時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

わかりにくい知事選挙

2007年03月31日 | 政治問題
対立する政党によってかつぎ出された知事候補同士がエールを送りあう姿がマスコミでも話題になっている。
東京新聞のコラムでは、「みんな一体何を考えてんだか」と批判している。
この東京新聞の記事は、東京(石原慎太郎)、神奈川(松沢成文)、埼玉(上田清司)の相互応援をこのように評している。
ご存知、石原慎太郎は自民・公明が応援しており、松沢成文、上田清司の2人は元民主党員で、今回の知事選では民主党が応援している。これらの知事がそれぞれの宣伝カーに乗って、エールを送りあったことを指している。これに対して、民主党の鳩山由紀夫幹事長は記者会見で「はなはだ残念。石原都政8年の歩みを見て、今後4年間、知事を続けるのがふさわしいのかということを松沢氏に認識してもらえればな、という思いはある」と、松沢氏らの行動に戸惑いを隠さなかった。
しかし、現実を冷静に見てみよう。いまでこそ、民主党は石原知事に対して批判的なポーズをとっているが、本紙でも指摘してきたように、知事提案には100%賛成してきた政党である。こういう点から見て、松沢、上田両知事が石原都知事を応援することには、両知事も何の違和感もないはずだ。
要するに、この3知事選だけでなく、現在行われている13の都道県知事選挙では、自民・公明はもちろん、民主党も与党の自治体がほとんどであるにもかかわらず、夏に予定されている参議院選挙に向けて、民主党が野党ポーズ、対決ポーズをとり、対立候補を擁立しているため、有権者にとって大変分かりにくい選挙になっていることだ。
こういう偽りの「対決」ポーズに嫌気がさして、社民党は松沢支援を撤回した。当然といえば当然だが、いまさら支援を撤回するくらいなら、もっと前からこの人物がどういう人物なのかをちょっと調べておけば、選挙の最中に支援を撤回するような醜態を示さずに済んだのではないだろうか。
他紙の記事も紹介しておこう。
都知事選では、自民・公明、民主も陰では、それぞれ石原、浅野各氏を支援するものの、実質上政党からの支援を断られていることから、各党の党首や幹部は、都知事選の告示日に、東京で訴えができずに、札幌などで第一声を行っている。このことを評して、産経新聞も「2人の党首(自民、民主)は職場放棄をしてしまったのだろうか」と報じている。
読者諸兄や有権者も、こういう選挙での偽りの「対決」に騙されずに、各政党や知事、知事候補がどういう政策を実行してきたのかをじっくりと調べて投票日を迎えていただくことを希望するものである。

なぜ、共働き家庭が増えるのか

2007年03月30日 | 経済問題
編集長はマンション暮らしである。マンション内の家庭をみると、会社をリタイアした高齢者宅を除くと、ほとんどが共働き世帯である。昼間、家にいない家庭が圧倒的に多い。
なぜ、このように共働き世帯が増えているのだろうか。少し考えてみた。
特定の地域社会のすべての夫婦が、夫は働き、妻は主婦と仮定しよう。
どの夫も、ほぼ同じ労働を行い、毎月の給料は10万円だとする。
賃金は、夫の「労働力」という商品の再生産と妻の生活維持(夫婦の衣食住と平均的な文化的生活に必要な費用)によって決まる。すなわち、夫婦2人の生活費が約10万円ということだ。(こういう数字は、社会統計によって明らかにできる。)
ところが、そのうち、1割の家庭で妻がパートに出て5万円の追加収入が得られるようになると、9割の家庭では10万円、1割は15万円の収入になり、この家庭では、他の9割の家庭に比べると少し贅沢な暮らしができるようになる。
この時点では、全家庭の平均収入は、10.5万円になる。しかし、社会的にみると、夫婦の基本的な生活費は、相変わらず10万円なので、企業としては、0.5万円余分に支給していることになり、0.5万円の賃金の切り下げが行われる。9割の家庭では、10万円の収入が9.5万円になっても、生きていけないほどではないが、やや生活が苦しくなるので、これらの家庭の主婦も徐々に働き始めるようになる。そして、やがて5割の家庭で15万円に収入が得られるようになり、残り半分では10万円となり、全家庭を平均すると、月収は12.5万円になる。
しかし、社会的にみると、夫婦の基本的な生活費は、相変わらず10万円でよいはずだから、企業とすれば、2.5万円は余分な給料ということになる。ここで更なる賃金の抑制が始まり、企業は余分な2.5万円を削減するようになる。
そうすると、5割の共働き家庭では15-2.5=12.5万円、夫のみが働く世帯では、10-2.5=7.5万円となり、夫のみが働く家庭では、10万円という平均的な生活が維持できなくなってくる。
これによって、残りの5割の家庭の主婦も、徐々に働きに出ざるを得なくなるのである。
こうして、共働きが増えるのが、資本主義社会の宿命なのである。
そして、その結果、共働きをしても、給料は2人合わせて10万円に切り下げられ、平均的な生活を維持できるだけの賃金に逆戻りしてしまうのである。
実際の社会では、このように単純にことが運ぶわけではない。共働き世帯では、妻の交際費や能力向上のための経費などが加わるため、単純に10万円では済まないことは言うまでもない。
さらに、共働きの増加や賃金の抑制は徐々に行われるため、実際の変化は目に見えにくい。もちろん、文化水準の向上によって、賃金(家族の生活維持費)そのものも上昇していくのだが、働ける者を次々と労働市場に吸収し、これによって、さらに賃金の低下をもたらすのが、資本主義社会の仕組みなのである。
これらの動きは、非常にゆっくりとしたものであるため、生活の中で賃金の抑制を実感することはほとんどない。
しかし、実際に、夫婦共働きでやっと家計を維持しているという家庭は非常に多くなってきているのではなかろうか。また、夫1人の稼ぎで、悠々とした暮らしを送れるという家庭は、現在では少ないのではなかろうか。
さて、男性、女性に関わらず、その能力を生かし、さらに伸ばしながら生活の糧を得るとともに、社会のために貢献することは素晴らしいことである。編集長はこのことを決して否定しない。
しかし、現代社会は、夫婦共働きでなければ基本的な生活すら維持できないような社会になりつつあるのではなかろうか。
こんな仕組みではなく、多くの人材が社会に進出することによって、生産性の向上が図られ、労働時間を短縮し、企業が削った賃金を元に戻し、生活にもゆとりが生まれ、家族とともに余暇を過ごせるような社会の到来を期待するものである。

