アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

思い出と血

2005-07-11 20:59:35 | 思い出
土手で鎌を振るっていた時に指を切った。
ざっくり割れた傷口から薄桃色の肉が見える。深い。
なんとも無い場所なのにどうしてこんなヘマをするのかわからなかった。
すぐに鎌を置いて軽トラに向かう。指を傷口ごと口に咥えながら。
帰る道々血はハンドルにギアレバーに流れ落ちる。
脱いだ帽子で血の滴りを受け留めながら家に駆け込み手洗い場に立つ。
消毒し絆創膏を貼る間水垢の付いた洗面台は真っ赤に染まる。

こんな忙しい時にと頭を掠める。けれどそんな思いを振り切って
座禅を組んで瞑想をする。
しばらくするうちに血が止まったようだ。痛みも薄れ血も固まる。
疲れた。眠たい。どうにも眠たい。横になって目を閉じた。

心はうつつの中にいてどうして私には子供の頃の思い出が無いのだろうかと考えた。

昔からよくあることだった。誰かの思い出話を聞くたびに
どうしてこの人はこんなにも昔のことを憶えているのかと
不思議に思う。私には特に10代までの記憶があまり無い。
上京してからの思い出はそれなりに持っているのにそれ以前高校の頃までのことがほんの少ししか思い出せない。
我ながら時々不思議に思ってはいた。けれどそれでも日常には特に支障ないので
そのままにしている。過去は必要な時にそこにあればそれでいい。けれど過去を必要とすることは現実にはあまり無い。
けれどやはり私にも人並みの思い出があるはずでありそれをたまたま思い出せないだけならば
今ここで少し思い出してみようか。そんな
思いがぽっかりと浮かんだ。流れた血で染まった頭の中に。

子どもの頃の私・・・

親父は怒鳴る。母の髪を掴んで引き摺り倒す。
家に満ちる絶叫。これが家庭なんだと思った。
中学に上がった年に僕は一大決心をして猛勉強を始める。親父から「出来損ない」と罵られたことを見返してやりたい。
成績は上がり校内一。県内二位。半年後には全国五位にまでなった。学校で僕は賞賛の目で見られた。けれど家では誰も何も言わない。
(褒めるなよ。自惚れるからな)親父が言う母が頷く。その声を寝床の中で聞く。

その後家で教科書を開くことを止めた僕はひたすら絵を描く。絵は好きだ。とても好きだ。
先生はあらゆるコンクールに出品してくれて僕はたくさんの賞を貰った。中学3年間で30くらいの賞状と盾、それと市長から学生に対する功労賞も頂いた。
高校では文化祭で個展を開く。美術部など比較にならなかった。
周りの目があったのだろう。父は傍目には絵に理解を示したようにして実は僕を陰湿に追い込んでいった。
お金のかかる油絵は思うとおり描けなかった。アルバイトしようと新聞配達の店を訪ねても狭い町のこと父を知る店主は僕を相手にしない。
僕は家出をして旅の空絵を描くことよりもまず家を出ることが先決なんだと悟り
家に帰りもう一度勉強を始める。
そうして春に家を出る時自分の描いた絵を一枚一枚焼いた。絵を見ずに焼いた。書状も盾も残らず焼いた。石膏像を土間に打ち付けて粉々に砕いた。持っていけない自分の思い出はすべて砕いた。充血した頭に憎しみだけが残った。

もしかしたらその時点で僕の記憶は断絶したのかもしれない。

家庭内紛争は続く。荷物を纏めて泣きながら走る母を父は玄関で殴り倒す。
電車で向かい合わせに坐った男に流し目を送る母。にやける田舎丸出しの男。
夫婦はこんなものかと思った。
他人の喧騒には我関せず優等生ぶりに没入する兄。誰もが我が身を守るのに精一杯だったのかもしれない。
家族とはこんなものだと思った。

大学受験の前夜にいきなり志望校を変えろと迫り
意に添わない者にはびた一文金など出さんと事毎に子の夢を挫き
父親はここまでするのかと。

いつの間にかくわと目を見開いて天井の隅を睨みつけている自分に気づき
いつの間にかじくじくと痛む指に気づいて
手を上げてみたら横になってからピクとも動かさなかったはずの指から
血が溢れ出てちり紙の束を真っ赤に染めて。

くそ俺こそは必ず幸せな家庭を築くのだと
愛する妻とたくさんの子をもうけて生まれた子どもには誰一人決してこんな思いはさせまいと
思う私はしかし折々の大切な場面でその選択をできず
愛すべき女を前にしてその人を不幸にさせることに恐怖し
結婚に至らず家族も持たず未だに猫たちとひとり暮らし。

今自分の肉から溢れ出る血を見て
そうかこの血なのか。血なのか。血
思い出さずとも体内を巡り細胞に浸透し肉をかたち作り
折に触れ膨張し傷口を内側から掻き破り怒涛のごとく溢れ出る
この血だったのか。今は自分の骨肉と化した記憶。
この血は流さねばならぬ。

