時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

久々に、銀貨収集のこと

2009年09月29日 | コイン収集など
編集長は、海外の大型銀貨を収集している。
20世紀に地球上に存在したすべての国の大型銀貨を少なくとも1種類以上集めるのが目標である。しかも、できるだけ未使用の、状態の良い銀貨を収集することを目的にしている。
現在の国連加盟国は、約200ヵ国であるが、すでに消滅し新しい国になっていたりするので、20世紀に存在した国の数は、200ヵ国以上になるはずだ。このうち、大型銀貨を発行していない国もあるが、それを差し引くとしても、やはり200ヵ国以上にはなるだろう。
現在の収集状況は、約90ヵ国なので、まだ5合目にも到達していない。
今までにも、聞いたことのないような国の銀貨を手に入れてきたが、これからは、そういう国がますます増えてくることだろう。
どこにあってどんな風俗をしている国なのかもわからないような国の銀貨を探すのは容易ではない。
貨幣商の店頭を眺めていても、そもそも、貨幣商も少なくなり、しかも外国銀貨を置いている店がそれほど多くはない。ましてや、誰も関心を持たないようなマイナーな国のコインなど置いているはずもない。
オークションで出品されている銀貨も、オーソドックスな国ばかりである。
仕方がないので、気に入った国の銀貨を次々と買っていくうちに、特定の国の銀貨ばかりが増えてくる。東ドイツ、チェコスロバキア、イスラエル、オーストリア、エジプト、中南米の国々などの銀貨がお気に入りである。また、コレクターの習性で、シリーズになっている銀貨の1枚を手に入れると、残りの銀貨も欲しくなり、ついつい残りも購入することになる。
国別の銀貨数はこれからはなかなか増えなくなってくるだろう。地道にアンテナを張ってコツコツと収集していくしか方法はないが、誰も名前さえ聞いたことがない国の大型銀貨を手に入れた時は、日本でこの銀貨を持っているコレクターはほとんどいないだろうと思うと、ちょっとした優越感に浸れることになる。
収集の壁はますます高くなるだろうが、楽しみながら収集を続けたいと思っている。

久々にコインの話題

2008年12月29日 | コイン収集など
編集長は、外国の大型銀貨を収集しているが、いつも手に入るわけではないので、合い間に江戸時代の通貨を集めている。
最近は、金融危機による不況で消費を手控える人が多いと思われるが、円高が急激に進んでいるので、外国銀貨を収集している人には追い風である。
先日も、通信販売で某コイン商から銀貨をいくつか購入したが、以前の販売カタログよりも1割は安くなっている。コインを入れてあるケースには、消去された以前の価格が張られていて、軒並み価格は下がっている。消された価格シールが2枚も張られているものも少なくない。コレクターも少なくなり、売れないから値下げするということもあるだろうが、やはり円高の影響も無視できないだろう。
人がお金を使わず、物の価格が下がっている時に買うのが、お金の上手な使い方ではなかろうか。特に、外国コインの収集家にとっては、絶好のチャンスである。海外のコレクターが資金繰りに困ってコレクションを放出するということも起きるだろう。手元に多少の資金があれば、ここ1、2年が「買い」の時期であろう。
さて、サブコレクションの江戸通貨はオークションで入手することが多いが、この1年には思わぬ面白いものを入手できた、。一方、残念なこともいろいろあった。以下、感想を箇条書きに。
・安政手(劣位)一分銀が出品されていたので、入札したところ、そのうちの何枚かを開始価格で落札できた。送られてきた商品をよく見ると、そのうちの1枚が、「入手すると泉運に恵まれる」と言われている「六福円点」だった。まったくの拾い物だった。
・面白い色合いの天保通宝があったので、落札したところ、実物はまったく違った色でガッカリした。中には、全面に塗料が塗られているのもあった。いやはや。
・安政一分銀の細分類である安政細字一分銀は、一般的に知られていないのだろうか?細字は、一般の安政一分銀よりも残存数が少なく、価格も高いはずなのだが、オークションでは、一般の安政一分銀と同様に驚くほどの安値で落札されている。先日もからかい半分で入札しておいたら、驚くほどの安値で落札できて驚いた。予定外の出費になってしまって少々参ったが。
・何ヵ月もの間出品されていて、落札されていなかった安政一分銀の拡大写真をよく見ると、何と「ハナレ分」ではないか!しかも開始価格は安い。長くほったらかしだったので、開始価格で落札できるだろうとタカをくくっていたら、よそ見をしている間に、他の人にさらわれてしまった。痛恨の極みだ。ウーン、未だに悔やまれる。
・江戸時代の銭貨、分金、分銀類などは、骨董収集をしているような親父が、興味本位で入札することも多いようで、つまらない物が思わぬ高値まで競りあがることがある。ちょっと情報を入手して勉強すれば、むだ金を使わなくて済んだのに、と同情することもたびたびある。
・相変わらず、怪しいあるいは明らかな贋物を出品する輩がいる。画面で見てもこれはひどいと思うものも多い。また、開始価格そのものがいかにも高く、誰も入札がない商品もある。相場を学ぶべきではなかろうか。
・今年もずいぶんとコレクションが増えた。正月休みに少し整理を心がけることにしよう。

