
1台の乗用車が目の前に停まる。
金ピカに輝くアメ車だ。ひと目で高級車とわかる。車は広い道路の道幅を我が物顔に占有している。まるで大国が自己主張をしている感じだ。停車すると同時に電動ウインドウがスルスルと降りた。
運転席からがっしりした体格の男が顔を出す。僕はてっきり道でも尋ねられるのかと思った。ここはサンティアゴ郊外の街道沿い。しかしこんな所で東洋人の顔をした僕に道を尋ねる人などいるものだろうか。ちょうどその時僕は指を立てて車を拾おうとしていたところだった。
「タルカまでだが、乗るか?」
なんと!乗せてくれると言う! ヒッチハイクでこれほどの高級車が停まってくれたことは後にも先にもこの時だけだった。驚いたけれど、それはそれで嬉しい。世の中には思いがけないこともあるものだ。僕は礼を行って乗り込もうとしたが、肩に担いだバッグの置き場に困った。
「後ろの座席に置きな。」男は言う。後ろのドアを開けるとふかふかの綺麗なシートが眼に入った。ビロードの手触りを思わせる美しさ。そして自分の埃だらけのバッグを見る。一瞬迷った後、僕はバッグを座席の下の床に置いた。
僕が助手席に乗り込むと車は滑るように走り出す。大柄の男は快活で愛想がいい。明らかに金持ちだけれど、どうしてか仕切りの高さを感じさせない。多分根っからの金持ちではなくて、何かの事業に成功して急に金持ちになったのかもしれない。彼は親しくなるほどに訊かなくても自分について話し始めた。タルカで工場を経営しているという。
「わっはっは! せっかくだから俺の工場を見て行きなよ。もし先を急がないんならな。」
先など急ごうはずがない。どうせこちらは毎日決まった目標もない気ままなひとり旅。ありがたく好意に乗せてもらうことにした。
タルカはサンティアゴから300kmほど離れた田舎町。町の中心には教会と広場があり、そこから放射状に町が広がる。道路も家も石畳とレンガを積んでできている。その郊外に彼の「工場」はあった。
ワイルドベリーのパック詰め工場。
それは工場と言うより作業場と言った方が近い。漆喰を縫った建物の中で10数人の女たちがワイルドベリーをパックに詰めていた。されほど大きなところではない。日本の田舎のリンゴ園でおばさんたちが収穫したりんごを箱詰めしている、そんな感じだった。
女の人たちはみんな地味で小奇麗な服装をして、僕が顔を出しても手を休めずに黙々と作業している。その様子はピアノの練習曲に合わせて正確に単調な仕事をこなす機械のようだ。みんなちょっとだけ僕を見て微笑んでくれる。口はきかなくても雰囲気でわかる。愛想良くて親切な人たち。なんだかガルシア・マルケスの小説の世界にいるようだ。
「この近くに果樹園があるんだ。このベリーはみんな俺んとこのもんだよ。」
どうだい、と差し出されたパックにはベリーが芸術品のように整然と並べられている。僕はひとつ摘んで口に入れた。甘酸っぱい香りと味が舌に広がる。美味しい。もっと食いなよ、と薦められたけれど、並べ方があまりに綺麗だったのでなんだか悪い気がした。
ここの人たちはこんな美味しいものを食べてるんですね、と言う僕に対して、彼は言う。いいや、こいつはここの人間に売るもんじゃない。みんなアメリカ合衆国に輸出するんだ。冷蔵庫に入れて飛行機でな。これを食べる人間は、アメリカ人とここで働く俺たちくらいのもんさ。
それまでの社会主義路線から180度方向転換したピノチェ政権は、徹底した自由主義経済政策を押し通した。国有化したアメリカ資本の銅会社もすべて再び民営化する。もちろんピノチェと彼の取り巻きはアメリカ合衆国から支援を受けていた。合衆国は前社会主義政権を覆すために、ピノチェを初めとする反体制側に露骨な資金や武器の援助を行っていたのである。
そしてピノチェ主導の軍事政権の時代、チリの経済は目覚しく伸びる。今日南米の優等生と言われるチリ経済の基盤はこの時に作られたものだ。
そう考えれば彼の事業も、彼がアメリカの高級車に乗っていたのも素直に頷ける。この時代に自由化・アメリカ路線の新しい波に乗った者で彼のように成功した事業者はきっと多いのだろう。政権も経済も一夜明ければどうなるかわからない激動の南米において、昨日の貧民が今日は富裕層の仲間入りをしていることもある。そしてその逆も当然のごとく起きている。
その晩は彼の紹介でタルカの安宿に泊まった。どんなに貧しくても、長く旅をするのに食べ物と風呂をないがしろにはできない。ただでさえ埃だらけになるヒッチハイク旅行だ。健康のために時にはシャワーを浴びておきたい。
