時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

先進国は、一層の温暖化ガスの削減を

2009年07月11日 | 環境・食料問題
主要国(G8)首脳会議は、地球温暖化対策に関する首脳宣言を発表。2050年までに世界全体の温室効果ガスを少なくとも50%削減、先進国全体では80%以上削減するとの長期目標を掲げ、先進国として温暖化対策に率先して取り組む姿勢を示した。また、産業革命以来の気温上昇を2度以下にする」ことの重要性にも初めて言及した。しかし、新興国の反対もあって、結局は、数値目標に合意できずに終了した。合意には至らなかったものの、この提起は極めて積極的であり、先進諸国も、自らも国の目標として具体的に取り組むべきである。
また、中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカの新興5か国は、主要8か国とは別に首脳級会議を開き、地球温暖化や金融危機の一義的な責任は先進国側にあるとして、これらの解決に向けて先進国に負担を求める姿勢で一致したという。
それもまた当然であろう。先進国は、温室効果ガスを大量に排出しながら、豊かな暮らしを築いてきた。その豊かさにあぐらをかいて生きるのではなく、温暖化ガスの排出を抑えるために、多少の我慢は必要であろうし、また、技術供与などで、後進国への協力を行うべきであろう。
今回のサミットでは、アメリカの積極的な姿勢が目立った。温暖化の問題にとどまらず、核兵器の削減、廃棄に関する提案も注目してよい。ブッシュ時代とは違った姿勢を感じたのは、編集長だけではあるまい。
話し合い、外交によって、国際間の合意を得ようというアメリカの姿勢は、評価してよいと思う。
今後、国際的な舞台で、オバマ大統領が大きなイニシアチブを発揮することを期待している。

世界に顔向けできない、日本の温室効果ガス削減の中期目標

2009年06月11日 | 環境・食料問題
麻生首相は、2020までの二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガス削減の中期目標を「2005年比15%減」とすること「決断した」ことを正式に発表した。
記者会見で、「決断した」などと大見得を切っていたが、京都議定書が基準とした1990年比と比べると、2005年では、排出量が増えているので、1900年比で見ればわずか8%減でしかない。
京都議定書での日本の目標は、2012年までに、1990年比で6%減である。今回の目標は、2020年までに、1990年比で7%減なので、差し引きすると、2012年から2020年までにわずか2%を上積みして削減するという、あまりにも低い目標である。
麻生首相は、「2005年比15%減」などと、いかにも大きな目標であるかのように述べたが、内実は、このようにお粗末なものであり、これでは、世界に恥をさらすだけである。
記者会見で、「100年に1度という経済危機の中でも、地球温暖化対策の手を緩めてはならない」などと述べ、さらに、中期目標の設定では「環境と経済の両立」に配慮したなどと強調しているが、口先だけのパフォーマンスである。地球環境という地球上の生命の存亡のかかった課題に対しての強い決意はまったく感じられなかった。
今回の補正予算でも、エコカーやエコ家電での一時的な補助金のバラマキのみで、環境と経済の両立には程遠い内容である。
太陽光発電、風力発電への補助など、もっと恒久的な施策への補助により、自然エネルギーへの補助を増やすべきであろう。
ドイツなどでは、各家庭の電力料金を少し値上げし、自然エネルギーを導入した家庭への補助に当てているという話を聞いたことがあるが、政府からの補助があれば、一層自然エネルギーへの転換が進むに違いない。
また、今回の会見では、その低い目標にすら到達できる見通しや具体策は提起されなかった。
これでは、まさしく絵に描いた餅であろう。
首相は、この目標で、「国際社会を主導」するというが、世界の笑いものになるのは目に見えている。我々も笑うしかない。

