時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

経団連の野望

2007年01月06日 | 財界
経団連が、向こう10年間に財界が求める「日本のあるべき姿」についての「改革」の方向性を示した「希望の国、日本」(御手洗ビジョン)を発表した。
これによると、2011年度までに消費税を7%にし、その後さらに10%にする二段階の引き上げを提言する一方、法人実効税率は現行の40%から30%にするよう求めている。
また、「イノベ-ション」(革新)については、科学技術だけでなく、教育や国・地方のあり方、憲法の変革を主張し、「憲法改正を実現」することを提起している。
日米同盟を安全保障の基軸として、「ミサイル防衛」能力の向上、二国間や多国間の共同演習の推進まで求め、愛国心教育の必要性を強調している。
労働分野では、労働者派遣や請負労働に関する一層の規制緩和を提言し、ホワイトカラーエグゼンプション(労働時間規制の適用除外)の推進を求めている。
ビジョンでは、今後5年間に重点的に取り組むべき課題を114項目の「アクションプラン」にまとめている。
一つ一つの内容は、財界、大企業が経済活動による利益を独占し、国民に更なる負担や困難を強いる内容になっている。
本紙でもたびたび取り上げてきた貧困と格差の問題、非正規雇用やワーキングプアの増加、サラリーマンや高齢者への税負担の増大などの弊害も、企業が成長することによって、自然に解決するかのように描いているが、これはとんでもない誤解であろう。
現在の日本社会が抱えている諸問題は、経済活動による利潤のほとんどを大企業が独占したことによって生まれてきたものである。
このビジョンの中では、「企業エゴ」に陥ることがないように自らを戒めているが、ここに描かれている内容の一つ一つが「企業エゴ」の現われにほかならない。これを作成した人物は、そのことにも気づかなかったのだろうか。
もう一つは、この「希望の国、日本」というこのビジョンのタイトルそのものが示すように、安倍首相のいう「美しい国、日本」のスローガンに呼応する内容になっていることである。
財界が求める一連の政策は、いま政府が実際に手を付けようとしている政策そのものであり、自民党という政党が、財界の言いなりになっていることを証明するものである。
いま、多くの国民が日本の社会の行く末に大きな不安を抱いている。もうそろそろ財界、大企業の言いなりの政治に終止符を打つ時期に来ているのではなかろうか。

続、資本という怪物

2006年12月25日 | 財界
イギリスの産業革命の初期に、ロバート・オーエン(1771~1858)という人物がいた。紡績機械を使って成功し、1800年に若くして大工場の支配人となった人物である。
彼は、人間の性格は環境によるものと信じ、自分の工場で労働時間を短縮し、社宅を作り、日用品を安く売る売店を開き、保育園まで作って環境を整えるなど、資本主義の次にあるべき社会のあり方を模索し続けた。そして、労働組合や協同組合の創始者として、後世に大きな影響を残した。
資本主義の草創期に、大企業の一経営者として、人間としての良心を失わずに労働条件の改善などに取り組んだが、当然の、あまりにも当然の帰結として、他の企業との競争にうち勝つことができず、試みは失敗に終わっている。
マルクスとともに社会主義運動の発展に寄与したエンゲルスの言葉を借りれば、オーエンは「空想的」社会主義者だった。企業経営者の良心に訴えても、資本の横暴にストップをかけることはできないのである。その行為は、所詮は絵空事に過ぎなかったのである。
前回の記事で述べたとおり、資本主義社会における資本は、絶えず自己増殖を要求する。労働者、国民が黙っていれば、最大限の利潤の追求が行われ、労働条件は極限まで切り捨てられることになる。
先日も、厚生労働省の労働政策審議会において、ホワイトカラーエグゼプションが提案された時、経営者側委員からは「過労死、長時間労働は各企業で正せばよい」と主張した。
個別の企業に、残業の規制が期待できるわけがない。それは、この現代日本に2人目のロバート・オーエンの登場を期待するものであり、問題の本質はまったく解決しないのである。
個々の企業家の理性や良心に、資本の暴走のストップを期待するのは、200年前のオーエンの愚行を繰り返すだけである。
資本を動かすのは人間であるが、残念ながら、経営者、資本家にそれを委ねることはできないし、また、期待しても意味がないのである。
企業の横暴を規制し、労働条件を守る法律を作り、それを労働者、国民が監視することによってのみ、資本の横暴に歯止めをかけることができるのである。資本の横暴に歯止めをかけられるのは、その直接の被害者である労働者を中心とした国民以外にはないのである。
残念なことに、今の日本は、この資本の論理を後押しする勢力が国会で多数を握っている。
したがって、たとえ遠回りのように見えても、資本の横暴に歯止めをかける法律を作る政党の議員を一人でも多く送り込むことが、資本の横暴を押さえ込む最も近道である。
折しも、来年度の予算案が発表された。朝日新聞によると、07年度に実施される減税の98%は企業向け。安倍政権初の税制改正は極端な「企業偏重」であることが明らかになった、と報じている。個人に対しては1兆円超の所得税増税(定率減税の全廃)が年明けから実施される予定で、「家計増税、企業減税」の色彩が強まっているとも報じている。
この予算案一つとっても、大企業がますます儲けを貯め込むため、財界が政府に要求してきたことであり、まさに資本という怪物の要求なのである。
この怪物を制御し、国民のために役立つようにするためには、法律による規制など様々な制御装置が求められるのである。

