アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

水色のシエラ 2

2005-04-15 06:38:24 | 思い出
この時僕はひとつだけ命拾いしていた。
実は昨日野営地を決める時に、川のほとりの平坦な場所にテントを張ろうとどれほど思ったことだろう。そうすれば敷設も楽だし焚き木も集めやすい。それに水もすぐ汲める。河原はその辺りで唯一の平坦な場所だったし、いかにも宿営の場所としておあつらえ向きに見えた。けれどその時僕は、あまり川の近くでテントを張るもんじゃないという野営の掟を何となく思い出していた。だから念のため、わざわざ少し離れた丘の中腹に苦労して僅かの平坦地を見つけてテントを張ったのだったよ。もしあの時河原に張っていたら・・・今頃僕はこの上も無く絶望的な立場に立っていたかもしれない。

昼過ぎに雨は上がった。もう辺りはすっかり明るくなっている。
でも僕はどうしようか考えあぐねていた。僕はここに来るまでに、目の前のこの川を一度飛び越えて来ている。あの時は軽くジャンプして難なく越えれた小川。・・・しかし今や大蛇のような濁流と化したこれは、帰ろうとする僕の眼前に巨人のように立ち塞がってしまった。川幅は既に10メートルにも達している。
膨れ上がったこの川がまた元の大きさに戻るのには、いったいどれだけ時間がかかるものだろうか。いや、それよりもまた雨が降ったら・・・僕は未だかつて自分が経験したこともなく、また人から伝え聞いたことも無い、重大な局面に立たされていた。今どうすべきか、できれば早急に回答を出さないといけない。

僕は意を決してテントを畳んだ。歩こう。少なくともこの川から離れさえしなければ、いつかはまた元の場所に帰れるだろう。僕は来た道とは逆に、更に上流に歩を進めた。今いるこの場所ではとても無理だけれど、もしかしたら上流では川幅は狭くなっていて、どうにかして渡れるかもしれない。

あの時のその選択は今振り返ってみても、無謀と言えば無謀だ。僕はますますシエラの奥深くに迷い込み、一歩間違えばやがて食料も尽き寒さに震えて今頃は帰らぬ人となっていたかもしれない。確かにそうなったとしても全然おかしくない。ただ最期に僕が生きて来れたのは、僥倖以外の何ものでも無かったと思う。

つかの間の晴れ間は間もなく、山頂から流れ込む深い霧に覆われた。僕は再び愕然として立ち止まる。歩けない。霧は次第に深さを増し、遂には2メートル先も見えないほどになった。鏡のように我が身を映す霧の壁に囲まれて、何度自分が足元の崖に転落したり川に足を踏み外す幻想に囚われたことだろう。怖い。止む無く僕はその場で再び野営を決意した。霧の中テントのオレンジ色を見失わない範囲を動き回って焚き木を集める。

僕はテントの中で不安を胸いっぱい抱えたまま少しだけまどろんだ。テントは今や深海に沈む幽霊船のようだ。白い霧は夜が更けると水色になりやがて灰色になり、ますます比重を増して僕を窒息させようとする。幸い雨のお陰で夜の気温はそんなに下がらない。今はただ少しでも眠れるのが救いだった。

          *        *        *

雷の音で夜中に目が醒めた。やがてそれに続く雨。雹混じりの雨は、テントの屋根でぱらぱらと鼓笛隊のような音を立てる。
事態は深刻になるばかりだ。

          *        *        *

翌朝僕は再びテントを畳んだ。
持参した食料は後2~3日は間に合うだろうけれど、肝心の天気はその間に回復するかどうかまったくわからない。もしかしたらこのまま何日もまたは何週間も、雨と雷を繰り返すのかもしれない。シエラは今、ちっぽけな僕をその水色の体内に呑み込んで、巨大な胃壁でもってもみくちゃにしようとしている。
体力があるうちに、帰る努力をすることにする。
再び霧の中を僕は歩き出した。先が見えないので一歩一歩慎重に足を運ぶ。川音が激しく響くから川の位置は耳で確認できる。僕は更に上流へと向かう。

やがて川幅は次第に狭くなり、それにつれて激流も幾分は勢いを緩めて来た。
僕は川を渡ろうと試みて、何度か足を川に踏み入れてみた。全身ずぶ濡れだったから、この際更に濡れるのに躊躇は無い。しかし踏み入れた足は激流にたちまち攫われそうになり、どうしても次の一歩が踏み出せない。僕は結果的に試みた回数だけ渡るのを諦め、更に更にと川沿いに遡って行った。

