時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

紳士服大手「コナカ」に労働組合結成

2007年02月28日 | 格差社会
インターネットのブログでのやり取りをきっかけに、紳士服大手「コナカ」(本社・横浜市)に今月、労働組合が誕生したという。全国の店舗に散らばる社員らが、労働条件の不満を書き込むうちにブログで「団結」し、会社に改善を求めようと話が進んだ。サービス残業や休日出勤の是正などを求めていくと報じられている。
組合は「全国一般東京東部労組コナカ支部」。茨城県の店舗に勤める25歳の副主任が委員長に就き、書記長は他店の同僚が引き受けた。
1年ほど前に、NPO法人「労働相談センター」(東京都葛飾区)に、コナカでの長時間労働などを訴える匿名の手紙が相次いだ。同センターはブログで、具体的な事例を寄せるよう従業員と家族に呼びかけたところ、ポツポツと書き込みが始まったそうだ。
組合の委員長も、相談先を探してブログにたどり着いた。朝8時半に出勤し、閑散期でも夜8時半、繁忙期には9時、10時まで働く長時間労働や、残業代の制限、有給休暇が取りづらいことなどに疑問を感じていたという。
コナカの人事部は、長時間労働の実態は把握しておらず、調査中というから、職場にはサービス残業が横行していた可能性が高いが、団体交渉には真摯に対応したいということである。
労働者は、一般に弱い立場にある。不満があっても、会社の言いなりになるしか仕方がないとあきらめている例が多いと思われる。会社の帰りに屋台で一杯やりながら上司や社長の愚痴を言い合って、憂さ晴らしをしても、本質は何も変わらないのである。
今回のように、労働組合を結成し、団体交渉などを通じて、自らの人生は自ら切り開いていくことなく、職場環境も、自らの人生も打開することはできないのだ。
勇気ある行動と素晴らしい人生に拍手を送るとともに、労働組合が職場でしっかりと根を張ることを願っている。
そして、このような取り組みが、ワーキングプアと呼ばれる貧困層をなくし、サービス残業や過労死を防ぐもっとも有効な手段であることを確信している。全国の職場に広がることを応援したい。

「学校に行きたい~極寒モンゴルの移動教室~」を見て

2007年02月27日 | 教育
先日、フジテレビ系列で「学校に行きたい~極寒モンゴルの移動教室~」という番組が放映された。
女優の永作博美が、モンゴルの遊牧民一家の8才のナラという女の子を訪問する。
ナラは、怪我をした父や病気の母を助けて働くことに忙しく、兄や姉が通った村の学校に通っていない。「字を覚えたい」と言い、仕事の合い間にも、ボロボロになった教科書を開くことを楽しみにしている。そんな少女だ。
モンゴルでは、夏と冬の学校の休みに、学校に通えない子ども達のために2週間の移動教室が開かれている。ナラはこの教室を心待ちにしている。
さて、番組内容の詳細をここに紹介しようとは思わないので、興味のある方は、別のホームページを調べてみて欲しい。
この番組の最後に、学校に行きたいのに行けない子どもも、学校に行けるのに行きたくない子どももどちらも不幸だという趣旨のナレーションがあったが、編集長はこの番組を見て、日本の学校教育のあり方を考えさせられた。
新しい知識を得ることは、成長期の子供にとって何よりの喜びであるはずだ。
新しい文字や計算の仕方、自然や宇宙、日本や世界のこと、いずれも驚きに満ちた世界のはずだ。ところが、残念なことに、日本ではこういう一つひとつのことを学び、知ることが子供たちにとって苦痛になっているというのはどういうわけだろうか?
もっとも大きな原因は、個々の子供の能力や学力に合わせた指導や援助が行われていないからだろう。
教師は、決められた期間に決められただけのページ数の授業をこなし、わからない生徒がいても、どんどん先に進まなければならない。小学校2年生で掛け算を学ぶが、ここで取り残された生徒にとっては、それ以降の中学卒業までの数学の授業は、まったく無味乾燥なものになるだろう。
3年、4年と学ぶことが多くなればなるほど、落ちこぼれ(「落ちこぼし」というほうが正しいかもしれない)は増えてゆく。
子供たちは、テストの点数によって序列化され、競争を強いられ、授業についていけない子供たちは、どんどん置いていかれる。こういうやり方が子供の成長に望ましいわけがない。
義務教育というのは、すべての生徒が学び、理解すべき内容を含んでいる。最後の一人まで、というのは現実的には無理かもしれないが、せめて、7割、8割の生徒が完全に理解できるまで、工夫をして、援助すべきではなかろうか。
しかし、これらはけっして生徒本人や学校任せにしてはならない。ましてや、塾任せでは到底ありえない。親や地域なども協力して、子供たちの学ぶ意欲に応えるとともに、学ぶ喜びを感じてもらえるような努力が必要であろう。
遠くモンゴルの地に住む小さな少女を通じて、そのことを考えさせられた。