大手銀行をめぐる2つの話題

2006年12月20日 | 財界
三菱東京UFJ銀行とみずほフィナンシャルグループが年内にも政治献金を再開することに対し、批判が噴出し、とうとう献金を断念したと報じられている。不良債権処理が終わった大手銀行は巨額の利益を上げているのに、過去の赤字を理由に法人税を払っていないし、超低金利の預金金利や手数料など利用者への還元も不十分だ。それにもかかわらず、政治献金だけは「黒字企業だから当然」と特別視している姿勢には、「大手銀行のご都合主義」との厳しい指摘があり、今回の見送りが決定した。受け手の自民党も献金を辞退すると表明した。
本紙でも、この件は厳しく批判してきたが、世論の盛り上がりが献金にストップをかけたことは喜ばしい限りである。
もう一つは、大手銀行の自民党への融資の問題だ。
自民党に対する大手銀行の融資残高が05年末で約80億円に達し、3年間で倍増したことがわかったという。03年春に実質上国有化されたりそな銀行が同期間に自民党に対する融資残高を10倍に急増させたためだが、三菱東京UFJなど3大銀行は融資を圧縮しており、自民党から3大銀行への返済をりそなが肩代わりし、その残高は54億円に達している。
自民党本部の毎年の政治資金収支報告書によると、05年末の銀行の融資残高はりそなが約54億円と突出。大手銀行は旧東京三菱(現三菱東京UFJ)銀行が3億7500万円、旧UFJ(同)、みずほ、三井住友各銀行が7億5000万円だそうだ。
この記事を見て、つくづく自民党と銀行との癒着を再確認した。
そもそも、返済が必ずしも確実とは言えない政党への融資に大手銀行は当時から慎重だったらしい。政党は営利企業、営利団体ではない。にもかかわらず、何を担保にこれほど多額の資金を貸し出すのだろうか。もちろん、自民党にも資産があり、収入もあるだろうが、それはあくまでも使うための資産であり、収入であって、利潤を生む性格のものではない。結局のところ、銀行にすれば政策的な優遇などを期待しての融資(事実上のわいろ)であろう。
銀行は前述のとおり、政治献金の再開を中止したが、もし再開すれば自民党への融資の返済原資を今度は、銀行自身が穴埋めすることになる。利益を受けるのがお金を借りている自民党というのはとんでもない話だ。元は公的資金という名の血税であり、顧客サービスを徹底的に切り捨てて溜め込んだお金が、自民党に還流されるという典型的なわいろ政治である。
大手銀行は93年の総選挙の際、当時の都銀8行が自民党に総額100億円の協調融資を実施した。将来の企業献金を返済にあてることが融資条件で、当時の経団連の平岩外四会長が「経団連が返済に協力する」との念書を銀行側に示したと言われている。
このように、自民党は銀行からの献金を含む将来の企業献金を担保にして、銀行からお金を引き出し、その見返りに公的資金の投入、ゼロ金利政策による預金金利の引き下げなど、徹底した銀行支援策を行ってきたのだ。こういう政党と財界・大銀行との癒着を根本から断ち切るのが、企業献金の禁止である。
企業献金にストップをかけることは、日本の腐敗した政治構造を是正するうえで特に重要な課題であり、今回のように大銀行が献金をストップすることになれば、日本の政治を浄化するうえで大きな一歩になるに違いない。

