Movieな空間

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猫の恩返し

2008年07月06日 20時03分48秒 | Weblog

       
 一昨日、ジブリ作品の『猫の恩返し』を観た。この映画は、非常に心惹かれるものがある。助けた猫のお嫁さんとして、猫の王国に連れて行かれる高校生ハル。それを阻むために、猫の王と対峙する覚悟をきめた猫の事務所の主人で探偵のバロン。なかなかの格好良さである。
ハル(声:池脇千鶴)はどこにでもいる、ちょっとおっちょこちょいな女子高生。学校に遅刻したり、思いを寄せる同級生に恥ずかしい姿を見られたりと、今日は一日ついていなかった。親友のひろみ(声:佐藤仁美)と下校中、小さな箱をくわえた一匹の猫が道路を横切ろうとして・・・信号が変わり突進してくるトラックに轢かれそうに!!すんでの所で助け出したその猫は、突然2本足で立ち上がり言葉をしゃべり出した。あっけにとられたハルは猫のことを母に告白すると、なんと母は「子供のころにも猫と話ができる」と言ったことがあると語った。その夜、ハルの家の前に猫の行列がやってきて、昨日助けた猫はなんと猫王(声:故・丹波哲郎)の息子で、その礼がしたいと言われる。猫王はハルに目録を渡し「王子の嫁に迎えよう。明日から幸運が訪れるだろう。」と言うと、闇夜に消えていった。

翌朝、猫王のことは夢だと思ったハルだが、庭にはネコジャラシが群生し、下駄箱にはネズミが大量に贈られ・・・あれは本当だったのだ!贈り物に困惑するハルに、猫王の家来ナトル(声:濱田マリ)は「ならば猫の国へお越しください」と申し出る。このところついていなかったハルが、軽い気持ちで行く決意をしたその時、どこか遠くから「猫の事務所を探して・・・」という声が聞こえてくる。その声を頼りに白い太った猫の後を追いかけ、曲がりくねった小径の先はなんと、ドールハウスでできた街・・・猫の事務所だった!不思議なドールハウス街で、バロン(声:袴田吉彦)・太った猫ムタ(声:渡辺哲)・大ガラスのトト(声:斉藤洋介)たちに経緯を説明するハル。バロンはハルのために猫の国へ乗り込み、何とかしようと約束する。そのとき何者かが事務所の戸を叩き、扉を開けるとナトルが立っていた!「探しましたよ」と言うやいなや猫の大群が押し寄せ、ハルは猫の国へ連れ去られてしまう。そしてその後を追うバロン達。

ハルの複雑な思いとは裏腹に、猫の国では婚礼の支度が進んでおり、大恩返し大会の前に思わず「猫の国もいいかも・・・」と思った途端、ハルの耳はネコ耳になってしまう。驚いているところへバロンが颯爽と登場し、徐々に猫の姿に変わっていくハルに「自分の時間を生きるんだ」と語りかける。夜明けまでに猫の国から脱出しなければ、ハルは本当に猫になってしまう。猫王たちの罠から無事逃れ、ハルは自分の世界へ無事戻ることができるのか?

これまで、「生きる」意味をテーマに、作品を世に送り出してきたスタジオジブリ。本作でももちろん貫かれているが、今回は時代背景が現代ということもあり、アプローチの仕方がより現実的となっており、昔からある「恩返し」の話を、瑞々しい感性で見事に描き出すことに成功している。本作が第1回監督作品となる森田監督は、どんな人に見てもらいたいか?という質問に対し、「いろんな人に見てほしいです。ハルに感情移入できる女性、そして現実的にがんばっている人に見てほしいと思います。」と答えた。また「朝気持ちよく目を覚まして、美味しいお茶を飲み、温かな空気を感じるって事が実は一番難しい。それさえできれば、昨日とは違う明日がきっと見えてくるはず!「猫の恩返し」はそんな感じの映画です。」とも語っている。作品中にこれといった分かりやすい要素はないはずなのだが、見終わった後には、なぜか「明日もがんばろ!そうすればきっといいことが起こるはず!!」という気持ちが芽生えているのを感じられるだろう。

ちょっととぼけた、隣の女子高生といった親近感を持つ主人公ハルの声は池脇千鶴。
誰よりもジェントル「ネコ」のバロン伯爵には袴田吉彦。口は悪いが甘い物に目がなく、トトと喧嘩ばかりしているデブネコのムタに渡辺哲。その大ガラスのトトに斉藤洋介。
ハルが助けた猫であり、父親と違い誠実で真面目な性格をしている猫王の息子ルーンには山田孝之、そして傍若無人な上に少々意地悪だが、なぜか憎めない猫王には、故・丹波哲郎があたっている。また、ノーテンキな秘書ナトルには濱田マリや、給仕係でハルに色々と助言をするユキには前田亜季などなど、枚挙にいとまがない新旧幅広いキャスティングの妙で、すべてのキャラクターがしっかりと立っている作品となっている。なお英語版では、ハル役を「プリティ・プリンセス」「プラダを着た悪魔」のアン・ハサウェイ、バロン役を「ソウ」「紅の豚」「耳をすませば」でも声の出演をしているケイリー・エルウィスが担当した。なお日本とは違い、「耳をすませば」でも同じくバロン役を演じている。

