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Studies about acupuncture and moxibustion and Massage.

歪んだマッサージの手技の歴史

2018-06-11 | マッサージ研究

2015年5月21日発表の『コクラン・システマティックレビュー』
「乳がん治療後のリンパ浮腫に対する『マニュアル・リンパ・ドレナージュ』」
Manual lymphatic drainage for lymphedema following breast cancer treatment.
Ezzo J et al.
Cochrane Database Syst Rev. 2015 May 21;5:CD003475.

以下、引用。
「著者の結論:マニュアル・リンパ・ドレナージュは浮腫減少のための圧迫バンドに付け加える治療としては、安全で利益があるかもしれない」
Authors' conclusions:MLD is safe and may offer additional benefit to compression bandaging for swelling reduction
以上、引用終わり。

マニュアル・リンパ・ドレナージュ(Manual lymphatic drainage)」では、マッサージ手技としては、
静止クライス(Standing circle:ドイツ語のStehender Kreis:シュテヘンダー・クライス)」、
ポンプ手技(Pump grip:ドイツ語のPumpgriff:ポンプグリフ)」、
ドレー手技(Turn grip:ドイツ語のDrehgriff:ドレーグリフ)」、
シェップ手技(Scoop grip:ドイツ語のSchöpfgriff:シェップグリフ)」
などの独特の4つの手技を用います。

 「マニュアル・リンパ・ドレナージュ(MLD:Manual Lymphatic Drainage)」は、デンマーク、コペンハーゲンで生まれて比較言語学を学んでいたエミール・ヴォダー(Emil Vodder:1896-1986)さんが、1932年にフランスのコート・ダジュールでマッサー(民間無資格マッサージ師)として働いているとき、扁桃炎に対してリンパをマッサージしたら改善したことから始まりました。エミール・ヴォダーさんは、ドクトル・デア・フィロゾフィー(Doktor der Philosophie:Ph.D)つまり哲学博士はとっているので、ドクターですが、医師(MD)ではありません。だから、「マニュアル・リンパ・ドレナージュ」は厳密には代替医療と見なされています。エミール・ヴォダーさんは1936年頃に、リンパ・ドレナージュを発表し、残りの人生をフランスのパリで過ごしました。 

 エミール・ヴォダー(Emil Vodder:1896-1986)さんは民間無資格マッサージ師だったため、「マニュアル・リンパ・ドレナージュ」はヨーロッパでも代替医療の扱いでしたし、今でも代替医療として扱っている国が多いです。EUでの研究の中心地はドイツです。ドイツでカイロプラクティックを行っていたヨハネス・アスドンク医師(Johannes Asdonk1910-2003)が1969年にヨーロッパ最初のリンパ・ドレナージュの学校とリンパ学会、専門クリニックをつくりました。1974年にドイツは「マニュアル・リンパ・ドレナージュ」に保険適応を認めます。
 さらにミヒャエル・フェルディ医師(Michael Földi 1938-)がヨハネス・アスドンク医師(1910-2003)の研究を進めて、「マニュアル・リンパ・ドレナージュ」、圧迫バンデージ、コンプレッション・ストッキング、運動療法から成る「複合理学療法(CDP)」を創案しました。このミヒャエル・フェルディ医師の「複合理学療法(CDP)」が現在のリンパ浮腫患者に対する標準的な治療法となっています。

 ドイツのエリザベート・ディッケは1920年代に「結合織マッサージ(Bindegewebsmassage)」を創り、
デンマーク(フランス)のエミール・ヴォダーは「マニュアル・リンパ・ドレナージュ」を1930年代に創り、
イギリスのサイアリュックスは1940年代に「ディープ・トランスヴァース・フリクション・マッサージ」をつくりました。
これらはいずれも「ファッシア(Fascia)」に作用する手技です。

そして、それ以前に、オランダ人ヨアン・ゲオルグ・メッツアー(Johann Georg Mezger:1838-1909)が「クラッシック・マッサージ」を創りました。
 フランスの医師Just Lucas-Championnière(1843-1913)やロシアの医師イシドール・ザブルドスキー(Isidor Zabludowski:1851-1906)、ドイツの外科医アルバート・ホッファ(Albert Hoffa:1859-1907)は同時代人です。
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885年にジョージ・テイラー医師が英語圏のアメリカに、オランダ人メッツアーの「クラッシック・マッサージ」を、スウェーデン人ピーター・ヘンリー・リン(本当はパー・ヘリック・リンPehr Henrik Ling1776-1839)がつくったものと誤記して、「エフルラージュ」を「ストローキング(stroking)」、「ペトリサージュ」を「ニーディング(kneading)」と翻訳して紹介したようです(Taylor GH. Exposition of the Swedish Movement Cure. New York)。これが、「スウェーデン・マッサージ」という誤った名称の由来となります。

 1890年代に「アメリカ・マッサージの父」ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ(John Harvey Kellogg1852-1943)がさらに、このマッサージをアメリカで普及しました。さらに、1895年にケロッグが『マッサージの技術(The Art of Massage)』を出版すると、ボストン大学に留学中の川瀬元九郎医師は、岐阜訓盲院の院長だった森巻耳(もり・けんじ1855-1914)に紹介しました。森巻耳は、1897年に「ケルロッグ氏マスサージ学」として翻訳出版しました。ストローキング(Stroking)、ニーディング(Kneading)、バイブレーション(Vibration)、パーカッション(Percussion)などの手技が書かれているようです。
 明治時代に軍医で初代日赤病院院長の橋本綱常(はしもと・つなつね:1845-1909)が大山巌陸軍卿に随行して1884年(明治18年)のヨーロッパ医事制度視察の際にオーストリアからドイツ語のDr. Albert ReibmayrDie Technik der Massage.(1882年初版)を持ち帰りました。これを橋本綱常(はしもと・つなつね:1845-1909)が陸軍軍医総監の長瀬時衝(ながせ・ときひら:1836-1901)に紹介しました。広島博愛病院の院長だった長瀬は1885年から、これを広島の病院で試して著効を得て、1893年に退官して、東京飯田橋で仁寿病院を設立した際にマッサージを治療に用いました。
 1895年には長瀬時衝(ながせ・ときひろ)は日本初のマッサージの翻訳本「『萊氏按摩新論』(『Die Technik der Massage』Dr. Albert Reibmayr著)」を出版しています。
 近代鍼灸教育の父と言われる奥村三策(おくむら・さんさく1864-1912)は長瀬からマッサージを学び、これが現在の日本の「マッサージ」の基礎となったようです。

現在でもウィキペディア日本語版では、日本のマッサージはフランス由来とデタラメを書いています。

日本で西洋系のアロマ・マッサージをしている無資格者の方々は、
「エフルラージュ(effleurage:/e.flø.ʁaʒ/)」、英語のストローキング(Stroking)を軽擦法、
「ペトリサージュ(pétrissage:/pet.ʁi.saʒ/)」、英語のニーディング(
kneading)、を揉捏法、
「タポトマン(tapotement:/ta.pɔt.mɑ̃/)」、英語のタポテメント(Tapotement:/təˈpəʊtmənt/)を叩打法、

「フリクション(friction:/fʁik.sjɔ̃/)」、英語のフリクション(friction:/fɹɪkʃən̩/)を摩擦法、
「ヴィブラション(vibration:/vi.bʁa.sjɔ̃/)」、英語のヴァイブレーション(vibration:/vaɪˈbɹeɪʃən/
)を震顫法と翻訳しているようです。
フランス語と英語と日本語がごっちゃごちゃで、ものすごい恥ずかしい状態になっています・・・。しかも、コトバの中身が違い過ぎます・・・。


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