
振り返れば来た道が埃に霞み
また振り向けばいつ果てるともない草の海
窓から顔を叩く熱風、日は高く
まるでフライパンの上にいるようだった
その昔
コーヒー園での労働は過酷を極め
夜逃げ同然にして彼らはペルーを逃げ出した
あるは山を越えてチチカカからボリビアに
あるはアリカを通ってアタカマ砂漠を南下する
果てない砂漠の旅、着の身着のままの2000km
そうしてサンティアゴに
そしてそこからアンデスを越えた
なに、彼らに根性がなかったってわけじゃない
あの時たくさんの日本人が遠くはブラジルにまで行った
再移住
南米ではそこに住み着いた順番に階級ができる
日本人は、黒人、中国人の後に入ったから
奴隷以下だったのさ
真夏に白い雪を頂くアンデスは
地獄の屏風岩のように立ちはだかる
それでも広い太平洋を越えて帰ることのできなかった彼らには
登るしかなかったんだ、家族を連れて
たまに有刺鉄線の柵があるから
この草原は牧野だとわかる
でも肝心の牛が見えない
でも僕を拾ってくれたおじさんはガラガラ声で怒鳴った
「いる!」とただひと言
そしてこちらを向いて二カッと笑う
ヘリコプターのようなエンジン音と振動で
とてもまともな会話ができなかった
そう、確かに牛はいた
走ってると、そうだな20分おきくらいに
ポツッ、ポツッと何頭かずつ
そう、ここはパンパス、天然の大牧場
海抜6960m、アコンカグアの山麓を越え
メンドーサの町に着いた彼らは、更にこの草原をひた歩く
コルドバ、あるいはブエノス・アイレスへと向かって
南米大陸を横断する
遥か昔に幾人もの日本人が歩いたその道を
今僕は逆に辿っている
行き違う車も家もない
果てしない草原の旅
壊れかけた車のエンジン、牛の見えない牧場
焦げた真夏の草とボンネット
干物になる前にメンドーサに着くだろうか
やがて
次第に傾きかけた夏の日は
行く手に真白く
アンデスを照らした
また振り向けばいつ果てるともない草の海
窓から顔を叩く熱風、日は高く
まるでフライパンの上にいるようだった
その昔
コーヒー園での労働は過酷を極め
夜逃げ同然にして彼らはペルーを逃げ出した
あるは山を越えてチチカカからボリビアに
あるはアリカを通ってアタカマ砂漠を南下する
果てない砂漠の旅、着の身着のままの2000km
そうしてサンティアゴに
そしてそこからアンデスを越えた
なに、彼らに根性がなかったってわけじゃない
あの時たくさんの日本人が遠くはブラジルにまで行った
再移住
南米ではそこに住み着いた順番に階級ができる
日本人は、黒人、中国人の後に入ったから
奴隷以下だったのさ
真夏に白い雪を頂くアンデスは
地獄の屏風岩のように立ちはだかる
それでも広い太平洋を越えて帰ることのできなかった彼らには
登るしかなかったんだ、家族を連れて
たまに有刺鉄線の柵があるから
この草原は牧野だとわかる
でも肝心の牛が見えない
でも僕を拾ってくれたおじさんはガラガラ声で怒鳴った
「いる!」とただひと言
そしてこちらを向いて二カッと笑う
ヘリコプターのようなエンジン音と振動で
とてもまともな会話ができなかった
そう、確かに牛はいた
走ってると、そうだな20分おきくらいに
ポツッ、ポツッと何頭かずつ
そう、ここはパンパス、天然の大牧場
海抜6960m、アコンカグアの山麓を越え
メンドーサの町に着いた彼らは、更にこの草原をひた歩く
コルドバ、あるいはブエノス・アイレスへと向かって
南米大陸を横断する
遥か昔に幾人もの日本人が歩いたその道を
今僕は逆に辿っている
行き違う車も家もない
果てしない草原の旅
壊れかけた車のエンジン、牛の見えない牧場
焦げた真夏の草とボンネット
干物になる前にメンドーサに着くだろうか
やがて
次第に傾きかけた夏の日は
行く手に真白く
アンデスを照らした
これだけはお目にかかってない。
いいねえ、あぐりこさん!
ノッてきたんじゃないかな?
風景がしみじみと浮かびますよ。
なんだか、切ないねぇ…
思い出すたびに、切なくなる。そんな思い出って宝物なんだろうな。
コルドバからチリに行って帰ってきただけなんですけどね、3週間。これが向こうにいた間にした、唯一の旅といえる旅です。
その時通ったパンパスの光景はしっかりと瞼にありますよ。
けれど残念ながら写真が全然ありません。たぶん用心のためと身軽になるためにカメラを持参しなかったんでしょうね。当時の私の格好はどうみても金持ちじゃなかったですが、それだからこういう旅ができたんですよ。(今でも同じだっ!)
この写真はネットの検索で見つけたものですが、どこのHPの出典かわからなくなってしまいました。無断借用です。
ただ、パンパスはどこまでもどこまでも同じ景色が続くので、決して面白いところではないですよ。
書きたい時に書く、書けない時や書きたくない時には書かない。
BLOGで苦しむことは何もありません。
海猫さんもそんな気楽な気持ちで関わってくださいね。
例え小さな物語、中途半端な物語でも、幾つも書いているうちに自分の中に意外な世界が広がってるかもしれません。
ポイントは、書くことですよ。
始めから上手なもの、素敵なものでなくてもいいんです。創造することによって、世界は変わっていくんだと思いますよ。
どこまでもどこまでも同じ景色が続く。
いつまでもいつまでも車は走る。
一日に一度、滝のような雨が降る時があります。
時にはそれがピンポン玉くらいの雹になって落ちてきます。
車の屋根も、家の屋根も壊されたりするのですよ。人はもちろん、すぐにどこかに身を隠さないと死んだり怪我をしたりします。
草原の牛は、頭を胸の間に深く埋めてお尻を高く上げる感じで雹をやり過ごすそうです。
(お尻の皮が殊更厚いのでしょうね。)
ペルーから逃げてきた日本人の話は、やはりコルドバでお世話になった日本人移住者に聞いたものです。今からもう100年も前に起こった出来事ですよ。
昔の話はこうして語り継がれていくのですね。
どんぶり3杯泣けます。
この写真では草原が枯れた色になってますが、私が通った時には緑色でした。
内陸の半乾燥地帯なのでところどころ赤茶けた土が見えたりして、日本人の思い描く「牧歌的」とはまた違うのです。
大自然の厳しさを感じさせる草原です。
土質と気候の関係なんでしょうね、天然の状態で草原がどこまでも続くんですよ。だからこれを見つけたヨーロッパからの移住者は、喜んで牛を放しました。放たれた牛たちは人が特段世話することもなく産めよ増やせよで増えたんです。
アルゼンティンの牛は人口の2倍とも言われてますが、実際にはもっといるような気がしますよ。なにしろこんなに広いところだから、人の目が全然行き届かないのです。
私たちの遠い祖先も、いつかこんな広い草原を歩いていたのでしょうね。