政府さえ批判する経団連の温室効果ガス削減目標

2009年05月18日 | 環境・食料問題
日本の2020年までの温室効果ガス削減目標(中期目標)で、日本経団連が政府の検討している6案(1990年比で4%増~25%減)中、最も削減幅が小さい案を「最も合理的」などとする意見書をまとめたことについて、斉藤環境相は、閣議後の記者会見で、「日本がそんな目標を出したら世界の笑い物になる」と批判した。
経団連の御手洗冨士夫会長は、記者会見で「国際的な公平性を確保する必要がある」などとして4%増を支持する考えを述べていたが、この発言について斉藤環境相は「技術を持った日本が後ろ向きの目標を出すことは、世界における日本の立場をなくすもの」と反論した。
そもそも、京都議定書では、2008年から2012年までの期間に、温室効果ガスの排出量を1990年比で6%削減するのが日本の目標である。2020年までには、さらに目標を上積みするのが普通だろう。
温暖ガス排出量が多い鉄鋼、電力などの大企業の会員を抱える経団連が、こういう後ろ向きの姿勢では、地球環境を守ることはできない。
御手洗会長が生きているうちは、何とか地球環境も大丈夫かもしれないが、自分の子孫のことも考えずに「あとは野となれ、山となれ」と言わんばかりの発想で、温暖化ガスを放出し続けるのでは、人間としての理性を疑わざるを得ない。
「公平性」というが、日本は、高度経済成長期を通じて、大量の温暖化ガスを排出してきたのだから、それまでの排出量も考慮して、なお一層の削減に取り組むのは当然である。
同時に、政府も、太陽光、風力発電などの自然エネルギーの普及のために、税金を使うべきであろう。温暖化ガスの削減を掲げての原子力発電の危険性は、先の新潟での地震によっても証明済みである。ドイツなどに学んで、企業だけでなく、一般家庭への太陽光発電の普及などを大胆に進める必要がある。
また、森林資源の有効活用も当然のことである。後ろ向きの目標について議論する暇があるのなら、森林資源の回復、維持のために、経団連は、カネもアイデアも出すべきであろう。

トキの自然繁殖

2009年03月27日 | 環境・食料問題
佐渡島で、トキ10羽が放鳥されて半年が経ったが、えさ不足が心配された冬場を乗り越え、現在は、オス4羽、メス4羽の計8羽の姿が確認されている。うちメス3羽は海を越えて本州へ渡り、人々を驚かせている。
春の繁殖期を迎え、トキの羽の色は黒っぽくなっているが、8羽の居場所はばらばらで、群れやペアになっておらず、このままでは、自然繁殖ができないため、本土のメスのトキ3羽を捕獲して、佐渡に戻すべきだといった乱暴な議論もある。
しかし、捕獲は、トキにストレスをかけることになり、自然に帰すという理念にも逆行する。安易な捕獲は行うべきではあるまい。あくまでも自然に任せるべきだろう。
そもそも、自然界にたった10羽しか存在しない鳥がお互いに出会って、子孫を残す可能性は皆無に近いだろう。いくら限られた地域とは言っても佐渡島は広い。ましてや、本州も含めてたった10羽の放鳥では自然繁殖は望めまい。
今後、毎年のように、5羽、10羽と自然に帰す中で、ペアリングも増え、その間に、トキがすみやすい環境やエサ場の整備などを進めるのが賢明だろう。
また、その過程で、人間が取り組むべき課題も見えてくることだろう。
自然の中で生きられるかどうかは、トキに任せるべきだ。我々人間は、それを側面から援助し、支えることであろう。

汚染米よりも心配な汚染小麦

2008年09月24日 | 環境・食料問題
汚染米が食料米として流通していた実態が次々と明るみに出ている。
現在までは健康被害はないというが、農薬などを長期間にわたって摂取すれば、体内に蓄積され、生殖や発育などに影響を及ぼす可能性は否定できない。
三笠フーズだけでも、もう5年以上も汚染米を流通させていたことが判明しているわけだから、この商品を長期にわたって摂取した消費者もいるはずだ。学校給食に藻出されていたということだから、小学生はずっと汚染米あるいはそれから製造される製品を摂取していたことになる。
これから、5年後、10年後にとんでもない被害が出ないという保証はどこにもない。
さて、汚染米だけでなく、90%近くを輸入に頼っている小麦は大丈夫なのかという疑問も当然湧いてくる。
工業用の糊として使用される割合は、汚染米からの転用よりもはるかに多いようであるが、約600万トンも輸入している小麦で、もし米と同率の汚染が判明すれば、10万トンが汚染小麦ということになる。全部が工業用の糊に転用されているとはとても思われない。
小麦粉に加工され、パン、パスタ、うどん、ラーメン、餃子など、ありとあらゆる食品に使用させているのではないかと疑いたくなる。
汚染米、汚染小麦は、判明した時点で輸出国に返送し、市場には絶対に出回らないというルールつくりが必要である。
また、工業用に使用する場合は、直接加工する業者が入札し、その使用に責任を負わせる体制が必要である。
すでに、共産党のもとには、輸入小麦でも汚染米と同様の事例があるとの内部告発が寄せられているとの報道もある。
とんでもない事態に発展しそうな雲行きである。
食料の6割を輸入に頼っているわけだから、当然、輸入品の安全性について、検査体制を厳しくしなければなるまい。
現在の検疫体制は極めて不十分である。
軍事費に5兆円も使うくらいなら、そのお金を検疫体制の強化などに使用すれば、多くの雇用も期待できる。
「国や国民を守る」ということは、何も、軍隊を強化することではない。自衛隊ができて、国民の役に立ったことなどは、災害時の救助だけである。
役立たない機構は潰して、国民の食の安全のために予算を使うことを要望しておきたい。