能登半島での地震被害

2007年03月26日 | その他
25日の午前中に起きた能登半島での地震で被害に遭われた皆様、避難生活を余儀なくされている皆様に、心からのお見舞いを申し上げます。
震度6強という、阪神大震災並みの地震であったにもかかわらず、死者、負傷者が少なかったことは幸いであった。
地震が局地的であったこと、住民が起きて活動している時間帯であり、火を使用している時間帯でなかったことなど、阪神大震災と条件が異なったことが幸いしたのかもしれない。
また、阪神大震災の教訓から、自治体や住民も地震に対する備えが十分だったことが、被害を最小限にとどめるとともに、その後の救援活動をスムーズなものにしているかもしれない。
いずれにせよ、今回の地震からきちんと教訓を引き出して、今後の防災対策に役立ててもらいたいと思っている。
もし、東京などの都心部でこれだけの規模の地震がやって来たらと考えると、ゾッとする。
下町の住宅密集地では、古い家屋やブロック塀の倒壊などで被害は大きくなるだろう。また、都心部のビル街では、割れた窓ガラスや看板などが頭上から降り注ぎ、想像することもおぞましい光景が広がることだろう。
日々平穏に暮らしていると、日本が地震大国であることすら忘れてしまうが、国や地方自治体だけでなく、各家庭や企業などでも改めて地震対策を行うことが重要であろう。
自然災害の発生は、人間の力で阻止することはできないが、被害を最小限に食い止めることは可能である。
東京はもちろん、読者諸兄の住む街にも、地震はいつか必ずやってくるだろう。その時期を予言することはできないが、いつか必ずや、甚大な被害をもたらす地震に遭遇することは間違いない。その日のために、準備だけは怠りなく進めていただきたいと思っている。

