粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

安倍内閣、ここに「男」はいないのか

2016-08-28 10:01:56 | 厄介な隣国

昨日の記事とは「男」つながりだ。昨日は野党の代表のことだったが、与党そして安倍内閣についても書かないわけにはいかない。特に日本の防衛外交に関してだ。

今年に入って沖縄の尖閣諸島周辺が深刻な状況に陥っている。中国の海警船が短期間に10隻以上も尖閣の領海や接続水域に侵入し、さらには中国軍艦までが領海侵犯に及ぶなど、中国の乱暴狼藉は目に余る。もはや、中国の侵略行為とみてよいほどの状況である。

しかし、日本政府は中国の露骨な侵犯行為にただ抗議をするだけで実際の対抗措置を講じていない。むしろ、中国の尖閣侵犯を放置しているのではないかという疑念さえ覚える。表向きは中国に厳しいとされる安倍首相だが、民主党政権時と比べて実際は尖閣の実効支配がはるかに失われつつある。石垣島の漁船はもはや尖閣周辺で漁はおろか近付くことさえできない。民間の飛行機も尖閣上空を飛行ができない。安倍政権がこれを認めないからである。

尖閣上陸はともかく、石垣漁船の尖閣周辺での操業は確保すべきだ。そのためには海保が漁船を操業を護衛することが肝心だ。それがまず尖閣実効支配の担保になる。あるいは、外務省や国土交通省、農林水産省の閣僚や幹部が尖閣周辺を視察することも必要だ。すなわち、政府が率先して尖閣の実効支配をアピールすることが肝心だ。しかし、残忍ながら、安倍政権にはそんな動きがまるで見られない。

与党の自民党にも媚中派が多くいるし、まして公明党そのものが親中派と言ってよい。外務省、国土交通省などの官僚にもその手の人間は少なくない。野党もほとんど親中派だし、主要メディアも然り。そして、見逃せないのは同盟国のアメリカの存在だ。表向きは日米同盟での協調を示しながらも、日本が中国と極東の海で衝突することを嫌っている。

そんな内外の想像以上のプレッシャーがあることは十分理解しているつもりだ。それでも安倍内閣が中国の侵犯を放置してよいという理由にはならない。現況の防衛力や老練な外交力を駆使しいく。あるいは防衛予算の増額や法整備の拡充を必要だ。そして、全力でこの理尽な隣国に立ち向かっていく覚悟を示さなければならない。

残念ながら、安倍首相以下現在の内閣にそんな気概はあまり感じられない。首脳会談を実現させるために問題を穏便に済ませようということでは尖閣の実効支配は失われ、無法国家による陵辱の餌食になりかねない。

かつて、イギリスのサッチャー首相は南米にある自国領土フォークランド諸島が他国に占拠された時奪還の軍隊を派遣しようとした。これに対して議会では「あんな小さな島を守るために大金を使うのか」「戦争するより話し合いを!」という意見ばかりだったという。しかし、サッチャー首相は「ここに男はいないのか」と怒りを露わにして議会の男たちを一喝したという。

この言葉を安倍首相以下日本の閣僚にそっくりぶつけたい。まして尖閣はイギリスにとってのフォークランドとは比較にならないほど日本の防衛上重要な拠点である。安倍内閣よ、ここに男はいないのか。


つまらない男

2016-08-27 16:23:11 | プロ市民煽動家

民進党代表選挙に立候補した蓮舫代表代行が岡田克也代表を「本当につまらない男」と呼んで物議を醸している。批判も多かったようで蓮舫代行は岡田代表に電話で謝罪したようだ。いかにも中途半端な政党に所属する人間らしいつまらない結末だが、岡田代表のコメントも全くつまらないものだった。

「妻から言われればショックは受けるだろうが、蓮舫氏の性格も良く分かっているのでショックを受けたということはない」

全くまとも過ぎて何のひねりもない。せめて「つまらないさを貫くのも技量がいるんだ。後継者を引き立たせるのも苦労するよ、蓮舫君」なんてシャレで言って欲しいがどうも。

つまらない男といえば、それに輪をかけた人物がいた。あの都知事選で大敗した鳥越俊太郎氏だ。対立候補の小池百合子現知事から「病み上がり人間」と言われて逆上。それまでは公開討論会は逃げるばかりだったのに、この小池発言を受けて討論会に出席。「病み上がり発言は看過できない。自分と同じ癌患者を侮辱するものだ」と食ってかかった。小池候補の鳥越個人への攻撃に一般の癌患者を持ち出すなど全くピントが狂っっている。

そんなことでムキになったのを有権者が見れば明らかに逆効果だ。そこは余裕で「病み上がりの後は案外心身とも精力が増すもんだよ。だから今はピンピンしていますよ。」なんてね。つでに「上半身ばかりか下半身も」などと言ったらシャレがきつすぎる?10年前、20歳そこその女性に手をつけようとした疑惑があるくらいだから、病み上がり」は関係ないか。

