この冬から書き始めた「アルゼンティン・シリーズ。
遠い昔の事なのでとうに記憶の範疇からさえも外れてしまっていたことが多く、当初はまあ、ひと月も書き続けれたら凄いな、なんて思っていた。ところがどうして、古い手帳を繰るうちに思い出は思い出を呼び、とうとう春になってもまだすべてを書き終えていない。
冬の朝仕事を終えたひと時、薪ストーブの上でコーヒーを温めながら、雪に埋もれた窓外を見やりつつ手繰った細い記憶の糸。
日記も備忘録も書く習慣の無い私だけれど、毎年新しい手帳を買ってはその日したことなど(ほとんどは農作業日誌!)を簡単に書き留めている。20年前アルゼンティンに行った時は今ほどたくさんのことを記していたわけではなかったけれど、例え簡単なメモ書きでもそれがあるとないとでは全然違う。アルゼンティンの思い出をこれだけ書き留められたのは、ひとえにこの手帳に拠るところが大きい。
今これらの記録を読み返してみると、我ながらいろいろなことがあったんだなあと思う。人がひとり精一杯に生きた軌跡はそれ自体が世界でただひとつ、自分だけのかけがえの無い「ドラマ」である。BLOGを始めたことが契機となって今この時に思い出を形にできたことが嬉しい。
アルゼンティンについてはあと幾つか書きたいことがあるのだけれど、いかんせんもう世は春、農作業たけなわの時期になってしまった。これからは今までのようにじっくりと腰を据えて構想を纏める時間が取れなくなると思う。だから今後は時間をかけて散発的にひとつ、またひとつと書いていくことにしたい。
* * *
ここに今まで書いたこのシリーズの記事を纏めておきます。
これらの記事が縁となってコメントを通して深い心の交流を実現させてくれたみなさんに感謝します。
自己表現によって初めて起こり得る意思の疎通や「思い」の通い合い。お陰でその大切さを改めて痛感することができました。
☆ 序章
「我が心のアルヘンティーナ」
「僕の旅立ち」
★ コルドバでの物語
「眠れぬアルゼンティンの夜」
「遠い約束 」
「民族の経歴」
「肉屋のおやじさん」
「ジプシーの歌」
「スラムの女の子」
「水色のシエラ 1」 「2」
☆ チリ旅行の記録
「パンパス」
「山上の半袖シャツ」
「交番の一夜」
「ベリー・パックの女たち」
「奇跡」
「南の突端」
「100ドルと一杯の食事」
★ フォークランド紛争を題材にした創作
「マルヴィーナス 1」 「2」
遠い昔の事なのでとうに記憶の範疇からさえも外れてしまっていたことが多く、当初はまあ、ひと月も書き続けれたら凄いな、なんて思っていた。ところがどうして、古い手帳を繰るうちに思い出は思い出を呼び、とうとう春になってもまだすべてを書き終えていない。
冬の朝仕事を終えたひと時、薪ストーブの上でコーヒーを温めながら、雪に埋もれた窓外を見やりつつ手繰った細い記憶の糸。
日記も備忘録も書く習慣の無い私だけれど、毎年新しい手帳を買ってはその日したことなど(ほとんどは農作業日誌!)を簡単に書き留めている。20年前アルゼンティンに行った時は今ほどたくさんのことを記していたわけではなかったけれど、例え簡単なメモ書きでもそれがあるとないとでは全然違う。アルゼンティンの思い出をこれだけ書き留められたのは、ひとえにこの手帳に拠るところが大きい。
今これらの記録を読み返してみると、我ながらいろいろなことがあったんだなあと思う。人がひとり精一杯に生きた軌跡はそれ自体が世界でただひとつ、自分だけのかけがえの無い「ドラマ」である。BLOGを始めたことが契機となって今この時に思い出を形にできたことが嬉しい。
アルゼンティンについてはあと幾つか書きたいことがあるのだけれど、いかんせんもう世は春、農作業たけなわの時期になってしまった。これからは今までのようにじっくりと腰を据えて構想を纏める時間が取れなくなると思う。だから今後は時間をかけて散発的にひとつ、またひとつと書いていくことにしたい。