ウナギの産地偽装

2008年09月01日 | 環境・食料問題
ウナギ加工会社「サンライズフーズ」(愛媛県伊予市)が、東京・築地市場最大手の水産卸売会社「中央魚類」(東京都中央区)などに出荷していたウナギのかば焼きを巡り、産地偽装の疑いが浮上したとして、農林水産省が今年7月から両社に立ち入り調査に入っていたことが分かった。
同省では近く、サンライズフーズに対し日本農林規格(JAS)法に基づき改善命令を出す方針だという。
中央魚類は、サンライズ社の全製品の取り扱い自粛と一部製品の自主回収を始めた。
中央魚類によると、サンライズ社から同日、「愛媛県産」として出荷したかば焼きに、同県産以外の製品が混入した可能性があるとの説明があったという。
中央魚類は昨年度のウナギのかば焼きの売り上げが25億3000万円(税込み)にのぼる築地市場の最大手。サンライズ社とは1997年から取引を開始し、昨年度は約645トンのウナギのかば焼きを仕入れ、約18億6350万円(同)で売っていた。
サンライズ社は2001年7月にも中国産や原産地不明のウナギのかば焼きを「四国四万十うなぎ」などと表示して販売したとして、愛媛県からJAS法に基づく是正指示を受けているという。
またか、という感じであるが、どうしてこのような食品の産地偽装が続発するのだろうか?
結局は、産地偽装しても、詐欺などで告訴される可能性は極めて低く、もし仮に告訴されたとしても、どうせ執行猶予がついて服役することもないと高をくくっている様子が目に浮かぶ。
今回のケースでも、愛媛県からの「是正指導」、そして農水省からの「改善命令」が出されたにすぎない。
偽装業者としては、散々に儲けて、所得を隠し、摘発されてもたいしたことはない。要するにこれほどおいしい商売はないということになる。
偽装された食品は、法外な高値で消費者に渡り、消費者はだまされ損になる。その被害総額は大変なものだ。また、1つの偽装から生まれる被害は、単に、消費者の金銭的被害だけではなく、食の安全にも関わる重大事である。食中毒なども実際に起きている。
とすれば、これを未然に防ぐ方策を政府として打ち出さなければなるまい。
まずは、罰則を強化することだ。偽装により上げた収益はすべて召し上げるとともに、多額の罰金や懲役刑を課すべきであろう。偽装は割に合わないという状況を作るべきだ。
また、偽装を内部告発した場合は、高額の報奨金を支給し、従業員に積極的に偽装企業、不法企業の悪事を告発する保証をつくることが必要だろう。報奨金は罰金から賄えばよい。
そのくらいの積極的な方法を取り入れなければ、企業内部でひそかに行われている悪事を暴くことはできない。また告発した社員の将来を保証するだけの報酬を保証しなければ、告発したはいいが、企業は倒産し、職を失ったでは踏んだり蹴ったりになってしまう。止むを得ず、悪事に目をつぶり、渋々ながら、それに加担せざるを得ない従業員は多いはずだ。
実効ある罰則や内部告発制度の創始を真剣に検討してもらいたい。

自民党が「ウソ」ポスターを作製

2008年06月26日 | 環境・食料問題
自民党が、福田首相が登場した新ポスター2種類を発表した。
7月の北海道洞爺湖サミットで主要議題となる環境がテーマ。流氷の上でホッキョクグマと並び、「世界の環境 みんなで守ろう」と呼びかけるポスターと「環境は日本がリードする」と大書されたポスターである。
しかし、日本が議長を務めた1997年の京都議定書の公約、すなわち2008年から2012年の期間に、1990年時点の温暖化ガス排泄量からさらに6%削減するという目標すら達成する見込みがない。現時点では、逆に1990年時点よりも6%以上も増やしているのが日本である。京都議定書から10年間、漫然と温室効果ガスを垂れ流してきたのが、この日本なのである。
ヨーロッパの先進国が、地球環境に危機感を持ち、太陽光発電や風力発電などを積極的に導入していることと比較すると、日本政府の取ってきた行動は余りに低レベルである。
電力会社は、二酸化炭素などを大量に排出する石炭の消費量を増やしているが、これに対する規制さえも行えないのが日本政府の実態である。
世界の環境を壊しているのは日本であり、その政治を主導しているのが自民党である。環境をリードするどころか、大量の温暖化ガスを排出しながら、ろくに対策も取らない鉄鋼や電力などの大企業の言い分をかしこまって聞いているのが自民党ではないか。
「世界の環境 みんなで守ろう」、「環境は日本がリードする」といったウソに塗り固められたポスターを臆面もなく張り出すこと自体が、国民を愚弄し、世界を欺くものである。
この2枚のポスターは、この政党の末路を象徴し、予感させるものに他ならない。