久々にコイン収集の話

2007年03月25日 | コイン収集など
編集長の趣味の一つにコイン収集がある。
外国の大型銀貨を中心に収集しているが、いつも欲しい銀貨が手に入るわけではないので、その合い間に、中世の中国からの渡来銭や江戸時代の穴銭や分金、分銀類などもなんとなく集まってくるので、コツコツと分類などを楽しんでいる。
明治以降の近代、現代貨幣もずいぶん持っているが、状態の悪いコインを持っていてもつまらないと思うようになり、最近は状態の良いものに限って収集している。状態の悪いものや外国のマイナーコインは、いずれネットオークションででも処分することとしよう。
さて、コインの収集に欠かせないのが、貨幣カタログや先人が残した研究書などである。
貨幣カタログには、コインの種類や発行枚数、状態ごとの評価額が記載されているが、この評価額があまり参考にならないのである。
貨幣の世界でも、「格差」が生まれており、未使用で状態の良いコインは、驚くほどの高値で取引されるものがある。完璧な状態のコインには、カタログの評価額などはまったく参考にならない。
一方、並品、美品、極美品などのようにどこにでもあるような状態のコインの価格は低迷しており、カタログの評価額の方が概ね2~3倍高くなっている。
コインの収集家は、先細りしていると思われるので、美品以下の状態のコインは、誰も欲しがらず、今後ますます値崩れすると思われる。
値崩れを防ぐためには、コレクターの裾野を増やし、若い収集家を育てる工夫(小中学校に教材として貨幣資料の提供するとか)が必要であろうし、コイン普及にあたっての商品開発が必要であろう。以前、寛永通宝のストラップが売られていたが、面白いアイディアである。また、貨幣商もコインあるいは紙幣の時代や種類を限定して、店ごとの特徴を出すことが重要であろう。
カタログ以外にも、貨幣に関する入門書、手引書や研究書もたくさん出版されている。
マニアックな内容で発行部数も少ないので、高価な本が多い。
編集長のような貧乏人は、こんな高価な本を買うくらいなら、コレクションを増やした方がマシだとついつい思ってしまうのだが、やはり、こういう入門書、研究書なしにコレクションを続けることは難しく、結局は高い本を購入することになる。
研究書などを見ると、よくもまぁこんな細かい分類や考察をしたものだと、そのマニアックぶりに感心する(あきれる)とともに、コレクターである編集長でさえ、とても付いていけないと思ってしまうものもある。
しかし、このような研究が、日本の考古学、貨幣学などの発展にとっても重要な役割を果たしてきたのだろう。
これからも、趣味の一つとして長く楽しんでいきたいと思っている。

タミフルと転落の因果関係、厚労省「否定的」を撤回

2007年03月24日 | 医療・社会保障
インフルエンザ治療薬「タミフル」をめぐる問題で、厚生労働省は22日、タミフル服用と異常行動の因果関係について「これまで『否定的』という見解をとってきたが、虚心に検討する。今後、判断も変わりうる」と述べ、従来の見解を事実上撤回した。
また、服用後に異常行動をとりながら死亡に至らなかった負傷事例を分析していなかったことも明らかにした。
同省によると、転落・飛び降りなどの異常行動による負傷事例は、未成年11件、成年4件の合計15件にのぼっている。これ以外の死亡事例8件は専門家が分析を加えるなどしていたが、負傷事例は副作用が疑われる情報の一覧表に担当者が目を通す程度だったという。医療機関から今月19日の飛び降りが20日に報告された際、過去の事例を洗い直すまで、同省では負傷事例が15件に上ることも把握していなかった。
厚生労働省は、「膨大な副作用情報が入ってくるので、死亡事例からチェックしていた。異常行動をひとくくりにして、中身を詳細に分析していなかった」と、対応のまずさを認めた。
タミフルの副作用が疑われる情報は、2001年2月の発売以来、のべ1763件報告されており、同省は今後、このすべてを検討するという。特に精神・神経系の副作用については、服用の状況や発症の経過を専門家による審議会で詳しく調査するとしている。
これほど世間で騒がれていながら、死亡事例しかチェックしていなかったというのだから、お粗末極まりない話である。
もっと早い時点で確認しておけば、最近の不幸な事例は防げた可能性が高い。
以前にも指摘しておいたことだが、最近1例だけ、タミフルを服用していない10歳代のインフルエンザで飛び降りの事例があるようだが、そもそも単なるインフルエンザ患者が異常行動を起こしたという事件をほとんど聞いたことがない。
タミフル服用時の異常行動の頻度の方がはるかに高いと思われる。
対策が遅きに失したということはあるが、今からでも早急に対策を取るとともに、「疑わしきは患者の利益に」の観点で、今までの負傷、死亡事例への手厚い補償が行われることを希望するものである。
同時に、今回の記者会見の内容を聞くと、「死亡事例しかチェックしていなかった」というのはタミフルだけではなかろう。
他の薬剤でも恐らく同様のチェックしか行っていないということだ。とすれば、薬によって重い障害を受けながら、薬の副作用と認定されないまま放置されているケースはおびただしい数にのぼるのではないかと考えられる。改めて、こういう観点から薬の副作用のチェック体制の強化を望むものである。
タミフルの世界の消費量のうち、日本が約8割を占めているという。日本での副作用の情報は、他国の国民にとっても大変重要な意味を持つデータになる。この点からも徹底した検証が求められる。