その後血は留まることなく流れ続け
ゴミ箱を赤いちり紙で溢れさせ
止血を諦めた私は片手で日々の用を足し食事をし酒を飲む。
だけどこの血が穢れていないことは
赤いちり紙を陽に透かせばわかる。カーネーションの花びらのような美しさに私はたったひとつだけ救われる。
この血は私の肉だもの。私の体を作っている私自身だもの。
これを愛する時に私は自分を愛し
私の記憶を思い出す。
しかしこの血を流す時に
私は自身の肉を切られる。







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14 コメント

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初めて投稿いたします (monster)
2005-07-11 22:21:46
壮絶で、言葉を失います。自分の育った家族など、まだまだ甘かったと。中、高生の頃、なんて不幸な家庭に生まれたんだ、と嘆いた自分が笑えます。そして、幾つか読ませて頂いた記事の強さ、深さの、温かさの由来を少し感じ取れたようにも思います。

返信する
痛いでしょう痛かったでしょう・・・。 (ひろ(っ)ぽん)
2005-07-12 02:38:30
男は肉を切り裂き痛みを伴うことをせずには、自分の血をみることができない。

女は無自覚のうちに痛みさえあるかなしかのまま、月に一度必ず自分の血をみなくてはならない。



だから・・どうだ?

だから何だと云うのだ?

そこまでは、今すぐには、手が届きません。

手が、とてもじゃないけど今は全く届かないのですけど、とにかく私は、agricoさんが私の書いたものを読んで何かを必ず書くであろうと思っていたのです、必ず。



TBを受け取った私が何か書かないことには、この『思い出と血』を読んで深く考える処あるはずであろう方々がコメントしづらいのではないかと思い、何のまとまりもないままに書き込み致しますこと、どうか御容赦下さい。

また後ほど、あらためて、書くつもりでおります。



【イタイノイタイノトンデケェ・・・】そう呟きながら抱きしめてあげたいのでした。そうだな。今はそれだけだな。

読んでからここに書くまでに既に3時間も経ってしまいましたが。
返信する
monsterさん・・・ (agrico)
2005-07-12 07:53:26
ありがとう。こんなことを書けたのもBLOG仲間たちのお陰ですよ。BLOGをしなかったらこの手の身の上話は語ることも書くこともしなかったでしょうね。事実今まで誰にも話したことはありませんでした。

BLOGは他人の私生活を覗き見たり現実の人間関係では窺えない部分を読んだりできる面がありますが、私の場合は実際の知人友人も読んでいるので「秘密を打ち明ける」的なものではないのです。

こんな私的なことをよく書ける・・・とも言われますが、私はそのように生きたいと思ってしているだけです。実際の人間関係でも必要な時にこのような内容の話ができる。だから今まで何人もの人と深い関わりを持つことができました。

多分隠すことによって大したものは得られないのです。少しの上辺の付き合い上の便だけでしょう。だけど必要な時に開陳することによって自分の思いは何人もの人の心を揺さぶる。それは引き出しからお金を出して有益なことに使うことに似ている。仕舞ったままとは「死んだまま」に繋がるのではないでしょうか。

BLOGは私にそんなきっかけを与えてくれましたよ。



辛い体験、楽しい体験に優劣は無いし上下も無い。きっと私の話にはピンと来なくてもmonsterさんの話に深い共鳴をする人はたくさんいるでしょうよ。誰もがユニークな生を生きている。

私たちの思い、それを必要とする人たちに届けましょうよ。



ところでリンクがうまく繋がりませんね。後でリンク先、教えてくださいね。
返信する
ひろ(っ)ぽんさん・・・ (あぐりこ)
2005-07-12 08:21:31
「イカレた方程式」は身につまされましたよ。こんな人が、しかも女で、やはりいるのだなあと改めて思いました。

それで心の傷を揺さぶられてしまったのですね。まったくひろ(っ)ぽんそんの洞察のとおりです。

このところ昼夜忙しい上に書きたいことがたくさんあって、なかなか人のBLOGを落ち着いて読んだりコメントしたりできなかったのです。自分からの一方話に精一杯だったのですね。

だけどあの記事は心に残っていたのですね。確かにあれに対して何か書かなくては、とも思っていました。それは長くなるので恐らく記事になるだろうとも・・・



ここまで来れば追加の言葉など必要ではないですね。無理してコメントしなくてもいいですし、それこそ(読んだよ)のひと言で大切なことが伝わるかもしれません。

コメンティターに対する配慮、ありがたいと思う反面、これは縁のことなのだから、あまり気にしなくてもいいんだよとも言っておきます。僅かでも関わるべき人とはどんな状況にあっても必ず関わるのですよね。