食料サミットでの福田首相の演説原稿のお粗末

2008年06月02日 | 環境・食料問題
6月3日からローマで開かれる国連食糧農業機関(FAO)の「食糧サミット」での福田首相の演説全文が判明した。バイオ燃料が「食糧供給と競合する場合があることは事実」と認定し、「原料を食糧作物に求めない第2世代のバイオ燃料の研究と実用化を急ぐ必要がある」と主張するようだ。 バイオ燃料は食糧サミットでの最大の焦点となっており、各国のエネルギー政策にからむ問題だが、福田首相の演説は踏み込んだ表現になっている。
この内容は、重要な提言であり、評価したい。日本でも稲わらからのバイオエタノール抽出の研究などが進められている。
食糧輸出規制については「影響の深さにかんがみ自粛を呼びかけたい」とし、根本的な解決には「各国が自らの農業資源を最大限活用し、農業生産を強化することが重要」と強調しているという。
しかし、この原稿案は、天に唾する内容ではあるまいか。
オースラリア、ブラジルなどが輸出規制を行っているのは、自国の作物が不作であり、自国民の食卓を守ることを第一に考えているからに他ならない。ご存知のとおりオーストラリアでは大規模な干ばつで、小麦生産量が低下し、今までどおり輸出すれば、自国内の小麦価格の高騰を招く恐れがあるからである。
それを、オーストラリア国内の販売価格よりも「高いカネ」をちらつかせて、買い求めようとする態度は浅ましいという他はない。
自国の農家には減反を強制し、従わない農家には青田刈りを行わせ、出荷を強制的に阻止するような農政を行ってきたことに対する反省などはまったく感じられない。自国の食料自給率を39%にまで低下させてきた責任には頬かむりをしながら、「農業生産を強化することが重要」などと真顔で演説するつもりなのだろうか、国民はもちろん、他国の首脳からも失笑を買うことは明らかではないか。
本当に自国の農業を守り育てようとするならば、軍事費や無駄な道路建設、空港や港湾、大規模開発に予算をつぎ込むのではなく、農林業、畜産などに思い切った予算配分を行い、少なくとも自給率を早急に50%以上に戻し、更に高めていくことが不可欠である。
政府も日本国民も、札束さえ積めばいくらでも食料を買えるというような時代がいつまでも続くと考えてはならない。いつか大きなしっぺ返しを受けることは火を見るより明らかである。
最近の食料品の相次ぐ高騰などは、その証左である。
一方、食糧高騰については「(途上国に)技術支援やインフラ整備など中長期的な方策を実施すれば、(農産物の販売価格も上がることから)貧困農民に対して一転して成長をもたらす機会になるのではないか」とも指摘する予定だという。
しかし、農作物の販売価格が上がれば、それを買うのも貧困な国民であることを忘れている。食料という、人間にとって最低限必要な資源は、貧困であっても確実に購入できるような廉価で供給されることが不可欠なのである。まったく逆立ちした提案である。
「食糧サミット」は、フランスのサルコジ、ブラジルのルラ両大統領など約190の国・地域の元首や閣僚らが参加予定で、7月の北海道洞爺湖サミットでの議論の方向性を決めるとみられている。
世界的に見れば食料は足りない。足りなければ、自然に負担を掛けないような方法でどのようにして増産を図るのか?それについて、日本が自国で今後どういう農漁業、食料政策を推し進めていくのか、その視点に欠けた演説草稿と言わざるを得ない。