鳥越氏は思えば「つまらない男」と呼ぶ以前に「男」そのものの評価に首をかしげてしまう。応援に駆けつけてくれないかった宇都宮健児氏を批判するのはお門違いだ。自分の立候補のために出馬を辞退した宇都宮氏に敬意を示すことがあっても非難する理由などない。さらに、選挙の敗因として自分に投票しない有権者が悪いなどとほざくに至っては呆れるばかりだ。男の風上にも置けないこんなジコチュウ人間をよくぞテレビメディアが使いまわしてきたものだと思う。

山口百恵のヒット曲のフレーズがつい思い出される。♪坊や、いったい何を教わってきたの。坊やといっても相当歳を食った坊やだが。


鳥越俊太郎という化石

2016-07-17 14:24:11 | プロ市民煽動家

ジャーナリストの鳥越俊太郎氏の出馬により、東京都知事選の行方が分からなくなってきた。護憲派リベラル左翼の権化というべき鳥越氏は、自分から見れば、対極にあると言ってよい人物だ。

そもそも出馬の動機が先週の参議院選挙で改憲勢力が国会の3分の2以上を占めたことに危機感を覚えたこによるというのがが異常だ。その時代感覚がおかしい。自分たち護憲派が善で今は改憲という悪が日本を間違った方向へ向かわせているという前提だ。

すでに何が何でも護憲というのは少数派であるのに、彼はその趨勢を全く理解していない。理解したくないというのが正確かもしれない。今やカビだらけというか、化石ともいってもよい存在だ。

確かに新聞やテレビといった既存マスコミは、今でこそ頑迷な護憲主義が幅を利かせているが、これが国民世論の主流などと考えるのは傲慢というべきだ。スマホなどのネットを介した世論が多様な主張を許容していった結果、すでに護憲そのものを冷静に見る目が醸成されている。もはや、頑迷な護憲は時代遅れであるのに鳥越氏らのリベラル左翼は流れに敢えて抗っているいるというのが実態だろう。

ただ、こうした護憲派は少数派であるが、ネットの興隆にあまり縁がなくテレビなどのメディアにどっぶり浸かっている高齢者や主婦層には依然として根強い影響力を持っている。先の参議院選挙や鹿児島知事選で知名度の高いリベラル左派のキャスターが当選したことも背景にはそれがある。

特に鹿児島県知事選挙で「反原発」を前面に出したテレビ朝日出身のキャスターが現職を破ったのが象徴的だ。県内で稼働している川内原発の危険性を必要以上に煽りながら知名度を生かして県民世論を誘導させた結果といえる。おそらく、鳥越氏もこの結果を見て「自分ももしかして」という期待を抱いたことだろう。

ところで今回の都知事選挙ではこの鳥越氏が野党4党の統一候補として出馬しているが、与党の方は自公推薦の増田寛也氏と自民党の推薦を拒否した小池百合子氏が立候補しており、三つ巴の戦いとなっている。3人の選挙演説をそれぞれ2.、3の動画で視聴したが、いかにも三者三様である。

自分は東京都民ではないが、もし投票出来たとしてもあまりが気乗りがしない。「化石」の鳥越氏のなどもってのほかだが、しかし演説はうまい。長年キャスターをしているだけあって、人の心をつかむ術を持っている。自分の幼少期を話題にして気の弱そうな父親に当初は反発していたという。しかし、父親の葬式時に何人か身障者が参列していたのを見て実は弱者のために尽力していたのを知って父親の偉大さを知り、自分もそのために生きようと決意したという話は庶民受けする内容だ。

政治家にはビジョンや実行力が必要だが、同時にその「思い」といった情緒も必要だ。鳥越氏はその点で「思い」をうまく有権者にアピールしている。ただし、ビジョンや実行力となると大いに疑問が残る。記者時代、現地で地面を這うようにして取材したと豪語していたが、同業者の間では安全なところに構えて他人の情報を当てにする「言うだけ番長」だったといった悪評が根強いようだ。

まして、ビジョンを立案してどう実行していくかという行政力はとても望めない。立候補の祭に公約は「これから考える」と答えていていたが、そんな「正直さ」を全くシャレにならない。

対する増田氏はビジョンもある程度持っており、行政能力も望めて安定感がある。しかし、人間的には地味な感じがありどうも人を惹きつける魅力では他の2候補よりも見劣りする。都政に対する強い「思い」というのもなかなか伝わってこないのが正直なところだ。

そして、小池百合子氏だが、自分自身立候補を宣言した当初は大いに期待していた。出馬に際して自分を除外しようとする都連に堂々と喧嘩を売って自分をアピールする啖呵にの切り方はは清しさを感じるほどだ。「女は度胸」というこれからのひとつの女性像を象徴する人物にも見えた。

しかし、演説を聞いていると女性の本来の美徳である「愛嬌」にはどうも乏しい。色気とまではいわないが可愛げが足りない。そして政治家にはスパイスとなるユーモアが欲しいがイマイチだ。彼女自身は本来はもっと人間味があるのかもしれないが、今の言動にはそれが感じられない。また演説の内容が総花的であり、話は饒舌なのだが何を言いたいのかこちらに伝わって来ない。