今でも賑わっているBLOGが羨ましいと思う時もありますが、今となっては書きたい時に書きたいものを人目を気にせずじっくりと書ける現状に満足しています。



肉体の痛みは本質のほんの象徴的表れでしかない。氷山の本質は私たちの中にあって今でも間断なく疼いているのでしょうね。

直接的に子に血を受け継がせる女性は、男性よりもずっと深刻なのでしょう。男は精子を別にすれば、実際の行動や触れ合いによってのみ自らの血を子どもに伝達できる。

母にとって子は、その意味で分身なんですね。素晴らしいと同時に恐ろしくも感じます。
返信する
傷の具合はいかがですか。 (ひろ(っ)ぽん)
2005-07-14 01:47:22
しばらくの間は何をするにも大変ですね。

アグリコさん、頑張って下さいね。
返信する
ありがとう。 (agrico)
2005-07-14 10:54:52
昨日薬局に行ってきましたよ。

今まで傷を作った時は、それがどんな深かろうとマキロンをざぶざぶとかけてバンドエイドを貼るだけだったのです。でも昨日知ったのですが、バンドエイドには何も薬が塗ってないのですね。傷口をガードするただのガーゼなんだそうです。

つまり、今までほとんど自然治癒力だけで治して来たってことです。まあマキロンには殺菌の他にも薬効はあるみたいですが。でもちょっと驚きました。それでもみんな治って来ました。今回ももし病院に行けば10針くらいは縫う傷ですよ。

でもさすがに思い直して昨日抗生物質と消毒用エタノール、それと大判のバンドエイドを買ってきました。

これでまあ、万一の応急処置はできるだろうと思います。



血は止まりましたがまだ膿が出て来ます。しばらくは片手で田の草取りをしないとなりません。

ちょうど雨模様の日が多いので、ひと休み気分でいますよ。

励ましのお言葉嬉しいです。でも幸い頑張らずに生きていけそうです。
返信する
アグリコ様 (tombo)
2005-07-14 23:46:13
興味本位で始めたブログがもうすぐ一年になろうとしています。

誰かが 『書くことはセラピーになる』 と言っていたように、日々の喧騒に終われていた自分が、書いて吐くことで何かを取り戻すことができたような気がします。

私は絵を破りながら親を憎み、しかしその実、守りきれなかった自分をずっと許すことが出来なかった。行き場のない憤りがいったい誰に向けられた物なのか、はっきりしないまま、握り締めたこぶしに流れる血が自分のものだと気付くまでにこんなにも時間が経ってしまっていたとは…。人がつけた傷など、とうの昔に消えてしまっていて、自分がつけた傷だけが今だに残っていたのです。

己を愛せず、人を愛することができるか。



四十の手習いとはよく言ったものです。物心ついてから赤裸々な自分の思いを人に語ったことなどなかった者が、ブログを始めたおかげで、この歳になってヨチヨチ歩きを始めているような気分です。

貴兄のお名前はしばらく前から存じ上げておりました。昨年の秋頃、こちらにコメントを書きこみながらも、結局送信ボタンを押さずに終わったことがあります。やっと四つんばいになったかと思われるこの頃、思いきってROM宣言をさせて頂きにまいりました。まあ、これも愚生の修行のひとつとお見逃しいただければ幸いです。
返信する
初めまして。 (あぐりこ)
2005-07-15 12:12:12
わざわざのご挨拶、恐縮です。多分私と同年代なのですね。(私はこの秋に43になります。)マドリードに滞在とは・・・スペインは、大学でスペイン語を学んだ私が憧れたまま一度も行っていない国です。いつかガウディの建築物やフラメンコがどういうものかを見てみたいのですけどね。



自分がつけた傷だけが未だに残る・・・なるほど、そうなのかと目から鱗が落ちる思いです。私も繰り返し自分を傷つけて来ました。もしかしたらだから、いつまでも傷が癒えないのでしょうか。傷は治ろうとしているのに、新たに新たにその傷を広げる行為をして来ているのかもしれませんね。あまりにも自分を憎んでしまっている。



私もBLOGによって大きな世界が広がりましたよ。このように田舎にいながらにして世界と交信できることのみならず、書くことー自己表現を通して自分を見つめるということが、確かに大きいですね。

こちらこそよろしく。気楽に付き合っていきましょう。

気楽に思ってくれないとなかなかコメント頂けないのです。
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何故か… (ぱこ)
2005-07-15 15:32:33
何故かとてもTBを放ちたくなったので…
返信する
どうも・・・ (agrico)
2005-07-15 16:31:42
気づいてはいたんですが、草取りに追われてコメント出せずにいました。



白いパラソル、海辺の小さな町でこそ叙情を掻き立てますね。

何かを追っていた、懸命に走っていた、けれど今となってはそれが何であったのか、悲しくも思い出せないのです。

きっと誰にとっても白いパラソル、あるのでしょうね。

この辺りではそれは、母さんが頬かむりしていた白い洗いざらしの手拭いかもしれない。



パラソル・・・もしかしたらスペイン語なのかもしれませんね。
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