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AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

秋葉原の地熱とアキバ的であること

2005-12-30 00:42:52 | Weblog
早々に御大批判を書いてしまったので、勢いづいてさらに続ける。

率直に言えば、こんなに早くテレビですか CM ですか、という気がしている。もちろん、秋元大先生が動くとなれば、当然周囲はそれなりに動いてしまうものだろう。そしてまた、あの楽曲のクオリティの高さからしたら、当然それなりに売れるだろう。でもそれって結局、テレビに出たから人気が出ました、っていうだけの話に終始する気がするんだけどなあ。

女の子個々人のルックスがどう、というのは、まあ後からついて来る話。もともと超美人じゃなくても、他人の視線で磨かれていくものだから。ファンから見ても、20 人もいれば誰かしら好みに近い子はいるものだろうし、もっと言えば、アイドルを好きになるのは恋と同じで、好みのタイプを好きになるのではなく、好きになった子がタイプなのだ。…って話がそれたか。

しかし、アーリーアダプターとしては、何だかつまらない(^_^;)。もちろんアイドルを売り出すのにテレビと無縁でいられるわけがない。テレビの寵児である秋元先生のこと、むしろその方が簡単であるはずだ (ということは、ご本人もおっしゃっていた)。だが、あえてそうじゃない選択をして、劇場を舞台にした、アイドルとファンとが一体になったビルドゥングスロマン (成長物語) を作るのが狙いじゃなかったんだろうか。そうであるならば、むしろ一般マスコミから意図的に距離を置きつつ、秋葉原で成熟する時間をもっと持たせて良かったんじゃないか。

秋葉原の「地熱」というものがあるとしたら、そのもう 1 つの側面は、ワナビー側、つまり何者かになりたい、もっとぶっちゃけて言えば有名になりたいと思っている側の情熱ないし情念に根ざしている。今の AKB48 の彼女たちにそれがないという意味ではない。しかし、それはもう AKB48 のオーディションに受かった時点で、ある程度の成功を収めてしまっており、そして彼女たちの努力や情熱は、すでにその一段上の (もしくは一歩先の)、パフォーマー (歌手ないしアイドル) としての自らのクオリティ追求に向かっているだろう。

だが、もし本当に秋葉原の「地熱」を生かしたかったのであれば、彼女たちにビラ配りや路上パフォーマンスをさせて「客席にいるのは自分たちが呼び込んだ客」であるような日々を作るべきだったのではないか。それが今の「アキバ的」スタイルだったのではないか、それをやるのでなければ、秋葉原で始める必要は特になかっただろうに、という疑念が消えない。

テレビ CM に個々人の顔がどれくらい出るのか知らないが、自分の参加した楽曲が番組のエンディング曲に使われて、本人の顔も CM に使われて、それで「メジャーデビューじゃない」っていうのも、何か変な話。と言うより、今後はむしろ「1 軍から落とされる」ことによってしか次の物語が出て来なくなってしまわないか。それってかなり残酷な物語の作り方のような気がするのだけれども。

だからもし、今から新しい「物語」を作りたいのであれば、今の 20 人はそのままにして、新たに選ぶ 2 軍で徹底的に「アキバ的」な作り方をしたら良いと思うのだ。ステージに上がれるのは 1 軍だけということになっているが、ちょっと方針を変えて、1 軍ステージとは別に (たとえば土日を 3 回回しに戻して、その 2 回目だけ) 2 軍だけでのステージをやらせる代わり、自分たちで客を路上から引っ張って来させれば良い。そのやり方でも、すでに 1 軍でついている客が相当数流れてしまうとは思うが、場合によると 1 軍とはまた違った客層で、別の熱を帯びるようになるかも知れない。それこそがアキバ的混沌だと思うのだが、どうだろうか。

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