1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

在宅介護のこと

2007-10-29 20:44:17 | Weblog
手術の甲斐もなく病巣が広がり治療が断念された後、病院のケアマネージャーからお話がありました。「このまま病院にいるより自宅に帰って、最期の時までご家族と一緒に過ごされてはいかがでしょうか?」
しかし娘には床ずれがあります。毎日の消毒が必要ですし、抗生剤の点滴も必要です。車椅子に移るにも4人の手が必要です。自宅で十分な手当てがしてやれるでしょうか?
ケアマネージャーは「お母さん、いまは制度が変わって自宅にいながら病院にいるときと同じようなケアを受ける事ができるんですよ。まずは地元の福祉委員に相談してください。」そう言われて私は、地元の福祉センターに行きました。
ところが実際にふたを開けてみると、ケアマネージャーの話とはまったく違いました。毎日来てもらえると思っていた看護婦さんは最高でも週に二日、ヘルパーさんも週に数時間と決まっていました。おまけに介護制度の悪化で有料ヘルパーさんを頼めなくなった患者さんがボランティアのヘルパーさんを利用するので人手が足りないというのです。これでは家で十分な手当てをしてやれません。
福祉委員と一緒に病院に戻り、ケアマネージャーに現状を話しました。
「そんなはずはない。」とケアマネージャー。
「これが地域の現状です。」と福祉委員。

そんなことは、もうどうでもいいのです。
娘は治ると信じているのです。治って学校に行くために毎日リハビリを続けているのです。「もう治らないから家に帰って家族と過ごそう。」なんて言ったらあの子は折れてしまいます。
子供に告知なんてありえません。
娘の病室には、亡くなる前の日までリハビリの先生が来てくださいました。


沖縄旅行のこと その4

2007-10-29 17:36:47 | Weblog
娘を小浜島のホテルに連れて行く物理的な条件はそろいました。
しかし、これだけでは娘の沖縄旅行は実現しません。
前回述べたように、娘には大きな床ずれができています。骨と肉が露出しているのです。そこから菌が入れば抵抗力の落ちている体です、たちまち体中に毒素が回って命を失うことになります。
病院では毎日抗生剤の点滴と傷の消毒を行っています。消毒は最低でも3人の手が必要です。体を支え、注射器で骨と皮の間を洗います。その後、サランラップで傷をふさぎガーゼを当てます。清潔な場所とお医者様が必要でした。
小浜島には小さな診療所がありました。そこの先生に連絡をとり、日曜日も含めて滞在中、毎日看ていただけることになりました。。ホテルから診療所まではホテルの従業員の方が二人、車に娘を乗せ診療所まで送り迎えをしてくださいます。


やっと旅行が実現できる確信が持てたので、担当医の先生方に相談しました。
先生の言葉は「いまの状態では医師としてOKを出すわけには行きません。しかし親としてのお気持ちはわかります。」でした。
私は「いま沖縄に行かなければ、あの子は病院の天井だけを見ながら死んでいくでしょう。その前に青いきれいな空を見せてやりたい。たとえ沖縄に着く前に飛行機で息絶えたとしても後悔はしません。」
先生は理解してくださいましたが、病院としては認められないということで一度退院し、帰ってきた時点で再入院するという方法をとりました。
空港までは娘が好きだった介護タクシーのおじさんに運んでもらいました。
それぞれの空港でもたくさんの職員の方が娘のために手を尽くしてくださいました。
ホテルではホテルのスタッフの方に、診療所では看護婦さんや先生にお世話になりました。
JALのSさんをはじめたくさんの人たちのおかげで娘の沖縄旅行は実現しました。不可能を可能にしてくださった皆さんに感謝しています。

沖縄旅行のこと その3

2007-10-29 16:40:09 | Weblog
飛行機の席は確保できました。
次はホテルです。
石垣島に飛行機が到着するのが夜8時です。石垣から小浜島に渡る船は終了しているので石垣で1泊しなければなりません。石垣空港の周りには車椅子で行けるホテルはありません。空港からホテルに移動するにはリフト付の介護タクシーが必要でしたので石垣のタクシー会社に電話をして介護タクシーをさがしました。石垣で1台だけあると言うタクシー会社に問い合わせると営業は夕方の5時までという返事でした。事情を話しましたが、営業時間は変えられないという事で断られました。
1つの難関を越えると次の難関が待っていました。
ここから先に進むことは出来ません。
石垣で泊まる予定にしていたEホテルに断りの電話を入れました。「残念ですが…。」そこでこの旅行は終わるはずでした。
ところが次の日、そのEホテルのフロントのSさんから電話がありました。
「何か方法がないかと探していたら福祉関係の会社に介護タクシーがありました。これでお嬢さんをホテルにお連れできます」と。
地獄に仏とはこんな時に使うのでしょうね。
Sさんのおかげで難関をクリアできました。

娘は手術の後から床ずれのため、お尻に大きな穴が開いていました。肉がえぐれて骨が露出していたのです。そのため、普通のベッドマットでは横になる事が出来ませんでした。床ずれ患者用のエアマットが必要でした。このマットは病院にさえありませんでしたのでフランスベッドのレンタルを利用していました。そんな特殊なマットが離島にあるわけがありません。
いま病院で使用しているものとは別にもう一つレンタルして島に送ることにしました。マットが用意でき、後は宅急便で送るだけでした。
ところが宅配業者に電話をすると「いまは12月で荷物が混んでいます。沖縄までなら間に合いますが、石垣にはその日にお届けする事が出来ません。」という返事が返ってきました。
「ここまでか?」
エアマットの手配などでお世話になっているフランスベッドの営業の方に何か方法がないか聞きました。「いつも使っている運送業者なら間に合うと思う。そこに頼めば?」とアドバイスをもらい連絡をとると何とか間に合わせられるということでした。
これで石垣島にエアマットが届けられることになり石垣島まではたどりつく事ができました。
次はリクライニングできる介護ベッドです。たとえ床ずれのためのエアーマットがあっても寝たきりでは痛みが出てきます。娘は10分おきにベッドを倒したり起こしたりして体重の移動を行います。そうすることで傷に力が集中しないようにしているのです。
石垣島のホテルにはバリアフリーの部屋があり、そこに介護用ベッドがおいてありました。
しかし、小浜島には介護ベッドがありません。いつもお世話になっているフランスベッドのレンタルも沖縄本島までしか運べないと言います。
もう一度石垣のSさんに相談しました。
空港からホテルまで介護車を出してくれる福祉業者の方が、介護ベッドを小浜島まで船で運んで組み立ててくれると言うのです。
毎回、難関をクリアするたびに涙があふれました。不可能だった沖縄旅行を可能にしてくれた人々のやさしさに感謝しました。