結局のところ、3人に共通することだが、これからの東京についての肝心な「夢」が語られていない。その点では舛添前知事が世界都市NO1を目指すと発言していたことの方がまだマシだ。実際の舛添氏は世界ランクを上げるどころか、評価を落とすことに邁進してしまったが。都民、日本国民ばかりか世界中の人々を惹きつける魅力ある都市を目指して欲しいと思うが、今回の選挙ではそんな夢などは無縁のようだ。

その点では鳥越氏の「思い」が選挙を引っ掻き回す可能性がある。しかし、その「思い」は情緒が先行している印象があり、あまり健全とはいえない。いわゆるポピュリズムという手垢のついた陳腐な手法だ。しかし、その裏では頑迷護憲派が時代の流れに死に物狂いで抵抗している実態を見過ごしてならない。

 

追記:本日の産経新聞(18日)では都知事選に関して意外な報道になっていた。「小池一歩リード、鳥越・増田が急追」とのことだ。小池応援に自民党本部が厳しい締め付けの方針を示したことが逆に裏目になったというのが、産経の見立てだ。

確かに最近の小池候補の演説を見ていると党のいじめにめげず奮闘しているというイメージを前面に出していて、これが結構有権者の同情を集めているようだ。以前、自民党が高齢を理由に現職の鈴木知事を排除して磯村氏を知事にしようとした時に鈴木氏に同情が集まり大勝したことを思い出す。その再現になるのだろうか。

「漁夫の利」を狙っている鳥越候補だが、やはり「情」に訴えるだけでは弱い。新宿の演説では話が空虚で政策の「せ」の字も出てこない。しゃべり方もシドロモドロで年齢的な限界を感じる。漁夫の利どころか、他の陣営に自分の支持票を侵食される可能性さえある。


全国反日左翼プロ市民沖縄大会

2016-06-21 20:07:00 | 沖縄の虚像と実像

今月19日沖縄で行われた女性殺害事件に抗議する県民集会は、例によって超水増しの動員数が左翼メディアで盛んに喧伝されていた。主催者発表では6万5千人を豪語していたが、なぜか、参加者全体を映し出す航空写真や映像がほとんどなかった。週刊新潮や産経新聞などにかかれば簡単に「実数」を見破れてしまうことを主催者や左翼メディアは恐れていたのか!?

おそらく実際は「4掛け」程度の2万5千人前後だろう。沖縄の集会の実態を熟知している人が以前、主催者発表のカラクリを暴露していた。彼によれば、沖縄特に左翼集会では、動員された人々がそれぞれ複数の組織に加入していているという。つまり、政党、組合、有志連合などだ。それぞれの組織の動員数を合算すれば、当然例によって異常に水膨れするという勘定だ。

そして、動員数以上に問題なのは、参加者の構成内容だ。これについては保守系メディアが指摘するように、オール沖縄とは名ばかりで共産党、社民党など左翼政党が主導していて、自民党や公明党の関係者は参加を拒否している。沖縄の自治体の首長たちも同様だ。理由は、事件の犠牲者哀悼に名を借りたイデオロゲー色が強い政治集会だということだ。つまり、日米安保を否定し米軍基地撤去を叫ぶ極めて過激な主張に基いているといえる。

だから、参加者は決して一般の沖縄県民とは言えず、左翼政党管理下の組織・団体に所属するプロ市民と見るのが妥当だろう。さらに、集会の動画を見ると、演説者の発言では「沖縄県内外、国外からの来場者」といみじくも参加者の出身地をほのめかすような物言いがあった。昨年の「県民」集会でも他県から総勢動員されたことが指摘されたが、今回も同様だ。そういえば動画では会場で関西弁と思しき怒号が聞こえた。

ところで、この県民集会の直前は中国の軍艦が沖縄の海を傍若無人といってよいほど侵犯していて、本土のメディアが盛んにその模様を伝えていた。しかし、沖縄のメディアは全くと言ってよほど中国の侵犯を伝えていない。当然、この集会でも話題になることもないし、むしろひたすらこの問題を無視しようとしている、集会の親玉に成り上がった?翁長雄志沖縄県知事も全く中国を批判していない。翁長知事が日頃強調する「沖縄は日本とアジアの緩衝地帯」という言葉の意味がこれでわかるはずだ。中国に媚を売り日本政府に敵対する反日といってもよい姿勢だ。

これは翁長知事に限らず、この集会に出席した人々に共通した立ち位置であろう。中国の軍事的膨張に対峙する日米安保を否定し、米軍基地撤去を叫ぶプロ市民たちによるこの集会がどんな性格かはこれで自ずとわかるだろう。オール沖縄ではなく「オール反日左翼」だ。それも全国のプロ市民が沖縄に大挙した集会、本当の一般沖縄県民は果たしてどれくらいいるのだろうか。

追記:警察の調べでは集会の出席者は2万人程度、やっぱりね!一般の沖縄県民は0.6%、プロ市民は73.8%、(プロ市民に付き合わされた人間は25.6%)、こんな感じか!?どこかで見た数字だ。


なぜ「ネトサヨ」はいないのか

2016-05-28 20:59:37 | 反原発反日メディア

自分が仕事場にしているマンションの管理室には朝日新聞と読売新聞2紙が宅配されている(共に朝刊のみ)。、もう数年前から両紙とも「無料」だという。管理人の話だと、たいした交渉もなく先方からあっさり無料にすることを申し出たようだ。マンションだから、1件分配達が増えたところで労力にまず差はない。それでも新聞店にとって1ヶ月4000円近くの購読料が入らないのは痛手だとは思うが。