コイン収集のこと

2008年09月17日 | コイン収集など
久しぶりにコイン収集のことを書いておこう。
前回の記事以降も、コツコツと世界の大型銀貨の収集を続けており、発行国の数はもちろんのこと、銀貨の数も着実に増え続けている。デザインも多種多様で、見ていて飽きない。
しかし、なかなか気に入ったコインがなく、欲しいコインをいつでも購入できるわけではないので、最近は、サブコレクションである江戸時代の通貨に目が向いてしまう。
江戸通貨については、古寛永、新寛永の分類を進めているが、これも100種、200種くらいまでは簡単に集まるが、ここから先がなかなか集まらない。たまに、1枚、2枚と手に入るくらいになってしまう。
そこで、価格がそれほど高くない天保通宝や一分銀、一朱銀などもタイプ別に集めている。しかし、オークションなどを覗いてみると、状態の良いものが少ないのが残念である。明らかに粗悪な「偽物」もある。
一分銀で、珍しいものはそれなりの高価格で出品されているが、値段の割には、状態が良いものは少ない。位付けが9、10といったオーソドックスなものも、状態の良いものは少なくなってきた。
せっかくコレクションをするのなら、トーンが出ていても汚れていても構わないが、とにかく傷や磨耗の少ないものを選ぶべきだろう。そして、一分銀なら、表裏の40個の桜の向きが(多少は欠けていても)きちんと確認できるものを収集すべきだ。
両替商の刻印の打たれたものや桜がヤスリで削られて判読できないもの、切り方が雑なために桜が切断されているものなどは、コレクションの対象としていかがであろうか?こういうものは、安いと思っても、絶対に飛びついてはいけない。所詮、安物を並べただけのコレクションになってしまうし、傷物のコレクションを持っていても楽しくない。数は少なくても、状態の良いコレクションの方が見ごたえがある。
(両替商の刻印コレクションなども研究テーマとしてそれなりに面白いが・・・。)
じっくりと時間をかけて、状態の良いものに巡りあったら、相場より多少高くても逃さないようにしなければならない。
いま、コインにも「格差」が生じている。状態の良いコインにはとんでもない高値がつくが、普通のコインの価格は下がり続けている。コイン商でも、以前に張られていた値札の上に、値下げ後の値札が何枚も張ってある。
コインコレクター人口は、どんどん減少しているので、コイン価格に関するこの傾向はますます顕著になるだろう。
「とにかく、状態のよいもの」を入手するようにしなければ、「安物買いの銭失い」になってしまうだろう。
オークションなどでも熱くならず、楽しみながらコレクションを充実させたいと思っている。

完集(かんしゅう)

2007年09月11日 | コイン収集など
コレクターの用語に「完集」(かんしゅう)という言葉がある。
当然、辞書には載っていない。
何となく、完全収集の略だろうということはわかるが、一般にはほとんど使われない言葉である。
ところが、インターネットで「完集」を検索すると、驚くほどたくさんの記事が引っかかってくる。
それだけ、この「完集」という言葉も広く使われているのだろう。と思って内容を良く見ると、やはり、コインや切手、鉄道の切符、オマケのシール、カードなどのコレクターに関連する記事ばかりである。いわゆる「オタク用語」なのだろう。
さて、その領域のものを1つ残らずすべて集めたいと考えるのは、コレクターの心理である。
編集長の趣味であるコインや切手を例にとると、日本で発行されているものはすべて集めてみたいと思うのが、コレクターという人種である。
しかし、日本で発行されたコインや切手をすべて集めるなどということは、事実上不可能である。というのも、これらの中には、数枚しか現存していないものがあるからだ。また、エラーと呼ばれる正規のものから逸脱した物などもあり、入手は困難だ。そして何よりも、よほどの大資産家でもない限り、財政的に困難が伴うだろう。
したがって、多くのコレクターは、年代や種類を限定して、その範囲のものだけでも、何とか全部集めようとしたりするのが普通である。「○○銀貨を完集」などのように。
しかし、コレクターという人種は、とにかく持っていないものがあると欲しくなるのが習性のようである。
編集長は、コインや切手のコレクションをしているが、特に「完集」にはこだわっていない。無理なことにこだわっても仕方がない。「完集」は無理なのだから、特定のテーマに絞ったコレクションに徹底的にこだわるべきだが、たまに目移りがして、関係ないものを購入してしまうのもコレクターの習性なのだろう。
財布の中身と相談しながら、コレクションの充実を図るところに、コレクターの楽しみがあるのではないだろうか。
ところで、最後になったが、テレビ東京で放映されているあの「大食い選手権」では、「完食」という言葉が使われるが、これも現代の造語である。
それにしても、「完集」も「完食」もけっして美しい言葉でないことだけは、確かである。

