高田良信さんは法隆寺の長老で、毎年法隆寺夏期大学へ行くともらえる冊子の中に随筆が寄せられていて、中でも法隆寺が世界遺産登録されたときの地元斑鳩町との「闘い」がおもしろかった。
夏期大学では名物の著名な講師陣がつぎつぎと舞台を去り(高齢化のため)、近年はあまり魅力がなくなってしまったが、生徒の中でも「高田良信さんの講演があればいいのに」という声が聞かれていた。
ぜひ一度お目にかかりたいと思っていたけれど、すでに亡くなってしまわれたとは・・・・・・・・・
それほど年齢が高くもなかったのに残念です。
この本はアマゾンプライムで取り寄せました。
今日届いて、少し前後のあたりに目を通しましたが、じつに理解しやすい興味深い内容で、読むと心が安まりそうです。
今まで密教関係の著作や古典を見ていたので、読めば読むほど疲れが溜まってしまいましたが、この本は読むと同時に頭に光景が入ってくるという希少な書でした。
思えば法隆寺は私の歴史文学への出発点で、現在ひたすら悉曇十八章に取り憑かれているのも法隆寺貝葉が原点になっています。
密教も仏教も関係なく、梵文般若心経が理解できればいいという目的での高野山大学でした。
いよいよ来週、秋季スクーリングのため高野山へ向かいます。
往路、京都へ寄って、智積院へ泊まるという冒険も予定しています。
「篳篥の蘆舌」
4月ごろ製作者から送っていただいた蘆舌が8個あります。
なにしろ廿日会祭と中秋管絃祭の両方が中止になるという番狂わせが生じたため、届いてから長らく開封していませんでした。
いわゆる「帽子」をかぶせてない状態なのが原因だったのか、8個のうち2個にひびが入ってしまいました。
それでもセメ止めをして吹けば音は出ているので使えそうですが、これからはしっかり管理しないと駄目なんだと反省。
無事だった6個のうち、1個は大先輩のN氏へ、1個は神主の須田さんへプレゼント。
この蘆舌の優れているところは、最初から音が出る、ということにつきます。
慣れていかないとよく響く音にならないですが、最初にこれだけ音が出ると期待がもてます。
篳篥の新人たちは何人増えても、1,2年で去っていきます。
理由は、音が出ないからです。
彼らがこういう蘆舌に出会っていればよかったのに、と残念に思います。