僕の胸にはいつまでも律儀に規則正しくパック詰めする女たちの姿が残った。何も言葉を交わしたわけではなかったけれど、彼女たちはみんな親切で愛想がいい。彼女たちが詰めたベリーのパックは、1週間後にはそのままの形で合衆国のスーパーに卸される。これがもし近くにあったなら、日本のスーパーにも並べられることになるのだろうか。
あの質素で働き者の女性たちは、今日も僕の頭の中でパックにベリーを詰めている。
金ピカに輝くアメ車だ。ひと目で高級車とわかる。車は広い道路の道幅を我が物顔に占有している。まるで大国が自己主張をしている感じだ。停車すると同時に電動ウインドウがスルスルと降りた。
運転席からがっしりした体格の男が顔を出す。僕はてっきり道でも尋ねられるのかと思った。ここはサンティアゴ郊外の街道沿い。しかしこんな所で東洋人の顔をした僕に道を尋ねる人などいるものだろうか。ちょうどその時僕は指を立てて車を拾おうとしていたところだった。
「タルカまでだが、乗るか?」
なんと!乗せてくれると言う! ヒッチハイクでこれほどの高級車が停まってくれたことは後にも先にもこの時だけだった。驚いたけれど、それはそれで嬉しい。世の中には思いがけないこともあるものだ。僕は礼を行って乗り込もうとしたが、肩に担いだバッグの置き場に困った。
「後ろの座席に置きな。」男は言う。後ろのドアを開けるとふかふかの綺麗なシートが眼に入った。ビロードの手触りを思わせる美しさ。そして自分の埃だらけのバッグを見る。一瞬迷った後、僕はバッグを座席の下の床に置いた。
僕が助手席に乗り込むと車は滑るように走り出す。大柄の男は快活で愛想がいい。明らかに金持ちだけれど、どうしてか仕切りの高さを感じさせない。多分根っからの金持ちではなくて、何かの事業に成功して急に金持ちになったのかもしれない。彼は親しくなるほどに訊かなくても自分について話し始めた。タルカで工場を経営しているという。
「わっはっは! せっかくだから俺の工場を見て行きなよ。もし先を急がないんならな。」
先など急ごうはずがない。どうせこちらは毎日決まった目標もない気ままなひとり旅。ありがたく好意に乗せてもらうことにした。
タルカはサンティアゴから300kmほど離れた田舎町。町の中心には教会と広場があり、そこから放射状に町が広がる。道路も家も石畳とレンガを積んでできている。その郊外に彼の「工場」はあった。
ワイルドベリーのパック詰め工場。
それは工場と言うより作業場と言った方が近い。漆喰を縫った建物の中で10数人の女たちがワイルドベリーをパックに詰めていた。されほど大きなところではない。日本の田舎のリンゴ園でおばさんたちが収穫したりんごを箱詰めしている、そんな感じだった。
女の人たちはみんな地味で小奇麗な服装をして、僕が顔を出しても手を休めずに黙々と作業している。その様子はピアノの練習曲に合わせて正確に単調な仕事をこなす機械のようだ。みんなちょっとだけ僕を見て微笑んでくれる。口はきかなくても雰囲気でわかる。愛想良くて親切な人たち。なんだかガルシア・マルケスの小説の世界にいるようだ。
「この近くに果樹園があるんだ。このベリーはみんな俺んとこのもんだよ。」
どうだい、と差し出されたパックにはベリーが芸術品のように整然と並べられている。僕はひとつ摘んで口に入れた。甘酸っぱい香りと味が舌に広がる。美味しい。もっと食いなよ、と薦められたけれど、並べ方があまりに綺麗だったのでなんだか悪い気がした。
ここの人たちはこんな美味しいものを食べてるんですね、と言う僕に対して、彼は言う。いいや、こいつはここの人間に売るもんじゃない。みんなアメリカ合衆国に輸出するんだ。冷蔵庫に入れて飛行機でな。これを食べる人間は、アメリカ人とここで働く俺たちくらいのもんさ。
それまでの社会主義路線から180度方向転換したピノチェ政権は、徹底した自由主義経済政策を押し通した。国有化したアメリカ資本の銅会社もすべて再び民営化する。もちろんピノチェと彼の取り巻きはアメリカ合衆国から支援を受けていた。合衆国は前社会主義政権を覆すために、ピノチェを初めとする反体制側に露骨な資金や武器の援助を行っていたのである。
そしてピノチェ主導の軍事政権の時代、チリの経済は目覚しく伸びる。今日南米の優等生と言われるチリ経済の基盤はこの時に作られたものだ。
