アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

マレー・ローズ

2009-08-22 21:00:50 | 思い
 競泳選手で名高いマレー・ローズ(Murray Rose, 1939年英国生まれ)は、幼い頃ひ弱であったという。彼は1歳の時に、両親とともにオーストラリアへ移住した。
 彼の両親は病弱なわが子を育てるに当たって、肉食を禁じ、健康な土壌で栽培され有害な化学成分を含まない自然食品のみを食べさせるよう努めた。それとともにマレーが13歳になった時に水泳を習わせた。彼は毎日1万5000mを泳いだという。
 長寿研究者で、肉食が菜食より長寿に良いと云う人は私の知る限りでは一人もいない。肉体的な筋力は肉食によって一時的には元気は出ても持久力の点では菜食者に及ばないという例は、スポーツ界でも知られている
(千島喜久雄著「血液と健康の知恵」より)

 1956年、17歳のマレー・ローズはメルボルンオリンピックで3個の金メダル(自由形800m、1,500m及びリレー)を獲得する。史上最年少だった。水泳を習い始めてわずか4年後のことである。彼はその後南カリフォルニア大学へ留学し、1960年のローマオリンピックでも3個のメダルを獲得。「史上最高のスイマー」と讃えられた。
 彼の両親は、豆を多く摂り、海藻、にんじんのジュース、ひまわりの種子、玄米、ゴマなどを食べさせ続けたのである。
 マレーはオーストラリア自然健康協会の質問に答えて「私は食事については厳しく、また他の人とは違っている。朝食は果物、ジュース、ナッツまたはヨーグルト、或いは植物性蛋白質で軽い食事をすます。昼食は大きなサラダ、トースト、植物性蛋白(大豆)またはゴマの実少量。夕食はサラダ(野菜を加えて変化の多いもの)。食後のデザートには蜂蜜またはゴマの実少量。肉類は一切食べない。そして菜食は私にスタミナとこの体を与えてくれた。私はトレーニングをやる前や体の調子のよくない時には断食もする。運動エネルギー源としては乾燥果実を食べる。白砂糖類は決して食べないことにしている。牛乳の代わりにヤギ乳を飲んでいる」と言っている。
(同じく千島喜久雄著「血液と健康の知恵」より)

 マレー・ローズの食事については、父親のイアン・F・ローズの著した『世界記録を生んだ栄養食』に詳しく述べられている。彼の食事を管理したイワン・ローズは、例えばこんな面白い述懐をしている。
いつも病弱なマレーが非常に元気だった時があった。最初は何故だか解らなかったが、ついに、それが牛乳を飲んでいない時に限って非常に元気であったという事に気が付いた。その後いろいろな実験を行い、イワン・ローズは「牛乳の有害性」を確認するに至った。戦後の良質な牛乳ですら、マレーの扁桃腺の原因となっていたようである。

 牛乳のカルシウムは、非常に荒っぽいカルシウムであるために吸収が妨げられ、さらに牛乳のカルシウムを異物として人体が認識してしまい、結果的には自分の体内のカルシウムまでも一緒に体外に排泄させてしまうと考えられる。そのために血液中のカルシウムイオン不足から、かえって体の抵抗力を低下させてしまう。世界一虫歯の多い国であるニュージーランドは、牛乳の消費量が最も多いという事実がそれを裏付けている。(「牛乳を飲むと牛になる!?」より) 
 マレー・ローズの食事のメニューは、いつもすべて両親の指示によった。
 両親の考えは、「人類の腸の長さからいっても、(人間は)もともと草食動物なのだ。だから肉食や胃に負担を多く与える食物は死を早める。人類はエデンの園にかえった生活をするべきなのだ」というもので、「科学者の理論であとになって誤りであったという例があまりにも多い」と考えて、強い信念のもとに、穀菜食を貫きとおしたのである。
「菜食を実践して勝利を得たアスリートたち」より)