資本という怪物

2006年12月19日 | 財界
本紙上で、財界や大企業をずいぶんと批判してきたが、なにも特定の企業や個人に恨みがあるわけではない。(個人的な好き嫌いはもちろんあるが…。)
経団連の会長や大企業の経営者も、その人物がいなくなれば、第2、第3の会長や経営者が現れて、結局同じことをやるのだから、頭が変わっても同じことだ。
彼らも、所詮は資本という怪物に踊らされている哀れなピエロにほかならない。
資本というのは、まるで生き物のように絶えず増殖することを要求する。
そうしなければ、個々の企業は、グローバル化した企業間競争に勝ち残ることができず、結局は社員全員を路頭に迷わせることになる。したがって、個々の企業には、このくらい儲ければ十分という基準はまったくない。全てを徹底的に飲み尽くすまで、資本の増殖は止まらない。それが資本主義の宿命である。
もし私が大会社の社長になったら、…、
多くの社長とは異なり、尊大ぶった態度を取らず、社用車も使わず、満員電車で通勤し、謙虚に明るく社員に接するだろうが、おそらく、労働者の首切りや賃金の切り下げ、下請けいじめなどの徹底したコストダウンは、他の経営者と同じように行わざるを得ないだろう。
偽装請負、環境破壊、残業代の不払いなど、違法行為に踏み込むことはしないだろうが、儲けを積み上げるためには、合法的なありとあらゆる行動を取るだろう。
それは、私の意志ではない。資本の意志の為せる業だ。
だからこそ、雇用や労働条件の改善などを個々の企業に「お願い」しても、問題は本質的には解決しない。また、企業倫理を期待してもほとんど前進はしないのである。
日本は、資本主義国家であり、企業に対する規制がとりわけ甘い資本主義国家である。
企業間の競争に一定の(この「一定の」という言葉が重要だ)歯止めをかけるためには、企業経営者の意識を変えても意味はない。経営者でさえ資本の意志に従って行動しているのだから、法的に、あるいは世論の力によって「資本」の横暴や暴走に歯止めをかける以外に方法はない。
大企業のボロ儲け、その根底にある労働者への締めつけ、派遣・請負労働、下請けいじめ、偽装請負などの違法行為、…これらに法的な規制を行い、違法行為を行った企業名を公表し、世論で包囲することによってのみ、フリーターやワーキングプアの多くが解消され、労働者の賃金水準は上がるだろう。また、大企業の製造工場がある地方の経済をも潤すことになるだろう。
ところが、逆に、企業に対する法規制を緩和し、雇用や労働条件を悪化させてきたのが現在の自民・公明政権である。やれば簡単にできることだが、やる気のない政党が政権を握っていることがこの国の最大の不幸なのである。

まだまだあるぞ、財界の横暴!

