粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

福島での意見聴取会

2012-08-05 01:04:09 | 福島への思い
将来のエネルギー政策を国民に問う各地での意見聴取会。8月1日の福島での聴取会では30人が意見を発表していた。その模様を動画(前半15人の発言)で視聴した。
 正直いって、これは本当に福島県民を代表しているのだろうか、と少し疑問を感じた。まるでどこかの反原発政党の演説を聞くような原発危険論、事故被害に苦しむ主婦の情緒が先行した嫌原発感、そして将来のエネルギー政策から離れた「原発再稼働反対」「原発即廃炉」の大合唱だ。
 「一般県民」を称するわりには多くがまるで演説慣れした感じで、どうしてもその筋の活動家というイメージを払拭できない。若い娘二人の母親も身近な話がいつのまにか最後は激しい原発再稼働反対論で締めくくられるのには違和感を覚える。 もちろん、福島県の事故での苦悩を理解しなければならない。他地域の人間が軽々しくいうべきことではないとは十分承知しているつもりだ。
 事故の危険を声高に発言者が叫ぶと、それに呼応して傍聴者がそれに盛んに拍手を送る。しかしその健康被害を具体的に強調する人は皆無だ。一体どこに健康被害があるのか。事故を最も直近で経験した人々の証言を聞きたいのだが、その被害の実際が語られることはない。話されるのは健康への不安、それも10年20年が不安だ。 思えば不思議な事故である。昔の公害や薬害では目に見える健康被害が存在したが、原発事故にはそれがない。
 ある発言者は山下俊一福島県立医科大学副学長が押し進める県民の健康調査に関して「福島県民でこの調査を信じているものはほとんどいない」とまで言い切っている。本当にそうだろうか。はっきりした根拠を示さず、まるで健康加害の張本人のごとく特定の個人を糾弾する姿勢は、まさに反原発活動家そのものにしか見えない。
 発言者の中でさらに驚く「珍説」を主張する人がいた。一人は将来のエネルギー政策で人口減少を想定すべきだという。なぜなら「原発事故などでどんどん人口が減っていく」からだという。原発事故=人口減少、上杉隆氏も驚く超危険デマであろう。 もう一人は、「原発はクリーンでない」とする女性の発言だ。原発の冷却水が海洋の温暖化に影響を与えている。原発の近くが熱帯化している。こんな説は初めて聞いた。ある反原発映画にそんなシーンがあるらしいが、眉唾ものだ。
 聴取会前半の発言者を見る限り、おそらく半分以上は反原発の活動家かそれに準じる人々の印象がある。そして聴聞を希望して集まった147人の多くも、いわゆる市民活動家ではないのか。こんな平日に大挙して参加できる人間はとても一般市民には思えない。 
もちろん中には普通の県民と思ぼしき人がいないわけではない。発言者の中で、唯一自分の心に響いた人がいた。ある男性が「福島県民として言いたいことがある」と全国の人々に訴えていた。「福島の産品や人々は決して汚物ではありません。そう思われるのは悲しいことです。福島県人は触れただけで放射能がうつることはありません。」
 それまでの原発廃炉などの発言者に対する大きな拍手と比べたら、会場の反応も冷ややか感じだった。事故による風評被害や差別に対して、絞り出すような訴えこそ、本当の福島県民の意見ではないのかと思った。しかし、こんな訴えも反原発の大合唱の中では掻き消されそうな雰囲気であった。こうした風評問題についてなぜか反原発派はさけたがる。
 ところで前半15人の意見表明の後、発言者の間で議論することになっていたが結局それはなかった。司会者は時間不足をひとつの理由としていた。さらには、「発言者が同じ方向を向いている」として議論にならないことを婉曲に説明していた。そうすると会場内でブーイングがおこる。 司会者の言葉に悪意はなかったとは思うが、「偏った参加者たちの集まり」だと決めつけられたことへの反発だったに違いない。しかしそれ以上問題になることなく、そのまま進行していったが、その実態を垣間みた瞬間だった。
そんなわけでこの聴取会が反原発派の市民グループに占拠された印象が強く、とても福島県県民の総意が反映されたとは思えない。これは県外に住む人間の偏見なのだろうか。

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