1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

先生のこと

2007-10-11 01:04:01 | Weblog
むすめの担当医の先生は3人。
主治医の先生はA先生です。A先生はいつも穏やかに笑っていらっしゃいます。
外科医というよりは小児科か精神科の先生みたいだなといつも思っていました。
抗がん剤の効果が表れ、がん細胞が死滅しているレントゲン写真を見て「いよいよ手術ですね。」と本当に嬉しそうに話されました。
1ヵ月後、抗がん剤が効かなくなった事がわかったときの先生の落胆ぶりは家族よりも大きかったかもしれません。
A先生はよく「ぼくは痛いこと、いやなことをさせてきたから嫌われているね。」とおっしゃっていました。娘は照れ屋でぶっきらぼうなので、先生は「嫌われている」と思われたのでしょう。
ある朝、娘からメールが来ました。『今日、先生の誕生日なんだけど「おめでとう」って言ってあげようかな。そうすれば私が先生の事を好きだってわかってもらえるかな?』でも結局照れくさくて言えなかったみたいです。
B先生は体格も大きくクールで、いかにも外科の先生といった感じの先生です。主治医の先生はお忙しいので、毎日の処置は大抵B先生でした。悲しい宣告もB先生から伝えられることが多かったです。でもB先生がさらりと話されると娘も素直に受け止めていたように思います。
C先生は途中から治療に加わってくださいました。熱血先生です。ほとんど毎日回診に来て下さる事、いちばん若いこともあって、娘はよくなついていました。
B先生とC先生に焼肉に連れて行ってもらった事があります。おなかいっぱい食べて楽しそうに帰ってきました。
娘は計三回の手術を受けました。
本当は2度目の手術のあとに新しい腫瘍が見つかって「もうこれ以上の手術はやめましょう。」と治療を打ち切ることにしたのです。
でもその翌日、回診に見えた先生方は娘の笑顔を見て「この笑顔を失くしたくない。もう一度、懸けてみたい。」と3回目の手術を決心されたのです。
娘が亡くなった今も先生方の闘いは続いています。
宿主である娘は亡くなりましたが、娘の分身であるガン細胞は今も生き続けています。このガン細胞を使って治療の研究がなされています。いつの日かこの病気が根絶されることを信じています。