そう考えれば彼の事業も、彼がアメリカの高級車に乗っていたのも素直に頷ける。この時代に自由化・アメリカ路線の新しい波に乗った者で彼のように成功した事業者はきっと多いのだろう。政権も経済も一夜明ければどうなるかわからない激動の南米において、昨日の貧民が今日は富裕層の仲間入りをしていることもある。そしてその逆も当然のごとく起きている。
その晩は彼の紹介でタルカの安宿に泊まった。どんなに貧しくても、長く旅をするのに食べ物と風呂をないがしろにはできない。ただでさえ埃だらけになるヒッチハイク旅行だ。健康のために時にはシャワーを浴びておきたい。
僕の胸にはいつまでも律儀に規則正しくパック詰めする女たちの姿が残った。何も言葉を交わしたわけではなかったけれど、彼女たちはみんな親切で愛想がいい。彼女たちが詰めたベリーのパックは、1週間後にはそのままの形で合衆国のスーパーに卸される。これがもし近くにあったなら、日本のスーパーにも並べられることになるのだろうか。
あの質素で働き者の女性たちは、今日も僕の頭の中でパックにベリーを詰めている。
ずっと、いい感じです。
すすーっと、読んでいけます。
今後も楽しみです。
燃料投下、へへへ。
この機会に余すところなく、あの一年間の思い出を書き留めておこうと思ってますよ。
私がこんな風に文章を書き始めたのは、去年からです。4月にBLOGを始めてから生まれて初めて日常的に書き始めたようなものです。
それまでもう長い間本と言うものを読まなかったので、今読み返してもその頃の自分の文章はサラリーマン時代に仕事で書いた書類のような味気ないものでしたね。
この冬久しぶりに最近何冊か小説を読んだのですが、したところ、なんだか文章表現の参考になるところがたくさんあって、それ以来いろいろな表現を試してみてるのですよ。
そしてなによりも、C-Uの人たちの感化は大きいと思います。それがなければ、今でも変わり映えのしない文章を書いていたかもしれません。
燃料頂きました。みなさんからの励ましがなによりの原動力になります。
透き通ったものを感じますよ。
毎日楽しみだよ。
と、たまには女性コメントを残してみる(笑)
その意味ではまだ固まっていないゼリーのようですね。
職業的作家というのは自分の表現形式を持っているみたいですが、私はまだ芽生えから間もない苗のようなもの。これからどのようにでも変われます。
またあまり早くに固まらないようにと思ってます。
成長に時間をかければかけるほと、生き物は大きく育つことができるんですよね。
まったく、このところますます女性に縁がなくなってしまいました。
昨日地区自治会の総会だったんですが、
ムラの年寄りからもっと町に出て遊んで来い、なんて言われましたよ。
このところ特に冬になってから、毎日家にいて黙々としてるからなんですね。毎日猫とばかりいても面白くないだろう。町に出て女を見つけて来い、なんてね。
でも、こうして猫たちといることも楽しいのです。町に出ても特にしたいと思うことがないのですよ。スキーや温泉に行きたいとも思いません。
こういう時にも、心のままに生きてていいと思うんです。無理して出歩いていいことがあるとも思えない。
でも傍から見て、私はやっぱり変わり者のようですねぇ。
玄関先(?)の丸い屋根がとても好きな様式です(建築のことに詳しくないのでよくわからないのですが)
<思い出>シリーズにジーンと感動中です。
誰もが等しく同じ時間の中で心に宝を積み重ねることができます。
現実は私たちの手や足、体や感性を通して思い出という形になって心を構成する部分へと変わって行く。
現実で後に残るものは何も無いのです。すべて心の一部として私たち自身の体の中に残るのですね。
20年前の思い出を発掘し直すのが少し大変でした。
でも機が熟したということなのでしょう、辿るうちにいろんなこと、思いがけないことが不思議と次々に思い浮かんできました。
当時メモ代わりに携帯していた一冊の手帳、それが長い時を経て今回見事なガイド役になってくれましたよ。
でもそこに記された多くのことは、もう何のことだか思い出すこともできないのですけどね。
この写真もアルゼンティンの写真集からの借り物です。
田舎の教会で、どの町にも必ずこんな教会が建っていますよ。(その中でもこれは綺麗な方ですね。)
そして、ここは変わり者の集まるトコロ。w
まるで世界中から何のとりえも無い人だけを選び集めて来て、その中で頭の大きさや手のひらの皺の数を比較しながら生きているようです。
こういう時代には、かえって素直な人が変わり者と呼ばれ、いびつな存在が普通と言われるのですよ。
お互いに、更なる変わり者を目指して頑張りましょう!