中国での炭鉱事件から

2007年03月23日 | 政治問題
以前に、中国全人代において、物権法という私有財産保護の法律が審議されることについて書いておいたが、この記事の中で「生産手段の社会化」のあり方についての議論にも触れておいた。
資本家に生産手段の所有を認めながらも、国による法律や様々な規制、あるいは国民の監視等によりこれを管理し、資本家の勝手気ままな横暴を許さないような「生産手段の社会化」を行い、社会主義の形態維持していくことを中国は模索しているのではないかと書いておいたが、これを裏付けるような出来事が起きた。
18日夜に、中国・陝西省の炭鉱でガス爆発事故が発生し、22日までに20人の遺体が発見された。爆発で作業中の労働者21人が坑内に閉じ込められたが、炭鉱経営者は当局に報告せず、関係者からの通報で救出作業が始まったのは20日午後になってからだった。当局は事故隠しに関わった11人を直ちに拘束したという事件である。
こういうニュースに接すると、中国という国はやはり、日本とはずいぶん違うんだなということを改めて認識させられた。事故隠しにより、人的被害が広がったと判断し、関係者を直ちに拘束したというから、こういう点はお見事としか言いようがない。
日本では、原発の臨界事故隠しをしても、経営者や直接の関係者や責任者が直ちに拘束されるなどということはない。国民に賞味期限切れの食品を提供しても、何のお咎めもない。
悪事がばれると、経営者も表向きは悲痛な表情を浮かべ、関係省庁や記者会見場では、ひたすら低姿勢に終始するが、それが終われば、舌でも出しているのではないかというのが実感だ。
いきなり身柄を拘束されることなどは絶対にない。また、仮に何らかの罪に問われたとしても、控訴、上告を繰り返しているうちに、被告人本人が亡くなったり、人々の記憶から薄れ、万一経営者の一部が実刑判決を受け、刑に服することがあっても、企業そのものに対する評価はほとんど変わらないままである。
これが、資本主義と社会主義の体制の違いであろう。
中国のすべてを肯定する気持ちはもちろんないし、日本のすべてを否定するものでもない。ただ、国民の生命に対する確固とした姿勢や資本家に対する厳格な態度は、比ぶべくもない。
企業による犯罪は多い。テレビをつけると毎日どこかの経営者が頭を下げている場面に出くわす今日この頃である。
脱税や汚職などは日常茶飯事だろう。また、データの捏造や情報隠し、事故隠し、お菓子から車までの欠陥製品販売、薬害など、数え上げればきりがない。
しかし、それらの企業やその責任者がこういう不祥事で罰金を払ったとか、何かの罪に問われたなどということはめったにお目にかからない。
日本という国はかくの如く、個人の犯罪には厳しいが、組織や企業の犯罪に甘い国なのである。
そして、それは、財界・大企業が日本の支配政党を牛耳り、自分たちに都合の良い法律を定めているからにほかならないのである。
私は、日本と言う国が、もう少し財界や企業に厳しい対応をとることを強く要望するものである。

タミフル:10歳代の服用に制限

2007年03月21日 | 医療・社会保障
厚生労働省は21日未明、インフルエンザ治療薬「タミフル」服用後、自宅の2階から転落する事故が新たに2件発生したとして、輸入販売元の中外製薬に対し、添付文書の警告欄に「10歳以上の未成年の患者に、原則として使用を差し控えること」を書き加えることを決め、医療関係者に緊急安全性情報を出して注意喚起するよう指示したと発表した。
事実上、10歳代の使用を制限する措置となる。
1件は、12歳の男児が夜にタミフルを飲み、午前2時ごろ、素足で外に出て、近くの駐車場へ走り出した。父親が家に入れたが、2階の窓から飛び降り、右ひざを骨折した。入院後、独り言や、突然笑い出すなどの症状がみられたという。
他の1件は、別の12歳の男児がタミフルを服用、同午後11時半ごろ、家で就寝したが、約30分後に突然2階に駆け上がり、母親に連れ戻された。その後もう一度2階に上がり、家族が追いかけたが間に合わず、ベランダから飛び降り、右足のかかとを骨折した。
いずれも、命には別条がないものの、本人に飛び降りた時のはっきりした記憶はないという。
同省は使用制限のほかに、自宅にいる際には「少なくとも2日間、保護者は未成年者が1人にならない配慮することについて患者・家族に説明する」とも加える。
刑法では、「疑わしきは罰せず」との基本的な考え方があるが、医薬品が本来は国民の健康に寄与すべきものである以上、今回のように副作用が疑われるものについては「疑わしきは罰する」という観点で、規制を行うことが必要であろう。
本紙でも紹介したように、タミフルでは、10歳代の飛び降りなどが相次いでいたが、因果関係が不明との理由で特別の対策も取られていなかった。しかも、タミフルを販売する中外製薬が、厚生労働省の研究班の大学教授2人に多額の寄付を行っていたことも判明している。
これらのことを考え合わせると、そこに製薬会社の意思が入り込み、判断を遅らせたのではないか、との見方も十分に成り立つ。
国民の健康に寄与すべき医薬品によって、健康被害を受けた事例は、数多く存在する。古くは、スモン、また最近でもHIVやC型肝炎感染など薬害は絶えない。
製薬会社の言いなり行政ではなく、「疑わしきは罰する」の視点に立った医薬品行政が望まれる。
さらに、今までタミフルとの因果関係を否定されていた飛び降り自殺などの事例についても、製薬会社として真摯な態度で、早期に必要な補償が行われることを希望するものである。