 不肖ながらこの私も、今までの生涯、人一倍肉を食べてきた方だ。しかし40をとうに越えたこの頃になって初めて、「肉食は体によくない。人間は極力肉を食べずに穀物と植物、場合によってはわずかの魚介類(それもなければないで構わない)を食して生きるのが、一番体によい生き方であろう」と思うようになってきている。肉類は歴史的に見れば季節や状況によって穀物が手に入らない時期の、いわば「緊急避難的臨時食」であったのではなかろうか。つまり人類は本来肉を食べないで健康に暮らせるようにできているのだが、肉をも栄養素に変える能力を加えたことによって、生活環境の急変を乗り越えて種を存続せしめることができたのだった。その意味で肉は飢饉の際の「救荒作物」である。そのことは人類の歯の構成によってもある程度裏付けられる。
 人類史の上で飢餓の時代は私たちの想像以上に長かったのかもしれない。それがカロリーの多い「肉および脂肪」を味覚の面で嗜好させる進化が遂げられた原因だろうと私は思う。しかし肉食は、いわゆる危機的状況が生んだ生存のための緊急的所業であるために、それを習慣化させると肉体と精神とに拭い難い悪影響を及ぼしてしまうという欠陥を持っている。
 まず肉食は人間の原初的な「欲」を助長する。端的に言えば攻撃的になり、気分の変化が激しく、性欲・食欲・自己顕示欲などに貪欲となり、平静さを欠いてときに爆発的な衝動行動を発露する反面、持続性や忍耐力を萎えさせる。これは草食動物が気立てが穏やかで粘り強く、かつ長命で、肉食獣が凶暴で他に危害を加え、かつ短命だという事実と見事な相関を成している。ちなみに現在まで人類が家畜として飼養したのはすべて草食系の動物だった。その結果馬も牛も、鶏も豚も生きながらえ子孫を残せることとなったのだが、その反面多くの肉食獣は絶滅の危機に瀕している。
 肉食によって獲得される攻撃的・激情的性質は、明らかにその外観にも表れる。安定性を欠いた行動習性、三白眼、他者に対する不信感、または逆に性衝動の対象に対してのいびつな親近感や無防備などとなって顕れたりする。例えば男性ならば、嫉妬深い人や好みの女性に対して無分別に媚びる性質の人などがその好例である。あなたの身の周りにそんな人はいないだろうか。
 肉食は、ごく少量の食事量で効率的にカロリーを摂取できると同時に、攻撃性を高め自らの存在や自我を他のなにものよりも優先させようとする本能を助長する。しかしそれは、人間が平常時において採るべき選択ではない。過去に富裕を極め肉食・淫行が蔓延した国や民族において、悲劇的な末路を辿らなかった国はなかった。聖書におけるソドムやゴモラ、繁栄を極めたローマ帝国、「酒池肉林」という語の源となった中国の古代王朝・殷など枚挙にいとまがない。また歴史上遊牧民国家というものはみな短命であり頻繁に政権交代が行われている。19世紀に世界の覇権を握った大英帝国は、第二次世界大戦で主に日本の働きによってほとんどの植民地を失った末、今や衰退の一途を辿っている。それらの事例から類推するに、20世紀に世界の主導権を握ったアメリカ合衆国もおそらく例に漏れないだろう。オーストラリアやニュージーランドは言わずもがなである。
 一方、過去に菜食であったタヒチ島のポリネシア人たちは、キャプテン・クックの到来とともに西洋の食文化を受け入れた結果、200年足らずで人口が急減(2000万人がわずか1万人に)し、今や存亡の危機に立たされている。日本人は仏教伝来以来歴史上そのほとんどの期間を国家的な「肉食禁止令」の下で過ごしてきた。晴れて肉食を嗜み始めたのは明治維新以後のことなのだが、それも量的にはまったく問題にならないほど少なく、戦後になってようやく肉消費量の顕著な増加が見られるようになった。
 1998年(平成10年)には日本人の肉の消費量は一人一日当たり約75gと、30年前のおよそ3倍に増えている。それでも欧米人に比べればずっと少ないことには変わりなく、アメリカや南米諸国などとは桁が違う(もちろん彼らの方が「異常な」食生活なのだ!)。この数字を日本はまだ安泰と見るか、日本もまた衰亡に近づきつつあると見るか。
 肉を多食する人間というのは、慣れれば、顔つきや動作でそれとなくわかるものである。一度そういうことを念頭に置いて身の周りの人間たちを観察してみるのもいいだろう。ああ、この人はやっぱり肉をたくさん食べている。この人はそうでもないと、ある程度の傾向がほの見えてくると思う。それが詰まるところ「肉食とはなにか?」の答えでもある。
 




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