趣味のこと

2007年07月16日 | コイン収集など
編集長の趣味は、コイン収集、特に大型銀貨の収集であるが、細々と切手の収集も続けている。今日は、ちょっと話題が逸れるが、このことについて書いておこう。
昭和40年頃に切手ブームがあり、小学生だった編集長もこの時に収集を始めたのだが、その後、記念切手のあまりの発行の多さに嫌気がさし、一時、収集を中断していたのだが、10年ほど前にボストークアルバムに出会って、日本切手の収集を再開した。
ボストークアルバムというのは、切手をほぼ発行順に並べて、これにハウイドマウントという透明のフィルムが貼り付けてある。ご丁寧に写真がついているので、切手をこのフィルムに挟みこんでゆくだけで、結構見栄えの良いコレクションができあがるようになっている。
第1巻が戦前、第2巻以降が戦後で、編集長は、現在第2巻から第5巻(~1990年頃)までを所持しており、第2巻の終戦直後の切手の一部を除いて、ほぼアルバムが埋まっている。第6巻以降の切手もかなり所有しているので、今度、第6巻以降を購入予定である。
さて、切手の収集を始めるのなら、今がチャンスだろう。
1980年以降の切手であれば、ほとんどプレミアムはなく、ネットオークションなどを利用すれば、ほぼ額面で入手が可能である。
額面で手に入るような切手ではあるが、このアルバムに保管して眺めると、なかなかどうして、立派なコレクションに見えるから不思議である。
また、収集を始めた時には手が出なかった戦後直後の切手なども、高いものは多いが、昔ほど高価ではなく、比較的に廉価で入手可能である。
以前にも、記事の中で述べたことがあるが、1980年以降の切手の発行回数、1種類当りの発行枚数は異常である。メールや宅配便が普及し、郵便を出すこと自体が減っているなかにあって、この乱発である。
たいしてめでたくもないのに記念切手や種々のシリーズ切手が発行され、ふるさと切手に至っては、もうデタラメなくらい膨大な数である。
切手は、そもそも郵便物の配達料金を「前払い」するものである。したがって、郵便局とすれば、販売した切手が使用されずにコレクションとして退蔵されればされるほど、儲かる仕組みになっている。したがって、どんどん発行しても、絶対に損はしない仕組みになっているのである。これが切手乱発の最大の理由である。
コインの世界でも、記念コインが乱発されているが、記念コインを手にした多くの人はこれを使わずに何となく保管しているだけである。かつての切手と同じことがコインの世界でも起きているわけである。
さて、こんな切手ではあるが、いろいろと集まってみるとなかなか壮観である。
編集長より年配の団塊の世代の趣味の一つとして、底値の今だからこそ、コレクションを始めてみるのもよいのではなかろうか。

コインコンベンション

2007年05月02日 | コイン収集など
貴重な9連休の中日の今日、東京都内のホテルで第18回東京国際コインコンヴェンションが開会した。会場が水天宮近くのロイヤルパークホテルということで、日比谷線の人形町で下車して人形町界隈を歩きながらホテルに向かった。以前にはよく訪れたこの界隈は、10年前とあまり変わっていない。駄菓子屋や懐かしい人形焼の店など昔ながらの街並みが残っている所が良い。
コンベンションの会期は4日までだが、今日は平日なので少しは空いているのではないかと思って出かけたところ、意外に混雑していて驚いた。
コインや切手というのは、いわゆるオタクの元祖のようなものだが、何しろコレクターグッズとしての歴史が長いので、コレクターの多くが60歳以上で若い人や女性は極めて少ない。
ほとんどが、いい年をした親父で、しかも、品がないこと甚だしい。
カウンターに立って商品を見ていると突然割り込んできて突き飛ばされたり、よそ見をしながら歩いている連中が多いので、少し歩く間に誰かがぶつかってくる。とんでもない連中ばかりだ。
ショルダーバッグから突然にボロボロになった「古寛永泉志」を取り出して、チェックを始める親父やルーペで熱心にコインを覘いて係員をつかまえて解説を始める親父など、変な連中ばかりである。
係員との会話を小耳に挟んでも、どうも普通ではない。
こう言ってはなんだが、おつむのネジが2、3本外れている奴が多い。
店の係員も、こんな連中を相手にしなければならないのだから商売とは言え、相当気の毒である。
コインコレクターでない人たちから見ると、私も同様に見られていると思うと、心底情けなくなってきた。
居たたまれなくなり、お目当ての外国銀貨を10枚ほどと紙幣を1枚購入して1時間足らずで早々に退散してきた。
こういう大規模なコンベンションはそれほど開催されないので、全国各地からコレクターが集まってくるのだろう。コインコレクターの人口は確実に減っている。都心部だけでは到底これほどのコレクターは存在しないのではなかろうか。地方に住んでいると、貨幣商もほとんどなく、趣味も満足に楽しめない世の中なのかもしれない。これも大都市と地方の格差の現われであろうか。
また、資産家らしき服装をした連中が熱心に大判や小判など資産価値のありそうな貨幣を買い求めている姿も目についた。
もっとも、処分する際には、購入した価格の半額で売れればいいほうだろう。投資目的で購入するなら、人気があり、誰も文句の付けようがない最高の状態のものを購入すべきである。
PCGSやNGCなどの鑑定済みのコインを売る店も徐々にではあるが増えている。日本では相変わらず、店の親父が適当な評価を付けて売りさばいているが、今後は鑑定機関によって鑑定されたコインが日本に広がることを願っている。
ところで、この会場で「南鐐スタンプコイン」の親父を見かけた。
この店は、山形市内にあり、もうかれこれ20年くらい前に、仕事でしばしば山形に出張していた頃によく立ち寄った店である。
懐かしくて声をかけようと思ったが、向こうは覚えちゃいないだろう。ブースも繁盛していて何よりであった。わざわざ東京まで出かけてきたのだから、しっかり儲けて帰って欲しいと思っている。

