今朝は少し肌寒い。
このところの夏のような(「春」じゃなくて一気に「夏」!)陽気、それに続く春の嵐。昨日までの突風で、温まった空気はひとまずどこかへ吹き飛ばされたみたいだ。朝6時前、窓を閉めて軽トラの暖房を入れる。
今日はゴミ拾いの日。
年に2回、春と秋に集落挙げて主要道のゴミを拾い集める。ここは山のどん詰まりに近いけれど、市道が一本山を越えて隣り集落まで伸びている。1kmくらいのその峠道は、遠野から水沢への近道。(水沢競馬に行くのに便利なので、巷では「競馬道路」と呼んでる。)この集落内で最も車通りが激しい所だ。(と言っても、1時間に10台くらいなもんだけど・・・)
その道沿いを、僕ら民は、朝早く大きなビニール袋を持って歩き回る。春の風に吹かれて土手にはふきのとうがぽこぽこと顔を出している。しかし今朝はそんな風情には浸り切れない。相手は道沿いに散乱した夥しい「ゴミ」なのだから。
道の両側は山なので、路肩を越えればすぐそこは藪だ。春先なので葉も枝もまだ茂ってはいないし雪はあらかた溶けてしまっている。今が一年で一番地面が露出する季節だ。だから・・・ゴミがとてもよく見える。
茶色い枯れ草のそこかしこに顔を出すビニール、プラスチック。缶に瓶、ペットボトル、衣類や生ゴミ、弁当の器・・・およそ家庭内で産出するあらゆるゴミがそこに展示されている。加えて一斗缶や古タイヤ、鉄屑、パイプ、更にはテレビまであった。
路肩近くのゴミは拾いやすいからいい。屈んで火バサミでひょいと摘まみ上げれる。しかし藪の奥深くのゴミは、いばらや潅木を掻き分けながら取らないといけない。よくこんな奥にまで捨てたもんだと思う。恐らく捨てる方は車の窓から、えいやっ!とできるだけ遠くに投げ捨てるのだろう。でもそれを拾うのは大変だ。いばらで服がぼろぼろになる。年を越したゴミは落ち葉に半ば埋もれながら雪解け水を被っている。
たちまちに軽トラ1台が山になった。このゴミは後から婦人会のメンバーが選り分けてそれぞれ所定のゴミ袋に詰め直し、この地域のゴミ収集日に出すことになる。衛生組合からの助成金はせいぜい市指定のゴミ袋を買うのに間に合うくらいだろう。拾うのも分別するのも、すべて集落総出の奉仕作業だ。
1時間半の間に軽トラ2台分のゴミが溜まる。この作業を年に2回、同じところで同じように繰り返している。拾うごとに、何でこんなに捨てるんだろう、どうしてこんなものまで捨てていくんだろう、と頭を捻ってしまう。ゴミ分別収集が義務付けられ不法投棄に厳しい罰則が科せられるようになってから、確かに投棄される粗大ゴミは減った。しかしその一方、車上から投げ捨てられる一般ゴミは、ここ数年かえって増えているような気がする。今日も「これだけあれば・・・」と思って用意した袋が、全然足りなくなった。
昔東京に住んでいた頃、池袋で家庭菜園を作ったことがある。駅から徒歩5分、廃園になった幼稚園の跡地を使わせてもらったのだけれど、掘れば掘るほど、出て来たゴミの山に驚いた。茶碗の欠片からコンクリートがら、鉄、家庭ごみまで、まるでゴミ捨て場に建物を建てたみたいだ。その時僕はわかった。実はこの街で僕たちは、ゴミの上に住んでいるんだと・・・
家の中はきれいでも、自分の庭はきれいに草取りをしていても、そこから出した大量のゴミはどこに行ってると思う? 廃棄物の処理に国はかなりの税金をかけているだろうけれど、国民の排出するゴミの量はそんなもんじゃない。それらは一見僕らの目からは見えないところに、ちゃんと巧妙に隠されているんだ。僕らはもう、ゴミの山の上で生活するようになっている。