これは、おそらく最近話題になっている「押し紙」が原因だろう。新聞社が配下の新聞店に配達に必要な部数以上のものを押し付けて不当な代金を強要する悪しき慣習のことだ。実数の3割増は当たり前の状況だという。この強要に耐えかねた朝日新聞の販売店が集団で本社を相手取って訴訟を起こす騒ぎになっている。公式の発表でもすでに朝日新聞は発行部数700万部を割っているというから実売はすでに400万部台に転落しているかもしれない。

「押し紙」によって、余った新聞の多くは配達されずにそのまま古紙回収業者に回されているという。チェーン店のカレーなら他の小売店に払い下げできる?かもしれないが、インクで汚れた新聞ではヤギに餌にもならない。ただ、新聞には折り込みチラシという付加価値がある。いや付加というよりは新聞店の主要収入だといわれる。だから、購読を無料にしても折り込みを依頼する側に対しては折り込みにカウントできるわけだ。おそらく、前述の管理室への無料サービスはそんな新聞店の意図が働いているのだろう。

それはともかく、現在は「押し紙」が裁判沙汰になるほどに新聞そのものの購読が激減していることは事実だ。その結果、新聞店の廃業が相次ぎ地域内での統廃合が進んでいる。自分の地域でもここ2~3年で異なる新聞店が廃業した。その影響か、知り合いのチラシ折り込み業者が営業不振で倒産したということを最近聞いた。

よく言われることだが、スマホの普及で若い人ばかりか中高年にいたるまで新聞購読者が激減している。リベラル左翼の雄である朝日新聞も一時900万部を誇示していたが、今や実売半減という窮状である。

確かにスマホの普及も大きいだろうが、減少の背景はそれだけではないと思う。リアルタイムの情報が得られにくいこともある。さらには、新聞社の論説が旧態依然として読者の意識と乖離していることが大きいと考えられる。

自分たちの言論を押し付けてそれにそった論調の記事を流す。当然、読者には欲求不満が溜まる。朝日新聞のように慰安婦問題の捏造記事を掲載して30年もの間訂正しないのでは読者からも不審に思われる。検証作業も曖昧ではそれが読者の不信へと変わるのも時間の問題だ。

他の新聞も似たり寄ったりの旧態依然のものが多い。特にリベラル色が強い新聞ほどその傾向が強い。そして、新聞に取って代わるといわれて久しいテレビも安閑とはしていられない。視聴率が全体的にこれも激減しているが特に報道部門について顕著だ。かつてセンセイショナル報道で我が世の春を謳歌してきたあの報道ステーションも最近のリサーチでは12%台だ。報ステと偏向報道の雄を競い合っているサンデーモーニングがまだまだ15%台なのが癪に障る?が、局へのクレームが最も多いのがこの番組だという。

その結果、新聞やテレビといった既存メディアの衰退を尻目に、現在その影響力を強めてきているのがネット報道である。最近では1回の放送で視聴が10万回を超える人気番組も続々登場してきている。そしてこうした番組は、視聴者が自分の意志で能動的に閲覧する傾向が強いので報道のインパクトは大きいといえる。

ただ、同じネットでも放送ではない個人的なSNSであるフェイスブック、ブログ、ツイッターなどでは、その信用性に問題があるものは少なくない。だから、ネットといっても玉石混淆で功罪半ばといった側面はある。それをより価値ある影響力を持つ媒体に育てていくためには、ネット利用者のしっかりした見識が必要だといえよう。

ところで、ネットの利用者で「ネトウヨ」という集団が問題にされる。既存メディアがどちらかというリベラル傾向が強いのに対してネットではこれを否定するような保守色が強い論調が目立ち、それが多くの視聴者に支持されている。論説がリベラル側にとっては過激ともみえる場合が多いようでこれに同調するするネッット住民は「ネトウヨ」と総称される。

反面、ネットの住民には「ネトサヨ」という存在があってもよさそうなのに、全くというほど話題になったことはない。自分自身は新聞やテレビといった既存メディアに対するアンチテーゼというネットの性格を考えてしまう。従来メディアの多くがリベラルに傾いてしまっていることへの反発である。

人々の不満を汲んでくれる媒体としての役割をこのネット報道に対して渇望しているのだ。だから、ネット住民をひとくくりに「ネトウヨ」と総称することは誤解を招く。既存メデジアの飽き足らないネット住民の本音が新しい世論として形成されつつあるといえる。

その世論はまだ確たるまとまったものとはなっていない。しかし、新聞やテレビがこれまでの優位に胡座をかいて惰眠をむさぼっている間にその世論は強力な国論ともなっていくだろう。

 

翁長知事の悪のり

2016-05-25 19:25:21 | 沖縄の虚像と実像

沖縄の女性殺害事件に端を発した反基地騒動は本当に目に余る。沖縄に基地があることが犯罪の原因だと決めつけ、在沖米軍に常規を逸したヘイトスピーチを繰り広げている。そして、今やそんな運動の「親玉」に昇格した翁長雄志沖縄県知事がそれを煽って自ら憎悪を増幅させるような挙に出る。これでは沖縄が殺伐とした異常空間になるのも致し方ない。

