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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

原子力規制委員会の問題点

2014-03-10 13:29:13 | エネルギー政策

言論アリーナというインターネット討論番組で、原子力規制委員会の問題点について議論されたが興味深い内容だった。特にこれについては岡本孝司東大教授が規制委員会を厳しく批判していた。

岡本教授といえば原発事故当時、NHKの報道番組に度々登場して、極めて的確と思われるな解説をしていた。ただ当時は反原発の空気が渦巻いており、教授を「御用学者」とネット上で盛んにののしっていたのを思い出す。しかし、今は昔、そんな暴風は過ぎ去り、この事故を冷静に見直す気運が広がってきている。

原子力規制委員会は、世間ではその役割が誤解されていると教授はいう。規制委員会は申請した原発に対して、法律で定められた新規制基準が適合しているかどうかを審査しているのにすぎないのであり、決して「再稼働をしてよいかを決定する」権限はないということだ。世間ばかりかマスコミもその点をミスリードしているといえる。

それはともかく、そうした誤解が生じた責任は規制委員会側にあると岡本教授は指摘する。田中委員長が個人的に持ち出した「田中私案」なるものが、原発の稼働に大きな阻害要因になっているというのだ。

世界基準でいえば、原発を稼働させながら安全を高める審査を行なうのが常識だという。しかし、日本の場合は原発を全て止めたまま審査する極めて異例な状況であり、新しい運転基準を満たすまでは原発は運転できない。これは田中委員長が独断で決めたこと(3ページ程度のメモとして残っている)で委員会の決定でもないし、まして法律にもなっていない。

これについては、民主党政権で菅直人内閣が原発の定期検査にはいったまま、再稼働させたなかったことも影響している。菅首相がストレステストを急に持ち出して、稼働を止める権限がないのに反原発の世間の声に迎合して全ての原発をとめてしまった。規制委員会が発足し、新しい原発行政がスタートしたのに、田中委員長は民主党時代の因習を引き継いでいるということになるのだ。

続いて、審査方法だがその元になる新基準が隙だらけだと岡本教授は酷評している。担当官は法律にあっているかどうかを一生懸命審査している。特にその下の規則の適合を巡り担当官個人独断の解釈になりがちで、専門家からみれば間違っていることが多い、という。事故を犯した福島第一原発は法律違反していない。法律が悪かったから事故が起きたわけではない。したがって法律に合致するかだけを審査しても仕方がない。

今の規制委員会の審査は、一部のリスクだけに気を取られ過ぎていて全体のリスクを総合的に見る目がないともいう。それが、逆に全体のリスクを高める危険になりかねないとも教授はいう。たとえば、竜巻の対策にしても担当官の勝手な基準で審査されるが、それを事業者が気にすることで運転手がミスを犯すリスクが大きくなったりする。この例えとして、9.11の同時多発テロ後に飛行機に乗る人が減って多くの人が自動車を運転することによる弊害をあげている。飛行機を乗らないという対策をとることによって全体的に死亡率をあげてしまったというわけだ。

結局担当官の舵加減で、震災前のままの考え方、思想で審査が行なわれている構図は少しも変わっていない、むしろ余計に対策をとり過ぎて危険は高まっていることもあるという。

また、担当官が定量的な科学的なリスク評価を全く考えていないで、彼らの思い込みだけで審査しているのも問題だいう。専門家の意見が取排除されていて、たとえば活断層の審査についても決まった確率リスクがなく、ただ危険だと思い込み先行しているという。

したがって、規制委員会は原子力を安全にすることでなく規制することが目的になっている。背景には原子力のプロが少ない点もあるという。現場をよく知っている人がもっと規制行政に入ってこなければならない。あるいは原子力専門家や事業者とのコミニュケーションとがなされていないのも問題だ。

もちろん事業者自体の姿勢にも問題がある。規制庁の規制の嵐がただすぎていくのを待っているだけでは駄目だ。進んで安全のための改善を一生懸命に取り組んでなければならないということも教授自身が一方では要望している。それが一番安全な原発を動かすポイントになる。