石原慎太郎の暴走 -自公民も同罪-

2007年02月26日 | 政治問題
本紙で何度も取り上げてきたが、石原慎太郎の暴走にはなかなか歯止めがかからない。
それもそのはず、都議会は共産党以外のすべての政党が石原知事の実質与党であり、いままで、石原知事を天まで持ち上げてきたからだ。
2005年の都議会議員選挙の際には、自民党だけでなく民主党議員の中にも、石原慎太郎との仲睦まじいツーショット写真をパンフレットに乗せた議員も存在する。
2月14日に開催された都議会で質問に立った田中良民主党幹事長が「公私の境目を見失い、周囲に太鼓持ちを置く裸の王様」と威勢良く批判したものの、石原知事から「選挙も近いせいか、たいそう派手な質問演説だ。都政に対する評価は30点だそうだが、ならばいままでなぜ都の提案に民主党はすべて賛成してこられたのでしょうか」とやり返される始末だ。
いま都政で話題になっている石原知事の豪華海外出張問題でも、自公民の与党は到底それを批判できる立場にはない。
都民の批判を受けて中止していた議員の海外視察を2001年に再開し、この6年間で、自民党が4回、公明党が1回、自公合同で2回、民主党が5回にわたり公費による海外視察を行っている。
議員一人当たり155万円の税金の無駄遣いだ。
自民党がミラノ観光を行えば、民主党はラスベガスにカジノやブラジルのイグアスの滝見物としゃれ込んでいる。
また、2005年に共産党から提案された月額60万円の政務調査費への領収書添付義務付けの条例案には、自民党、公明党だけでなく、民主党も反対している。この一事を見ても、これらの政党がどのように政務調査費を使っているか、およそ見当がつく。税金のつかみ取り以外の何物でもない。
こういう自公民という「太鼓持ち」の議会での馴れ合いが石原都知事を「裸の王様」にした張本人であろう。
公費での豪華外遊、税金での飲食、身内の重用など新聞や週刊誌で次々と明らかになる石原慎太郎の横暴に、良識ある都民や国民はもうウンザリしている。
一刻も早く日本の首都東京の都知事という立場から引きずり下ろしたいと願っているのではなかろうか。
この醜悪な都知事と議会でまともに論戦しているのが共産党しかないというのは、情けない限りだ。
都民、国民による与党勢力への監視は今後ますます重要である。

広がる直接雇用

2007年02月24日 | 格差社会
本紙でも何度かにわたって取り上げてきた問題に、偽装請負、非正規雇用の問題がある。
これらの問題を解決することは、特に、若年層でのワーキングプアを解消し、青年たちに夢と希望を切り開くことになると主張してきたが、その動きが徐々に全国に広がっている。
本紙で取り上げた光洋シーリングテクノ、日亜化学をはじめ、いすゞ、富士通や松下の関連会社など、直接雇用への動きが確実に広がっている。一部には、契約期間が短かく、一部の派遣社員の直接雇用にとどまるなど不十分さは残っているが、直接雇用が広がっていることは、大変うれしいことである。
さて、地方自治体などでも、この動きが始まっている。
栃木県野木町が町立保育所に人材派遣会社から受け入れていた保育士12人を直接雇用するとの記事が出ていた。町は人材派遣会社と業務委託契約を結んでいたが、保育士側は「実質的に派遣状態で働く違法な偽装請負が行われている」などと主張。受け入れ期間が労働者派遣法で直接雇用を求められる3年を超えていたため、直接雇用を求めていたが、これに対して、町側は偽装請負の事実は認めていないが、保育業務を行うには直接雇用した方が効率的と判断し、12人全員を最大5年の制限付きの嘱託職員として採用することになったという。
国や地方自治体は、財政難を理由に、本来自治体などが行うべき仕事を何でもかんでも民間委託を行い、派遣や請負として非正規労働者を受け入れる動きや民間への業務の丸投げが全国に広がっている。しかし、地方自治体などは本来、今回のように直接雇用を行い、偽装請負や非正規雇用を進める民間企業の模範となるべきであろう。安かろう悪かろうで良いはずがない。
付け加えて言えば、国や自治体が削減すべき経費は、予定価格の95%以上といった高額で落札される公共事業費、大型開発予算や種々の委託経費であり、首長や議長の官舎や公用車、何に使われているかわからない政党助成金や政務調査費、無駄な軍事費などであろう。
現在、若者の3分の1を占めるといわれる非正規雇用を完全に解決するだけで、若者の年収が上がり、ワーキングプアと呼ばれる貧困層の解決に大きく踏み出すことになる。また、これによって、消費も上向き、結婚や子育てもできるようになり、少子化対策にとってもプラスに働くことだろう。
さて、国民もそろそろ、安ければよいという考えから脱却すべきであろう。
安い製品のウラには、多くの労働者の血肉を削られるような偽装請負や非正規雇用が存在し、読者諸兄の子息や知人、友人などもこの非正規雇用の渦に巻き込まれる可能性が高いのだ。また、非正規雇用者の賃金の低下は、正規雇用者の賃金の低下を招き、不安定な雇用をますます促進し、雇用の保障さえ行われなくなるのは、今までの社会の中で見てきたとおりだ。
また、マンションの耐震偽装問題も、地方自治体で行われていた検査を民間委託できるように法律を「改正」したことが事の発端だ。安い物には安いなりの理由があるのだ。
閣僚や政権を握る与党議員などは、「民間でできることは民間で」と声高に主張し、多くの国民がその主張に熱狂したが、その結果削られたものは、国民、住民への直接的なサービスだけであり、「おいしい無駄遣い」はそのままの彼らの下に温存されている。結局、バカを見たのは国民や住民だ。国民も、そろそろこの仕組みに気づくべきであろう。

