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ALGOの塾長日記~愚公移山~

-学習塾方丈記-

学習指導の由なしごとを
    徒然に綴ります。

『ホンマモン』

2010年07月24日 | 中学受験 合格力随想
世はおしなべて『バッタモン』の時代。子どもたちと関わる教育にも『ホンマモン』と『バッタモン』が存在します。『ホンマモン』を「本物の教育」、『バッタモン』を「成績のための教育」と定めてみましょう。「本物の教育」と「成績のための教育」には、次の二つの点で違いがあります。

第一に、「本物の教育」は学ぶことを楽しんで行われるという点です。例えば、子供が何かに興味を持ったとき、その興味を知的に伸ばしていくのが、「本物の教育」です。「成績のための教育」は、子供の興味よりも、成績に結びつくようなところに知的な好奇心を誘導しようとします。形は似ているかもしれませんが、中身は大きく異なります。知る喜びという動機に立脚しているものは、心から楽しむことができます。しかし、成績のためという動機に根差しているものは、心から楽しむことができない面があるので、どうしても周囲が頑張らせ無理をさせるという状態になりがちです。

第二の違いは、競争の有無です。「本物の教育」は、自分に学力がつくことが嬉しいように、他者に学力がつくことも同じように喜べます。なぜかというと、自分が他者に新しいことを教えてあげられるように、他者から自分も知らない新しいことを教えてもらうことができるからです。つまり、創造的な人が多ければ多いほど、世界も自分も他者も豊かになるということです。これに対して、「成績のための教育」は、他者との競争を前提としています。したがって、自分の成績が良いことは嬉しいことですが、他者の成績が良いことは必ずしも嬉しいことではありません。このような競争状態は、やはり人間の本来の姿としては歪んだものだろうと思います。

「本物の教育」を行う一つの方法として、読書を活用することは広く知られているところです。例えば、子どもが科学的な本を読んでいるとします。科学的な本では、必ず途中で疑問を感じたり、より詳しい知識に興味を持ったりしていきます。そのとき、保護者の方がその本の内容に関連した興味深い話をあらかじめ仕込んでおいて、子どもと一緒に実験をしたり、旅行したり、話し合ったりするのです。小学校低学年のころであれば、保護者の方が、子どもたちの知的好奇心を刺激することは比較的簡単にできます。家庭で行う簡単な理科実験ができれば、わざわざ理科実験教室に通う必要はありません。もちろん通える人は、通っていいのですが。

小学校低学年のころに、そのような知的対話の文化を家庭の中に作っておけば、親子の対話が少なくなる小学校高学年や中学生の時期になってからも、親子の対話を継続できます。なぜ小学校高学年から親子の対話がなくなるかというと、保護者の方とお子さんの間に共通の話題がなくなるので、保護者の方がお子さんに対して言う言葉が成績の話だけになってしまうからです。また、中学生や高校生になってから、お子さんの知的好奇心を刺激するような面白い話を保護者の方が準備するのはかなり大変になるからです。

アインシュタインは、学校も習い事も嫌いでしたが、家庭での家族との話の中で自分の知的好奇心を豊かに育てていきました。エジソンは、学校に通いませんでしたが、図書館の本と母親の用意してくれた理科の実験器具で自分の知的生活を豊かにしていきました。アインシュタインやエジソンとは全然違いますが、私は小学校のころ、「柿の木は折れ易いから登るな」と母にきつく言われていました。でも見た感じ折れそうにありません。そこで何人までなら柿の木の枝が耐えられるか試してみました。結果は子ども5人で枝が綺麗に幹から裂けて全員下に落ちました。痛さを堪えつつ、うん、そうなのかと納得したのですが、後にはさらに大目玉が待っていました。

興味のあることがあったら実験してみるという気持ちは子どもの時に育ちます。こんなアホなことをしていても、学校の成績が上がるわけではありません。また、こんなことが具体的にテストの成績にどのように生かせるかと言えば、それはほとんど意味がないでしょう。しかし、子どもが将来、自分らしい創造的な考え方をしようとするときに、それらの経験はじわじわと生きてきます。そして、成績よりも大事な生きる姿勢に通じるものが形成されていくと思うのです。

現在のテストのほとんどは、成績の差をつけることを目標として作られています。したがって、テストに合わせた学習は、差をつけることを目標とした学習になりがちです。それは、本来の学習とは、やはりかなり違ったものです。『ホンマモン』ではありません。そのことを、人生経験豊富な保護者の方が深く理解し、お子さんの学習の方向を修正していく必要があります。

塾は、お子さん方の成績を引き上げようと努力しています。特に小さい塾では、教える先生が情熱をもって子供たちの成績を上げることに取り組んでいます。私も塾人の端くれなのでそのメンタリティは共有しているつもりです。しかし、塾の時間が長くなればなるほど、家庭での文化的な生活は少なくなっていくのも事実です。塾で長時間学習するよりも、家庭で自分のペースで学習し、食事のときに、両親と知的で面白い会話を楽しむという余裕のある方が、子どもたちの本当の学力にとってはプラスになるのではないか…というジレンマを抱えて毎日指導する私の日々です。


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