2006年12月14日 | 財界
今日も、財界に関するニュースについて、2つほど論評しておこう。
ここにも、経団連の御手洗冨士夫会長が登場する。
ちなみに、この御手洗という人物は、偽装請負など順法精神がまったくないキャノンの社長であり、国民にとって都合の悪い話には必ずといっていいほど登場するので、これからはそういう目でテレビや新聞に注目していただきたい。彼が登場するところ、ろくでもない話ばかりだ。
さて、12月11日に経団連幹部と柳沢伯夫厚生労働相ら厚労省幹部との初めての懇談会が開かれ、席上、経団連側はパート労働者と正社員の給与格差の是正について「法制化(による規制)は必要最低限にとどめてもらいたい」と要望したそうだ。
現在、非正規雇用者の賃金水準は、正規雇用者の約50%と言われているが、これを法律によってたとえば「正規雇用者の70%以上とすべし」というような具体的な数字を決められると困る、バカなことは止めるようにと厚生労働省に釘を刺したわけである。
また、御手洗氏は「経済成長があって初めて安定雇用が生まれる。構造改革を進めてほしい」と労働、社会保障分野の「改革」(政府や財界が主張するこの言葉は、眉に唾しながら読むこと。)を促したそうだが、これに対して、柳沢厚労相は「年金、介護、医療改革は始まったばかりだ」と、「改革」を続ける意向を強調したそうだ。
庶民にとって、年金の掛け金は今後数年間に渡って増え続け、支給年齢は先送りになり、支給額はどんどん減らされている。介護・健康保険料負担も増え、自己負担も増えている。障害者や難病への補助金の切り捨てもある。こういう「改革」は始まったばかりだというのだから、驚くほかはない。これ以上の負担増とサービス切捨ては到底許すわけにはいかない。
しかし、この程度で驚いていてはいけない。財界の横暴はまだまだある。
「ホワイトカラーエグゼプション」という言葉を耳にした人も多いと思うが、残業代を支払いたくない財界が考え出したのがこの言葉だ。政府や財界が横文字を使い始めたら要注意。国民にとってはろくなことがない。
一般に管理職には残業代が支払われないが、管理職以外のホワイトカラーにも一定の給料を保証する代わりに、残業代を払わなくてもよいという法律を作れということだ。
具体的には、管理職手前の年齢層をターゲットにしているとのことだが、わずかばかりの給料の増額と引き換えに企業に残業代不払いを認めよというのは、とんでもない主張だ。
これに対して、厚生労働大臣は「時間より成果で決める考え方は分かる」と導入に前向きの姿勢を示したというから、なおさらけしからん話ではないか。
現在でさえ、規定された残業代を支払わず、サービス残業が横行しており、これに対して労働基準監督署からの是正勧告や裁判による支払い命令が相次いで行われていることを考えると、とてもまともな労働の対価が企業から支払われるとは思われない。
「ホワイトカラーエグゼプション」がもし法制化されるようなことがあったら、処理しきれないような大量の仕事が終わるまで、無限にサービス残業が続く事態になる。全国過労死を考える家族の会も、過労死が更に増えると危惧し、政府にこのような法制化を行わないよう申し入れを行ったと聞いている。
労働者、国民の命まで犠牲にして、更なるボロ儲けを企む財界の要求は絶対に通すわけにはいかない。
財界の横暴を規制する法律の制定こそ、焦眉の急である。

怒り心頭 - 財界の図々しい要求

2006年12月13日 | 財界
古い話で恐縮だが、先月末に政府の経済財政諮問会議が開かれ、御手洗冨士夫経団連会長ら民間議員4人が、「労働ビッグバンと再チャレンジ支援」と題する文書を提出した。この文書の内容が大問題である。一定期間後に正社員として雇用することを前提としている現在の派遣労働者のあり方を見直すという提案だ。
しかも、提案の理由を聞いて驚いた。「規制緩和で派遣期間の制限をなくすことで、派遣労働者の真の保護につながる」と主張しているのだ。どうして、派遣労働者の保護につながるのだろうか?まったく理解不能である。一生、派遣社員として過ごす人が増えることは明らかではないか。
現在は、派遣期間が1年になると、企業に直接雇用の義務が生じる。しかし、これも財界の要求によって、来年3月からはこの期間が3年間に延長される。来年3月以降は、直接雇用を希望しても、3年間にわたって派遣労働という低賃金労働を行わなければ直接雇用に道が開かれなくなるのだ。
ところが、今回の提案は、その期間さえ取り払ってしまって、企業の雇用義務を完全に撤廃して、正社員と同様に経験を積んだ派遣社員を無期限に低賃金で雇用できるようにしようという企みだ。
今でさえ、ワーキングプアと呼ばれる非正規雇用者などが増え続け、格差の広がりが問題になっている時に、企業が更に儲けを積み上げ、格差をますます拡大することが許されてよいわけがない。
しかも、現在の労働法制の根幹である「企業が労働者を直接雇用する」という基本原則にも抵触するとんでもない提案である。
更に驚くべきことに、「不公正な格差の是正」のために、「正社員の解雇条件や賃下げの条件を緩和する」すなわち、企業が簡単に首切りや賃金の切り下げができるようにし、「派遣、パート、契約など様々な雇用形態の非正社員との格差を縮める」ことができると提案していることだ。
格差の是正は、非正規雇用者の賃金の上昇によって解決を図るべきであるが、財界の主張は、正規雇用者の解雇や賃金の切捨てで、格差を「是正」しようというのだから開いた口が塞がらない。
これが、財界のいう「労働市場改革」(労働ビッグバン)だ。
しかも、この会議に出席した安倍首相は「労働市場改革は内閣の大きな課題」と言明し、来夏の「骨太の方針」に方向性や工程表を盛り込む方針という。この内閣の正体見たりという思いだ。
読者諸兄はけっして「改革」の名に騙されてはならない。
「55年体制」と呼ばれた時代があったが、もし、当時であればこういう発言そのものが容易には許されない雰囲気があったように思われる。鉢巻を締めて、デモやストライキ、団体交渉をするのは、私の性に合わないし、あまり係わり合いになりたくない。しかし、労働者、国民もこういう時代とは違った方法で、財界の思惑と対決していかなければ、知らず知らずの間に、自分自身はもちろんのこと、家族や親戚、友人などが次々とこの渦の中に巻き込まれてしまうのではないかと危惧するのは私だけではあるまい。渦に巻き込まれてからでは、もう手遅れである。
「55年体制」の時代とは異なる新しいタイプの労働運動、新たな対決方法を模索する動きも進んでいる。一人一人の国民も、携帯電話やメール、インターネットなど新たな武器も手に入れた。
黙っている手はない。沈黙は、財界や政府に承認を与える行為だ。
今の社会に矛盾を感じる読者諸兄の声がじわじわと日本中に広がることを願っている。