説得力のない環境大臣の提案

2008年05月28日 | 環境・食料問題
神戸市で開かれていたG8環境相会合は26日、議長の鴨下環境相が、温室効果ガスの排出を「世界全体で2050年までに半減する」という長期目標について、7月の北海道洞爺湖サミットで合意するよう求めることを盛り込んだ議長総括を発表し、閉幕した。
議長総括は、G8と中国、インドなど主要排出国を含む18か国の環境相の共通認識をまとめたもの。昨年のドイツ・ハイリゲンダムサミットでは「真剣に検討する」との表現にとどまった「50年半減」について、「多くの国は、洞爺湖サミットで(ドイツでの)合意より踏み込み、長期目標に関する共有ビジョンに合意することについて強い意志を表明した」とし、主要国首脳が議論を進展させることを強く求めた。
その上で「先進国が大幅な削減を達成することによって主導しなければならない」として、先進国は「50年半減」より高い目標を掲げる必要性を表明した。
長期目標を達成するために「現在の社会経済構造を変え、低炭素社会に移行することが不可欠」とし、すべての国が革新的技術に加えてライフスタイル、生産、消費のパターンを改革する必要があるとも指摘した。
鴨下氏もずいぶんと立派なことを発言するものだ。
京都議定書で決めた2008年から2012年の間に、1990年時点の排出量から6%削減するという目標すら達成できておらず、逆に現時点では6%も温暖化ガスの排出量を増やしている日本がそんな大それたことを言って大丈夫だろうか?
42年後に半減するという目標よりも、当面現在の水準よりも12%削減することのほうが重要である。この12%削減の徹底的な実施の中で、50%削減の展望も見えてくるはずだからである。
2008年から2012年の間に、日本は現在からさらに12%も削減しなければならないのに、その擬態的な方法さえ環境省は明らかにしていない。
どうせ、あと1年すれば政権も崩壊し、環境大臣も変わるだろうから「どうにでもなれ」と思っているというのが本音であろう。
地球環境という、この大問題について、残念ながら日本は十分なイニシアチブを発揮できていない。それどころか、積極的な取り組みを続ける西欧諸国の取り組みから見れば、むしろ足を引っ張る存在に成り下がっているというべきであろう。
ところで、2050年までに50%削減の目標については合意が得られたが、2020年へ向けた中期目標に具体的な数値を盛り込むのは見送られた。
議長国がこの有り様だから、当面の目標が決まるはずがない。自公政権得意の「先送り」の結論となった。

「もったいない」を引用し、温暖化防止訴え:恥知らずな日本の国連大使

2008年02月19日 | 環境・食料問題
「もったいない」の精神で温暖化対策を-。日本の高須国連大使は総会会合で、ケニア出身の環境保護運動家でノーベル平和賞受賞者のワンガリー・マータイさんが合言葉として提唱している日本語「もったいない」を引用し、地球温暖化対策に真剣に取り組むよう各国に訴えたと伝えられている。
高須大使は「最重要課題として、環境に配慮した生活様式、すなわち『もったいない』というライフスタイルを奨励すべきだ」と述べ、リサイクルなどを推進する必要性を力説したという。そして、福田首相が唱える「クールアース推進構想」などを紹介し、日本の取り組みをアピールしたそうだ。
しかし、日本の代表として恥ずかしいとは思わないのだろうか?
京都議定書で、1990年時と比べて、温室効果ガスを6%削減するという目標を掲げておきながら、逆に、その後は7%も増やしておきながら、世界に対しては「もっとリサイクルをしろ」などという大口がよくも叩けたものだ。
日本人としての謙虚ささえ持ち合わせない人物が国連大使として派遣されていることも、日本政府の本質をよく表わしていると思われる。
世界各国に「もったいない」を訴える前に、温室効果ガス削減に背を向け続けている自分自身の姿を鏡に写してみるべきではあるまいか。

