アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

ゴボウの木

2007-07-24 20:01:11 | 暮らし
 網戸を通してバイクの軽快な排気音がする。外を見やると向かいの神社の木立からジッちゃんが姿を現したところだった。
「おう!いだが?」
 僕は長靴をつっかけて開けっ放しの玄関から庭に出た。膝関節の痛いジッちゃんは歩くよりもバイクで移動する方が楽だ。だから家はすぐそこ、お隣なのだが、こうして用があればいつもバイクに乗ってくるので(冬はそれがトラクターになったりもする)、僕としては耳でその来訪が察知できるから幾分便利だったりする。バイクを降りたジッちゃんはよっこいしょ!と縁台に腰掛けようとして、ふと傍らの植物に気づいたようだった。
「お?こりゃあ・・・ゴボウの木でねえべが?」
 そう、そうなのだ。わが家の軒先には大きなゴボウの成植物がまるで気の利いた庭木のように泰然と立っている。
「はい。こぼれ種が落ちて芽生えたようで・・・」
 因みにどんなに大きく育ったとしてもゴボウは「木」ではない。それにしてもそれを木と見立てたジッちゃんの物言いがおかしかったし、もしかしたらここでは慣習的にそんな言い回しをしてるのかもしれない。いずれにせよ野菜は買うものとなってしまった昨今、二年生の植物であるゴボウの花を見種を知る人は少なくなってるのではないだろうか。これがゴボウだと見抜いた眼力も、人生80余年農家で暮らしたジッちゃんだからこそなのかもしれない。
 わが家では毎年ゴボウの種を採種して畑のあちこちに蒔き直しているのだが、どうやらこのゴボウ、庭で唐箕にかけた際にこぼれたものが発芽したらしい。草刈の時に珍しい植物が目につけば刈り残しておくのが習いの僕としては、クローバーに混じって軒下にひょっこりと顔を出したゴボウの葉っぱを見逃すはずがなかった。それから一年、二年、そして三年。なんとこのゴボウ、通常は二年のところを開花するまでに三年の月日を要したのだった。なにしろ地面は砕石を敷いて固めてある。堆肥も栄養分もほとんど無きに等しい。一年目は至極こじんまりと、二年目は(さて今年は花をつけるかな?と思っていたのだが)ひとしきりぐんと背を伸ばしただけで開花には至らなかった。そしてこの三年目に、とうとう背丈は僕を越えて、堂々たるゴボウの木に成長したのだった。

 まずはこの春の様子。雪が解けて発芽するなり、一気に去年の大きさにまで成長した。二年生、宿根生の植物はここが違う。彼らは人生を決して短視眼的に捉えておらず、終局的に目的を達成するまではひたすら根にエネルギーを蓄えることを本義としているのだ。


 そしてこれが梅雨に入る頃。丈も僕の背を越えて、一斉掃射された多方面ミサイルのようにトウを立て始めた。この様子から、お、今年はとうとう種を結ぶ気だな!とわかる。この一株があれば今年充分に種が採れるので、畑に生えているあとのゴボウたちはとりあえず全部食べてしまっても大丈夫だろう。しかしそれにしても見事な草姿だ。これほど立派なゴボウの株を僕は初めて見た。ジッちゃんが目に留めるのもあながち不思議ではない。



 そして梅雨の湿った空気も終わりに近づいた昨日、僕は目の前を飛び過ぎるハチの姿を追っているうちに、その先に気恥ずかしげに淡い紫を散らした、どことなくアザミの花を思わせるゴボウの花を見た。まん丸い蕾におしとやかな開口部がなんとも奥ゆかしい。棘があって衣服にくっつくのが難なのではあるが、でもその特性を発揮したからこそこんな場所にも生えたのかもしれない。見回せば張り出した枝ひとつひとつの先に花が開き始めている。日向にはチョウやハチが飛び回り、緑濃い日陰には猫が長々と寝そべって、頭を齧られたバッタがモズのはやにえなのか蕾の先でミイラになっていた。一本のゴボウを巡ってここにも生き物たちのドラマが繰り広げられている。
 普通のゴボウが二年かかるところを三年かけて大成したこの株。悲惨な逆境をものの見事に乗り越えて偉業を成した賢者を思わせる。なるほど、こんな生き方もあるのだな。植物も人間も、その生の本質において変わるものなどなにもない。このゴボウももし生殖を急いだならば、単に骨張った体の限界線から虚弱な種を残してそれで終わりだっただろう。二年が三年。これが自然の知恵なのだと思った。
 今年これからこぼれた種が、もしかしたら来年も、そのまた来年もたくましいゴボウの木を育てるかもしれない。もしもそうしたら、僕はもう種を採るために冬枯れの畑にゴボウの株を残す必要もなく、毎年生き生きと生命力に溢れた種をこうして手に入れられるかもしれない。



【写真はゴボウの花】



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4 コメント

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Unknown (allie)
2007-07-25 23:15:23
なんてきれいな花なんでしょう!
思わず写真に見いってしまいました

ごぼうの花ですか
野菜はどれも思いがけないきれいな花をその身の丈にあうように咲かせる気がします
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人もまた・・・ (あぐりこ)
2007-07-26 14:59:04
身の丈のものだけしか産むことができませんよね。しかしこのゴボウの凄いところは、一般に二年生と分類される植物なのに三年かけて大成したということです。机上の論を見事に引っくり返してしまいました。
現代とかく生殖を焦る人間ばかり目につきますね。私もまだまだじっくりと構えててもいいのだなと思わされました。
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Unknown (allie)
2007-07-26 23:26:29
そのうちに平均寿命が100歳になるとテレビで言ってましたよ!
でも私は今はそんなに生きたくない気分です。
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平均寿命100歳! (agrico)
2007-07-27 17:51:36
自然に反した状態がエスカレートする一方の状況でそんなに長く生きれるとは思えないのですが・・・もしかしたら「死なせない」という意味ではそんな時代が来ないとも限りません。期間的には比較にならないのですが、家畜や作物は既にそのような時代を迎えています。生命力のほとんどない生きものが生かさず死なさずに収穫までこぎつけられていますからね。
できれば健康で、もっとこの世に留まっていたいと思えるような生き方を模索していきましょうよ。結果がどうなるかはまた別の問題として。
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