法人税を納めずに、政治献金は再開?

2006年12月09日 | 財界
三菱東京UFJ銀行が、経団連の要請に応えて政治献金を再開するとのニュースが流れた。これに続いて、みずほ銀行も政治献金再開の方向で検討に入ったという。
とんでもない話である。
銀行はいまバブル期にも達成できなかったような空前の利益を上げているにもかかわらず、法人税は1円も払っていないのである。
三菱東京UFJ、みずほ、三井住友、りそな、住友信託、三井トラストの6行の2007年3月期決算では、合計で2兆9600億円の利益を上げているが、それまでの赤字を翌年以降に繰り越せる「繰越欠損金制度」のおかげで、ここ数年間は1円の法人税も納めていない。
りそなは2003年から、三菱東京UFJとみずほは2002年から、三井住友と三井トラストは2001年から、そして住友信託にいたっては1995年から10年にもわたって、法人税をまったく支払っていないのである。
この「繰越欠損金制度」は、当初は、赤字を翌年度以降5年間にわたって繰り越せる制度であったが、銀行、財界応援団の政府与党により、繰越期間が7年間に延長されたため、上記のように、もうけを上げながらも税金を払わなくても済むようになったわけである。
納税は、国民にとって、また企業にとっての義務であるが、この義務を放棄する一方で、政治献金(自民党や民主党への献金)だけは復活させようという今回の銀行側の対応は到底納得できるものではない。
もし、2007年3月期の決算に従って納税すれば、この6行だけでも9000億円近い税額となるはずだ。それを免除しておいて、政治献金を復活させることは、日本の財政運営に大きな損失を与える一方で、特定の政党に資金を還流させる行為であることは明瞭であり、党利党略の最たるものだ。
しかも、銀行の個人株主や利用者へのサービス無視の行動である。
溜め込んだ利益を納税という形で国に納めることを基本としながら、株主や利用者にサービスの拡大などの形で還元することこそ、いまの銀行に求められていることはないだろうか。