そもそも、女性を殺害した米国人は2年前に米海兵隊対を退役して、今や日本人の妻と暮らす沖縄県民である。新聞では軍属などと書いているが、もはや米軍に監督下にある人間ではない。基地で営業する民間会社の会社員にすぎない。勤務外の犯罪で当然日本の警察に逮捕されに日本の裁判で裁かれる。いわゆる地位協定による特権などあろうはずもない。

それを基地があることが問題だ、地位協定を見直すべきだと翁長知事が盛んに吹聴し、対面した安倍首相にも訴えているのは非常にピントがずれている話だ。早い話がやっていることは政治利用でしかない。日頃「沖縄に新基地をつくらせない」と、馬鹿の一つ覚えにように言っている知事の政治的プロパガンダのために都合良く利用しようとしている。

そこには、無惨な死に見舞われた女性への厳粛な哀悼の気持ちなどさらさらない。自分の政治的野望を実現するための格好の武器にしようとしている。被害者の遺族は事件での取材を自粛するよう求めているようだ。これ以上若い女性の死を反基地運動などに政治利用されることを憂慮しているのだ。しかし、翁長知事を始め地元マスコミや左翼プロ市民活動家たちが、無理矢理ひとつの方向に沖縄そして日本の世論を誘導しようとするのは由々しき事態だ。

そして、翁長知事はこの余勢を買って安倍首相に対して知事がオバマ大統領に沖縄基地問題で直接対話できるように求めた。政府側がこの要請を断ったようだが、当然といえば当然だ。こうした二国間の外交問題は政府間、最終的には政府首脳同士で決めるものだ。それを一介の地方の知事がしゃしゃりでるなどあり得ない話だ。

たとえば、北方領土問題で北海道知事が安倍首相に対してプーチン大統領に面会して地元の現状を訴えたいなどと要請するようなものだ。こんな話、安倍首相が受け入れることはないし、プーチン大統領が応じるはずもない。

まさに翁長知事の「悪のり」といってよいのだが、この言動をメディアがまるで政治家の良心のように囃し立てるのが異常といえる。しかしそこは安倍首相の方が翁長知事やメディアより上手だ。サミットで訪日するオバマ大統領とは予定を前倒しして会談を設けるようだ。そして、この会談では沖縄の事件を取り上げ大統領に基地問題の改善を求めるという。外交は政府の専権事項だということを早速誇示する結果になった。

沖縄の今後でいえば、6月に行われる県議会選挙と7月の参議院選挙の動向が注目される。今の沖縄の雰囲気では反基地を唱える翁長知事や左翼性力に有利に働きそうである。いわゆる辺野古への移設を容認する保守勢力の苦戦が予想されるが、少なくとも現状維持が果たされれば保守勢力の事実上の勝利とも考えてよい。知事のさらなる悪のりなど見たくない。


舛添要一VS翁長雄志

2016-05-21 19:30:39 | 沖縄の虚像と実像

舛添要一東京都知事を巡る政治と金の問題はただ酷くあきれるばかリだ。一時は首相にしたい政治家NO1になった人物だ。当時さんざん持ち上げたマスコミにも大きな責任があると思う。それだけマスコミが彼のいわゆるタレント性に幻惑されたわけであり、同時に世論もそんなマスコミの印象操作に振り回されていたのが現状だ。

ましてや、原発問題や安保法制でタレント化した文化人や芸能人が、さも偉そうに自説を滔々と披瀝するのを世間が頭から信用するなどは愚の骨頂というべきだろう。

それはともかく、舛添知事以上に政治家の品格や資質が問題なのに全くといってよいほどマスコミでは批判が広がない知事がいる、あの疑惑真っ黒な翁長雄志沖縄県知事である。もちろん、彼の「カツラ疑惑」ではない。(髪の薄さでは、舛添知事もひけをとらない?失礼!)

舛添知事の場合は自分の私利私欲のために法律を悪用し国民や都民の税金を流用して、自分の快楽や蓄財に奔走する困った親父という感じだ。政策以前のワイドショー的醜聞といえる。しかし、翁長知事の場合は国策特に国防上大胃いに問題がある。日本を脅かしている中国に媚を売り、一方で自衛隊とともに日本の防衛に寄与する米軍の存在を疎んじる姿勢だ。これがいかに日本の国益を損ねているかは舛添知事とは比較にならない。

翁長知事は基地問題で政府と対立し裁判沙汰になっているが、裁判で沖縄を日本とアジアの「緩衝地帯」あるいは「架け橋」にすると堂々と発言している。ここで「アジア」は彼の念頭には中国本土が主要な位置を占めていることは想像に難くない。沖縄が日本の一部であることを無視して、まるで自分は独立国の王様であるかのような振る舞いだ。

