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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

日常が「歌」にならない

2012-09-16 08:14:32 | 音楽

先日、作詞家の北山修さんがラジオ出演し作詞について語っていた。北山さんは60年代フォークグループとして自分作詞の奇抜な「帰ってきた酔っぱらい」を歌い世間の度肝を抜いた。その後は作詞家として「花嫁」「白い色は恋人の色」「あの素晴らしい愛をもう一度」など叙情的ながら現代的なセンスを加味した数々のヒット曲を世に送り出した。

彼が作詞でこだわっているのは、不特定多数相手に万人向きの歌を創作するのではなく、自分が思う一人の相手のためにつくるということだ。その直接的な心情が結果的に普遍性をもつ。たとえば万葉集で「防人の歌」は兵士にかり出された東人が自分の妻や恋人を思って詠んだ歌であるが、その深い心情が多くの人々の胸を打つのと同じだという。

北山さんが作詞し堺正章が歌った「さらば恋人」も自分の実体験が反映されているという。

さよならと書いた手紙、テーブルにおいたよ

あなたの眠る顔みて黙って外へ飛び出した

今でも冒頭のフレーズは印象強く耳に焼き付いている。そしてラストのつぶやき、

悪いのは僕の方さ、君じゃない

今思えば少し気障にもみえる男のダンディズム、堺正章が歌うといかにも自然に聞こえる。

ところでこの曲は別れの手紙を題材にしているが、今の携帯とは違い昔の固定電話の方も、日常で歌として生きていた。

ダイヤル回して手を止めた 

I'm just a woman Fall in love

(小林明子「恋に落ちて」)

夜更けの電話あなたでしょ、

話すことなど何もない

(杏里「オリビアを聴きながら」)

電話の呼び出し音。掛ける方、受ける方双方の様々な想いが交錯する。歌の行間にも幾重にも男女の人間模様が織り込まれる。それが日常のたわいもない仕草から生まれてくる。

今のせわしない時代ならどうなんだろうと思う。さしずめ別れるにも携帯メールに涙顔の絵文字付きで彼女に送るかもしれない。それを見た彼女は「なんで?」と、これまた驚きの絵文字を添えて送り返す。どうもそこには男のダンディズムも女心のせつなさもなかなか生まれてこない。そして再会したら

会いたかった!会いたかった!イエー!君に~

なんてなるのだろうか。秋元さん?

そうすると現在の歌にはどうしても万人向きのメッセージソングが増えてしまうのかもしれない。

こんなのどかな日常的詩情は生まれて来ないのだろうか

カーテンを開いて、静かな木漏れ陽の

やさしさに包まれたならきっと

目にうつる全てのことはメッセージ

(荒井由実「やさしさに包まれたなら」)


東京スカイツリー音頭

2012-05-20 12:50:28 | 音楽

たぶんこんな歌も出るだろうなあ、と何となく思っていたが、やっぱりあった。CDは2年前に発売されている。おまけにそれに合わせた踊りも出来ていて、昨年から都内の盆踊りでも結構流れているようだ。ネットの動画にも何種類か見ることが出来る。

まあ、どこにもありそうで、特別変わりばえする音頭でもない。振付けを考えた女性によると「東京 東京 スカイツリー~♪」というところでは、頭上に両手で山を作ってスカイツリーを表現したり、他にも世界一を誇るタワーの高さを表現するように、左右の手を上にまっすぐに伸ばす振付けなど、この曲ならでは!というオリジナリティにあふれた音頭です。」ということだ。

どこか昔ヒットした西城秀樹の「ヤングマン」を連想させるが、一度是非生でその様子を見てみたいものだ。

肝心の歌詞だがなかなか見つからない。「TOKYOスカイツリー音頭」とか「東京スカイツリーの歌」とかやはり紛らわしい曲がある。「TOKYO」の方は歌っている歌手が「なでしこ姉妹」というのも、何か便乗のような感じがする。

本家「東京スカイツリー音頭」は相原ひろ子さんという地元墨田区在住のプロ歌手で作詞作曲もやはり同区民という。

 

「東京スカイツリー 音頭」

     (日本音楽著作権協会会員)

 作詞 たかはし 豊 ・ 作曲 林 正臣 ・ 振付 寿々喜 美恵

1. 

