300字の暗唱を小学校低学年から続けていれば、その子の読解力、表現力は確実についてきます。読解力がなぜつくのかというと、ある文章をしみじみと深く味わって読む力がつくからです。国語の問題文を読む場合、同じ文章を読み同じように理解したつもりになっていても、読む人の読解力によってその深さが違ってきます。深く読む力があると、その問題文に書かれている情景や心情の細部まで読み取ることができます。深く読む力がな . . . 本文を読む
以前、『暗唱の意義』について述べました。今回は、『暗唱の効用』について書き添えたいと思います。保護者の方からこういう話を聞いたことがあります。 「音読の練習はやるが、暗唱の練習は嫌がる」 それを聞いて、私はこれまで音読の練習も実はできていなかったではないかと思いました。これまで毎日音読をしていた子は、その延長で暗唱もできるはずです。音読の勉強を自分の勉強部屋でやっていたとすると、実際に確実に音読が . . . 本文を読む
現在の入学試験は、志願者を限られた定員に絞り込むため、点数の差が大きく開くような問題を中心に出題されています。そうなると、それに合わせる形で学校での学習も、差がつくところを中心に教えるようになります。このことは、ニワトリとタマゴの関係のように、いたちごっことなり、さらに入試問題もあえて差がつけやすい方向でテストを行うことを招きます。 現在の大学入試は、受験教科の数を絞る一方で、その少数の教科の中で . . . 本文を読む
考える力は、中高一貫校の受験に役立つだけでなく、将来の大学入試にも当然役に立ちます。現在の大学入試の多くは、まだテストに現れる学力だけの評価になっています。もちろん学力があるということは当然の前提ですから、学力よりも大事なものがあるというのではありません。 学力は大前提として大切ですが、実は学力の先にあるプラスαあるかどうかが、人間の本当の実力になってくるのです。このプラス&alpha . . . 本文を読む
公立中高一貫校の入試問題は、内容がよく工夫されていますが、問題が工夫されていることに伴って、採点はかなり手間がかかるものになります。しかも、手間がかかるだけではなく、採点の基準がはっきりしていないため、採点する側の心理的な負担もかなり大きいと思われます。 これらを鑑みると、いずれこのような形の入試問題を出すことには限界が来るのではと思われてきます。将来は推薦試験のような形が取り入れられるか、あるい . . . 本文を読む
9月になりました。センター試験まであと四ヶ月ちょっと。いよいよ仕上げに取り組む時期です。今回は、ご相談の多い国語について少し述べてみましょう。
極論すれば、センター試験の国語は、満点を取れるテストです。そして、そのコツは、次のとおり。
1、現代文においては、問題文は、理解できたところに線を引きながら、一気に読みます。
2、設問は、それぞれの選択肢のどの部分がおかしいかということとを×△? . . . 本文を読む
暗唱でなぜ頭がよくなるのかということについて、理論と実例を述べてみたいと思います。まず、理論の世界では二つのことが考えられます。第一は、日本語を繰り返し音読すると脳波がθ波になるということです。θ波といってもぼーっとしている時のθ波ではなく、「覚醒θ波」と呼ばれる、かなり集中したときに発生する波長です。この波長は、人間のインスピレーションやヒラメキを . . . 本文を読む
サッカーやバスケットボールなどのスポーツを小学校低学年の時期までに始めた子は、そのスポーツの感覚が自分の体の一部になっていきます。…と同じように、小学校の低学年までにものを書いたり読んだりする習慣を身につけ始めた子は、文章を書くことや読むことが生活の一部となってきます。
しかし、だからといって幼児期や小学校低学年のころには、文字の暗記を先行させないことが大事です。なぜなら、このころは体験を味わう . . . 本文を読む
世はおしなべて『バッタモン』の時代。子どもたちと関わる教育にも『ホンマモン』と『バッタモン』が存在します。『ホンマモン』を「本物の教育」、『バッタモン』を「成績のための教育」と定めてみましょう。「本物の教育」と「成績のための教育」には、次の二つの点で違いがあります。
第一に、「本物の教育」は学ぶことを楽しんで行われるという点です。例えば、子供が何かに興味を持ったとき、その興味を知的に伸ばしてい . . . 本文を読む
小中学生の学力が、一般的に首都圏・近畿圏よりも地方の方が高いのではないかというデータがあります。学校教育における教職員の方の力量の差は、たぶんほとんどないでしょう。また、学習塾などの充実度は、かえって都市部の方が高いはずです。とすると、都市生活者としてはいささか不本意ですが、帰するところは家庭の教育力に原因があるのではというお話になってきます。
このことは、小中学校にとどまらず高校や大学でも、 . . . 本文を読む
今、国語力の大切さが見直されています。京都大学の工学部では、二次試験に国語を必須としました。ある大学の数学の教授の話で、「国語力のある生徒を採用したい」とを言っていたのを思い出します。また、企業に勤める社員の国語力テストを行ったところ、役職順に成績が並んだという調査がありました。
新聞のコラムの中に、いろいろな人が順番に書くというスタイルのものがあります。読んでいて面白くかつうまいと思わせるも . . . 本文を読む
「素粒子物理」の功績によりノーベル物理学賞受賞の南部陽一郎氏、小林誠氏、益川敏英氏。この三人の子供時代の話を伝え聞くなかで、共通することがありました。それは三人とも子どものころ「国語の成績がよかった」ということです。物理、化学というコテコテの「理数系」の先生方。さぞや国語は苦手だろうと思いきや、そのさまざまなコメントから伝わるのは確かな国語力をお持ちということ。輻輳する高度な論理を展開していく源に . . . 本文を読む
「ボクは文系だから数学は苦手」という子がよくいます。確かに、理数系が他の子より理解が落ちるのかもしれません。しかし、この主張をするときの心理をリフレーミングすると、次の言葉か聞こえてきます。「ボクは文系科目は得意」と…。
いつぐらいからでしょう、商社や銀行さえ挙って理系礼賛に頭を振ったのは。世はおしなべて理系有利の風潮が蔓延しているため、文系が得意なことをハンデに考えがちです。しかし、案外「ボク . . . 本文を読む
今回は、如何に読むかについて。これは実は、何を読むかということよりもずっと大事なことです。
ここでもっとも重要なことは、家庭生活の中で本を読む時間を確保するということです。小学校では、学校で読書指導を行ったり、10分間読書のような運動を行っているところもあります。しかし、それらに頼って、読書は学校でするものだと考えていると、かえって本を読まない子になってしまいます。読書は学校でしてもらうものでは . . . 本文を読む
読書について考えるとき、二つの方向から考えることが大切です。その一つは、何を読むかということ。そして、もう一つは如何に読むかということです。
今回は、まず何を読むかということについて考えてみます。小学生が読んで、ほぼ全員が必ず面白いと感じ、一気に最後まで読んでしまうような本は確かにあります。例えば、「宇宙人のいる教室」(さとうまきこ著 フォア文庫)は、内容的にもすぐれたものですし、面白いので、 . . . 本文を読む