久々にコイン収集の話

2007年03月25日 | コイン収集など
編集長の趣味の一つにコイン収集がある。
外国の大型銀貨を中心に収集しているが、いつも欲しい銀貨が手に入るわけではないので、その合い間に、中世の中国からの渡来銭や江戸時代の穴銭や分金、分銀類などもなんとなく集まってくるので、コツコツと分類などを楽しんでいる。
明治以降の近代、現代貨幣もずいぶん持っているが、状態の悪いコインを持っていてもつまらないと思うようになり、最近は状態の良いものに限って収集している。状態の悪いものや外国のマイナーコインは、いずれネットオークションででも処分することとしよう。
さて、コインの収集に欠かせないのが、貨幣カタログや先人が残した研究書などである。
貨幣カタログには、コインの種類や発行枚数、状態ごとの評価額が記載されているが、この評価額があまり参考にならないのである。
貨幣の世界でも、「格差」が生まれており、未使用で状態の良いコインは、驚くほどの高値で取引されるものがある。完璧な状態のコインには、カタログの評価額などはまったく参考にならない。
一方、並品、美品、極美品などのようにどこにでもあるような状態のコインの価格は低迷しており、カタログの評価額の方が概ね2~3倍高くなっている。
コインの収集家は、先細りしていると思われるので、美品以下の状態のコインは、誰も欲しがらず、今後ますます値崩れすると思われる。
値崩れを防ぐためには、コレクターの裾野を増やし、若い収集家を育てる工夫(小中学校に教材として貨幣資料の提供するとか)が必要であろうし、コイン普及にあたっての商品開発が必要であろう。以前、寛永通宝のストラップが売られていたが、面白いアイディアである。また、貨幣商もコインあるいは紙幣の時代や種類を限定して、店ごとの特徴を出すことが重要であろう。
カタログ以外にも、貨幣に関する入門書、手引書や研究書もたくさん出版されている。
マニアックな内容で発行部数も少ないので、高価な本が多い。
編集長のような貧乏人は、こんな高価な本を買うくらいなら、コレクションを増やした方がマシだとついつい思ってしまうのだが、やはり、こういう入門書、研究書なしにコレクションを続けることは難しく、結局は高い本を購入することになる。
研究書などを見ると、よくもまぁこんな細かい分類や考察をしたものだと、そのマニアックぶりに感心する(あきれる)とともに、コレクターである編集長でさえ、とても付いていけないと思ってしまうものもある。
しかし、このような研究が、日本の考古学、貨幣学などの発展にとっても重要な役割を果たしてきたのだろう。
これからも、趣味の一つとして長く楽しんでいきたいと思っている。

