1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

沖縄旅行のこと その4

2007-10-29 17:36:47 | Weblog
娘を小浜島のホテルに連れて行く物理的な条件はそろいました。
しかし、これだけでは娘の沖縄旅行は実現しません。
前回述べたように、娘には大きな床ずれができています。骨と肉が露出しているのです。そこから菌が入れば抵抗力の落ちている体です、たちまち体中に毒素が回って命を失うことになります。
病院では毎日抗生剤の点滴と傷の消毒を行っています。消毒は最低でも3人の手が必要です。体を支え、注射器で骨と皮の間を洗います。その後、サランラップで傷をふさぎガーゼを当てます。清潔な場所とお医者様が必要でした。
小浜島には小さな診療所がありました。そこの先生に連絡をとり、日曜日も含めて滞在中、毎日看ていただけることになりました。。ホテルから診療所まではホテルの従業員の方が二人、車に娘を乗せ診療所まで送り迎えをしてくださいます。


やっと旅行が実現できる確信が持てたので、担当医の先生方に相談しました。
先生の言葉は「いまの状態では医師としてOKを出すわけには行きません。しかし親としてのお気持ちはわかります。」でした。
私は「いま沖縄に行かなければ、あの子は病院の天井だけを見ながら死んでいくでしょう。その前に青いきれいな空を見せてやりたい。たとえ沖縄に着く前に飛行機で息絶えたとしても後悔はしません。」
先生は理解してくださいましたが、病院としては認められないということで一度退院し、帰ってきた時点で再入院するという方法をとりました。
空港までは娘が好きだった介護タクシーのおじさんに運んでもらいました。
それぞれの空港でもたくさんの職員の方が娘のために手を尽くしてくださいました。
ホテルではホテルのスタッフの方に、診療所では看護婦さんや先生にお世話になりました。
JALのSさんをはじめたくさんの人たちのおかげで娘の沖縄旅行は実現しました。不可能を可能にしてくださった皆さんに感謝しています。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初コメント・・・ (のりこ)
2007-10-30 00:33:27
毎回読ませていただいています。
迷いましたが思い切ってコメント書いてみます。

沖縄旅行のことは帰ってきてから聞きましたよね。
大変だったろうとは思いましたが楽しい思い出が出来たね、もうちょっと能天気で単純に思っていました。
裏でこれほどのことがあったとは正直想像以上でした。でもお嬢さんにとってはきっととっとても楽しい思い出になったことと思います。「沖縄行ったんだってね、楽しかった?」って聞いたら「楽しかった」といって微笑んだ顔を覚えています。
たくさんの人が損得抜きでかかわってくれたことも
人事ながらとてもうれしいし、なによりお母さんの
行動力とパワーに頭が下がる思いです。
小浜島、ちなみNHKの朝ドラのちゅらさんの島ですよね?私もいつか行ってみたくなりました。
返信する
ありがとう (Unknown)
2007-10-30 18:55:01
コメントありがとう。
あなたには色々お世話になりました。突然「お弁当とオムツを届けて」とお願いしたりして、ね。
旅行の後だっけ?沖縄のこと話したんだね。それ聞いてまた泣けてきた。
小浜島はきれいなところです。ぜひ行って来てね。
返信する

コメントを投稿