雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社 45 中区の三日月稲荷神社内の万葉「引馬」歌碑

2011年01月14日 13時45分09秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 45 中区の三日月稲荷神社内の万葉「引馬」歌碑

 「遠州の遺跡・寺社」を心新たに再開します。
 まだ寒いので、頻度はまだ少ないと思います。

 最初は、古代の「万葉集」歌碑からです。

 「9月29日  遠州の遺跡・寺社31 中区萩丘の朏三日月稲荷」で紹介したお稲荷さんの境内に万葉歌碑があります。

 有名な「引馬野に にほふ楱原 入り乱れ 衣にほはせ 旅のしるしに」という短歌です。
 
 ひくまのに にほふはりはら いりみだれ ころもにほはせ たびのしるしに 

 作者は、長忌寸意吉麻呂(ながのいみきおきまろ)さんです。

 持統天皇のお供をして、大和かやってきたときにつくった歌ですが
 この「引馬野」がどこか、三河説と遠州説とがあります。

 もちろん中世の鎌倉時代頃から浜松の今の八幡宮のあたりを中心に「引馬宿」があったのは確かですが、
 古代の8世紀初頭(大宝二年=702年です)にはどうでしょうか?
 ぼくは今のところ、三河説です。

 ただし、三河であれ、遠州であれ、同じ朝鮮系の渡来人たちがいたのだから
 両方をひっくるめて「引馬」と言っていた可能性もあるでしょうね。
 
 なお現在の町名にある浜松市中区曳馬1丁目から6丁目は、中世の「引馬宿」からは
 かなり北にずれいている、新地名です。

雨宮日記 1月13日(木) 馬込川の水辺でカワセミが目の前に

2011年01月14日 13時37分15秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月13日(木) 馬込川の水辺でカワセミが目の前に

 何度も目撃しているのですが、カワセミが目の前の水辺で
 枝にとまって、何回も水路にダイビングしていました。

 たぶん魚を捕っているのでしょうけど、こんな水路に
 魚がいるのでしょうか?

 青とオレンジのカラーがきれいな翡翠色ですが、
 なせこんな目立つ色になったのでしょうか?
 カワセミは敏捷すぎて、カワセミを食べる捕食者(ワシタカ類?)もいないので、
 こんなキレイな色でもいいのでしょうか?

 写真は夕方で逆光のため色が薄いです。

雨宮日記 1月11日(火) 新聞についての則子さんとの対話

2011年01月14日 05時30分10秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 1月11日(火) 新聞についての則子さんとの対話

 今日から「N子さん」を、ほんとうの名前の「則子さん」に表記します。
 ですから、N子さんの「真実の名前」は、「雨宮則子」です…じゃないでしょ?!
 はい、「真実の名前」より「雨宮則子」の方が、なんだか、格好いいですね。

 もし則子さんの小説を書くときがあったら、主人公は「雨宮則子」さんと、「雨宮智彦」くんです。
 
 則「智彦くん、今の仕事について、やっぱり中日新聞も、だいじな資料だなと思ったの」
 智「ぼくも昔からそう思ってるけど、購読料を考えると、「とろう」とは、なかなか言えなくて」

 則「よし、いま「静岡新聞」「朝日新聞」「赤旗」の3紙だけど、「中日新聞」もとろうか?
 智「いいけど、新聞は、あくまで資料だよ」
 則「どういう意味?」

 智「新聞を読むことも大事だけど、もっと多くの時間を基本的に本を読まないと、新聞に食われますから」
 則「新聞を読む何倍くらい?」
 智「3倍以上かな」
 則「新聞を食べて昇華しなさいと言うのね?」
 智「まあそれは本も同じだけど。感動しているだけなら本はいらないね」