先日、作詞家の北山修さんがラジオ出演し作詞について語っていた。北山さんは60年代フォークグループとして自分作詞の奇抜な「帰ってきた酔っぱらい」を歌い世間の度肝を抜いた。その後は作詞家として「花嫁」「白い色は恋人の色」「あの素晴らしい愛をもう一度」など叙情的ながら現代的なセンスを加味した数々のヒット曲を世に送り出した。
彼が作詞でこだわっているのは、不特定多数相手に万人向きの歌を創作するのではなく、自分が思う一人の相手のためにつくるということだ。その直接的な心情が結果的に普遍性をもつ。たとえば万葉集で「防人の歌」は兵士にかり出された東人が自分の妻や恋人を思って詠んだ歌であるが、その深い心情が多くの人々の胸を打つのと同じだという。
北山さんが作詞し堺正章が歌った「さらば恋人」も自分の実体験が反映されているという。
さよならと書いた手紙、テーブルにおいたよ
あなたの眠る顔みて黙って外へ飛び出した
今でも冒頭のフレーズは印象強く耳に焼き付いている。そしてラストのつぶやき、
悪いのは僕の方さ、君じゃない
今思えば少し気障にもみえる男のダンディズム、堺正章が歌うといかにも自然に聞こえる。
ところでこの曲は別れの手紙を題材にしているが、今の携帯とは違い昔の固定電話の方も、日常で歌として生きていた。
ダイヤル回して手を止めた
I'm just a woman Fall in love
(小林明子「恋に落ちて」)
夜更けの電話あなたでしょ、
話すことなど何もない
(杏里「オリビアを聴きながら」)
電話の呼び出し音。掛ける方、受ける方双方の様々な想いが交錯する。歌の行間にも幾重にも男女の人間模様が織り込まれる。それが日常のたわいもない仕草から生まれてくる。
今のせわしない時代ならどうなんだろうと思う。さしずめ別れるにも携帯メールに涙顔の絵文字付きで彼女に送るかもしれない。それを見た彼女は「なんで?」と、これまた驚きの絵文字を添えて送り返す。どうもそこには男のダンディズムも女心のせつなさもなかなか生まれてこない。そして再会したら
会いたかった!会いたかった!イエー!君に~
なんてなるのだろうか。秋元さん?
そうすると現在の歌にはどうしても万人向きのメッセージソングが増えてしまうのかもしれない。
こんなのどかな日常的詩情は生まれて来ないのだろうか
カーテンを開いて、静かな木漏れ陽の
やさしさに包まれたならきっと
目にうつる全てのことはメッセージ
(荒井由実「やさしさに包まれたなら」)