彼の「独立志向」を象徴する出来事が昨年彼が国連の人権理事会で行った演説だ。「沖縄の人々は自己決定権や人権がないがしろにされている」と。当時この「自己決定権」は海外では「民族自決権」と同義語であると指摘された。その後、この演説を巡って県議会で野党から追求されたが、終始曖昧の答弁をしている。

さらに知事の「独立志向」の方向性が中国に向いていることが問題だ。知事就任以来すでに2度も訪中して沖縄の活況のために中国の経済力を当て込む執心ぶりである。

これがいかにも媚を売っているようにみえるのは沖縄に建立された2本の「龍柱」を見ればわかる。(翁長知事が那覇市長時代に建立を計画)龍は中国皇帝の象徴であり、これを形どった龍の柱を立てることはその土地が中国領地内であることを示すことになるという。

この建立には当初、国からの沖縄振興金が使われたが、県建設目的に疑念が広がり、最終的には那覇市の市税が投入された。総額3億円以上の税金であるが、この龍柱の真の建立責任者が翁長知事であることはまちがいない。沖縄がまるで中国領土の境界線内にあることを示す目的ために?

それと比べたら舛添知事の政治資金の濫用の方がかわいい?舛添知事の場合はやり方がせこくて細かい金をちょろまかしてそれが膨らんでいった感じだ。でもその総額は「龍柱1本分」にもならないかもしれない。しかも舛添知事は敵対する隣国に媚を売るような税金の散財ではなさそうだ。(ただ、新宿内の都有地を保育園ではなく韓国の学校のために貸与する知事の決定には大いに疑惑があり注視が必要だが)

それとこれもマスコミでは全く問題にはなっていないが、翁長知事の露骨な利益誘導策がある。一昨年の知事選挙で企業ぐるみで応援した県内のゼンコングループと観光業者に対して、当選したことへの破格の論功行賞を行った。沖縄県が前知事時代から新設予定だったコンベンションセンターの建設をこのゼネコングループに回した。しかも従来の建設予定地からこのグループが所有する土地に変更したという。また県の観光事業本部の運営をこれまた応援した観光業者に委任している。沖縄経済の中核をなす観光やイベント事業をこうした知事の応援企業に独占させることは、私利私欲がけでは片付けられない強欲政治家の闇の大きさを意識しないわけにはいかない。

しかし、日本のマスコミは翁長知事にはなぜか優しい。むしろ、政府の横暴に果敢に立ち向かう志の高い政治家のように持ち上げている。そこが現在のマスコミの異常なところだ。沖縄の基地前で米軍帰れと叫んでヘイトスピーチを繰り広げる「平和活動家」という名のプロ市民をマスコミが賛美するように。

ただ、舛添氏の知事寿命が見えてきたのと同様、翁長氏のそれもそれほど遅くはないかもしれない。宜野湾市長選挙で大敗し、公職選挙法違反で彼の言動が問われている。政府との裁判闘争でも配色は濃い。沖縄県民の政治意識も若者中心に変わりつつある。県民が見向きもしない龍柱が撤去されるころには…。

 

災害時に、デマで被災者を苦しめる左翼

2016-04-23 22:02:25 | 反原発反日メディア

今度の熊本地震でも、5年前の東日本大震災の時と同じように左翼陣営が「大活躍」している。といっても負の活躍であるが。5年前では震災とともに発生した原発事故で大騒ぎして、福島が放射能で汚染されて住めなくなるといったデマを流し福島県民を苦しめた。

そして、今度の地震でも反原発運動が再現される。熊本の影響が南の活断層に向かい現在稼働中の川内原発に重大な危険を及ぼしかねない。だから、すぐに原発を止めるべきだ、といった主張が共産党を始めとした野党からわき上がっている。当然、朝日新聞などの左翼紙もこれに同調して反原発キャンペーンを繰り広げる。福島デマが収まったと思ったら、懲りずにこの有様で全く困った話だ。

現在の原発は、大地震の揺れで自動的に稼働を停止する。5年前事故のあった福島第一原発も稼働を停止した。しかし、津波の対応がまずくて原子炉が十分冷却できなかったことが放射性物質放出の原因である。同じ時期東北電力の女川原発も地震で稼働が停止してしかも津波の影響もなかったため被曝の被害もなかった。

つまり、地震の揺れは事故とは直接関係なかったといえる。日本の原発は地震で倒壊するようなヤワな代物ではない。しかも、その後の原発の規制基準が一段と高められて余計原震災対策は堅牢になっている。

川内原発とて同様だ。さらに直下に活断層があるわけではない。たとえ、熊本地震であった最大級の揺れでも稼働は停止する。左翼陣営が盛んに川内原発を止めろといわなくても自然と止まってくれる。お生憎様というところだろう。しかし、こんな左翼反原発のデマは無用な不安を被災民に与えるだけで有害でしかない。

同じことは米軍海兵隊のオスプレイによる支援についてもいえる。これも共産党を中心とした野党勢力と朝日、毎日、東京新聞さらには沖縄の2県紙などの左翼マスコミによる反オスプレイキャンペーンが凄まじい。自衛隊のヘリがたくさんあるのになぜオスプレイが必要なのか。オスプレイは事故が多く危ないし、音もうるさい。被災民には迷惑だ。米軍のオスプレイの国内配備を正当化するために震災を最大限に政治利用しているのではないか、などなどだ。