  大東京の どまんなか 隅田の流れ 眼下(した)に見て

  東京 東京 スカイツリー みんなの願いのゆめきずな

  つなぐ筑波峰(つくばね)北の空 平成バルンをあげる街

  平成バルンを あげる街 あげる街

2. 

  地球の果ての 西東(にしひがし) ジェットで運ぶ 幸せを

  東京 東京 スカイツリー 下町未来の錦糸町

  両国 江戸博 国技館 平成ロマンを語る街

  平成ロマンを 語る街 語る街

3. 

  南に富士が 胸を張り 川の手文化 見て育つ

  東京 東京 スカイツリー 東武エリアを結ぶ駅

  浅草 業平 押上は 平成トーチを立てる街

  平成トーチを 立てる街 立てる街

4. 

  ニュースが走る 世の中を すみだに築く この高さ

  東京 東京 スカイツリー 希望に輝く 朝ぼらけ

  浴びて世界をひとまたぎ 平成ドラマを創る街

  平成ドラマを 創る街 創る街

5. 

  歴史が動く 姿見て 海舟 北斎 今昔

  東京 東京 スカイツリー 国際観光 都市づくり

  八広 曳舟 向島 平成パワーを送る街

  平成パワーを 送る街 送る街

 

どうも東京スカイツリーにあやかった墨田区の「ご当地ソング」という感じだ。まあ、音頭なんてもともとそんなものだから堅いこというのはよして、この22日開業に向けてこれで景気をつけて盛り上がるのもいいだろう。

墨田区と聞くとどうしても「下町」のイメージが強い。このスカイツリーが出来るまでは、「両国国技館」が区のシンボルになっていた。錦糸町を除けばさほど盛り場になるところもない。道の狭い所が多く、ひどく街中が窮屈な感じがする。しかし墨田区が一番昔の東京、というより「江戸」の面影を残しているといってよい。どこか京都の「町屋」を彷彿させる。とするとスカイツリーは「京都タワー」に相当するが、その存在は遥かにスカイツリーの方が大きい。

極論をいうと東京の山の手は東京の分家でしかないと思う。東京の本家は墨田区を中心とした下町といえる。このツリー開業を機に「東京の復権」を目指して欲しい。そのためにも新しい下町文化の興隆が必要だ。この下町出身でいまでも世界に名を馳せる葛飾北斎のような芸術家が生まれることを……。


旅立ちのジュピター

2012-03-24 06:32:06 | 音楽

ここ半月、原発関連のシリアスな内容が多かったので、たまには超マイナーでプライベートな話題を許して欲しい。3月の今頃は、卒業とともに、同時に旅立ちに向かう季節だ。こんな時期に、特別に聴きたいクラシック曲がある。自分を鼓舞したい曲といってよいかもしれない。

モーツアルト(1756~1791)の交響曲第41番(K.551)特に最終楽章が自分には今一番ふさわしい。この交響曲は「ジュピター」の愛称で親しまれている。「ジュピター」というと平原綾香のヒット曲があるが、これはイギリスの作曲家ホルストの「惑星」という曲の一部を原曲にしている。それとは全く関係なく、さらに130年以上前(1788年)に作曲されたモーツアルトの最後の交響曲で、彼の代表曲のひとつだ。「ジュピター」の愛称は古代ローマ神話最高神からとられたもので、その名にふさわしい。

第4楽章は文字通りモーツアルトの交響曲の最後の楽章で、いわばベートーヴェン第9交響曲の「歓喜の歌」の部分に相当する。合唱こそないが、モーツアルトのこの楽章も圧倒的な迫力で崇高な芸術の境地へ飛び立つようだ。現在ジュピターは「木星」の意味にされることが一般的だが、ちょうどロケットが発射して広大な宇宙へ旅立つようなスケールさえ感じる。

まあ長々とこの曲のことを書いてきたが、ともかくYoutubeで一度聴いて欲しい。クラシック曲といえば、コンサートでお行儀よく聴く上品な曲と思われがちだが、そんなことは決してない。たとえば、プロレスやボクシングで選手が登場する時のテーマ曲にしても全然遜色がない。亀田興起君、イメージアップにどうだろう。