公用車送迎でも交通費支給:道府県・政令市の44議長

2007年03月20日 | 政治問題
全国の都道府県と政令市のうち、33道府県と11市が、議会開会中に議長を公用車で送迎しながら、交通費などに充てる「費用弁償」もしていることが、読売新聞社の全国調査でわかったという。
37道府県市は議長に加え、送迎している副議長にも費用弁償している。事実上の「交通費の二重払い」で、見直す自治体が出ていると報じられている。
そもそも、「費用弁償」という用語そのものにも違和感を覚えるではないか。この費用は「弁償」するような内容のものではない。
さて、この報道によると、その内容は驚くべきものである。
この「費用弁償」はいずれも日額で支払われており、議長への下限額が日額1万円以上なのは、埼玉、千葉、愛知、広島、福岡など13道県と6市に上る。
他の議員より厚遇しているのは福井県で、自宅からの距離に応じて議員に9800~1万7200円を支給するが、議長には1000円、副議長には400円を加算している。現議長は下限額だが、加算があるため1万800円を支給。副議長は議長より自宅が遠く、1万2400円を支給する。
23道県と9市は他の議員と同額で、23道県は自宅からの距離に応じて3000~2万2000円を支給している。9市は、議長を含む全議員に一律額(5000円~1万1000円)を支給している。他の議員より減額しているのは、9府県と2市だという。
公用車送迎をして「費用弁償」していないのは、大阪、鳥取、高知など5都府県と静岡、神戸市で、9県は公用車送迎をしていない。
群馬県は「送迎しているのに費用弁償するのはおかしい」と条例を改正し、1月から支給をやめた。東京都も送迎される場合は、費用弁償しないことを会派間で申し合わせている。
大阪、堺両市は、議員への費用弁償そのものを廃止しており、2007年度からさいたま、横浜両市も廃止する。神奈川県は、議員全員を実費支給に改める。
住民の税金で用意されている公用車で送迎を受けながら、議会まで行く交通費を別途受け取るという行為は、あまりにも住民の感覚とかけ離れているではないか。こういう事例は、規模の小さな市町村にも蔓延している可能性が高い。
政務調査費などの不正使用なども問題になっているが、こういう無駄遣いは直ちに改めるべきであろう。
同時に、マスコミがその取材力を活かして、このような税金の不正使用を改めるために力を発揮して欲しいと願っている。
そして何よりも、住民自身が自分の税金の使われ方にもっと関心を持つことが、こういう不正使用を根絶する上で重要であることを付け加えておきたい。

自治体首長へのアンケート「小泉改革で格差広がった」

2007年03月19日 | 格差社会
4月の統一地方選を前に、全知事、市区町村長の計1882人(2月1日現在)を対象に読売新聞社が行った「全国自治体首長アンケート」で、インターネットの画面で回答する方法で、1月末~2月末に1718人から回答を得た。その結果、全体の9割が「小泉改革」によって中央と地方の格差が広がったと感じていることがわかったという。
この結果を見て、編集長はどうも驚きとともに怒りを禁じ得ない。
現在は、自治体首長のほとんどが保守系無所属である。無所属とはいうが、実質上は自民党、公明党が全面的に支援し、しかも多くの自治体では民主党までが相乗りしているケースがほとんどだ。
これらの首長は、おそらく前回の選挙において小泉首相を天まで持ち上げ、同じように「改革」を叫んで当選した面々がほとんどではなかろうか。町村長などはともかく、県知事や大都市の市長などは、小泉首相の直接の応援を受けたり、首相と並んで握手したポスターを張り出したりした面々も相当数存在するのではないかと思われる。
一部の良識ある人たちが、小泉流の「改革」の危うさを指摘してきたが、その声はあまり省みられることはなかった。
多くの国民が、小泉政権の狂気のような「改革」に熱狂したのだから、これらの自治体首長だけを責めるわけにはいかない。しかし、もし、その「改革」のために地域格差が広がり、さらに格差社会と言われるような社会の現実を感じているのなら、誠実に自らの行動を反省し、出直すべきではなかろうか。
過去の自らの行動には頬かむりをしながら、一方で、国民世論の動向を気にしながら、今になって批判を口にするのは、政治家として節操がないと言わざるを得ない。