しかし、この緊急時に自衛隊機だけですべて賄うには限界がある。その証拠に被災地の支援には自衛隊のヘリだけではなく消防隊、警察、海保などの多種のヘリが出動している。それぞれの組織には日常の任務を果たすために待機しているヘリがある。そのなかでこの緊急時に最大限のヘリを熊本方面に派遣しているのだ。自衛隊とて同様だ。

だから、米軍のオスプレイ派遣は歓迎されることはあっても批判されるものでは決してない。ましてオスプレイのもつ優位性はこんな災害時には本領発揮の場となる。またオスプレイが事故率が高く危険で騒音が酷いというのも全くのデマである。こんなことを問題になっているのは日本だけである。オスプレイが他のヘリよりも事故率が低く、騒音もずっと少ないというのが世界の常識だ。(この「オスプレイデマ」に関しては「農と島のありんくりん」というブログに緻密で詳細かつ明快な記事がある。)

さらに、問題はオスプレイ支援が被災地でどう受け止められているかということだ。感謝されていることはあっても非難のこと全くといって聞かれない。むしろ、派遣を非難する論調には疑問ばかりか怒りさえ沸き上がっている。、さらに、マスコミの過剰な取材攻勢が被災民の激しい反感を引き起こしている。支援物資を運ぶトラックが氾濫する報道車のためにその運行に支障を受けている。マスコミの報道ヘリの騒音で、自衛隊などによる捜索作業が妨害される。

メディアは原発稼働停止やオスプレイ反対を唱える前に自分たちの言動を慎むべきであろう。もちろん、共産党などの野党勢力も同様だ。自分たちの振る舞いが被災地でどう受け止められているか十分反省しなくてはいけない。こんな緊急時に震災を政治利用しているのは彼らではないか。5年目の悪夢を繰り返してはいけない。


哀しい?古館降板

2016-04-02 17:18:31 | 反原発反日メディア

ニュースキャスターというのは本当に孤独ですからね、

私は今こんな思いでいます、「人の情けに掴まりながら折れた情けの枝で死ぬ」浪花節だよ人生の一節です。死んでまた再生します。

テレビ朝日「報道ステーション」で3月31日、当日をもって降板する古館伊知郎が番組最後の挨拶で締めとして発した退任の言葉だ。言わんとしていることがよくわからないが、(本人は否定しているものの)降板理由にどこか局からの「圧力」乃至「裏切り」が働いていた印象をもつ。

局上層部の「人の情けに掴まって」いたが、その枝はもろかった。局が結局、古館を支えてくれなかったという「恨み節」がつい出てしまった?いや、「ニュースキャスターは孤独」というくらいだから、番組スタッフからも疎外されていたのではないかとさえ思える。だから、この夜、最後の挨拶をする古館がひどく哀れにさえ感じる。

古館は挨拶でこうもいっている。

人間がやっているんです。人間がやるんだから少なからず偏っています。だから情熱をもって番組をつくれば多少番組は偏るんです。しかし、全体的に程よいバランスに仕上げ直せばそこに腐心をしていけばいいのではないかと私は信念をもっています。

こんなのは、偏向報道のいい訳にしか思えない。古館の哀しいところは、情熱をもってすればそこには偏りを超えた真実があると人々が理解し共鳴してくれるはずだ、という思い込みがあることだ。

その点では古館本人には人を意図的にたぶらかそうというところはなく、ある意味純粋かもしれない。しかし、純粋な動機であっても、いや純粋だからこそ、情熱が伴えば偏りが余計に増幅する。それが暴風となって人を煽動する一方で人を傷つけたりもする。

本人は「死んで再生する」つもりかもしれないが、この12年間人々を煽動し日本国内に拡散したデマという「廃棄物」は簡単に消えることはない。たとえば、原発報道。あれだけ福島県民を始めとして日本国民に放射能の恐怖を喧伝した責任は重大だ。死んで再生すれば免罪されるというものではない。


公開討論会要求に敵前逃亡したグータラ左翼

2016-03-20 16:44:24 | プロ市民煽動家

すでに旧聞に属するが、高市早苗総務大臣の「電波停止発言」に反発して、2月29日テレビ報道番組で頻繁に登場するコメンテーター7人が記者会見をした。その様子は異様で酷かったといってよい。「私たちは怒っています」と横断幕を広げる辺りは、活舌を自負する彼らにはまるで似合わず、かにも書生っぽくて野暮ったいものだった。

田原総一郎、岸井成格、鳥越俊太郎、大谷昭宏、金平茂紀、田勢康弘、青木理の各氏だ。何のことはない、この7人は3年前にも同じメンバーで秘密保護法に反対するため記者会見を開いており、横断幕を広げる手法も以前行っていた。

前回同様、今回も安倍政権の政策を権力の暴走とらえ、正義感を振りかざしているようにみえた。しかし、特定の思想=リベラル左翼の面々であることは否定がしようがない。反安倍、反安保法制、反原発、反基地…といった特定のイデオロギーにメンバー7人はほぼ同じ方向性にある。慰安婦問題などの歴史認識でも韓国側に立った主張をしており、大方の国民世論とは遊離している。