地球の年齢

2008年02月14日 | 環境・食料問題
1月に、「見ごたえがあった1秒の世界」という記事を書いたら、ご丁寧にコメントを残して下さった方があった。
この記事の中で、編集長は「地球ができて46億年」と書いたのだが、この方のコメントによると、「地球・人類が誕生して(創造されて)からまだ6000年くらいしかたっていないはずですが。両者の間には大きな開きがありますね。」というご意見だった。
誰も地球の誕生を見たものはなく、推定方法にもいろいろあると思うので、さまざまな説があることは間違いないだろうが、改めて、地球が誕生して46億年という理論の根拠を調べてみたくなった。
改めて調べて見ると、コメントを下さった方のように、地球は若くて、形成されてからわずか6000年しか経っていないという説がネットに掲載されていた。これによると、超新星の観測から、宇宙ができたのが6000年前、ほぼ同時に地球ができ、人類をはじめさまざまな生物ができたということである。要するに、「神」が6000年前に宇宙の誕生とともに、人類をはじめとする各種の動物などを作ったということらしい。唐突に神が登場するとちょっと興ざめしてしまうし、なぜ、神は、もっと早く宇宙を作らなかったのだろうかと、新たな疑問を感じてしまう。
確かに、地球の誕生からの長い歴史の中で、一説のように人類の誕生は何百万年前ではないかもしれないが、今から6000年前というと紀元前4000年頃であり、エジプトや中国などで文明(文字を持つということを基準に考えることとする)が存在していた頃であり、特定の人物について言えば、相当詳しい記録が残っている時代である。少なくとも、その同じ頃に、宇宙や地球が誕生し、人類も誕生したという説はいただけない。この説に従うと、恐竜などはいつ発生し、いつ絶滅したのだろうか。
さて、地球の歴史を遡る事は容易ではない。諸説があるということは、ただ一つの方法のみを用いて、地球の歴史を解明しようとする試みは危険であることを物語っている。
天文学、地質学、(古)生物学、考古学など、さまざまな情報から、それらの矛盾を補い合いながら推測するしか方法がない。
編集長が採用した46億年という地球の歴史は同位元素や地球に飛来する隕石の分析などから得られたものだということだが、この方法もとんでもない誤差を持っているかもしれない。
地球の誕生、人類の誕生という、現在の人間が誰も見たことがないからこそ、それを解明し、歴史の空白を1つ1つ埋めてゆく作業にロマンを感じるのではなかろうか。
そして、そのロマンに満ちた地球の歴史、人類の歴史の中で、我々は、ここ数百年の間にその環境を破壊し、人類があと1世紀を生き長らえないかもしれないという時点に至っているということに率直に目を向ける必要があるだろう。

輸入食品の検疫官300人余、自衛官24万人

2008年02月03日 | 環境・食料問題
中国製の農薬入りギョウザ事件が世間を騒がせている。
日本たばこ産業(JT)子会社の「ジェイティフーズ」が、中国の食品会社「天洋食品廠公司」から輸入した冷凍ギョーザが原因と言われている。
袋に穴が空いており、通常の残留農薬とは考えられないくらいの大量の農薬が含まれていたと報じられているので、製造後のどこかの時点で混入された可能性もあるようだが、検出された農薬が日本では手に入りにくいこと、中国では2年前に禁止されているが現在も使われているとの報道もあることから、中国国内でこんにゅうされた可能性が極めて高い。
「またか」という感じである。
日本でも、これでもかというくらいの偽装が続いているが、まして輸入品については検疫も十分ではなく、一体何が含まれているのかわからないのが現実である。
これらの被害を食い止める方法はいくつかあるが、何と言っても日本は食糧の60%以上を輸入に頼る国であることを考えると、輸入品に対する検疫体制を強化することである。
輸入食品の検査に従事する食品衛生監視員が全国の空港や港湾に配置されているが、その人数はわずか334人である。
この間、人員は大幅に増員されているが、それでも、この人数であり、輸入食品の検査率はわずか10%であり、全輸入食品に占める検査数の割合は低下するばかりである。
この検査官の人数を10倍の3000人にすれば、輸入品のうち、70%以上を検査できるようになるというが、それでも3割は検疫を素通りしてしまうことになる。
さて、いま自衛官は24万人である。これだけの人数がいて、国民の安全にどれだけ寄与しているだろうか?
こんなことに税金を投入するくらいなら、食品衛生監視員を大幅に増やし、国民の健康と安全を守るべきではあるまいか。
次に、製造会社に、信頼できる検査機関での検査結果(できれば無作為の抜き取り検査)の報告を義務付けるとともに、輸入会社や販売会社でも独自の検査体制を整えて、二重三重にチェック体制を強化することだ。
今回の件では、JTが輸入し、生協などが販売を行っていた。
JTは「検査は生協で行うとのことだったので、実施しなかった」と主張し、生協は生協で「JTで検査が行われているものと考えていた」と主張する。醜い責任のなすりあいである。
JTは医薬品の開発なども行っている大手企業であり、高度な食品の分析技術なども有している会社だ。なぜそのような会社でチャックができなかったのか、不思議で仕方がない。また、生協のような全国組織であれば、こういう検査をしてもたいして経費はかからないはずである。
生協では、ミートホープ社の偽装食品も見抜けなかったわけだが、その教訓がまったく生かされていないことは残念である。自らの店舗で販売する商品について抜き取りで検査を行い、その品質を保証することはできなかったのだろうか。
今回の件を教訓に、製造会社、輸入会社、そして販売会社の各段階で、食品分析の第三者機関を使って、抜き取り検査を行うよう希望するものである。
なお、最後になったが、根本的な問題は、食料を輸入に頼るのではなく、100%自給できるような体制をつくり、安全な食品が国内で供給できるようにすることであることは論を待たない。