国民は原発再稼働に反対なのか

2014-02-17 13:52:18 | エネルギー政策

まず個人的な意見からすると現時点の原発再稼働には賛成である。将来的にもどうかと聞かれれば原発推進は難しい。新しいエネルギー源を追求すべきだと思う。しかし、最近の世論調査を見ると、再稼働を支持しないという割合が過半数に達している

安全基準を満たした原発の再稼働について

日本テレビ(2月14日~16日実施)

支持32.9% 不支持54.3%

共同通信社(1月15日16日実施)

賛成31.5% 反対60.2%

この数字をどうみるべきなのか。思うにこれは小泉元首相らが主張するような原発即ゼロとはいささか違うような気がする。小泉氏のような積極的な再稼働反対ではなく、「消極的」な反対といえるのではないか。「どちらかというと再稼働は好ましくない」ということだ。

これは福島の原発事故の生々しさがいまだトラウマとして日本国民の心を覆っているためといえる。爆発によって破壊された原子炉建屋の映像、いまだ十数万人が避難生活を強いられている実態、そして爆発によって首都圏にも放射能が飛んできてパニックになった経験などその衝撃は大きい。それをマスコミがリアルタイムで茶の間にダイレクトに伝える。

こんな状況下では一般国民の多くが原発は恐いものと感じても仕方がない。化石燃料の輸入が年間4兆円になったといっても実感としてなかなか湧かない。むしろ原発がなくても停電もなく普通に電気が供給されているではないかという印象をもつ。

だから敢えて再稼働する必要もないのではないか、というのが世論調査で反映されているといえる。ただ多くの国民にとって何が何でも原発再稼働を阻止しなければならないという強い思いがあるわけではない。都知事選で脱原発を強く訴えた候補が敗退したことがそれを物語る。再稼働は反対であるが、それ以上に別の政策たとえば景気、雇用、福祉などに取り組んでもらいたい、その辺が正直なところだと思う。

その点政府はまだ説明不足である。国富が毎年4兆円も海外に流出し国内の景気回復の足かせになる。特に電気料金の値上げとなって国民生活を圧迫する。それによって国の税収にも影響が出て、当面の重要性政策にも不安定要因になる。原発再稼働は現時点では是非とも進めるべきだ。太陽光や風力発電では決して現在原子力の代替になりえない。原発再稼働が経済の循環を円滑にして日本を活性化することがなによりも国民の福祉向上につながることをもっと政府は国民に訴えて欲しい。



太陽光発電は環境破壊?

2014-01-28 12:00:34 | エネルギー政策

布院温泉の町大分県由布市が大規模太陽光発電の設置を規制する条例を議会で可決し、1月下旬の施行を目指すという。いわゆるメガソーラーの建設が、町の景観を損なうと、住民の反対運動が起きていることを受けての対応だ。

実際、原発一基分のエネルギーを賄うためには東京山手線の内側分の敷地が必要だといわれている。それだけエネルギー効率が悪いわけだ。だから建設の投資も膨大にもなり、決して原発の即代替にはなりえない。そして、こうした景観破壊の問題がある。

さらに、これは単に景観だけに留まらないともいえる。広大な敷地を人工のソーラーで埋め尽くすわけだから、当然そこを根城にしていた生物の生息を脅かすことになる。結果的に生態系を脅かし自然破壊に繋がる。

あるいは、風力発電も最近はその回転により多くの鳥が巻き込まれて犠牲になっているという話を聞く。再生エネルギーとはいっても所詮、人工的な機械であり、どうしても自然への影響は避けられない。

もちろん、これをもって太陽光が駄目だとか、風力発電がいけないとかいうつもりはない。再生エネルギーとしての可能性は認める。ただ、原発の代替エネルギーとして誇大に評価し万能であるがごとく、喧伝することは間違っていると思う。一つの選択肢と考えるべきだ。

同時に原発も決して排除すべきではないと思う。将来的に、放射能被害の危険性を一層除去し廃炉もより無害なシステムに構築出来ないか。さらも原発に代わる安定的に供給出来るエネルギー機器はできないか。様々な可能性を追求していくことが必要だと思う。