だから、彼らが放送の公平性を訴えること自体がそもそも矛盾している。メンバーの一人である岸井成格氏が「政治的公正公平は一般の公正公平と違う。権力は必ず腐敗し暴走する、政治の鉄則だ。権力の暴走を止めるのがジャーナリズムの役割だ」と断言している(動画38分辺り)が、どうも理解に苦しむ。たとえば安保法制でも世論が賛成反対と意見で二分されていた。それをまるで賛成が暴走で、反対することが公正公平というのは傲慢としかいいようがない。

ところでこの岸井氏は安保法制の審議が国会で沸騰してた当時、テレビの報道番組で堂々と廃案を呼びかけていた。彼の発言に対して、作曲家の杉やまこういち氏を代表とする保守派グループ「放送法を遵守する視聴者の会」(視聴者の会)が問題視して新聞に意見広告を出していた。岸井氏はこうした保守派の動きに対して会見でも憎悪むき出しの敵対的な発言をしていた(動画59分辺り)。

「低俗で知性どころか品性のかけらもない、ひどいことやる時代になったなと思った、やっていて恥ずかしくないのかと疑った、それしか言いようがない」

こんな岸井氏の物言いは、正直自分自身これが名のあるジャーナリストの言葉かと疑った。相手側の批判に論理で応えるのではなく、ただ感情だけで不満をぶちまける。天に唾するとはこのことでそれこそ「知性や品位のかけら」さえないと感じた。

当然、保守派の「視聴者の会」もこのコメントには憤懣やる方ない反発を覚えたことは想像に難くない。しかし、そこは気持ちを抑えて田原総一郎氏らに公開討論会を提案したのだろう。「言論人たちの意見の相違は言論で決着をつける」ということだ。

具体的には公共放送NHKの場を借りて双方3人が出演して議論するというものであった。しかし、提案に対する回答期限は3月11日であったが、いまだ田原氏側からは何の返答もない。完全な黙殺であった。

視聴者の会のメンバーであるケント・ギルバート氏も岸井氏らの黙殺に怒り、レギュラーを務めるネット番組(動画43分辺り)で「公開討論会に反対なら最低でもその理由を述べるべきだあり、黙殺は卑怯だ」と彼らの対応を批判していた。まさに敵前逃亡というべき情けない所作といってよい。あれだけ口汚く視聴者の会を非難した勢いはどこへやら、逃げ一方ではギルバード氏から「彼らは討論に負けることを恐れた」といわれても仕方がない。まさに「グータラ左翼」といってよい。

そういえば会見を傍聴した同業のジャーナリストによる質問では興味深いシーンがあった。どうも意図的にしか思えないほど、質問者はリベラル左翼の人たちばかり(朝日新聞、東京新聞、共同通信、IWJなど)であったが、そんな中、フリージャーナリストの神保哲生氏がなぜか厳しい質問をしていた(動画47分辺り)。

放送法4条の解釈が間違っていることはあきらかだ。であれば、なぜ放送局が全く意味不明な発言にここまで怯えるのか、あるいはそうした意向に唯々諾々と従った番組になるのか。

蹴飛ばせばいいだけの話だ。もしこういうことをいう人間がでてきたら『停波できるのならしてみろ』と今まで以上に権力批判すべきだ。

しかし会議で難しい企画を出すと上から言われるという。停波が恐ろしくてなぜあの程度の発言に萎縮するのか。何か別の理由でもあるのか。安倍さんがそんな発言で萎縮するなんて情けないと言ったののは正論だ」

日頃神保氏の主張とは自分自身対立することが多いが、この発言にはほば同意する。「蹴飛ばす」気概で対抗すべき話だと思う。それほどに日本は言論の自由が保障されている。

しかし、この質問い対して、出席者は「(神保氏のいうような)きれいごとばかりでない。テレビ局も企業だからいろいろな考え方の人間がいる。組織の中で葛藤しながら働いている」(青木理氏)などと答えている。自分には言い訳としか思えない。そして、番組制作での窮屈さは政権側のプレッシャーにあるのではなく、放送界内部に問題があるとも考えている。

早い話が「意気地がない」だけの話だと思う。そして、この会見の出席者も別な意味で意気地がない。つまり、彼らと意見を異とする保守派と戦うこともなく、逃げ一方だからだ。

本日の朝のサンデーモーニングでこのメンバーのうち2人が出演し、コメントをしていた。自分がその立場だったら恥ずかしくコメントする気にならない。テレビに向かって「そんなコメントをする暇があったら、まず保守派提案の公開討論会にでるべきだ、それをどのツラ下げて」とつい文句のひとつもいいたくなる。同じコメンテーターでも学歴詐称した経営コンサルタントの方がまだかわいい?

グータラ左翼、肝心のときには居眠りを決め込む。まるで子守唄を聴くように。昔、ヒットした中原理恵の歌「東京ららばい」風に歌うとすれば、こんな感じか。♪だから死ぬまでグータラ左翼の子守唄。もちろん、これは狸寝入りだろう。なぜか会見に出席したジャーナリストたちが狸顔にみえる。ごめんなさい!岸井さん。