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アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

山上の半袖シャツ

2005-02-26 09:51:45 | 思い出
君は、「あの山に登りたい」と思ったことがあるだろう?
それはどこの山とも言えない。ある時は仕事に疲れてふと見上げる窓に映る山だったり、または初めて歩く街角から見えた山だったりする。時には高速道路を車で走っていてふと目に入った山だったりもする。
あぁ、あの山の上に立ったらどんなにか気持ちがいいだろう、風と、空と一体になってゆうゆうとした気分で周りの景色を見回してみたい。なんとなくそんな風に思うことがあると思う。山との出会いって不思議なものだ。時々妙に心を惹きつけて離さない。
僕も昔に一度そんな山を目の前にして、その頂を目指したことがあるよ。急ぐ旅じゃなかったからね、あの山と一日付き合うのもいいかなと思った。なに、そんなに大きな山じゃない。すぐ目の前にぴょこんと突き出ている、多分その気になって探せばどこにでもありそうな山ではあったんだ。

そんな気紛れな山登りの話を、聞いてくれるかい?

          *        *        *

その山は砂山みたいなきれいな形をしていた。そうだな、富士山を小さくしてそこら辺のちょうど空いたスペースに仮置きしたみたいな、そんな端正ですましたような印象があった。
空には大きな鳥が飛んでいた。悠揚せまらぬあの飛びっぷりは、もしかしたらコンドルかもしれない。なにしろアンデスの麓だからね、それは可能性としてある。だけどその時僕にはそれがコンドルかどうか、自分の目で確かめることができなかった。
すぐに決めたよ、よし、あの山に登ろうって。その瞬間までこれっぽっちも山登りをするなんて気は無かったんだけどね、でもその山は確かに僕を呼んでいた。俺の上に立って世界を眺めてみないか。ちっぽけな自分を見下ろしてみないか。コンドルと親しくなって鳥の目線で町を、人間を観察してみないかって。(そんな時は決してコンドルと喧嘩するかもしれないなんて思わない。)だから僕は真っ直ぐその山に向かって歩き出した。

そこはメンドーサの町の郊外、後ろにアンデス山脈を控えた高地でもあり乾燥地帯でもある。ぶどう園が道の両側に広がっている。ここ一帯は上質なワインの産地としても有名なんだ。
赤茶けた土を踏みながら進むと、道はまもなく舗装が切れて両側の人家も疎らになった。乾いた風が優しく頬を撫でる。季節は夏の盛り、太陽はこれから時間をかけて中天に向かおうとしていた。雲ひとつ無い空の向こうには、大きな黒い鳥が1羽、まるで時間を忘れたように大きな弧を描いて飛んでいた。羽ばたいてもいないのにどうしてあんなに長い時間空に留まれるんだろう、そんなことを思いながらずうっと歩き続けたら、いつしかその山の麓に着いていた。
そこから道は緩やかに湾曲しながら頂上に向かっている。石ころだらけの登山道。道って言えるほど立派ものではなくて、ただそこだけ帯状に土が無く潅木も生えていないだけだった。でもこれは確実に僕を山上へと導いてくれそうだ。既に辺りに人家は無く、人や動物の影も見当たらない。振り返ると遠くに自分の通り過ぎたムラが見えた。メンドーサの町はその先ずっと遠くに見える。それは赤茶けた土の色とほとんど区別がつかないくらいだった。

道は石と瓦礫とでできていた。とても歩きにくかったけれど、それでも潅木を漕いで進むよりはいい。僕はディーバッグを下ろして中からタオルを出して首に巻く。タオルの端がちょうどバッグと肩との間に挟まるように。そしてまたバッグを担いで歩き出した。
道は少しずつ険しくなる。太陽は何の障害物も無いこの場所で遺憾なく実力を発揮する。靴底から石の熱さが伝わるようだ。辺りには僕の腰より高いものは存在しない。
道は反比例曲線のように次第に傾斜を増す。1時間も登ると下界が大きく広がって随分高いところにいるような気になって来た。その時に気づいたんだけど、これは道じゃあないんだ。雨が降った時に雨水が走ってできる川の底なんだ。乾燥地帯の雨は短時間に滝のように落ちてくる。