とんでもない財界の要求

2006年11月14日 | 財界
日本経団連の御手洗冨士夫会長は13日の記者会見で、税制改革の焦点になる法人税の実効税率(現行約40%)について、「欧州など各国の状況をみても30%をめどにして考えるべきだ」と強調し、政府・与党に対し年末にまとめる2007年度税制改正大綱に引き下げ方針を明記するよう求めたという。
大企業は、バルブ期にも達成できなかったようなものすごい収益を上げており、国税庁によると、法人申告所得は14年ぶりに50兆円を突破しており、史上4番目の好景気に浮かれているのである。
そして、二言目には、日本企業が「国際競争力を失っては困る」と言うのであるが、それは企業の勝手であろう。
御手洗氏のキヤノンは、本紙でもたびたび報道してきたように、偽装請負という違法行為にまで手を染めて、労働者を搾り取り、現在問題になっている格差社会を作り上げて張本人ではないか。
そして、減税の具体的な実施時期に関しては「(消費税率の引き上げなど)税制全体の抜本見直しのタイミングに向けてになる」と述べ、08年度以降に段階的に引き下げるべきだと述べたという。
一方で、弱者に負担の大きい消費税の増税を主張しながら、自分には都合の良い法人税率の減税を主張する。とんでもない話だ。
更に許せないのは、これに対して、財務相が実効税率について「イコールフッティング(公平な条件)という面から見てこの辺は課題だ」とも述べ、改めて引き下げの必要性を強調したという。そして、御手洗会長が来年度税制改正で引き下げの道筋を示すべきだと語ったことに関しては「経団連がそういう意見を出していることはしっかり留意しなければならない」と物分りの良さを示していることである。
今までに何度も述べてきたことであるが、日本という国は、大企業や財界への規制が極めて不十分な歪(いびつ)な資本主義国である。
せめて、現在制定されている法律を守らせるだけで、偽装請負などで苦しんでいる何十万人もの労働者の生活を世間並みに引き揚げることができるのであるが、それさえも不十分な対応に終わっている。
安倍政権は、しきりに「セイフティーネット」という言葉を口にするが、一方では、財務相がこういう財界応援団のような発言をして憚らないのである。
この政権のめざす国作りの本質を垣間見た気がした。

日本経団連の政策を語る会

2006年08月19日 | 財界
財界の総本山、日本経団連が2005年から自民、民主両党と「政策を語る会」を開催している。
経団連は、2003年より企業献金を希望する政党への献金の斡旋を再開したことに伴い、各政党の2003年の総選挙政策への評価を実施したが、2005年からは、政策を語る会として毎年開催しているものである。「企業献金が欲しいのなら、経団連の要望に沿った政策を作って持っていらっしゃい」ということである。
今のところ、企業献金欲しさにこの呼びかけに応えて、ノコノコと経団連に出かけて行ったのは自民党と民主党の2党だけであるが、両党ともその対応は極めて卑屈なものである。また、与党の一角の公明党も企業献金を受け入れており、公明新聞には連日のように企業広告という形で献金が行われている。
さて、この政策を語る会であるが、2005年の初回会合には、自民党は党幹部など26名、民主党は当時の岡田代表など25名が出席し、2006年にも民主党は小沢代表を含む幹部が出席している。
両党とも、経団連が事前に発表した優先政策についての見解をまとめて提出している。このレポートは、経団連のホームページにも紹介されているが、一覧表にまとめられ、その形式も両党ともまったく同じである。
用紙の大きさ、提出形式まできっちりと決められ、内容について、後日A、B、C、D、Eの5段階評価の「通信簿」を受け取るところなどは、大学のreportなどよりずっとレベルは低い。
2大政党制で政治が変わると民主党だけでなく自民党からも、そして多くのマスコミなどからも宣伝されるが、自前の財政基盤を持たず、収入の多くを財界からの献金に依存し、その見返りに財界の言いなりの政策を掲げ、実行する2大類似政党が誕生して、いったい政治の何が変わるというのだろう。しかも、献金だけでは足りずに、政党助成金という名で年間300億円以上の税金の分け取りまで行っているのである。
バブル崩壊後の不況の最中に進められてきたことは、財界の要求に沿った減税、規制緩和だった。リストラ、規制緩和、民間委託、法人税減税、消費税率のアップの宣伝、金融の自由化など、すべて財界の要求に従って行われてきたものばかりではないか。これらのすべてに民主党も賛成して、いやむしろ、自民党以上にその成果を競い合ってきたではないか。規制緩和の数字を競い合い、民営化、民間委託を進めてきたのは、与党と野党第一党の民主党の猿芝居である。
その結果、この10年間に、銀行、大企業は、膨大な不良債権の後始末を終え、逆に莫大な儲けを積み上げてきた。
財界にとっては、自分たちの言うことを素直に聞く政党であれば、自民党でも民主党でもどちらでも差し支えはない。財界が書いたシナリオに従って、自民党や民主党がそれを演じ、マスコミがここぞとばかりに振りまいている2大政党の幻影に惑わされている限り、国民にとって安らかな暮らしが訪れることはない。
こういう財界の思惑と対決する野党らしい野党が国会で少数になってしまったことは、国民のとっての最大の不幸と言わざるを得ない。