コレクターの心理

2007年02月15日 | コイン収集など
真面目なことばかり考えていると肩が凝るので、今日は趣味の話をしよう。
本紙で書いているように、編集長の趣味はコイン収集である。また、以前の記事にも少し書いたが、焼き物に凝って、ぐい呑や徳利、湯のみ、そば猪口などを集めた時期もあり、今も相当数を持っている。これ以外にもコツコツと収集しているものもあるのだが、それについてはまたの機会に書くことにしよう。
さて、今回は「コレクター」という人種について、少し考察しておこう。
1)コレクターは圧倒的に「男」が多い。
コレクションの対象は数限りなくあるが、コレクターというとアキバ系などを見ればわかるとおり、圧倒的に「男」が多い。収入などの経済的理由かもしれない。家計の主婦にとっては、無駄なことにお金を使いたくないという心理があるだろう。また、女性の場合は、飲食や旅行など生活を楽しむことにお金を使うことが多いと思われる。宝石やブランド品などを収集する女性もいるが、一部のセレブのみの特殊なコレクションであろう。とにかく、他人から見るとゴミのようなものを大量に集めて悦に入っているのは、圧倒的に「男」である。
2)こんなものを集めてどうするの?
コレクションの対象は、実に多岐に渡っている。一般人から見るとまさに「ゴミ」以外の何物でもないような物まで集めるのが、コレクターの性癖である。
ネットで、空き缶やボトルキャップのコレクションを見たが、99.9%以上の国民にとっては「ゴミ」でしかないが、なかなかどうして、りっぱなコレクションに見えるから不思議である。
編集長は絶対にこんな物を集めたいとは思わないが、集めた人の気持ちは痛いほどわかる。そんな編集長もやはりりっぱな「コレクター」なのだろう。
3)コレクションの保管
多くのコレクターにとって、コレクションの保管は最大の関心事である。とにかく、次から次へと集まってくるので、整理しきれなかったり、部屋に置ききれなくなったり、と悩みが絶えない。テレビの「なんでも鑑定団」などに登場するコレクターを見ると、そのための部屋を借りたり、作ったりと、やはり相当苦労している。コレクションの対象を決める時には、保管場所の確保も考慮すべきである。
編集長のコレクションが、小さくて場所をとらず、保管しやすい物に限られているのも、けっして偶然ではないのである。(親父のミニSLの保管にはかなり困っているが・・・。)
4)コレクターとしての礼儀
金銭的に高価なものであれば、親族一同がまったく興味のないものであっても、心から喜ばれ、大切に後世に引き継がれるに違いない。
しかし、大量の空き缶やボトルキャップ、セーラー服姿のフィギュアなどを残されて、いったい誰が大事に継承するだろうか?こういうことを考えると、子孫に残しても嫌がられない、処分しやすいものを残すのがコレクターとしての礼儀であろう。
5)コレクターの隆盛
コレクターが増えたのは、コレクションの対象が増えたためだろう。その一因は、インターネットの発達だろう。全国のコレクター仲間と交流し、情報やアイテムの交換も容易になった。また、ネット通販やオークションなどで、手軽にコレクションを入手できるようになったためではないかと思っている。また、団塊の世代などを対象にしたコレクションアイテムを市場に送り出すビジネスも盛んである。
いずれにせよ、さまざまなアイテムのコレクションを通じて、楽しく豊かな人生を送っていただきたいと思っている。

コインコレクターから政府に物申す

2007年01月30日 | コイン収集など
先日は、貨幣商に苦言を呈しておいたが、政府にもちょっと文句を言っておこう。
紙幣(日本銀行券)は、日銀に発行権がある。これに対して、補助貨幣(硬貨)は、政府に発行権が存在する。
さて、コインコレクターとして政府に苦言を呈しておきたい。それは、記念貨幣の発行に関してである。
わが国で最初の記念貨幣は、東京オリンピック記念の1000円と100円銀貨であり、1964年(昭和39年)のことであった。
その後、大阪万博、札幌オリンピック、沖縄海洋博などの記念貨幣が発行されたのだが、特に、昭和60年以降の発行数(種類)は、あまりにも多すぎるのではなかろうか?
天皇在位60年記念貨の発行以来、現在まで毎年のように発行され続けている。たいしてめでたくもない行事に記念貨を発行するため、あれもこれもという具合に発行が増えたのだろう。これだけ記念貨が増えると、コレクターからすればかえって面白味がなくなる。そもそも発行に何の基準もなく、思想もない。大きさや素材もまったくバラバラで、思いつき次第に発行している感じだ。
切手収集の世界では、1980年頃からの記念切手の異常発行に続いて、ふるさと切手の発行が続いて、切手コレクターから総スカンを食ったのと同じことだ。その二の舞になるのではなかろうか。
また、この間の記念貨にはプレミアを付けて発行されるものが多く、政府の金儲けのために利用されているとしか言いようがない。
アメリカでは、各州をテーマにした25セントコインが毎年5種類、5州分ずつ発行されており、国民、特に子供たちにアメリカという国を理解させる上で役立っている。しかも、結果として、コインのコレクターも増えているらしい。
アメリカべったりの政治も経済も文化政策は止めて、こういうところこそ少しはアメリカから学んではどうだろうか。
記念コインではなく、100円硬貨の裏のデザインを毎年変えて、都道府県の名産品などをデザインして、通常貨と同じように発行すれば面白いではないか。郷里に対する関心や日本という国に対する関心も高まるに違いない。