このドラマは、人間自身を、猫の世界に投影させ、何が本当に大事かを語りかける名作である。エンディングのテーマ曲で、つじあやのの「風になる」も、非常に感性に富んだ名曲である。

「猫の恩返し」の主題歌「風になる」はこちら>>http://jp.youtube.com/watch?v=H9GDvMCDDhw&feature=related


泣いてたまるか

2008年07月06日 12時29分58秒 | Weblog

           
 渥美清がこの世を去って、もう12年が過ぎようとしています。68歳でご逝去するまで、映画「男はつらいよ」シリーズを48作品主演したことも、世界的な記録で、「ギネスブック記録」に認定されている。日本映画専門チャンネルやWOWOWでは、連日「男はつらいよ」シリーズが放映されている。この渥美清が熱演していた「車 寅次郎」という主人公は、どこか哀愁を感じさせる日本本来の感性に非常に訴えかける人物ですね。映画の主人公なので、当然架空の人物なのでしょうが、行動様式、感情の表現、どこか脳天気な感性、昔ながらの「江戸っ子」的キップの良さ、単純にして明瞭、短期で、すぐ行動に移してしまうところ等万人に受け入れられる(日本において)要素が、凝縮している主人公と言えるのかもしれません。そして、女性には優しく、常に恋多き男(何年経ようとも、この初心の気持ちは持続していく)なんですね。映画では、その特異な人物・寅次郎を演じていた渥美清も、あまり好まなかったTVドラマに主演していたことがある。それが、「泣いてたまるか」なのです。映画の寅次郎の印象をかもし出しながら、ドラマ的に展開するもので、この作品は、私にとってかなり印象に残っているドラマなのです。このドラマの主題歌、もちろん主演の渥美清が歌っているのだが、メロディーといい、歌詞といい、実に含蓄があるのです。

          ♪「泣いてたまるか
                         作詞 良池まもる

                         作曲 木下 忠司

                         唄 渥美 清


        空が泣いたら 雨になる
           山が泣くときゃ 水がでる

           おれが泣いても 何にもでない

           いじがなみだを 泣いて 泣いて

           たまるかヨ~ とおせんぼ


        海はなみだの 貯金箱
           川はなみだの 通り道

           せんをしたとて 誰かがこぼす

           ぐちとため息 泣いて 泣いて

           たまるかヨ~ ほねにしむ


        上を向いたら キリがない
           下を向いたら アトがない

           さじを投げるは まだまだ早い

           五分のたましい 泣いて 泣いて

           たまるかヨ~ 夢がある
秋吉敏子 ニュ-ヨ-ク・スケッチ・ブック

 実に、いい歌詞ですし、郷愁のメロディーなのです。どこか、忘れていた日本を思い出させてくれるようではありませんか?
 
しかし、渥美清という人は、徹底して私生活を隠蔽し、「車 寅次郎」のイメージを崩さずに振舞っていたという人だっただけに、秘密でわからない部分も多いのです。

「泣いてたまるか」の歌はこちら>>http://jp.youtube.com/watch?v=t0Xgon091sg
「男はつらいよ」主題歌はこちら>>http://jp.youtube.com/watch?v=_wPl9ObdXQU

【渥美清について】
 「寅さん」の演技で見せる闊達さとは対照的に、実像は他者との交わりを避ける孤独な人物だった。「男はつらいよ」のロケ先で撮影に協力した地元有志が開く宴席に一度も顔を出したことがない話は良く知られており、身辺にファンが近寄ることも嫌っていた。タクシーで送られる際も「この辺りで」と言い、自宅から離れた場所で降りるのを常としていた。映画関係者ともプライベートで交際することはほとんどなく「男はつらいよ」シリーズで長年一緒だった山田洋次黒柳徹子、渥美とは親友であった関敬六でさえ渥美の自宅も個人的な連絡先も知らず、仕事仲間は告別式まで渥美の家族との面識はなかった。これは渥美が生前、プライバシーを徹底的に秘匿し、「渥美清=”寅さん”」のイメージを壊さないためであった。

一方で、非常な勉強家でもあり、評判となった映画や舞台を、よく見ていた。ただし、「寅さん」とまったく違った、スマートなファッションであったため、他の観客らにはほとんど、気づかれなかったという。

長男が公の場に顔を出すのは渥美の死後だった。結婚式は家族だけでささやかに行い、仕事仲間など呼ばなかった。芸能記者の鬼沢慶一は招待され友人代表として出席したが、鬼沢はその事を渥美の死まで公表する事はなく、死後その時の記念写真と共に初めて公にした。結婚まで秘密にしていたため、他界の数年前も渥美が独身と思っていた人が多かったようである。

