でね、今年ね、外人さんが、いっぱいホームランを打ってますけど、それって
例えば、日本記録を抜く可能性もあるんでしょ。
 年間55本でしたっけ。それを越えるのは大変な努力なのであろうと思うのですけど、
でもさ、こういう風に「飛ぶボールですから」とか言われちゃうと、なんだか価値が薄れてしまうような気がするんですけど
どうなのでしょうね。

 でさ、今年のノーヒットは昨年の完全試合よりも価値があるんじゃないかっていうのは、どうなのでしょ。

 ということは、色々なものが疑われているわけで、いろんな選手の記録の前提が崩れてしまったわけでしょ。
そう考えると、日本野球機構っていうのは物差しというものであって、変わっちゃいけない所なんですね。
 試合の数が変わったりするのもそうで、細かく言えば甲子園のラッキーゾーンが無くなったのだって、影響があるよね。
でも、逆に野球技術の進歩や、道具そのものの、発展や、日本人の体型や、筋力の変化によっても変わって行かなきゃいけない部分もあるので、バッサリは行かないのだけれどね。

 まあ、とにかく「説明責任」とかいう、「やめろ!コール」はもうしばらく続きそうですね。


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