ゴミとなるものを作る方が悪いか、ゴミを出す方が悪いかなんて、汚いものを押し付けあうような論争はまるで教育委員会とPTAみたいなもんだ。子供が非行に走ったり自殺するのは「誰か」の責任じゃない。僕ら全員で、そうしているだけだ。そういえばアメリカも国内の麻薬問題の責任を南米の麻薬生産国のせいにしていたっけ。合衆国民は世界最大の麻薬消費者でもある。
地球時間に比べて人の一生はとても短い。だからどんなにこの世界を汚そうと、自分が生きている間お金さえ掴めばいいと思っている。だけど僕は思うよ。そんな人が幸せになることは無いだろう。それは世界が回る究極の摂理でそう決まっている。
子孫のためにや地球のために、なんていう絵空事みたいなことは言わなくてもいい。今自分のために、自分と共に生きている大切な人たちのために、自分が出す「ゴミ」をできるだけ減らした方がいいと思う。
それは本気でやる気さえあれば、すればするだけできること。実際この世にはそうして生きている人も、都会田舎を問わずたくさんいるのだから。
【写真は集落の田んぼ。あの山の麓は、毎年ゴミの山になるんです。・・・】
このところの夏のような(「春」じゃなくて一気に「夏」!)陽気、それに続く春の嵐。昨日までの突風で、温まった空気はひとまずどこかへ吹き飛ばされたみたいだ。朝6時前、窓を閉めて軽トラの暖房を入れる。
今日はゴミ拾いの日。
年に2回、春と秋に集落挙げて主要道のゴミを拾い集める。ここは山のどん詰まりに近いけれど、市道が一本山を越えて隣り集落まで伸びている。1kmくらいのその峠道は、遠野から水沢への近道。(水沢競馬に行くのに便利なので、巷では「競馬道路」と呼んでる。)この集落内で最も車通りが激しい所だ。(と言っても、1時間に10台くらいなもんだけど・・・)
その道沿いを、僕ら民は、朝早く大きなビニール袋を持って歩き回る。春の風に吹かれて土手にはふきのとうがぽこぽこと顔を出している。しかし今朝はそんな風情には浸り切れない。相手は道沿いに散乱した夥しい「ゴミ」なのだから。
道の両側は山なので、路肩を越えればすぐそこは藪だ。春先なので葉も枝もまだ茂ってはいないし雪はあらかた溶けてしまっている。今が一年で一番地面が露出する季節だ。だから・・・ゴミがとてもよく見える。
茶色い枯れ草のそこかしこに顔を出すビニール、プラスチック。缶に瓶、ペットボトル、衣類や生ゴミ、弁当の器・・・およそ家庭内で産出するあらゆるゴミがそこに展示されている。加えて一斗缶や古タイヤ、鉄屑、パイプ、更にはテレビまであった。
路肩近くのゴミは拾いやすいからいい。屈んで火バサミでひょいと摘まみ上げれる。しかし藪の奥深くのゴミは、いばらや潅木を掻き分けながら取らないといけない。よくこんな奥にまで捨てたもんだと思う。恐らく捨てる方は車の窓から、えいやっ!とできるだけ遠くに投げ捨てるのだろう。でもそれを拾うのは大変だ。いばらで服がぼろぼろになる。年を越したゴミは落ち葉に半ば埋もれながら雪解け水を被っている。
たちまちに軽トラ1台が山になった。このゴミは後から婦人会のメンバーが選り分けてそれぞれ所定のゴミ袋に詰め直し、この地域のゴミ収集日に出すことになる。衛生組合からの助成金はせいぜい市指定のゴミ袋を買うのに間に合うくらいだろう。拾うのも分別するのも、すべて集落総出の奉仕作業だ。
1時間半の間に軽トラ2台分のゴミが溜まる。この作業を年に2回、同じところで同じように繰り返している。拾うごとに、何でこんなに捨てるんだろう、どうしてこんなものまで捨てていくんだろう、と頭を捻ってしまう。ゴミ分別収集が義務付けられ不法投棄に厳しい罰則が科せられるようになってから、確かに投棄される粗大ゴミは減った。しかしその一方、車上から投げ捨てられる一般ゴミは、ここ数年かえって増えているような気がする。今日も「これだけあれば・・・」と思って用意した袋が、全然足りなくなった。