貨幣商にひと言:コイン収集グッズのこと

2007年01月26日 | コイン収集など
久々に、編集長の趣味の話である。
コインの収集に欠かせないのが、収集用のグッズであるが、これがどうも「くせ物」である。
もっともポピュラーなものがコインホルダーである。
厚紙を切り抜き、セロファンが貼ってあり、コインを挟んで保存するものだが、コインを保存しているうちにセロファンが劣化して裂け目ができ、その部分のコインが醜く変色してしまうことがある。
また、少し大きめで厚手のコイン、たとえば現行の500円玉くらいになると、コインホルダーを閉じてもコインの厚みのためにホルダーにすき間ができて、エッジ(コインの縁)の部分から変色が始まる。これを防ぐためには、ホルダーの回りをテープで塞ぐとか、ホルダーを更に透明の袋に入れるなどの工夫が必要である。
最近は、コイン用のプラスチック容器が市販されているが、密閉されているわけではないので、やはり長年放置しておくと、隙間から空気が入り、エッジの部分から変色が始まる。これも、隙間を接着剤で塞いでしまうとか、プラスチック容器そのものをさらにビニール袋に入れるなどの工夫が必要である。
極めつけは、「昭和コインアルバム」などのアルバムである。
厚手のボール紙を円形に切り抜いて、コインを年号別に保管するタイプだが、これはとんでもない代物だ。やはり長期間放置しておくと、エッジ部分から酸化が始まり、コインを傷めてしまうことになる。
安い現行貨幣の流通品などを年号別に集めるのならこれで十分かもしれないが、せっかく手に入れた記念コインや未使用コインなどをこのアルバムに保存すると、数ヶ月のうちに劣化が始まる。
また、塩化ビニール製のポケットがついていて、直接コインを放り込んでいくタイプのものもあるが、これなどは、密封度が低いので、コインの劣化の速度は驚くほど早く、しかも塩化ビニルに含まれる軟化剤などによって、コインを傷めてしまう。
このような、言わば不良品が公然と販売されていることは問題ではなかろうか。
貨幣商の店頭などでは、こういうグッズを使用して保存するとコインがこのようになりますよという見本とともに、そうならないような対策をきちんと提示すべきであろう。そうしなければ、コイン収集家は騙され損になってしまう。
コインの保存は、収集家にとっては、永遠の悩みである。
以前にも少し触れたが、もっとも良いのは、PCGSなどで鑑定のうえ密封してしまうことだが、アメリカにまで送って鑑定するのも面倒だし、費用もバカにならない。しかも保存容器がやや大きくなるので、場所をとるのが欠点だ。
そこで、編集長は試行錯誤を重ねた結果、大型のコインは薄いポリプロピレン製のフィルムで挟み、これを厚手のポリプロピレン製の5cm四方の小袋に入れて、出来る限り空気を抜いたうえで密封保存している。
小さなコインは、やはり薄いポリプロピレン製のフィルムで挟み、これを密封したうえで、コインホルダーで保存している。銀貨の場合は、これをさらに厚手のポリプロピレン製の小袋に入れている。
この保存法を始めて数年が経つが、銀貨にも曇りはなくきれいに保存できているようである。
いずれにせよ、貨幣商がこういう不良収集グッズを何の説明もなく平然と販売していることは問題であろう。ますます、コイン収集を国民から遠ざけるだけではなかろうか。

コインコレクターのつぶやき(3)

2006年10月03日 | コイン収集など
世間の人たちから見て、趣味としてのコイン収集というのは、どのように受け止められているのだろうか。趣味を聞かれて、胸を張って「コイン(銀貨)の収集です」と答えるのは、我ながらかなり勇気を要する。コレクションがお粗末なため、なおさらその意識が強いのかもしれない。あるいは、コイン収集というのは、切手の収集と並んで、いわゆる「オタクの走り」のように思えるからかもしれない。そう考えると、とても人前では自慢できる趣味ではなさそうである。
以前にも書いたが、編集長は特に外国の大型銀貨を収集している。
金貨を集めた時期もあったが、金額的に高価であるため、中断したままになっている。銀貨なら何とか続けられそうに思い、5年ほど前からコツコツと開始したわけである。
現在、国連加盟国は約200ヵ国だそうだが、自分が生きた20世紀という時代に発行されたこれらの国々の大型銀貨を国別に少なくとも1枚以上収集するのが目標である。100年近く前の戦前のものもあれば、つい10年ほど前のものもあり、現在までに60ヵ国以上の大型銀貨を収集しているが、高価なもの、レアなものは少なく、どれもオーソドックスな銀貨ばかりである。
紋章や風俗、習慣、歴史や著名な人物など一つひとつの銀貨に描かれた図柄がお国柄を表していて、一見して国名のわかるものもあるが、図柄を見ただけではどこの国だかさっぱりわからないものもある。しかし、いずれも20世紀の銀貨だと言える趣を持っているから不思議である。
すべての国の銀貨を1枚以上集めるとは言っても、都内の貨幣商や通信販売などを見ても、マイナーな国の銀貨はどこも取り扱っておらず、入手のしようがないのが悩みの種である。仕方なく、既に持っている国の銀貨が何枚も集まることになる。
あまりに集まらないのもつまらないが、すぐに集まってしまったのでは、コレクションの面白味に欠けてしまう。適度な間隔で1枚、2枚と入手していくのが、収集を長く続けるコツかもしれない。
1年間に10ヵ国ずつ集めても残りを集めるのに15年くらいかかることになる。なかには、銀貨を発行していない国もあるかもしれないが、その一方で、現在は存在しない国が過去に発行した銀貨もある。コツコツと埋めていくしかない。
すべての国の銀貨が集まったら、それなりのコレクションになるかもしれない。(質より量という感じだが…。)そうなれば、「私の趣味は、外国の大型銀貨の収集です。20世紀に存在したすべての国の銀貨を持っています。」と少しは胸を張って言える日が来るのではないかと思っている。