石原慎太郎の三宅島でのオートレース計画

2007年02月23日 | 政治問題
石原慎太郎が三宅島の都道を開放してのオートレースを計画している。
先日の東京マラソンやオリンピック招致など、とにかく一発芸を披露して、都民の支持を繋ぎ止めようと必死である。
例の豪華海外視察でイギリスのマン島のオートレースを見学して(視察のついでにオートレースを見たのではなく、オートレースを見るためにイギリスまで海外視察に行ったというのが真相である!)、感激して帰ってきた石原慎太郎が何を血迷ったか、三宅島でオートレースを催して、三宅島復興の起爆剤にしようとしている。
さて、この開催費用が何と3億5千万円であり、災害復興特別交付金をつぎ込むという。
家を失い、避難生活を余儀なくされ、未だに三宅島に帰れない島民は多い。
住宅や教育・公共施設の復興、火山活動の監視、住民や観光客の安全確保、観光資源の再構築・再開発、本土との交通機関の充実など、三宅島が取り組まなければならない課題は多い。
これだけの費用があれば、島民の生活の復興のためにもっとできることがあるはずだ。
ところが、東京都最大の老廃物、石原慎太郎の頭の中には、島民の視点に立った生活の復興などという考えはまるでない。
本当に、オートレースを1回やれば、三宅島の復興ができると思っているのだろうか?
それとも、島民の安全や迷惑も省みず、定期的にオートレースを開催するつもりなのだろうか?
島民から、オートレース開催の希望が寄せられているのだろうか?
島民の生活再建のために、本当にオートレースが役立つと思っているのだろうか?
彼の精神構造を疑わざるを得ない。
また、この老知事の妄執にストップをかける幹部職員は東京都にはいないようだ。このこともまた、三宅島の島民や三宅島の復興を願う多くの都民、国民に失望を抱かせるものである。

狼少年と国家破綻

2007年02月22日 | 国家破綻
「狼少年」というと、狼に育てられた少年の話を思い浮かべる読者がいるかもしれない。あるいは、ローマ建国の話を想像された読者もいるかもしれない。まさか、「狼少年ケン」を思い浮かべた読者はいないだろうが。
しかし、編集長がここで述べたいのは、イソップ物語の「羊飼いと狼」の話である。
話の内容は良く知られているので、繰り返さないが、「ウソをついていると肝心な時に誰からも信用されなくなる」という教訓に満ちた物語である。
しかし、この物語の大切な教訓は実はもう一つある。それは「狼は必ずやって来る」ということだ。羊を飼っているのだから、いつか必ず狼に襲われる時が来るので、けっして油断のないようにというのが2つ目の教訓なのである。
さて、編集長は、けっして国家破綻の待望論者ではない。一方で、国家破綻などは絶対にあり得ないとも思っていない。
しかし、国家破綻になっても自分だけは助かってやろう、などとセコイことを考えて、せっせと財テクに励んだり、海外に資産を移したりするつもりも毛頭ない。
今までの記事でも書いたとおり、財テクも所詮はギャンブルである。また、日本も海外も、どこにでも何らかの危険はある。過去においては、日本の国家破綻を真剣に心配したこともあったが、そもそも、自らの人生そのものに何の保証もないではないか。天国からの迎えが来るのは、明日かも知れないし、明後日かもしれないのに、そんなことを考えても仕方がないと思うようになった。
そんな不確実なことを考えるよりも、日本が財政破綻しないように、そのギリギリまで政府に対して最大限の努力をするよう力を尽くすことにした。
同時に、財政破綻の原因となる莫大な借金を作った自民党、この張本人にこれ以上は政権や地方自治を担当させるべきでないことを読者諸兄に訴えている。
今までと同じように借金を垂れ流していれば、「破綻は必ずやって来る」であろう。これが狼少年の教訓である。
しかし、まだ国家破綻、財政破綻は回避できると編集長は思っている。それは、今後の国民の間違いのない選択にかかっていると考えている。