やがて両手を使わないと進めなくなった。傾斜は既に45度を越えているかもしれない。これでは山登りというより岩登りだ。でも多分頂上はもうすぐだろう。麓から見た限りそんなに高い山でもなかったから。

足元で石が崩れてカラコロと転げ落ちる。危ない。僕は一歩一歩慎重に歩を進める。途中何度も引き返しては違う岩場を選びなおした。両手と両足を等分に使わないとならない。これでは既にロッククライミングに近い。もう体中、パンツに至るまで汗でずぶ濡れになっている。この岩を登ったら頂上じゃないだろうか、何度もそんな風に思った。それでも岩は乗り越えるごとに、次から次へと行く手に立ち塞がる。

濡れたシャツが腕に絡み付いて邪魔になる。見ると水が滴るほどにぐっしょりと濡れてしまっていた。僕はかろうじて足の立つ場所でひと休みしながら、ゆっくりと時間をかけてシャツを脱ぎ、そして頭の上に突き出た大きな岩の上に放り投げた。多分今度こそ、その大岩を登り切った所が頂上のような気がする。丸めた濡れたシャツはうまい具合に岩の上に引っかかったみたいだ。でもそこに至るためには全力を尽くさないといけない。足元で時々小さな石が転げ落ちていく。辺りは既に一木一草もない。もちろん見守る人も無い。僕は岩にしがみつくような格好でいた。既に来た道を引き返すのは登る以上にずっと危険だろう。いずれにせよここまで来れば、もう登るしか選択の余地はない。

一歩。二歩。力を込めた指先が痛むけれど、そんなことに構ってはいられない。腕の筋肉も休めるわけにはいかない。でももう少しだ。もう一歩・・・

急に足場を失った。足元で大きな石が音を立てて崩れ落ちる。僕は両手で岩を抱いたまま、滑落した。

この時上体を少しでも起こしたら、そのまま後ろに転がって僕は何十メートルも転落しその間岩や石とぶつかり合って、死んでいただろう。だから僕は咄嗟に体を大きく広げて全身で地面に密着した。大の字になりながら岩場を滑り落ちる。つい先ほどシャツを脱いだものだから上半身は裸だった。

5メートル・・・10メートル・・・
どれだけ落ちたかわからない。頭の中では地球にしがみつくことしか考えなかった。大小さまざまな石が僕と一緒に落ちていった。

そしてやがて止まった。

しばらく動かないでいる。まだ石は足の下で崩れ落ちている。そして、最後の石粒の音が鳴り終わるのを確認して、僕は恐る恐る顔を上げた。

まだ生きている!

僕は今度は慎重に、慎重に下り始めた。登る時の2倍も時間をかけて、一足ごとに足裏全体で確かめながら。一度崩れた岩場はスキー場のように滑りやすい。すべての神経を足の裏に注いだ。胸からぽたぽたと血が滴り落ちる。二の腕から手のひらにかけて、腕の内側も血だらけだった。

長い時間、それが実際はどれだけの時間なのか僕ははっきりとわからない。またどのようにしてそこまで辿り着いたかもよく憶えていない。多分太陽が中天に差し掛かり更にそこを通り過ぎた頃、僕は麓のムラの外れにいた。

水場で顔を洗い、腕と胸を洗う。傷口は血と埃の塊が黒くこびり付きながら乾いていた。水が痛い。でもここでよく洗っておかないとなんの病気にかかるかもわからない。痛みを堪えてゆっくりと念入りに、体を洗った。
ムラ人が僕を見つけて、驚いた様子で両手を挙げた。なんだ、いったいどうしたんだ。2,3人が集まって来た。僕は殊更なんでもないように笑顔を向けて、いや、そこでちょっと転んでしまって・・・と答える。彼らはいぶかしそうな顔をしながらも、それ以上何も言わなかった。