以前会社勤めしていた時に、朝この最終楽章を必ず聴いて気合いを入れ出勤した。今でもこの曲を聴くと気分爽快だ。そしてこの勢いで突っ走ろうという気分になる。


ダニーボーイ賛歌

2012-03-01 00:54:42 | 音楽

イギリスのこのポピュラーソング「ダニーボーイ」を初めて聴いたのは、アメリカのテナーサックス奏者のシル・オースティンが率いる楽団の楽器演奏であった。もともとはアイルランド民謡であったが、イギリスの弁護士がこの曲に歌詞をつけたものがヒットして広く知れ渡った。戦に赴く息子の帰郷を願う親の切ない心情を歌ったものだが、歌う主が母親、父親どちらかははっきりしない。自分には母親の方が自然な感じがする。あえて日本の曲で言えば「岸壁の母」と「千の風になって」をミックスしたような曲で自分にとってもかけがえのないものだ。子供への親のしみじみとした愛情に熾烈な戦争と田舎の美しい自然が背景で交錯して、聴く者の胸を強く打つ。

男性側からは、世界の名だたる歌手がこの曲をカバーしている。アンディー・ウィリアムス、エルビス・プレスリー、ビング・クロスビー、トム・ジョーンズ、ハリー・ベラフォンテなどそれぞれに味わいがある。もちろんシル・オースティンなどの楽器演奏も多種ある。中にはジェイムズ・ゴールウェーのフルート、エリック・クラプトンのギター演奏といった異色の楽器によるものもあり、この曲が様々なジャンルで世界中で愛されていることがわかる。女性歌手の曲は意外と少ない。ここでは中国人のジェイド・インの動画が日本語歌詞がついて歌唱力もあっておすすめだ。自分の好みからすると、歌唱ではアンディー・ウィリアムス、楽器ではやはりシル・オースティンを筆頭に挙げたい。オースティンの演奏はアレンジがほどかされているが、テナーの渋い味わいがたまらない。

次いでといっては何だが、「千の風になって」もいろいろな歌手が歌っているものの、ベストは新垣勉、対抗は中島啓江だ。二人とも詩情を込めて切々と歌っているが、その歌唱力がしっかり支えている。新垣勉はYou Tubeで鑑賞できるが、中島はiTunes Storeでさわりを1分30秒聴くしかない。自分は2曲ともネット購入。)正直言って秋川雅史の歌は今イチの感じがする。まるでオペラを歌うように声を張り上げていて、この鎮魂曲の性格からして違和感を覚えてしまう。もちろんそれは個人個人の好みの問題だが。


永遠のエラ

2012-02-20 10:00:58 | 音楽

僕自身、ふだん余りジャズは聴かないが、そんな中でも大好きなアーチストがいる。黒人の女性ヴォーカルのエラ・フィツジェラルド(1917~1996)だ。ビリー・ホリデーと双璧をなすトップヴォーカリストだ。ビリー・ホリデーがどこまでも暗さが消えないのに対して、エラはその歌声はいつも明るい。たとえは適当ではないかも知れないが、日本でいえばビリーが暗の中島みゆきに対して、エラは明の松任谷由実に相当するだろう。

巨漢ともいえるその体型から発するエネルギッシュで軽妙な歌唱は聴く者をわくわくさせ、陽気にさせる。特にスキャットといわれる楽器の音に似せて擬音を繰り返す歌唱法は、エラの十八番といってよい。彼女のスキャットはちょうどサックス奏者がアドリブで乗りに乗って体全体をくねくねさせる姿を彷彿させる。

映像はかなり悪いが、動画で「Stompin' at the Savoyを見聞きするとそれが遺憾なく発揮されている。エラはどこまでも明るく陽気だ。自分は何か気が乗らないでぐずぐずしているときに、彼女の曲を聴くと急に心がHighになれる。

ただ彼女自身の私生活は決して明るいものではなかった。離婚した母親の元で育つものの14歳で失い、ホームレスの時期もあった。結婚は2回したが、すぐに離婚している。3度目は結婚詐欺が発覚して実現しなかった。しかし多くのアーチストの仲間に恵まれて、ジャズ人生は栄光に包まれていたといってよい。特にルイ・アームストロングは生涯の盟友とされている。

そんなエラの珍しい動画を見つけた。なんとートルズの「Hey Jude」を歌っているのである。これがあのビートルズの名曲かと思われるほどに、エラは完全にジャズ風に歌いこなしている。まさに「これがジャズなのよ」といわんばかりだ。エラはまさにジャズ人生を全うしたといえる。そしてこれからも我々の心に響き続けるだろう。