製薬会社からの厚生労働省研究班員への寄付

2007年03月17日 | 医療・社会保障
インフルエンザ治療薬「タミフル」の副作用を調べている厚生労働省研究班長の横田俊平・横浜市立大教授(小児科)の講座に、輸入販売元の中外製薬から研究資金が渡っていた問題がマスコミに取り上げられているが、同じく班員の森島恒雄・岡山大教授(同)の講座にも同社から年間200万円程度の研究資金が渡っていたことが、13日に明らかになったという。
同社によると、森島教授の講座には使途を制限しない「奨学寄付金」として2003年、2004年、2006年に各200万円ずつ、計600万円、横田教授の講座に別途に計1000万円を支出したという。また、岡山大には2004年、2006年に計450万円が支払われたという。
これらの寄付金について、同社は「奨学寄付金は社として年間十数億円出しており、両教授への講座への寄付もその一部。優れた研究が生まれることを願って出しており、研究結果に影響するものではない」と言う。
国立大学も、国の予算に頼らず、研究成果を企業に売り込み、研究のための資金を独自に調達する必要に迫られている。また、国策として産学協同などが大いに推進されている時期であることから、有望な医薬品の研究やその製品化にあたって、医薬品会社と医師の連携が必要なことは言うまでもない。
しかし、厚生労働省研究班という半ば公的な立場にある医師の発言は、政府の政策にも大きな影響を与えることになり、実際に、政府はタミフルを備蓄することを決め、そのために莫大な予算をつぎ込み、中外製薬はこの備蓄によって多大な利益を得たはずである。
とすれば、この製薬会社の利益の一部が研究班員である両教授に渡るということは、事実上の賄賂にあたると考えられるのではなかろうか。
大学と製薬会社が、両者の契約に基づいて、共同研究を行い、そのための研究費が支払われることには何の疑義もないが、今回のように厚生労働省研究班の班長あるいは班員という立場の者が特定の会社から寄付を受ける行為は厳に慎むべきである。また、そのような寄付を受けた場合は、その会社の製品の評価や議論に参加できないといったルール作りも必要であろう。
特に、タミフルの服用により、中高生の患者での異常行動が話題になっている時期でもあり、国民の目から見ても不審は拭い去れない。

ライブドア事件、堀江被告に1審の判決

2007年03月16日 | 社会問題
ライブドア事件の首謀者、堀江貴文に、懲役2年6ヵ月という1審の判決が下った。
悪い奴だったし、実刑は当然だなとの思いとともに、彼を「時代の寵児」などと持ち上げてきた政治家やマスコミ連中、また儲けに目がくらんでライブドア株に飛びついた国民のバカさ加減にもウンザリした事件だった。
事件が発覚するや否や、政治家連中は知らんぷり。マスコミも掌を返したように、堀江批判を開始する始末で、例によって、ワイドショーなどでおもしろおかしく取り上げるだけであった。報道機関としての信念や節操がないために、捜査や世論の動向を見ながら、右往左往する姿が目立った。
また、ライブドア株で大損をした一般投資家は、被害者の会などを作って、民事訴訟で投資したお金を取り返そうとしているようだが、いろいろと不正が絡んでいるとはいえ、やはり、投資は自己責任だろう。というのも、不正な情報であったかもしれないが、実際にライブドア株に投資し、事件発覚前にうまく売り抜けて大もうけをした人物は無罪放免ではないか。これらの大もうけした人たちに対して「不正に儲けたお金だから返還しろ」などと言えるだろうか。たまたま「もっと値上がりするぞ」などと欲深いことを考えて、結果的に損をしたから騒いでいる。ただそれだけのことではないか。
株をはじめ、投資というのはそういうものだ。損をした人間の陰には、必ず儲けた人間も存在するのだ。堀江被告やライブドアは、粉飾や自社株の分割や売り抜けなどの不正な行為を行っていたわけだから、これに対して返金を要求することは極めて常識的な行為ではあるが、果たしてどの程度のお金が戻ってくるのだろうか。そんな悠長なことに時間やお金を使わずに、ろくに調査もせずにこの胡散臭い株に投資した自分の愚かさを真摯に反省し、まじめに働いて稼ぐことを考えたほうがよほど有益だと思うがいかがだろうか。
現代日本人の拝金主義、ご都合主義、浅ましさ、卑しさ、愚かさ、汚さ、・・・ を改めて思い起こさせてくれた象徴的な事件だった。