渥美は新珠三千代の熱狂的ファンを自称していたため結婚の際は『新珠三千代さんごめんなさい。』の迷コメントを出した。

黒柳徹子はプライベートでも付き合いのある数少ない存在で、彼をお兄ちゃんと呼んでいたほか、「夢であいましょうで競演していた時に熱愛疑惑が持ち上がったことがある。ちなみにその際それを報道したスポーツ新聞の紙面には、フランス座時代に幕間のコントで黒柳が小学生の頃いつも呼んでいたチンドン屋の格好をしていた時の写真が掲載された。これは当時マスコミにはその写真しかなかったためである。黒柳は1996年に開かれた「寅さん」とのお別れの会に出席したり、2006年は渥美が死んでから10年と節目の年であったためか渥美の事を話すこともしばしばあった。

また、森繁久弥は渥美の才能に非常に目をかけ、渥美も森繁を慕っていたという。

2006年9月4日にNHKで放送されたプレミアム10『渥美清の肖像・知られざる役者人生』によると、松竹が映画の低迷期であったのも手伝い、突出して人気のあった「寅さん」のイメージを大事にしたいからと色々な企画を没にしたりして、それ以外の役柄に恵まれなかった。増村保造の映画『セックス・チェック第二の性』を元にして作中男だと疑われるスポーツ選手の女性が、本当に男だったという主演映画などが没になったアイディアの中にあった。

また、永六輔とは少年時代から旧知の仲であり、永六輔によると渥美は永も所属していた不良グループのボスであったいう。更に永の言葉によると、渥美が役者を目指す様になったのにはある刑事の言葉があると言う。曰く、ある時、渥美が歩道の鎖を盗み、それを売ろうとして警察に補導された事があった。その時の刑事に、「お前の顔は、個性が強すぎて一度見たら忘れられない。その顔を生かして、犯罪者になるより役者になれ」と言われた事が役者を目指すきっかけになったとの事である(上記、『渥美清の肖像・知られざる役者人生』によれば、テキ屋稼業に没頭していた頃、浅草の小屋から声をかけられそれが転機のキッカケとなったとされている)。

長男の田所健太郎ニッポン放送の入社試験の際、履歴書の家族欄に『父 田所康雄 職業 俳優』と書いたことから、採用担当者は大部屋俳優の息子と思っていた。後に渥美清が彼の父親として来社したため、社内は騒然となった。

また晩年は俳句を趣味としていて『アエラ句会』(AERA主催)において「風天」の俳号でいくつかの句を詠んでいる。


七夕

2008年07月06日 10時37分38秒 | Weblog

     七夕伝説の夜

 7月7日は、織姫と彦星が1年に一回会うことが許された日で、「七夕」という重要な日なのです。こんな話を聞くと、大空の広大な宇宙空間に思いが馳せてしまうものです。色んな正座は、多くの物語によって、先祖伝来語り継がれてきています。この「七夕」物語もその一つであるのです。

七夕物語】
こと座1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星(織女星)として知られている。織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座アルタイルである。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、2人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、77日だけ会うことを許されていた。しかし77日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず牽牛も彼女に会うことができない。その時は、二人を哀れんでどこからか無数のカササギがやってきて、天の川に自分の体で橋を架けてくれるという。星の逢引であることから、七夕には星あい (星合い、星合) という別名がある。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。


ベガ
こと座 α星 Vega(ベガ)

アルタイル
わし座 α星 Altair(アルタイル)

 実に、ロマンティックなお話なのです。1年に1回の出会いは、本当に貴重ですし、大事な1日なのだろうと思います。

 7月7日は月曜日の平日になってしまうことで、本日の日曜日に、催しを行うところが多いのではないでしょうか?当マンションでも、管理組合主宰の「七夕祭り」が開かれています。広い中庭では、子供たちによる「日本和太鼓―陣太鼓―」の披露や、フリーマーケット、金魚すくいやスーパーボールすくいの出店開設、クレープやたこ焼き、焼き鳥、ビールなどの出店も出ています。昼には、エントランス・ホールで、グランドピアノ(常時ホールに設置されている)やバイオリン等によりクラシック音楽演奏会も企画されています。朝から大変な賑わいですし、子供たちも目を輝かせて、自分にお気に入りの品物がないか物色しています。本当に、日本的な祭り模様のようで、こちらもついつい参加してしまうのです。また、フリーマーケットで、格安のものを値切り交渉をしながら買い求めるのも、昔の江戸下町の情緒があって、いいものですね。時代が、その部分だけタイムスリップしたような感じになりますね。

 広大な宇宙空間で繰り広げられている壮大な恋に、地球の地上にしか存在を許されない私たちも、瞬時とはいえ、癒される時間を持ちたいと思うのです。