コインコレクターのつぶやき(2)

2006年09月06日 | コイン収集など

編集長の趣味の一つであるコインの収集について、思いつくままに書いていこう。
1)他山の石
コインに限らず、すべてのコレクターに共通することであるが、他人のコレクションというのは大変参考になる。コインコレクションに関連するhomepageを見ると、コレクターの誠実さが伝わってくるようなもの、見事な未使用品の年代別コレクション、数は少なくてもこれこそがコレクションだというものなど見ていて飽きない。その一方で、ガラクタを羅列してホームページや元の所有者を自慢したものまであって思わず失笑してしまうものもある。一般に、コレクターというのは自分のコレクションに思い入れがあるが、絶えず謙虚に自分のコレクションを眺めることが大切である。
2)コインコレクターのタイプ
コレクターは、どういう種類(国、年代、材質など)のコインを集めるかという違いはあるが、これ以外にも大きな違いが存在する。質を重視するタイプと量を重視するタイプである。
回りにギザギザのある10円、いわゆる「ギザ10」や明朝体の5円玉、通称「筆五」などを年号別に何十枚、何百枚も集めている人がいる一方、世界の現行貨幣を片っ端から集めている人など、とにかく大量に集めている人がいる。一方で、枚数は少なくても本当に状態の良いものに絞ったコレクションをしている人もいる。他人から見るとわけがわからないだろうが、コレクターから見るとどちらの心理も痛いほどわかるのである。編集長は、世界の大型銀貨の国別収集なので、どちらかというと数多く集めているが、できる限り未使用で、変色などのない銀貨にこだわりを持って収集している。50年後、100年後に、子孫の一人でも興味を持って見てくれると幸いである。
3)1980年以降の記念コインの氾濫
戦後発行された銀貨の多くが記念銀貨である。特に、1980年以降は、記念銀貨が一段と氾濫したように感じられる。
1980年以前は、たとえばオリンピックの記念銀貨なども1枚、2枚と発行される程度であったが、最近は、開催国でもない国が開催年の1年くらい前から何10枚も発行し、これが終わってしばらくすると、2年後の冬季オリンピックの記念銀貨が発行されるという具合だ。
最近は、阪神の優勝記念、ポケットモンスター、キティちゃん、ウルトラマンの銀貨など、話題性はあるが、収集対象としては疑問を感じるような記念コインも多い。
切手も、1980年頃から大量に発行されるようになり、切手コレクターから非難の声が上がったが、コインについても、世界各国から「売らんかな」の大量発行が続き、その傾向はますますエスカレートしているように思われる。コレクターというのは、この程度までなら収集できそうだという限度があればコレクションにも身が入るが、際限がなくなると逆に収集意欲を失うものである。したがって、こういう大量発行を続ければ続けるほど、コレクターが減少することになぜ気づかないのだろうか。猛省を促したい。

コインコレクターのつぶやき(1)

2006年08月17日 | コイン収集など
編集長の趣味の一つは、コインの収集である。穴銭の分類、近代銭の収集なども細々と続けているが、主な収集対象は、外国の大型銀貨である。
本当は、19世紀の銀貨を集めたいと思っていたのだが、さすがに100年~200年も経っていると状態の良いものが少なく、高価であり、収集対象が限られてしまう。傷や錆び(トーンなどと呼んで珍重するコレクターもいるが・・・。)が多い銀貨を持っていても楽しくない。仕方なく、20世紀の大型銀貨をターゲットとしている。現在、世界には約200ヵ国あると言われているが、この100年間に誕生し、消滅した国を加えればもっと多いだろう。この国々で発行された大型銀貨を、できる限り未使用の状態で、少なくとも1国につき1枚以上集めるのが当面の目標である。コインには、それぞれのお国柄を表わす紋章や特徴のあるデザインが描かれており、それも時代によって様々である。また、歴史上の人物などが描かれていて、その国の歴史に触れることができる。
さて、今日は、コインコレクションにまつわる雑多な話題について、ランダムに書いておこう。
1)東京都の差し押さえ小判の競売
以前より、東京都が都税滞納者からの差し押さえ物品をネットオークションで処分している。最初のオークションに天保小判の並品が出品され、確か70万円以上の金額で落札された。この小判、貨幣商などでは、20万円くらいで販売されているものである。1枚くらい小判が欲しいと思った人が購入したのだろうが、買い物の前にはよく調査をすることがババを掴まないコツである。
2)財務省放出の金貨、高値落札に驚いた
財務省が、明治~昭和に発行された金貨を放出している。1回目の売却では、確か2円金貨が最高1700万円で落札されたと記憶している。ところが、保存用のケースは普通のプラスチックケースであり、長期間の保存では隙間からの空気の侵入により酸化し変色なども防げないだろう。また、日本のコインマーケットは大変狭いため、再び売却する際には買い叩かれるだろうな、などと他人事ながら大変気の毒になった。
3)コインの価値は希少性で決まる?
「コインの値打ちを決めるのは、第一に希少性です。いかに現存数が少ないかで価値が決まります。」というのは、有名貨幣商のhomepageでの言葉である。しかし、この言葉は正確さに欠けている。価格は、需要と供給の関係で決定されるので、たとえ発行枚数が少なく、いかに珍しくても欲しがる人が少なければ価格は上昇しない。逆に数万枚も発行されていても、それをはるかに上回る需要があれば価格は上昇するのである。コインも他の商品と同様に、欲しいと思う人が多いか少ないかによって価格が決まるのである。
4)コインの保存は大変
コインの保存は、コレクターにとって最大の悩みである。特に、銀貨などは空気や湿気によって短期間で変色してしまう。市販のコインホルダーでは、大型の銀貨の場合、ホルダーのすき間から酸化が進み、エッジやそれに近い部分が真っ黒に変色することが多い。真ん中のセロファンが破れて、この割れ目の部分がくっきりと酸化して目も当てられない状態になる。市販の塩化ビニル製のコイン保存袋もコインにダメージを与えることはよく知られている。一番良いのは、PCGSなどでパッケージしてしまうことだが、それも面倒くさい。私は、薄いポリプロピレンフィルムを用いて、できる限り空気を抜いて密封したうえで、これをコインホルダーに綴じ込んでいる。大型銀貨や厚みのある銀貨の場合、コインホルダーに綴じ込めないことが多いので、薄いポリプロピレンフィルムで挟んでこれを厚手のポリプロピレン製の袋に入れて密封保管している。ここ数年間の実験では特に支障はないようである。