見ごたえがあった1秒の世界

2008年01月13日 | 環境・食料問題
昨夜、TBS系列で「1秒の世界」が放映された。
確か、昨年も2度ほど放映されたが、その続編である。
1秒という短い時間で世界の動きを切り取ることによって、現在の地球環境や人類の抱える問題点が浮き彫りにされており、なかなか見ごたえのある番組となっていた。
さて、この中で編集長がもっとも関心を抱いたのは軍事費の浪費である。
1年間に浪費される軍事費は、123兆円であるという。このうち、日本は世界で第5位の軍事大国であり、年間の予算は約5兆円である。
地球という星は閉鎖系である。
わずか100km、すなわち東京―熱海間の距離とほぼ同じ厚さ(薄さといった方が適切であるが、)の大気に覆われた惑星であり、このわずかな大気の中に、人類と共に多くの生命が共存し、太陽から得られるエネルギーによって、絶妙のバランスを保ちながら、46億年にわたって暮らしてきたわけである。
さて、昨今の環境破壊は、産業革命以来の急激な化石燃料の消費がその元凶であると言われているが、結局のところは、こういう資源を浪費することによって、経済発展を遂げ、それによって得た富を無益な軍事費として浪費し続けているということである。
太陽エネルギーを別の形で取り出すことによってのみ生活していれば、現在のように環境問題で悩むこともないわけであるが、地球が長い間に蓄積してきた化石燃料を短期間に消費することによって現在のような環境破壊を生み出してきたわけである。
したがって、環境破壊を食い止めて、復元するためには、人類は今までに蓄積した富を、環境復元のために使わざるを得ないことは自明のことである。
日本でも年間5兆円の軍事費が浪費されている。
毎年、毎年これだけの軍事費が浪費されてきたわけだが、これだけの予算が国民医療や福祉、教育、農業や林業などの保護、育成に使用されていれば、日本という国はどれほど素晴らしい国になっていたことだろう。
番組でも、教育や医療が十分に受けられない、安全な水が飲めない、日々の食事に事欠く人たちの存在にも触れられていたが、世界ではその24倍もの軍事費が浪費されてきたのだから、これが人類の発展や環境保護のために使われていれば、と考えるのは編集だけではあるまい。
地球という閉鎖された空間の中で生存していくためには、太陽エネルギーを基本とし、持続可能なエネルギーを上手に利用して生きていかざるを得ないことに気づくべきであり、同時に、軍事費という浪費に大胆にメスを入れる政治を各国の国民が選択することが急務であることを強調しておきたい。