最高裁が裁判員フォーラムで「不適正契約」

2007年02月21日 | 社会問題
裁判員制度周知のために2005年10月から各地で開催された「裁判員フォーラム」をめぐり、主催者の最高裁と、事業を請け負った大手広告会社・電通との契約が、実際は書面上の締結日より後に交わした「さかのぼり契約」だったことがわかった。さらに、締結日より前に開催準備が行われていたことも判明。最高裁は14日の衆院予算委で、いずれも会計処理が不適正だったと認めた。
最高裁は1960年に、「国が締結する本契約は、契約書の作成により初めて成立する」との判例を示している。契約書の締結日をさかのぼらせたり、作成前に事業を実施していたりした最高裁事務総局の行為は、この判例に自ら違反した形だ。
しかも、入札には、電通以外に4社が参加したが、この4社の見積額はすべての3億4900万円台であり、さらにこのうち3社は3億4965万円ちょうどの同額だった。
公共事業をめぐる談合などが問題になっているこの時期に、入札に参加した5社のうち3社がまったく同じ金額を提示するということに、最高裁はまったく違和感を覚えなかったのだろうか。不審としか言いようがない。
法を守るべき裁判所の総元締めがこの体たらくだ。一体国民は何を信じて生きていけばよいのだろうか。
この国のあり方や未来に、暗澹たる思いを抱くのは編集長だけではあるまい。

高校生の就職内定率はやっと80%超

2007年02月20日 | 社会問題
高校生の就職内定率が、9年ぶりに80%を超えたとのニュースが報じられた。
来春の卒業予定者約115万3000人のうち就職希望の約22万2000人を対象に調査した昨年12月末現在の高校生の就職内定率が9年ぶりに80%台に達し、81.5%となり、前年同期比3.6ポイント増で、4年連続の上昇になっていることが、文部科学省の調査で分かったという。
男女別に見ると、男子が86.1%(前年同期比3.1ポイント増)、女子75.5%(同4.2ポイント増)で、男女計の内定率は同期比で過去最低だった2002年(66.3%)より15.2ポイント高かったという。
また、都道府県別に見ると、①富山県92.8%、②愛知県92.2%、③岐阜県91.8%の順に高く、①沖縄県52.4%、②北海道62.2%、③和歌山県73.9%の順に低かった。富山県と沖縄県では40.4ポイントの差があった。
読者諸兄は、この数字をどのようにご覧になるだろうか。
以前に比べて改善しているということは、喜ばしいかぎりである。しかし、改善したとは言っても、未だに就職希望者の5人に1人が就職できない現状について、政府・与党や厚生労働省はどのように考えて、どのような対策を講じてきたというのだろうか?
この就職内定率の改善は、結局は景気回復と団塊世代の退職に備えた積極採用などによるものであり、政府として特別の手段を講じたわけではない。
その証拠に、大都市部と地方との間で極端な差が出るなど、地域間格差はこれまでになく拡大している。沖縄では、2人に1人は就職できないことになる。
しかも、この内定率の中には、希望する職種ではなく、やむを得ず選んだという者もいるだろう。また、過去には実際に就職してみたら、派遣社員などの非正規雇用だったなどの事例もある。
そして、不幸なことに、就職ができなかった約20%の若者が、アルバイト、フリーターなどになり、その後の転職や再就職がますます困難になり、ワーキングプアの供給源になっていく恐れがある。
景気の動向によって、若者の夢や就職が左右されるのではなく、たとえ就職ができない場合でも、様々な職種や業務が経験できる職業訓練や専門的な知識の習得などの機会が与えられ、経験を積んで社会に巣立てるような工夫が必要であろう。
さらに、企業に対して、違法なサービス残業や偽装請負をやめさせ、雇用を促進することは、やる気さえあればすぐにでもできることである。
景気回復頼みや企業任せではなく、法律に従ってやるべきことをすぐにやることが厚生労働省や文部科学省の責任である。