また出た!公明党の政務調査費の不正使用

2007年03月15日 | 政治問題
埼玉県越谷市議会の公明党市議団が2005年度に支出した政務調査費で、白紙の領収書に架空の飲食費を書き込んで不正に処理したケースのあることが分かった。
発覚当初は、同市議団の杉本代表が「他の領収書が紛れてしまったと思う」と説明していたが、朝日新聞の取材に、「認識が甘かった。不適切な領収書を出して申し訳ない」と領収書を不正に作ったことを認めたという。
問題の領収書は、越谷市内のラーメン店で2005年5月10日に、市議団6人の昼食代として1万8000円を支出したという内容になっている。ところが、同市議団の6人全員が、5月9日から11日まで長崎県へ行政「視察」のため旅行中で、越谷市にはいなかったという。
同市議団の杉本千恵子代表によると、2泊3日の視察旅行中の飲料費や地元駅までの電車代などの雑費を1日1人1000円として計算し、6人で3日間に計1万8000円かかったことにして、杉本代表が越谷市内の飲食店の白紙の領収書に自ら金額と日付を記入したという。「視察」に要する経費は別途支給されているはずだから、これは明らかに詐欺行為である。
このラーメン店で最も高いメニューは、みそチャーシューめんと塩チャーシューめんの850円。店長は「6人で1万8000円を飲食するのはまず無理。『公明党市議団』あてに領収書を出した覚えもない」と話しているという。
同市議団は、7日付で1万8000円を市に全額返納したというが、これなどは、泥棒して見つかったら返せばよいという行為に等しい。公明党は、目黒区では全員辞職したが、越谷市では返金して幕引きというのも納得できない。
しかも、今回はたまたま領収書の日付が長崎への「視察」日と重なっていたから判明したが、日付が違えば、おそらくウヤムヤのままになった可能性が極めて高い。また、日付が異なる他の領収書は根拠のあるものなのか、甚だ疑わしい。
さらに、長崎の「行政視察」そのものの内容も容易に想像がつくというものである。
当の公明党市議団は、今頃は「ちょっと日付を変えておけばばれなかったのに」と悔やんでいるに違いない。
政務調査費の不正使用問題は、以前より本紙でもたびたび取り上げ、まだまだ氷山の一角であることを指摘しておいたが、今後も不正使用はどんどん出てくるだろう。
こういう税金の無駄使いや不正を許さないためには、選挙の時だけでなく、今回のように住民やマスコミが情報公開によって、政党の行動を日常的に直接監視することが重要であることを物語っている。

労働を通して見た日本社会

2007年03月14日 | 経済問題
「富の源泉は労働である。」ことを看破したのは、「諸国民の富」の著者であるアダム・スミスである。人間は労働することによって、労働対象となった物には新たな価値が付加されていく。
たとえば、鉄鉱石から鉄を取り出し、それをさらに鉄板や棒に加工するといったように、特定の素材に人間の労働が加わることによって、次々と新たな使用目的を有する商品が出来上がっていく。この労働価値説は、その後マルクスによって理論的発展をみたわけである。
多くの労働者は、自分の持つ「労働力」の一定時間を資本家に売ることによって、給料(賃金)を得て生活している。「労働力」も他の商品と同じように、売買される商品なのである。
資本家は、購入した「労働力」を使用することによって、たとえば鉄鉱石から鉄板を作らせ、新たに価値が付加された鉄板という商品を売って儲けるわけである。
他の商品と同じように、「労働力」もそれを使用することによって磨り減ってしまう。しかし、「労働力」という特殊な商品は、生身の人間に付随するので、労働者が食事をし、睡眠をとり、休息を取ることによって回復し、翌日にはまた同じように労働することができる仕組みになっている。
したがって、「労働力」という商品の価格は、基本的には、この「労働する能力」を維持するのに必要な衣食住や文化的な生活の維持、知識の習得などの費用によって決まる。
「労働力」には、個人差がある。同じ労働をしても、作業が速い人、遅い人がいるのは当然である。作業効率が高い人には多くの給料が支払われる仕組みになっている。
しかし、たとえ作業が遅い人であっても、少なくとも生命が維持されるだけの給料が保証されなければ、「労働力」を再生産できないことになる。
産業革命以来、科学技術は長足の進歩を遂げてきた。それに伴って、生産性は著しく向上し、以前は1日かかっていた作業が、わずか数時間あるいは数分でできるまでになっている。
また、社会の文化水準も飛躍的に向上してきた。以前は、衣食住が満たされれば事足りた「労働力」の維持も、最近ではそれだけでは足りず、高度な技術の習得や維持なども必要になっており、さらに文化水準の向上に伴い、様々な文化の享受などにも費やす必要が生じている。
しかし、今の日本の現状はどうだろうか。
働いても、衣食住さえままならない、「労働力」の再生産ができないワーキングプアと呼ばれる貧困層が増え、衣食住が事足りている労働者も、毎日の残業でろくに睡眠も取れず、「労働力」の再生産ができないばかりか、豊かな文化水準を享受する時間的なゆとりさえ失っている。最悪の場合には、過労死という「労働力」の完全な喪失に至るケースさえ存在する。
労働生産性の飛躍的な向上によっても、労働環境を巡る問題はまったく解決していない。むしろ矛盾は広がっているように見える。その原因は、大企業、資本家が、「労働力」の再生産に必要なだけの給料や時間を労働者に分配していないことによるものである。最近の格差社会の原因はここに存在する。
現在の高度な生産力があれば、作業効率の低い労働者にも最低限の給料を保証し、効率の良い労働者には、より多くの給料が保証できるはずだ。しかも、非正規雇用者を正規に雇用し、残業なしで、労働時間もさらに短縮し、多くの労働者が文化的な生活を十分に享受し、堪能できるだけの十分すぎる時間も保証することができ、これによって、人間としての生きる喜びが広がるはずである。
労働という行為を通して、日本社会の歪(いびつ)な現実と本来の人間のあり方に関心を持っていただければ幸いである。

