言論アリーナというインターネット討論番組で、原子力規制委員会の問題点について議論されたが興味深い内容だった。特にこれについては岡本孝司東大教授が規制委員会を厳しく批判していた。
岡本教授といえば原発事故当時、NHKの報道番組に度々登場して、極めて的確と思われるな解説をしていた。ただ当時は反原発の空気が渦巻いており、教授を「御用学者」とネット上で盛んにののしっていたのを思い出す。しかし、今は昔、そんな暴風は過ぎ去り、この事故を冷静に見直す気運が広がってきている。
原子力規制委員会は、世間ではその役割が誤解されていると教授はいう。規制委員会は申請した原発に対して、法律で定められた新規制基準が適合しているかどうかを審査しているのにすぎないのであり、決して「再稼働をしてよいかを決定する」権限はないということだ。世間ばかりかマスコミもその点をミスリードしているといえる。
それはともかく、そうした誤解が生じた責任は規制委員会側にあると岡本教授は指摘する。田中委員長が個人的に持ち出した「田中私案」なるものが、原発の稼働に大きな阻害要因になっているというのだ。
世界基準でいえば、原発を稼働させながら安全を高める審査を行なうのが常識だという。しかし、日本の場合は原発を全て止めたまま審査する極めて異例な状況であり、新しい運転基準を満たすまでは原発は運転できない。これは田中委員長が独断で決めたこと(3ページ程度のメモとして残っている)で委員会の決定でもないし、まして法律にもなっていない。
これについては、民主党政権で菅直人内閣が原発の定期検査にはいったまま、再稼働させたなかったことも影響している。菅首相がストレステストを急に持ち出して、稼働を止める権限がないのに反原発の世間の声に迎合して全ての原発をとめてしまった。規制委員会が発足し、新しい原発行政がスタートしたのに、田中委員長は民主党時代の因習を引き継いでいるということになるのだ。
続いて、審査方法だがその元になる新基準が隙だらけだと岡本教授は酷評している。担当官は法律にあっているかどうかを一生懸命審査している。特にその下の規則の適合を巡り担当官個人独断の解釈になりがちで、専門家からみれば間違っていることが多い、という。事故を犯した福島第一原発は法律違反していない。法律が悪かったから事故が起きたわけではない。したがって法律に合致するかだけを審査しても仕方がない。
今の規制委員会の審査は、一部のリスクだけに気を取られ過ぎていて全体のリスクを総合的に見る目がないともいう。それが、逆に全体のリスクを高める危険になりかねないとも教授はいう。たとえば、竜巻の対策にしても担当官の勝手な基準で審査されるが、それを事業者が気にすることで運転手がミスを犯すリスクが大きくなったりする。この例えとして、9.11の同時多発テロ後に飛行機に乗る人が減って多くの人が自動車を運転することによる弊害をあげている。飛行機を乗らないという対策をとることによって全体的に死亡率をあげてしまったというわけだ。
結局担当官の舵加減で、震災前のままの考え方、思想で審査が行なわれている構図は少しも変わっていない、むしろ余計に対策をとり過ぎて危険は高まっていることもあるという。
また、担当官が定量的な科学的なリスク評価を全く考えていないで、彼らの思い込みだけで審査しているのも問題だいう。専門家の意見が取排除されていて、たとえば活断層の審査についても決まった確率リスクがなく、ただ危険だと思い込み先行しているという。
したがって、規制委員会は原子力を安全にすることでなく規制することが目的になっている。背景には原子力のプロが少ない点もあるという。現場をよく知っている人がもっと規制行政に入ってこなければならない。あるいは原子力専門家や事業者とのコミニュケーションとがなされていないのも問題だ。
もちろん事業者自体の姿勢にも問題がある。規制庁の規制の嵐がただすぎていくのを待っているだけでは駄目だ。進んで安全のための改善を一生懸命に取り組んでなければならないということも教授自身が一方では要望している。それが一番安全な原発を動かすポイントになる。