続々と明るみに出る政務調査費の不正使用

2007年02月19日 | 政治問題
以前からたびたび本紙でも取り上げてきた政務調査費の不正使用問題については、これが氷山の一角であることを指摘してきたが、その実態が次々と明るみになってきた。
まずは、広島市議会。
政務調査費がクリーニング代、メガネの購入費、自動車の購入や自動車税などに使われていた実態が明らかになった。
市民が広島市の監査委員に対して実態解明を求めていた監査請求の結果、公明党が357万円余、市民・民主フォーラムが27万2千円余の違法な支出または不当な支出が判明したとして、広島市に対し返還を求めるよう勧告した。
公明党と市民・民主フォーラムは、広島市が返還を求めれば応じる方針だというが、市から求められなければ返還しないという厚顔無恥な姿勢に終始しているというのは、市民感情として到底納得できないだろう。公明党は、目黒区での政務調査費の不正使用が発覚した際は、所属議員全員が辞職したが、広島では辞職は考えていないらしい。政党としての一貫性もまったくないことを指摘しておきたい。
もっとも、ここでも辞職をすると、次々と別の自治体でも辞職するハメになるので、最初の目黒だけで話を収束させてしまおうと魂胆かもしれない。ここも総辞職をしたら、全国の地方自治体で総辞職になる可能性が高く、公明党議員は一人もいなくなってしまうだろう。公明党らしいといえば、公明党らしい対応だ。
次に、以前に問題になった東京、品川区議会でもそのハレンチぶりが暴露されている。
品川区議会の自民党区議団が、政務調査費の収支報告書に、漫画や推理小説、ポルノ小説などの領収書を添付していたことがわかったという。
提出された書店の領収書は一見しただけでは書籍名はわからないが、レシートにある識別番号からわかった。同区議団は「不適切なものがあった」として、政調費の返還に向け過去の収支報告書などを調べているそうだ。
同区議会は、収支報告に書籍名の記載を求めていない。だが大手書店などのレジで印字されたレシートには、「ISBN(国際標準図書番号)」と呼ばれる識別番号が記載されており、書籍名が特定できる。
読売新聞が情報公開請求を行ったところ、議会側が開示した2004年度~06年度上半期の2年半分の領収書を調べた結果、辞典や評論書のほか、山村美紗、内田康夫、大沢在昌らの推理小説やハードボイルド小説などが少なくとも11冊あったという。
品川区議会では、自民党の築館区議が離党し、次回の区議会議員選挙には出馬しないことを表明しているが、これ以外にも、続々と不正使用が明らかになったということである。
2、3の自治体を調べただけで、この有り様である。全国の自治体でも、厳格な監査を行い、この際に徹底的に膿みを出し切るべきであろう。

凶悪事件について思うこと

2007年02月18日 | 社会問題
最近は殺人ばかりでなく、強盗、暴力事件、多額の横領や詐欺事件など悪質な犯罪が間髪を入れずに起きるので、ワイドショーなどでの話題に事欠かない。人の噂も75日というが、最近では1週間もすればたいていのニュースは忘れてしまう。
さて、こういう事件が起きるたびに、至極当然のことながら、犯人や被害者のことがテレビや新聞で詳細に報道される。
特に最近は、被害者の権利とでも呼ぶのだろうか、被害者の立場に立った裁判などが行われる傾向があり、テレビや新聞などでも、被害者の視点からの報道がなされるようになってきた。
犯罪には、加害者があり被害者がある。双方の立場からの報道があって当たり前であり、今後も双方向からの報道という試行錯誤を積み重ねてもらいたい。
ところで、さまざまな事件に接するたびに、編集長はどういうわけか、犯罪の直接の加害者でも被害者でもない、加害者の家族の心情が気になって仕方がないのである。
加害者が少年の場合などは、両親や親権者の責任は重大であり、加害者と同罪と言われても仕方がない。当然のことながら、両親に賠償責任も生ずる。
しかし、加害者が判断力のある一成人である場合、家族や親戚などに責任があるわけではない。家族などが法的な責任を問われたり、賠償請求をされたりするわけでもない。もちろん、家族の一員が起こした犯罪に対して、家族としてできる限りの償いに協力するだろうが、被害者としては、加害者の家族を責めるわけにはいかない。
とはいうものの、このような場合の加害者の家族の心情は如何ばかりであろう?「さぞかし肩身の狭い思いをするだろう」くらいのことは容易に想像がつくが、それ以上は想像しにくい。
最近、杉並区で大学生が近所の年老いた親子を刺殺したという事件があった。加害者は、両親と2人の姉弟との5人家族で、被害者と加害者の自宅は、ほんの目と鼻の先にあるというから、ご近所付き合いもあったことだろう。もし、編集長がこの大学生の父親や姉弟だったら、果たしてどういう行動を取るだろうか?
ご近所に合わせる顔もなく、ひたすら自宅に引きこもって過ごすだろうか、それとも自宅にも近寄らず、ホテルや親戚の家などに身を寄せるのかもしれない。
万一、こういう立場に立たされた時に、被害者に対する謝罪の気持ちを明らかにするために、マスコミに登場し、家族の犯罪を謝罪する勇気を果たして自分は持っているだろうか、などと考えてしまうのである。
罪を犯す時に、人は家族などの親しい人たちがどのような気持ちを抱くのか、思い至らないのだろうか。たぶん思い至らないからこそ、こういうおろかな罪を犯してしまうのだろう。
犯罪は、被害者とその周辺ばかりでなく、加害者やその周辺にも取り返しのつかない不幸をもたらすものであることを肝に銘じておきたい。