知っていて損はないコインの話

2006年08月11日 | コイン収集など
政治ネタばかり書いていると疲れるので、この辺で編集長の趣味の一つであるコインのことに話題を転じてみよう。
思えば、日本で切手やコインの収集が流行したのは、東京オリンピック記念の銀貨や切手が発行された頃であろうか。当時は高度経済成長の只中で、生活にも多少の余裕が生まれてきていたこともそれに拍車をかけたかもしれない。しかし、バブルの崩壊、長期にわたる不況を経験して、コインや切手などのコレクションを行う経済的、精神的なゆとりがなくなり、アキバ系などの新たなコレクションアイテムが登場したこともコインマーケットの衰退に拍車をかけているように思われる。
さて、都内の某貨幣商の言葉を借りれば、コインは「手のひらサイズの世界遺産」だそうである。この言葉、言いえて妙であり、なかなか含蓄がある。
コイン(貨幣)は古代から使われているから、考古学上の出土物などにコインが含まれているとおよその年代も推定できる。このような理由から、海外では貨幣学のようなものが歴史学の一分野として立派に存在するらしい。また、美術品の一つとして認知され、サザビーズなどの有名オークションにもたびたび出品されている。
そもそもコインは、商品の交換手段として広く流通するものなので、磨り減ったり、傷が付いたり、錆びたりして、製造当時の状態を保っているものは少ない。したがって、製造後何十年、何百年も経ているにも関わらず、美しい状態を保っているコインがあったら、大変貴重で、高価で取引されることになる。
海外、特にアメリカでは、PCGS、NGCなどの有名なコイン鑑定会社が存在し、広くコインの鑑定が行われている。これは、コインの磨耗や傷の程度を70段階に分類、鑑定し、鑑定結果を記載した特別のパッケージに密封・保管するもので、このパッケージのまま業者間、顧客間を流通する仕組みになっている。最近はYahoo auctionなどでもこの鑑定済みのコインをよく見かけるようになった。ちなみに、この鑑定は、傷の多寡についてのみ鑑定しており、汚れ、錆びの有無は考慮されていない。したがって、同じ鑑定結果でも、製造時の輝きを失っていないコインは、汚れたものに比べて極めて高値で取引される。
一方、日本では、貨幣商のオヤジがコインホルダー(セロファンと紙で作られたもの)にコインを挟み込み、未使用、極美品、美品などと5段階くらいの粗雑な「鑑定結果」を勝手に書き付けて売りさばくのである。
「未使用」と記載されたコインを購入後、数ヶ月して買った店に買取りを依頼すると、「極美品ですね」、「細かな傷がありますね」などと言われて、通常、金銀貨の場合は地金価格、ひどい場合には購入額の2割、3割に買い叩かれるのである。そして、貨幣商は、こうして買い叩いたコインに再び「未使用」のラベルを貼り、高値でコインマーケットに還流させるのである。これが、日本の貨幣商の胡散臭さの原因であり、日本のコインマーケットが閉鎖的で、コレクターが増えない一因であろう。
海外のような客観的な鑑定システムの導入や適正価格での売買の仕組みがコインマーケットで構築されてこそ、コレクターの裾野が広がると思われる。日本のコインマーケットの改革を切に望みたい。