どのくらい歩いただろうか。それはとても長い道のりだったような気がする。やがてある地点でとうとう僕は本気で渡河を決意した。
そこは今までの場所よりもずっと理想的な条件が揃っている。川幅はなぜかそこだけ3メートルほどに縮まっている。その割りに流れもさほどではない。足を踏み入れた感触では、これなら何とかなるかもしれないと思う。長い丈夫な棒を一本杖代わりにして、次に足を踏み入れる川の深さを確かめながら一歩を踏み出す。川の中ほどで杖ごと両足が攫われそうになる。僕は踏ん張った。全身が足の裏だけになったみたいだ。すべての精力をただ向こう岸に歩き渡るというそのことだけに向ける。その他のことは塵ひとつも頭に浮かばない。もしかしたらこれが、「祈る」ということなのかもしれない。

僕と川との生死を分けた闘いは、時間にすればほんの僅かの間だったと思う。
結果として僕は川を渡り切り、生き延びることができた。
まだ僕はそこで死ぬ定めではなかったんだ。
とうとう渡った! これで帰れる! その喜びが泥のような疲れを消し去ってくれた。

川越えの後、元来た方角に山を下り始めた。一歩前に踏み出すほどに運動靴はぐちゃ、ぐちゃと音を立てる。足が重たい。けれどこのまま歩いて行けば、確実に麓まで辿り着ける・・・はずだ。そこで僕はバスに乗るんだ。・・・

しかしその期待はシエラを吹く一陣の風に呆気無く吹き飛ばされた。しばらく下ったところで川は二股に分かれていた。来る時には霧に視界を遮られてそのことに気が付かなかったのだ。再び立ち塞がった川の支流を前にして、僕は肩にもう一度被さる荷物の重さを感じた。濁流を見下ろして僕は呟く。この川を、また渡らなければいけない。

暫く歩き回った末に、川幅が2メートルくらいに縮まっているところを見つけた。その代わりそこだけ少し深いようだ。小さな崖の間を激流が流れている感じ。僕はそこを飛び越えることにした。

2メートル。乾いた地面の上でしかもリュックを背負ってなければ、難なく飛び越せる距離だ。
2メートル。その長さが、この時ほど深刻に遠く感じられたことは無い。
肩のバッグを背中に背負い直し、その端を右手で固定する。手のひらを汗が伝わる。先にリュックを向こう側に放ってから飛ぶことも考えたけれど、渡河に失敗した場合のことを考えてそれは止めにした。もしも渡れなかったら、僕は食料もテントも失ったまま身ひとつで山に取り残されてしまう。充分な助走距離をとり、ありったけの勢いをつけて僕は飛んだ。

ジャンプ!

足先ははかろうじて向こう岸に降り立った。
その場で地面に両手を付き、四つん這いになったまま、僕はしばらく動けない。
両の膝ががくがくと震える。生きている!
僕は生死の試練をまたひとつ越えた。水色のシエラはここでも僕を殺さなかった。
でも僕の頭はもう、何も考えることを止めてしまった。
無駄なのだ。今頃頭で何をどう考えても何ひとつ解決できない。
今僕に残された唯一のことは、ただ歩くだけ。歩いてまた障害にぶち当たったら、今のように全力でそれを乗り越える。
そしてもし力の尽きる時が来たとしたら、その時こそ、この人生で最期に自分が覚悟すべき時ということだろう。
僕の頭は歩くこと以外すべての思考を停止した。

          *        *        *

それからのことはほとんど何も憶えていない。
強いて言えば、当たり前のことだけれどただ歩いたというそのことだけがおぼろげな記憶の端にある。そうしていつの間にか僕は麓に辿り着いていた。
バス停に着いた時、見上げると太陽は頭の真上に近くあった。
なぜ辿り着いたのか、どうして帰れたのか全然わからないし思い出せない。手帳を見る限り最初に3日もかけて歩いた道のりを帰りは僅か半日で降りたような計算になる。不可解。今となってはすべてが深い記憶の闇の中に埋もれている。