東京都知事選挙:民主党の迷走ぶり

2007年02月17日 | 政治問題
東京都知事選(4月8日投開票)に向けて、党外の著名人を対象に候補者選定をしてきた民主党は、本命視してきたジャーナリストの鳥越俊太郎氏の擁立が困難になったことで、党内の国会議員に対象を移すかどうかの判断を迫られているという。
そして、「最強の候補」として菅直人代表代行を推す声が党内に広がっているらしい。
しかし、本紙でも何度も指摘してきたように、そもそも民主党は石原都政の実質上の与党である。2005年の都議会議員選挙後の約2年間の知事提案489件の予算や条例について見ると、以下のとおり、自民党や公明党とともに100%賛成してきたのが民主党である。
 自民党:100%
 公明党:100%
 民主党:100%
 共産党:62%
 生活者ネット:98%
 社民党:議席なし
都議会でこのような行動を取っておきながら、対立候補を立て、自民党との対決ポーズを示すだけというのは、いかにもお粗末であり、都民、国民を愚弄する行為である。しかも、石原知事は、自民党の推薦を断る予定だというから、一体誰と対決するのかさえサッパリわからない。
知事提案に100%賛成しながら対立候補を立てるというのなら、その理由を明らかにすべきであるが、いまの民主党にそれを求めても無駄であろう。来るべき参院選挙までは、とにもかくにも、「対決ポーズ」を示すことが、この党にとっての至上命令なのだから。

中川幹事長(自民)、経団連に賃上げを「お願い」

2007年02月16日 | 政治問題
自民党の中川幹事長らが、13日に都内のホテルで日本経団連の御手洗冨士夫会長らと会談したという。本題は、今夏の参院選への協力要請だが、席上、中川氏は「経済成長こそが格差(是正)の良薬だと示すため、家計が景気(回復)を実感できるようにして頂きたい」と述べ、賃上げへの努力を要請したが、経団連側から具体的な回答はなかったと報じられている。
先日書いた「「椅子取りゲーム」社会」の記事でも書いておいたが、格差是正に向けての政府、自民党の考え方は極めて明瞭で、経済成長によって大企業が潤えば、その「おこぼれ」が回り回って、そのうちに中小企業や国民にも回って、格差も多少は改善するだろう、という発想である。
今回の中川幹事長の財界への「お願い」もこの発想によるものである。
さて、経済状況に眼を転じてみよう。内閣府が15日発表した昨年10~12月期の国内総生産(GDP、季節調整値)速報は、物価変動を除く実質で前期(7~9月期)比1.2増、年率換算で4.8%増と市場予測を大幅に上回る高い伸びとなっている。一方、個人消費は1.1%増だったが、前期の1.1%減の穴を埋めた程度で、相変わらず個人消費は上向いていないのが実情だ。この分析は、国民の感覚とも合致しているように思われる。
国内の個人消費が低迷しているにもかかわらず、GDPが年率換算で5%も伸びているということは、大企業が、国内販売ではなく輸出によって大儲けしていることを示している。
したがって、中川氏の言うように、財界に対して、儲けの一部を賃上げという形で国民に吐き出せという主張は納得できるものである。
しかし、その方法はいただけない。
自民党は政権党である。財界に対して、卑屈な態度で賃上げを「お願い」するのではなく、違法な偽装請負を直ちにやめさせ、非正規雇用者を正規に雇用させ、違法なサービス残業を徹底的に取り締まり、残業代の割り増し率を増やし、有給休暇を完全に取得させ、最低賃金を増額する、・・・、このような当たり前のことを企業に実行させたり、法律で規制したりすることによってのみ、企業に溜まった「ボロ儲け」の「ボロ」を吐き出させることができるのである。
同時に、政権党である自民、公明両党に、こういう行動を取らせることができるかどうかは、国民の側からの世論の高揚、選挙での審判などにかかっているのである。