昔東京に住んでいた頃、池袋で家庭菜園を作ったことがある。駅から徒歩5分、廃園になった幼稚園の跡地を使わせてもらったのだけれど、掘れば掘るほど、出て来たゴミの山に驚いた。茶碗の欠片からコンクリートがら、鉄、家庭ごみまで、まるでゴミ捨て場に建物を建てたみたいだ。その時僕はわかった。実はこの街で僕たちは、ゴミの上に住んでいるんだと・・・
家の中はきれいでも、自分の庭はきれいに草取りをしていても、そこから出した大量のゴミはどこに行ってると思う? 廃棄物の処理に国はかなりの税金をかけているだろうけれど、国民の排出するゴミの量はそんなもんじゃない。それらは一見僕らの目からは見えないところに、ちゃんと巧妙に隠されているんだ。僕らはもう、ゴミの山の上で生活するようになっている。
ゴミとなるものを作る方が悪いか、ゴミを出す方が悪いかなんて、汚いものを押し付けあうような論争はまるで教育委員会とPTAみたいなもんだ。子供が非行に走ったり自殺するのは「誰か」の責任じゃない。僕ら全員で、そうしているだけだ。そういえばアメリカも国内の麻薬問題の責任を南米の麻薬生産国のせいにしていたっけ。合衆国民は世界最大の麻薬消費者でもある。
地球時間に比べて人の一生はとても短い。だからどんなにこの世界を汚そうと、自分が生きている間お金さえ掴めばいいと思っている。だけど僕は思うよ。そんな人が幸せになることは無いだろう。それは世界が回る究極の摂理でそう決まっている。
子孫のためにや地球のために、なんていう絵空事みたいなことは言わなくてもいい。今自分のために、自分と共に生きている大切な人たちのために、自分が出す「ゴミ」をできるだけ減らした方がいいと思う。
それは本気でやる気さえあれば、すればするだけできること。実際この世にはそうして生きている人も、都会田舎を問わずたくさんいるのだから。
【写真は集落の田んぼ。あの山の麓は、毎年ゴミの山になるんです。・・・】
とても深い内容です。
横浜でもごみの分別の仕方が変わりました。
生ごみは案外少なくプラスティックがかなり多いのに気づきました。
最近は、これは長く使えるか?本当に必要かを考えて買い物をするようになりました。
すると、まずいらない^^;
夜だとアクセスしにくい状況・・に私のパソコンではなってしまいます。
早くに(え?!^^;)お邪魔しました。
お知らせが遅くなりましたが、詩のプログ作りました。
またいらしてくだされば嬉しいです。
ゴミとなる物もそれを買う人がいる限りまず無くならないんですよね。
だからゴミの出ない(少ない)生活をするためには、今のような手軽で便利な消費生活を縮小するか、多少お金の出費が要るかもしれません。
一度手に入れた便利なものを手放すのは勇気が要りますが、それをしないと将来今以上の「ゴミの山」の上で生活することになるのでしょう。
私にはどう考えてもそれがいい選択には思えないんですよ。
大量消費生活を構成するほとんどの「物」は、「元々無くて当たり前」なもののような気がするんです。でも今ではそれを手放せない。まるでそれ自体が麻薬のようです。
このところアリーさんのBLOGを訪れるたびに様変わりしているので、びっくりしてました。
これから伺いますね。
物を抱え込むほどに自分が卑しく貧しくなることもあります。
でも、捨てる勇気が確かに不足しています。
ブログあれこれ試しの最中です。
いろんなのがあって、これはある意味私にはおもちゃの感覚です。
でも、こういう態度こそ、泡のような消費社会で身についたものかもしれません。