* * *
ここに今まで書いたこのシリーズの記事を纏めておきます。
これらの記事が縁となってコメントを通して深い心の交流を実現させてくれたみなさんに感謝します。
自己表現によって初めて起こり得る意思の疎通や「思い」の通い合い。お陰でその大切さを改めて痛感することができました。
☆ 序章
「我が心のアルヘンティーナ」
「僕の旅立ち」
★ コルドバでの物語
「眠れぬアルゼンティンの夜」
「遠い約束 」
「民族の経歴」
「肉屋のおやじさん」
「ジプシーの歌」
「スラムの女の子」
「水色のシエラ 1」 「2」
☆ チリ旅行の記録
「パンパス」
「山上の半袖シャツ」
「交番の一夜」
「ベリー・パックの女たち」
「奇跡」
「南の突端」
「100ドルと一杯の食事」
★ フォークランド紛争を題材にした創作
「マルヴィーナス 1」 「2」
一番忘れられない話は「スラムの女の子」です。ひろ(っ)ぽんさんとのコメントも含めて、とてもとても考えさせられました。
あと「水色のシエラ 1」は、ケータイで読んで、えーこの先どうなるの!とものすごくどきどきしましたよ。寝る直前に(笑)
春のお仕事もどうぞお体に気をつけてがんばってください。
百姓の暮らしで、冬だったから書けたんだと思います。古い記憶を辿るのは本当に、時間と落ち着いた気持ちが要るものだとわかりました。
でもこれを書くことによって、なんだか自分を大きく振り返ることができたような気がします。
BLOGの場を借りて、実は自分自身を見つめていたんですね。
振り返るというのはある面、勇気が要りますね。
「スラムの女の子」を書く時にも、あの頃の恥ずかしい自分なんかを思い出しましたよ。ここには書いてないけど・・・。
そんなことひとつひとつが、今の自分を作って行ってるのですね。
雪深い冬もおわり、良い季節になってきましたね。
弘前の桜もようやく満開のピークを過ぎた頃です。
アルゼンチンでの想い出、拝見しました。
今とまた違ったアルゼンチンの姿、ブエノスアイレスとは違った街の印象、人との出会い、その時感じたもの、様々な想いが伝わってきます。
特に「遠い約束」では涙して読んでしまいました。
かれこれ40年ほど前に移住した友人がいて、私も当時のことを聞く機会があります。
着くかつかないかわからない郵便事情の頃と違って、今ではインターネット等の普及で、遥かアルゼンチンと言えど、瞬時にコンタクトを取れるようになりました。
昔のすべてがままならなかった時代がうそのようですね。
(その時代時代で問題点はあるのでしょうが・・。)
何十年経っても変わらないところがあると思います。
人の印象を聞いてそう思いました。。。
こちらは岩手でも北上山系にかかる所なので、今が桜満開です。昨日はわが集落の祭でした。
私がかの地にいたのは今からもう20年前になります。
「遠い約束」の話を聞いた時のことを今でも憶えてます。コルドバでとてもお世話になったある一世の方が私に話してくれたんですよ。これはその方の思い出です。
当時22歳の私にとって、目から鱗の話や人生の根本を揺さぶった体験もたくさんありました。BLOGでその思い出を形にできないかと思ったのです。始めてみたら書く方も感無量でしたね。
深い思い出を、お互いに言葉に表してみましょうよ。その中に込められた思いは誰かに届くかもしれないし、何よりも今の自分を見直すことになります。
最後にアルゼンティンに行ってから、もうかれこれ10年くらい経ちます。あの時でも、随分変わったな、と思ったものでしたが、今では尚更なのでしょうね。
思い出の景色は二度とは現れないし、あの時の自分も二度とは在りません。
そして今の自分も、やがてこうして思い出になるのでしょうね。