ここまで来て山は明るい夏の陽に照らされていた。霧も嘘のように消え、空は晴れ渡っている。どうしてだろう。今まで自分は、夢の中にでもいたというのか・・・あの日にバスを降りた時そのままに、世界は今目の前に広がっているというのか。
時計を見れば帰りのバスが来るのにまだ2時間近くある。一日2本、バスは毎日確実にここを通るはず。
2アウストラル・・・コルドバまで帰るバスの料金だ。ふと思いついて、僕はズボンのポケットに手を入れた。
慎重につまみ出した紙幣は、濡れ細ってよれよれになっていた。
やっぱりあの体験は夢ではなかったんだ。僕はそれらの紙幣を広げて夏の陽に晒した。
2時間もあれば乾くだろう。運転手に濡れた紙幣を渡すのは躊躇われる。僕は手のひらに紙幣を載せて陽に当てながら、そのままがっくりと首をうな垂れる。今頃疲れが出て来たのか・・・
暖かい。こんなに暖かくて、気持ちよい・・・
僕はあっという間に眠りについた。

シエラは来た時と同じように、澄んだ緑色の風を優しく僕に吹き付けてくれる。優しく、優しくそしていつまでも・・・




(「水色のシエラ」 完)




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8 コメント

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シエラ (アリー)
2005-04-15 12:10:18
いい響きです。

こんな素敵な言葉があったのですね。

私は単純にネットで名前をアリーとしたけれど、シエラを知っていたら、これにしてたでしょう。



>歩いてまた障害にぶち当たったら、今のように全力でそれを乗り越える。



一番感動した所です。

agricoさんの素晴らしさがここから生まれてるんですね!

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シエラ (agrico)
2005-04-15 18:10:36
元々の意味は「鋸」です。その形から「連なる山々」をシエラと呼ぶのだと思います。直訳すれば「山脈」でしょうか。



全力を出すためには、「自分を投げる」覚悟が要るんですよ。これさえあればほとんどのことはできますし、仮に意のままにならなくても納得して死んで(または身を引いて)行けます。

歩くというのは、「目の前のものごとに当たる」ということでもあるでしょう。逃げるのはここでは「歩く」に値しません。状況を受け容れて前に進もうと行動することが無ければ、私は今生きてはいなかったのだと思います。



読んでくれてありがとう。この話はBLOGで是非したかったのです。
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うん (ぱこ)
2005-04-16 22:32:58
シエラ最高!
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ぱこさん、どうも・・・ (あぐりこ)
2005-04-17 09:12:14
ありがとう。ぱこさんに褒められると嬉しいです。



古い出来事だから、かえって「作品」として書きやすいのかもしれません。記憶が鮮明だと「事実」に忠実になってしまうので物語的には面白くなりにくいかもしれませんね。

20年という期間は、私に過去の体験を充分に熟成させる時間を与えてくれました。



このBLOGを通して、それまで私だけが持っていたものを一挙にたくさんの人たちと共有できる。それがなにより嬉しいですよ。
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Unknown (take)
2005-04-17 10:52:29
アグリコさんの渡った、飛び越えたその川の向こう岸に我々がいた。ということですね。w

とてもよかったです!

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本当に・・・ (agrico)
2005-04-17 11:41:42
川を飛び越えなければ、こうしてたけさんと会うこともなかったですよ。

向こうでの彼岸はこちら側に来れば此岸に変わります。

生きる瀬、渡る瀬はあるものですね。



今振り返ればあの頃はなんて密度の濃い生き方をしてたんだろうと思います。今ではとてもできないし、またしようとも思わない。時間の流れ自体が大きく変わってしまったような感じですね。

花には咲くべき季節があり、人にはするべき時期があるのですねぇ。
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まるで (velmon)
2005-07-16 23:31:00
一本の映画を観たような満足感です。TVカメラが回ってる中で誰かが探検しているのとは違う。もっと本物の映像が、今コメントしながらもずーっと流れてます。眠りについたところで、私もホッ・・・としました。
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なんだか・・・ (agrico)
2005-07-17 10:06:36
昔の記事というのは読むのが少し怖いですね。随分推敲してアップしたつもりでも忘れたことに読み直してみると結構校正したい箇所がたくさん出てくるものです。



過ぎ去って久しい、忘れたことの多い経験だからかえって書きやすかったのかもしれません。もし克明に憶えていたら、私のことだからまったく事実に忠実に書こうとしたでしょう。するとこれよりもドラマ性が薄れてしまうかもしれませんね。



シエラでの体験は自分にとって衝撃的でした。よくあんな無茶をやって生きて来れたもんだと思いますよ。あの頃の自分はことごとにそうだったのです。それを自棄的というのですか・・・

自分を深く憎んでいたのですね。どこまでも苦しめようとした。

今思えば、それは自分が実は大切なものだということに気づきたくてした行動だったのかもしれません。その確信を得たかった。

自分がどのような位置にいるのか、過ぎてからわかるのですね。例えば今だって、私は決して自分のことをよく知っているとは言えないんですよ。
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