今は本当に、みんな「遊び」の無い生き方をしています。よく見られるゲームや賭博的なものは本来の遊びとは違う、暇潰しに近いものかもしれません。そのもの自体がそうだというのではなく、それをする姿勢が、ですけどね。実は私もコンピューター・ゲームをして昨日も夜更かししてしまいましたけど・・・。
創作には感性と時間がかかる。時間に追われている人の創るものも、余りある時間の中で創られた世界も、それぞれの価値で輝くのだと思います。だとすれば各自にそれぞれの環境の中で「創る」ことが一番価値のあることですよね。
アリーさんの詩も文も絵も、素晴らしいと思ってますよ。ひとつのユニークな感性の発露がそこにあります。個人的にはC-Uなんかに入ってもらいたいと思うんですけどね。その気になったら参加希望を出してみたらどうでしょうか。ただし全員による審査があるから、それなりの覚悟が要りますけどね。
遊び心を無くして久しい私が、今それを取り戻そうと努力しているのです。
実生活も弱弱しく宙ぶらりんで同じです。
agricoさんが遊びを取り戻そうとしているなら、まず私は必死の本気を築く努力をしなくてはならないです。
習慣を変えるのはすごく力がいります。
C-U参加希望からきっかけが生まれるかもしれません。
魅力的です。
でも訪問して参加者の方たちのレベルの高さを知れば知るほど勇気が砕けるのが現実です。
これでは何も変わらないのですが・・。
身を投げることができるならば大概の道は開けるし、
もし思い通りに開けなくても新たな心境、局面、境地に至れるのだと思いますよ。
これができるかどうかで、かなり人生の展開は変わって来ると思います。
傷つくことは、結果的にそんなに重大なことではありません。
かえって、それに囚われて大切な場面に飛び込めない方が人生の中ではとても大きい。
だから、自由に生きている人は人一倍傷ついた経験を持ってるし、それを承知の上で今も自由に生きれるのですよ。
でも飛び込める時というのは自分の意思で無理して作るのではなく、
その時が来ればそうせざるを得なくなるような面も持ってます。
だからもし今「絶対無理だ」と思うならば、無理してしなくていいんですよ。
いつか必ず「その時」はやってきます。今はその前にやっておいた方がいいことが目の前にあるのでしょう。だから今飛び込めない。
随分無理ばかりして来た自分だと思いますが、今思うに無理はしなくていいんですよ。生きるのは決して「無理な」ことではありません。
私たちは、全体から生かされてるんだと思いますよ。無理して生きようとしても生きれるもんじゃありませんね。
こういうことを誰かにいってほしくて
生きてきた弱い部分があります。
なんて思ったりすることがありますが、
もしかしたら今のお互いがそんな「生まれ変わり」の姿なのかもしれませんね。
それだけ人さまざまな生き方があり、境遇や現実がある。
でも思うのですが、お金持ちも貧乏も、有名人も無名な人も、
それだけ見るとそれは大きなことのように思えますが、人全体をひとつのまとまりとして見ると、どの人も人間としてはそんなに大きな差があるものではないのですね。
その時それぞれが与えられた役目をこなしているだけのようにも見えます。
この世界を空間的に、時間的に鳥瞰して眺めてみると、
この世に貧乏も無学も無いんですよ。今の日本人の一番貧しい人も、恐らくは1000年前のどんな日本人より豊かで便利な生活をしている。
世界が広がればもっといろんなものの価値が見えて来る。そしてやがてはこの自分さえも受け容れることができるかもしれない。
それが本当の意味で「自由に生きる」ことなのかもしれませんね。
私もそんなことを夢見ていますよ。