コレクターの心理

2007年02月15日 | コイン収集など
真面目なことばかり考えていると肩が凝るので、今日は趣味の話をしよう。
本紙で書いているように、編集長の趣味はコイン収集である。また、以前の記事にも少し書いたが、焼き物に凝って、ぐい呑や徳利、湯のみ、そば猪口などを集めた時期もあり、今も相当数を持っている。これ以外にもコツコツと収集しているものもあるのだが、それについてはまたの機会に書くことにしよう。
さて、今回は「コレクター」という人種について、少し考察しておこう。
1)コレクターは圧倒的に「男」が多い。
コレクションの対象は数限りなくあるが、コレクターというとアキバ系などを見ればわかるとおり、圧倒的に「男」が多い。収入などの経済的理由かもしれない。家計の主婦にとっては、無駄なことにお金を使いたくないという心理があるだろう。また、女性の場合は、飲食や旅行など生活を楽しむことにお金を使うことが多いと思われる。宝石やブランド品などを収集する女性もいるが、一部のセレブのみの特殊なコレクションであろう。とにかく、他人から見るとゴミのようなものを大量に集めて悦に入っているのは、圧倒的に「男」である。
2)こんなものを集めてどうするの?
コレクションの対象は、実に多岐に渡っている。一般人から見るとまさに「ゴミ」以外の何物でもないような物まで集めるのが、コレクターの性癖である。
ネットで、空き缶やボトルキャップのコレクションを見たが、99.9%以上の国民にとっては「ゴミ」でしかないが、なかなかどうして、りっぱなコレクションに見えるから不思議である。
編集長は絶対にこんな物を集めたいとは思わないが、集めた人の気持ちは痛いほどわかる。そんな編集長もやはりりっぱな「コレクター」なのだろう。
3)コレクションの保管
多くのコレクターにとって、コレクションの保管は最大の関心事である。とにかく、次から次へと集まってくるので、整理しきれなかったり、部屋に置ききれなくなったり、と悩みが絶えない。テレビの「なんでも鑑定団」などに登場するコレクターを見ると、そのための部屋を借りたり、作ったりと、やはり相当苦労している。コレクションの対象を決める時には、保管場所の確保も考慮すべきである。
編集長のコレクションが、小さくて場所をとらず、保管しやすい物に限られているのも、けっして偶然ではないのである。(親父のミニSLの保管にはかなり困っているが・・・。)
4)コレクターとしての礼儀
金銭的に高価なものであれば、親族一同がまったく興味のないものであっても、心から喜ばれ、大切に後世に引き継がれるに違いない。
しかし、大量の空き缶やボトルキャップ、セーラー服姿のフィギュアなどを残されて、いったい誰が大事に継承するだろうか?こういうことを考えると、子孫に残しても嫌がられない、処分しやすいものを残すのがコレクターとしての礼儀であろう。
5)コレクターの隆盛
コレクターが増えたのは、コレクションの対象が増えたためだろう。その一因は、インターネットの発達だろう。全国のコレクター仲間と交流し、情報やアイテムの交換も容易になった。また、ネット通販やオークションなどで、手軽にコレクションを入手できるようになったためではないかと思っている。また、団塊の世代などを対象にしたコレクションアイテムを市場に送り出すビジネスも盛んである。
いずれにせよ、さまざまなアイテムのコレクションを通じて、楽しく豊かな人生を送っていただきたいと思っている。