低賃金で外国人研修生転がし

2007年03月13日 | 格差社会
日本の高い技術を学んでもらおうと国際貢献の一環で設けられた外国人技能実習生・研修生制度を悪用し、賃金を不当に安く抑える「研修生転がし」と呼ばれる手口が各地で横行しているという。
同制度では、研修生は1年間、座学や実務の研修を受け、国からの委託で自治体が行う技能や日本語などの検定に合格すると、実習生としてさらに2年間の技能実習を受けられる。研修生への手当は受け入れ企業などの裁量だが、実習生は労基法の適用対象となり、最低賃金が保証される。
ところが、受け入れ企業が、研修生が労働基準法で定められた最低賃金の半分以下の「研修手当」で雇用できることに目を付け、実習生に昇格する直前に「実技試験に落ちた」などとうそを言って帰国させ、新たに別の研修生を受け入れているケースもあるという。
日曜日も休みなく1日8時間以上働いて、手当は月に5万円という研修生もいたというから、ひどい話である。
経済のグローバル化の中で、日本の労働者は、中国、東南アジアなど人件費の安い国々の労働者との競争を余儀なくされている。
しかし、今回の事例は、その廉価な外国人労働者を違法にこき使って、更なる人件費削減を行っていたということであり、これがさらに日本の労働者の待遇の低下に繋がっていく。
さらに、「実地試験に落ちた」などとウソの宣告をされ、失意のうちに日本を離れた外国人労働者は、今どのような人生を歩んでいるのだろう。
国が作った研修生制度である。このような違法な労働条件で働かせることを国や自治体はなぜチェックして防止することができなかったのだろうか。
こういう制度を悪用した企業には、厳しい罰則を設けるべきであるが、現実的には、こういう外国人労働者を研修生として受け入れ、過酷な労働を強いていた企業のほとんどは、中小零細企業ではなかろうか?
外国人研修生も、あるいは彼らを受け入れた側も、経済のグローバル化の犠牲者かもしれない。
いずれにせよ、外国人研修生の待遇が改善され、この制度が近隣諸国との友好に役立つ制度になることを心から願っている。

夕張市:退職幹部の破綻に対する当事者意識

2007年03月12日 | 国家破綻
財政破綻に陥った夕張市では、人件費の削減のため、平均30%の給与カットや早期退職勧奨を打ち出した結果、今月末で職員の約半数にあたる152人が退職する。
今月末で退職する幹部(部長職、次長職、課長職)に対して、毎日新聞社が聞き取り調査を行ったそうだ。全員が50歳以上で、部長職10人、次長職9人、課長職13人の計32人が面談式の聞き取りに応じたそうだ。
このうちのほとんどは今後の進路が決まっておらず、「市内に残る」と答えたのは半数以下で、過半数が職を求めて市外に出るという。
財政破たんに対し、「自身の責任を感じている」とした幹部は4分の1にとどまり、当事者意識の低さが浮き彫りとなったと報じられている。
大量退職による市の業務停滞も懸念し、「ボランティアで手伝いたい」(次長職)など、7人が協力の意向を見せる。しかし、「自分の仕事探しで忙しく、手伝えないのが残念」(課長職)という厳しい状況の人も多い。
また、財政破たんに対する市幹部としての責任については「チェックできなかった」「財政状況を知る立場になく、不安だったが言えなかった」(ともに部長職)、「職務に忠実だっただけ」(課長職)などの声が目立ち、責任を認めたのは9人にとどまった。
実際に課長レベルでは、直接に予算作成などに関わっていなければ、内実はよくわからなかったのかもしれない。また、仮に財政状況がわかっていたとしても、課長レベルでどれほどの発言力があったのかも甚だ疑問ではある。
これに対して部長級にもなれば、やはり責任は重大であろう。
管理職の退職理由はほとんどが「人件費削減への協力」だというが、今後、退職時期が遅くなればなるほど退職金は減る仕組みになっているので、どうせ定年に近いし、退職金が減る前に、もらうものをもらってさっさと辞めてしまおうというのが、管理職の本音ではなかろうか。
この記事を書いている最中に、市長が次回の選挙に立候補しないとのニュースに接したが、当然であろう。
定年までにまだ期間があり、とても退職できない中堅世代は、今後は給料のみならず退職金も削減され、さらに子供の教育などを考えると引っ越しもできず、夕張市内はもとより北海道内も失業率が高いため、再就職もままならないと、踏んだり蹴ったりではないだろうか。
こういう世代には、特別の配慮がなされることを期待するものである。