粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

吉田調書と2年半前の週刊新潮記事

2014-08-27 20:56:26 | 反原発反日メディア

いわゆる吉田調書の解釈を巡り朝日新聞と産経新聞で見解が対立している。たまたま自宅にあった過去の週刊新潮記事をめくっていたら、ちょうど吉田調書の問題の箇所に触れた部分があって読み直してみた。

ところで問題の発端は、非公開の調書を入手した朝日が「事故直後3月15日早朝に東電所員が吉田所長(当時)の所内退避命令に違反して10キロ南の福島第2原発に避難した」と暴露記事をを出したことに始まる。朝日のこの報道に対しては当初から「吉田所長や東電所員を不当に貶めている」という批判があったが、最近別ルートで調書を入手した産経が朝日が主張する「命令違反説」には否定的な記事を掲載し、論争は新たな展開を迎えた。

そんな中、2年半前の週刊新潮はどんな内容になっているのか。改めて読んでみるとほぼ産経の記事と同様の趣旨(命令違反否定)になっている。新潮の記事はちょうど震災から1年を迎えて特別に組まれた特集の一つで、タイトルは「ステーション・ブラックアウト原発『全電源喪失』の96時間」となっている。

事故発生の3月11日から15日までの4日間、最も事故が深刻かつ危機的な状況で、吉田所長以下東電所員たちが絶望的な心境に陥りながらも事故収拾に立ち向かっていった姿が描かれている。当時発電班の班長で所内ではNO.3に当る松永氏(仮名)の証言を中心にしたドキュメンタリー記事となっている。

事故後津波によって全電源が喪失して12日に1号機、14日には3号機が水素爆発を起こし、14日夜には2号機も冷却機能が停止して危機は極限的状況になっていく。そして翌15日早朝2号機に異常な爆発音が発生、所内の放射線量が急上昇して所員たちを心胆寒からしめた。ここから朝日と産経の論争となった「退避」の場面に入る。

 

「必要な人員を残して退避する!」

2号機に関する議論を聞いていた吉田は線量上昇の報を受け、そう宣言した。さらにモニター画面に映っている本店繁対室に向かって語りかけた。

「2号機が非常に不安定な状況になっている。敷地内で線量も上昇し始めた。必要人員を残して退避させますが、よろしいですね?」

本店側でそれを聞いていた東電の清水正孝社長が『分った」と言った。別室でやり取りを聞いていた菅総理は無言だった。

吉田からの退避命令を受け、各中央制御室に常駐していた運転員や復旧作業中の作業員は全員呼び戻された。

各班が残る人員を決め、その布陣が次々とホワイトボードに書き込まれる。

発電班長の松永もメンバーに声をかけた。

「管理職は残ってほしい」

すると、管理職以外の十数名が手を挙げた。

「己の意思で残ってくれた人がいたことは嬉しかった。何が起るか分らない状況で、自分たちが最後の一団かもしれない、というのは皆が感じていたはず。私もそう思った。それでも残ってくれたたのは嬉しかった。ありがたかった」(松永)

人選の結果、69人が免責重要棟に残り、500人以上の所員がバス6台に分乗して福島第二原発に退避することになった。…

 

記事の中で菅首相のことが書かれているが、これは事故後の一件としてでよく知られた菅首相の「東電本店未明訪問」を指している。官邸には前日、東電が福島の所員の全員退去を検討中との噂がはいり、これに怒った菅首相が海江田経産相とともに東電をなんと未明5時35分に訪れた。そして「総退去は絶対駄目、それをしたら東電は潰れる」と脅しに近い警告を発したのだ。しかし、実際吉田所長全員退去の意思はなく、作業に関係ない所員だけを退避させることを検討していたに過ぎない。

それはともかく、この記事を読めば、朝日新聞が報じた「所長命令に違反して、90%が逃げた」という証拠はどこにも見当たらない。また「所内の線量の低い場所に一時的に退避すべし」という命令も存在しない。むしろ退避前に残る人々を人選し、進んで留まることを名乗り出た所員もいたことが窺える。

いずれにしても朝日新聞とは真逆な描写となっている。もちろん、新潮の記事が全て正しいというつもりはない。ただ、朝日新聞の報道だけが産経など諸々のメディアや専門家の主張から孤立しており、異様な印象が強い。それも吉田調書の一部の証言のみを根拠にしてそれを誇張しているためとも思える。こうなると自分には吉田調書の記述だけを絶対視するのは、ある面に問題があるように思う。

吉田調書は政府側が吉田所長の業務責任を追及している側面がある。吉田所長は政府の検証に応じるに当り、少なからず自分の立場を意識したのかもしれない。検証の応じた当時、すでに首相を降りたとはいえ菅直人元首相の総退去まかりならぬという警告がトラウマとして残っていて多少脚色して証言をしたとも考えられる。

やはり吉田氏から再度真相を確認することが一番だが、もはやその機会は失われている。ただし、新潮の記事に登場する元発電班長他、当時現場で吉田所長とともに事故対応に苦闘した関係者は多数いる。こうした人々の内なる証言こそ真実に迫るものだと信じている。

 

*週刊新潮2012年3月15日号特集「ステーション・ブラックアウト原発『全電源喪失』の96時間」の後半の2ページ

「現場に残った69人」の中見出しで始まる部分が当ブログ記事に主に該当します。

 

 

 

 

 

 

 



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