新春早々に感じたこと

2008年01月05日 | 環境・食料問題
新年は、久しぶりにノンビリと過ごすことができた。
テレビを見ていると、くだらない番組が多い中で、格差問題や職の安全、環境問題などを取り上げた番組があり、なかなか見応えがあった。
ほんの一握りの大企業や資産家によって、富が独占され、その結果、安心して新年さえ迎えられない階層が増えているということについて、新年早々考えさせられた。
格差の存在そのものを否定するつもりは毛頭ないが、人間らしい暮らしが送れない人たちが存在し、年間数百人もの餓死者が生まれる社会がまともな社会でないことは言うまでもない。
一部の安売り店で、くず米を混入して販売しているという特集番組もあったが、まったくひどい話である。
未成熟米や欠けた米など、本来は鳥や家畜の餌になるべきものを、流通段階で他の米に混ぜて安売りをしているわけであるが、これなども、3年前に行われた流通の自由化、規制緩和の結果として生まれていることが指摘されていた。
市場経済に任せれば何もかもうまくゆくといったいわゆる新自由主義経済の歪みが日本人の主食である米の安全性さえ脅かすようになってきたということだ。
報道ステーションの環境問題に関する特集番組もなかなか良かった。以前にも書いたことだが、地球という惑星は、言うまでもなく閉鎖系である。わずか100km、わかりやすくいうと、東京―熱海間の距離の厚さの大気に覆われている惑星である。
このわずかな大気の中に、人間はさまざまな生き物とともに暮らしているわけである。
熱帯雨林の消滅、砂漠化、海水面の上昇、高山地帯での氷河や極地の氷の消滅など、かつてない規模での環境破壊が進んでいる。
日本は大量の食糧を世界の各地から購入し、その一方で売れ残り、食べ残しの食品が大量に廃棄されている。身近にある森林資源を放置しながら、途上国より木材を大量に輸入し、紙製品や建築資材に当てている。
このような生活を我々日本人はいつまで続けていくことができるのだろうか。少なくとも、あと20-30年もすれば、もっと大きな歪みが生じているに違いない。
いま、第1次産業を支える人口は極めて少ないが、そのうちに、こういう産業が評価され、見直される時期が来ると思われるが、それに気づくまでは、この愚かな行動を止めることはないのだろう。
2007年の国民一人当たりのGDPを見ると、OECD加盟30ヵ国中18位となり、2年前に比べても3位も順位を落としている。OECD加盟国の中でも、もはや中流国になってしまっており、一時は、世界第2位になっていたのが嘘のような実態になっている。
今日、何気なくテレビを点けたら、大食い選手権をやっていた。テレビ局がこういう番組を作るということは、視聴者の中にも面白がって見る人間がいるということだ。
こういう風潮が続く限り、自らの生活や生き方を見直すことは難しいだろう。
子供や孫の世代に何を残してやれるのか、真面目に考える年にしたいと思っている。

地球温暖化に関する議論

2007年12月17日 | 環境・食料問題
国連気候変動枠組み条約第13回締約国会議が終了したが、各国の思惑があって、議論はまとまらなかったようだ。
特に、数値目標を明らかにしたいEUや途上国と目標をアイマイにしたい米日の対立があって、ウヤムヤの会議に終わりそうである。日本は、せめて京都議定書に従った数値目標くらいはクリアするように努力しなければならないだろう。何でもかんでもアメリカベッタリではどうしようもない。
さて、こういう議論になぜ一致点が得られないのかを考えてみると、そもそも、地球が温暖化しているかどうかという根本問題で世界の科学者の意見は一致していないらしい。
もし、地球が温暖化していることが正しいとしても、それが産業革命以来の化石燃料の急速かつ大量の消費によるものか、それとも長い地球の歴史における気候変動の中の温暖化の時期に当るのかもしれないとの議論もある。あるいは、太陽の黒点やその他の要因もあるかもしれないといった議論も存在する。
しかし、地球の温暖化の原因に関する議論は脇に置くとしても、少なくとも、各種の動物が急速に絶滅し、東京などの大都会では、野生の動物や自然の森林を見ることさえ困難になっている状況は、明らかに、人間の社会活動による結果であり、憂うべきことである。
自然が失われ、他の動物が暮らせない環境が、人間にとって住みよい環境であるはずがない。
今回の国際会議でも、極地においてペンギンが繁殖できない環境になりつつあることが報告されたということである。
私たち人類は、厚さ100km(東京-熱海間の距離)に過ぎない大気に守られた地球という限られた体積の星で生きているのだから、自然のエネルギーを有効に活用して生きていくほかはない。
しかしながら、太陽による光、熱のほか、風やその他の自然現象を活用する方法は、コストがかかり、効率が悪く、産業界や社会から敬遠されているのが実情である。
スイッチを入れれば電気が点き、コックをひねればガスや水、お湯まで出るという便利な生活の陰には、大量のエネルギーが消費されている。近海で魚が取れなくなったといって、外洋にまで出かけていって根こそぎ漁ってくるやり方や札束を積んで、海外から大量の食料を買い入れた挙句に、多くの部分が消費されずに廃棄されるようなやり方がはたしていつまで続けられるだろうか。
まさか、原始時代に戻るわけにはいかないが、多少のコスト高は我慢しながら、あるいは多少の不便を忍びながらも、自然のエネルギーを活用し、地球の一員として、他の生き物に迷惑を掛けないように生きていく道を探るべきではなかろうか。
日本が、こういう道を歩むうえで、政治の責任は重大である。
コストを最優先し、利潤追求を第一義的な目標とする産業界にばかり目を向けている現在の自公政権に、長期にわたる地球的規模の対策などは立てられるわけがない。年金問題でも、わずか数十年後の高齢化社会すら予測できなかった(あるいは、予測していたが対策を講じられなかった)自民党政権では、到底、地球環境の問題に回答を出すことはできないだろう。