1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

告知のこと

2007-10-21 22:57:36 | Weblog
娘が骨肉腫と診断されたとき、病名を告げるべきかどうか迷っていました。
告げられないままに、紹介された病院に向かう道中でした。
「がんセンター」という矢印があちらこちらにあるではありませんか。娘の目に留まらないかと気が気ではありません。
娘は「お母さん、私ガンなの?」と聞きました。
私はとっさに「そう骨のガンだよ。でも取ってしまえば大丈夫でしょ?」と言いました。
娘が発病する半年前に主人は大腸がんの手術をしていました。進行ガンでしたので「転移、再発の可能性がある」と言われていましたが幸いにも転移もなく無事に生還しました。
そのおかげで我が家では「ガンは治るもの」でした。おかげで娘も「自分は治る」と信じる事ができました。
骨肉腫にかぎらずガンの治療はきびしいものです。
自分がガンであること、死に直面していることを知っていないと耐えられるものではないと思います。年齢の差はありますがいつかは話さなくてはならないでしょう。
娘もあまりにもつらい副作用で治療を放棄しようとした事があります。私は「いま治療をやめたらガンに体を乗っ取られて死んじゃうんだよ。」こう言うしかありませんでした。

未知の体験と恐怖のこと

2007-10-21 00:21:45 | Weblog
娘が骨肉腫と診断されたとき、頭に浮かんだのは「驚きと恐怖」でした。
「何でうちの子が?」「これから先どんな事が待ち受けているのか?娘にどんな
痛みや苦しみが襲いかかるのか?」
治療の効果がなく死の宣告を受けたとき、浮かんだのは「この先どうなるのか?どんなふうに死に近づいていくのか?最期まで私は支えてやれるのだろうか?」という気持ちでした。
以前、ご自身がお医者さまで骨肉腫になられた方の日記を読んだ事があります。
「告知をされたとき、死そのものに対する恐怖よりも死に至るまでの苦痛に対する恐怖が大きかった。」と書かれていました。
「ガンの末期がどうなるのか」誰も教えてくれません。恐怖だけが一人歩きを始めます。
「痛むときにはモルヒネを使い痛みをとります。肺に水が溜まり苦しくなったら、眠らせて苦しさを感じないで済むようにしましょう。」その一言で恐怖は和らぎます。