バッグからジャージを出して羽織る。眼鏡は登る途中外してケースに入れていたから壊れないで済んだ。これから町に戻って消毒薬を買おう。幸いに命は取り留めた。やっぱり僕は、まだここで死ぬ時じゃなかったみたいだ。

          *        *        *

こうしてコンドルと友達になろうとする僕の淡い試みは終わった。山は僕を惹きつけ、とても痛い思いをさせて追い返した。それでも僕は決して山に拒まれたとは思わない。どうしてか知らないけれど、そんな経験があの時の僕には必要だったんだろう。だって、今も何とか生きているんだしこうしてあの時を懐かしんで話せるのだから。滑落した時受けた傷は今でも胸の片隅に小さく残っている。

あの山の頂近くには、あの時僕の投げた黒い半袖シャツが今でもそのままあるかもしれない。誰も登れないような山の頂上。鳥しか止まれないような岩の上。シャツはあれから20年経った今でも、色褪せ雨に打たれ鳥の糞を受け留めながら岩の上にあの時の状態のまま引っかかっているような気がする。

青春の蹉跌。夢の希求。もしかしたらあのシャツは僕があの山に残してきた青春の形見なのかもしれないな。コンドルのように大空を羽ばたく自由な気持ち、ふと抱く小さな夢をいつまでも追い続けられるようにと、アンデスの麓の名も無い山に小さな道標として、あのシャツは今でもそこにあるのだろう。






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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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1つ手前にコメントしてみるっ。笑♪ (ひろ(っ)ぽん)
2005-03-01 09:49:42
映像の後から言葉がついてくるような感覚でした。

そして終わってからも“アンデスの麓の名も無い山の小さな道標”がボロ布の端切れのように乾いた風にはためいているような情景を浮かべながら。



そういう時には感想など余計モノのように思えてしまう・・・そんな感じじゃないのかなぁ。少なくとも自分は『完成・完結している』ものにはどんな言葉も不要であると思えて、余韻を楽しむばかりなのです。



コメントを書くのが勿体ない。そういうカンジ。

という事は、やはり言葉で伝えなくては、伝わりませんね。

ゴメンゴメン。

とゆぅことで、ちゃんと書いてみました。笑♪
返信する
ありがとう、ひろ(っ)ぽんさん。 (あぐりこ)
2005-03-01 11:08:01
また私の心の弱いところを晒してしまいました。

でも、それは自分の一部なのだから、日記にはちゃんとその通り書いてるんですよ。(もちろんBLOG「アグリコ日記」のことです。)

みんなの優しさにいつまでも甘えてられないなと思ったりします。もっとたくさんのものを乗り越えて強くなりたいと。

でもそう思う反面、弱ければ弱いでいい、それを堂々と出して生きてていいんだっても思います。

少なくとも今自分ができるのは、そんな二律背反をも含めた自分の「現実」をそのままに表現することなんだと、そしてそれは今しかできないことなんだなと思います。



いつもありがとう。

今ここで精一杯生きるということは、

自分を構成するすべてと向き合って生きるということなんでしょうかね。
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Unknown (take)
2005-03-03 12:32:57
すごい筆力です!

自分も書かなきゃって思いました。
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これもたけさんを始めみんなのお陰です。 (あぐりこ)
2005-03-03 20:42:18
BLOGで出会ったたくさんの人の影響で、この冬本当に久しぶりに小説を読んだのですよ。

村上春樹や京極夏彦など、特に現代人気のありそうな作家を中心に。

そのお陰で、表現の勉強になりました。

私が「書き」始めたのは、BLOGが最初のようなものだったから、今のところ見るもの読むものみんな勉強になります。



その意味でも、特にたけさんとkokoさんには感化されたんですよ。
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