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山頭火の詠んだ美々津のうた。

2019-09-01 10:15:33 | Weblog
山頭火の詠んだ美々津のうた。


昭和5年といいますから、1930年の10月27日に美々津を訪れた
山頭火が詠んだいくつかの句のうちの ひとつが こちら。


 



   墓がならんでそこまで波がおしよせて

この句の句碑は、宮崎方面から北進して美々津にはいった場合に
は文化庁指定の重要伝統的建造物群保存地区の始まる場所である
現在は駐車場のある場所に建てられています。

この場所はかつては墓地。

山頭火も[​千石船の停泊している繁華街のあった北側​からではな
く]このコースで美々津にはいったとされていますから、もしそ
の日に海が荒れていたとするならば、墓地の墓石群ちかくにまで
荒波が打ち寄せ、ともすれば墓石が海にもっていかれそうな、そ
んな光景をみながら詠んだ句であったのかもしれません。

なにせ向かいの海は 日向灘。湾でもなければ山頭火の生まれた
防府のような内海でもない。

台風シーズンの大波となれば、小石を巻き上げ、地響きをたてて
浜辺に打ち寄せますからね。いまでこそ波消しの効果のあるテト
ラポット群や頑丈なコンクリート製の堤防で町はまもられており
ますが、むかしはこの場所にはそのような護岸はなかったのです
から迫力のある光景が展開されていたことだろうと想像されます。

ということで今回は 山頭火の詠んだ打ち寄せる波、その波はど
れくらいの大きさだったのだろうかというお話でした。


晴れ  台風時の5メートルを超す波が打ち寄せ砕け散るとき、
  その波の起こす衝撃で堤防沿いの家は揺れるんですよ。
  これが ほんとの 衝撃波/笑。ちなみに海に慣れてい
  ない人であれば、美々津のとくに海に近い通りに並ぶ
  家々での夜は、波音が激しすぎて眠れやしないなどと
  翌朝にボヤかれてしまいます。
  
51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染