「椅子取りゲーム」社会

2007年02月14日 | 格差社会
開会中の国会で、野党が格差問題で安倍内閣を追及しているが、やはり多くの国民が様々な形で格差を実感している証拠であろう。
非正規雇用、偽装請負、ワーキングプア、フリーター、母子家庭、生活扶助、負け組など、10年前には話題にもならず、あるいは、存在すらしなかった言葉もあり、この数年間の格差の広がりというのは、やはり現実に存在するのだろう。
野党の追及に対して、安倍内閣は、再チャレンジできる社会を作るというが、いまの社会にどんな仕組みを新たに作ろうというだろうか?
子供の頃に、椅子取りゲームというのがあった。音楽に合わせて椅子の周囲を回り、音楽が止まると、一斉に椅子を奪い合い、何人かは必ず椅子からはみ出すというゲームである。
いまの社会は、この椅子取りゲームに似ている。
自分は、悠々あるいは幸いにも、椅子に座っているが、椅子の数は限られているので、必ず座れない人たちが存在する。この人たちは「負け組」と呼ばれる。何とか努力して椅子に座れるようになると、別の人が椅子を失うことになる。昔も椅子の数には限りがあったが、それでも椅子の数はそれなりに準備されていた。ところが、バブル崩壊後は、椅子がどんどん少なくなり、座れない人が大幅に増えている。これが、今の社会の仕組みではないか。
椅子に座れない人の中には、犯罪に走ったり、日々ギャンブルなどに明け暮れたり、虚無的な人生を送っているような者が存在することを編集長はよく知っている。こういう輩(やから)に椅子を与える必要があるとは思っていない。
しかし、生まれながらに、または何らかの事情によって精神や身体に障害を負ったり、病気になったりして、満足に働けなくなることもあろう。突然の倒産やリストラによって働き手の収入が途絶えることもあるだろう。夫の死や離婚などによって、女手一つで子供を育てなければならない家庭も多いだろう。高齢になれば、病気にもなり、介護も必要になる。今はカラ元気のある閣僚諸氏も、あと20-30年もすればオムツをあてがわれるようになるだろう。要するに、誰でもが遭遇する社会の一コマ、その一コマにおいて、人間として普通の生活が送れるように、十分な数の「椅子」を準備することが政治の役割だ。
ところが、安倍内閣が進めていることは、まったく逆行している。障害者「自立支援」法も、「経費削減」しか頭になく、援助は減らしながら、障害者や家族に自助努力を求めるだけだ。生活保護費の母子加算の削減も然りである。
一方では、「改革」を続行し、経済成長路線を続けることによって、大企業が潤い、その結果、中小企業やそれらで働く国民の生活も向上するという、まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」式の遠大な構想を国会で答弁するのがこの内閣の本質である。
椅子を減らす一方で、企業が潤えば、そのうちにそのおこぼれが中小企業や国民に回って、少しは暮らしも良くなるだろうという姿勢では、格差社会を解決することは絶対にできないのである。

深刻な家計貯蓄率の低下

2007年02月13日 | 経済問題
日本の家計貯蓄率(可処分所得に占める貯蓄の割合)は、1970年代の20%台から2005年のデータでは3%台に落ち込んでいる。しかも、貯蓄ゼロ世帯が増え続けており、20%を超えている。
フランス、ドイツなどでは、経年変化は少なくほぼ10%程度を維持しており、貯蓄率が低いと言われているアメリカでも最近は上昇傾向にあり、日本と逆転したというデータもある。
また、貯蓄率の低下は、国債を購入している金融機関の原資の低下に繋がるため、国債の発行や予算編成にまで影響を与える可能性もある。
さて、このように日本の貯蓄率が低下した原因として、以下のようなことが指摘されている。
一つは、高齢者が増え、貯蓄を取り崩す(貯蓄率はマイナス)人が増えたこと、二つめに、リストラや賃金抑制によって勤労者世帯の所得そのものが低下していること、そして最後に、非正規雇用者の増加などによる若者の貯蓄率の低下などである。
団塊の世代が大量に定年退職を迎えるこれからの数年間は、莫大な退職金の貯蓄などで、貯蓄率は一時的には持ち直す可能性があるが、それが一段落すると、今度は、大量の団塊の世代が貯蓄を取り崩す側に回るため、再び低下する可能性が高い。
今後は高齢化が急速に進み、さらに現在の財界・大企業や政府の考えや行動をみると、勤労者の所得の増加もそれほどは見込めず、引き続き非正規雇用に甘んじざるを得ない若者も存在するだろう。
過去の日本の貯蓄率の高さは、年金や高齢者福祉の低さの反映であったと思われる。老後のために若いうちから貯蓄をしておこうという庶民の素直な気持ちの表われであった。
では、最近の貯蓄率の低さは、年金や高齢者福祉の充実を反映したものかと言えば、到底そうではあるまい。
年金の支給開始年齢は遅らされ、支給額も引き下げられ、健康保険や介護保険料は値上げされ、高齢者の医療費の自己負担は、年収によっては現役世代と同じ3割負担になっている。
こういう現状を考えると、現在の貯蓄率の低さが、近い将来にどういう事態を引き起こすか、容易に想像がつくのではなかろうか。
定年に達するまでに一定額以上の貯金ができなければ、生活保護などに頼らざるを得ない。生活保護などを受給できる人はまだしも幸いであろう。年齢や健康状態によっては、それさえ受給できない人や保護費の受給を潔しとしない人たちは、他人の財産を奪うか、自殺や餓死以外に選択肢はない。
最低限度の生活さえできない世帯が大量に生み出される、そんな悲惨な日本の未来図を想像してしまう。
国や地方自治体は、不要不急の公共事業を即刻中止し、貧困層に光を当てた施策を今後ますます重視すべきであると考えるのは、編集長だけではあるまい。