時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

納豆データ捏造と宮崎県知事選

2007年01月23日 | マスメディア
フジテレビ系の情報番組「発掘!あるある大事典2」で、納豆のダイエット効果を示すデータが捏造されていたことが判明し、物議を醸している。
いままでにも、テレビや新聞、週刊誌などで、八百長や捏造記事などが問題になったことが何度もあった。しかし、今回は、この番組が特に人気番組だったことと製造元や小売店などに多大な損害、影響を与えたことから、従前になく騒ぎが大きくなったのではないかと思っている。
いずれにせよ、マスコミ関係者には、これを他山の石として、関係者一人一人の倫理観の確立と社内のチェック体制の強化などを望みたい。
さて、宮崎県知事選の結果もずいぶんと騒がれている。そのまんま東が、当選したわけだが、やはり圧倒的な知名度は、良きにつけ悪しきにつけ、マスコミの影響力のお陰と言うべきだろう。県民の期待も大きいようであり、逆に、タレントごときに…といった評価もあるようだが、「しがらみ」にまみれた県庁幹部や議会対策が最大の難関だろう。あれこれと騒ぐのではなく、数年後の結果を待ってみようではないか。
さて、今日の記事のタイトルであるが、ただ単にこの2つのニュースを並べただけではない。編集長にもそれなりの意図があるのだ。
それは、現代社会におけるマスコミの影響力の大きさを読者諸兄に理解してもらいたかったのだ。
この2つのニュースを比較的冷静に見た人もいるだろうが、やはり、社会にそれなりの大きな影響を及ぼしていることは否定できないだろう。
以前から本紙で述べているように、いま日本の政治の世界では、「二大政党」、「憲法改正」などがキーワードになっているわけであるが、もう何年もの間、「自民か、民主か」と騒がれて、二者択一を迫られると、どちらか一方を選ばなくてはならないと思ってしまう国民が大勢出てくる。ところが、国の進路にとって最重要課題である「憲法改正」の問題では、この2党の間に政策の違いはまったくない。これは皆さんもよくご存知のとおりだ。
参院選で、自民が掲げる「憲法改正」の公約に反対できない民主党は、「格差是正」を掲げるという。しかし、派遣可能業種の拡大など、労働現場での規制緩和には自民党以上に緩和を要求してきたのが民主党である。格差の象徴的な存在である非正規雇用を生み出してきた責任は、民主党も自民・公明と同罪である。
今日発表された朝日新聞の世論調査でも、安倍政権の掲げる「経済成長」と民主党の掲げる「格差是正」のどちらを優先すべきか、という設問がなされている。
このように、二大政党の中身を無視して、単に「自民か、民主か」という世論誘導は、国民に誤った判断材料を提供し、真実を隠蔽する役割しか果たさないことになる。
各党は、それぞれもっともらしい「政策」を掲げているが、実際に過去に各政党がどのような行動を取ってきたのかを事実に基づいてよく調査し、報道することに徹するべきであろう。

二大政党づくりをあおるマスコミ

2007年01月08日 | マスメディア
いまのマスコミの現状を率直に嘆かざるを得ない。
テレビはもちろんのこと、新聞も今年の参院選に向けて、二大政党づくりに躍起になっている。
自民党を中心とした政権か、民主党を中心とした政権か、その2つの選択肢を前面に出して、どちらかの政権の選択を国民に問う報道が目に付く。
テレビでも、参院選の1人区の動静を二大政党を中心に報道している。また、毎日新聞の「世論」調査では、参院選で自民党と民主党のどちらに勝ってもらいたいかという選択肢しかない。他の野党を支持する国民にも、自民か民主のどちらかを選ばせるような「世論誘導」調査となっている。まったくお粗末としか言いようがない。
国民の政治に対する多種多様な要求をたった2つの選択肢の中に求めることにそもそも無理がある。
世論調査でも、二大政党にも増して、「支持政党なし層」が最も幅を利かせているではないか。そして、多くの国民は、こういう世論誘導を嘲るように、選挙においてどちらにも投票しない「棄権」という選択をするのである。
安倍政権が最重要課題に掲げる憲法「改正」を見ても、民主党も9条の改定を含む「改正」を掲げているため、現在の憲法を守りたいという国民は二大政党のどちらも選びようがない。
昨年の臨時国会で採択された防衛省法案も、二大政党の間にはまったく意見の相違はなく、民主党も賛成して採択された。
また、民主党は「格差社会の是正」を参院選の重点政策として掲げるというが、その格差を生み出している張本人の財界、大企業に政治献金欲しさにすり寄っているのがこの民主党なのである。また、憲法「改正」を最重点に掲げる自民党に対して、これに真っ向から反対するという対決軸が打ち出せず、苦し紛れに別の争点を持ち出さざるを得ないところが、野党第1党たる民主党の情けなさである。
そして、この民主党と選挙協力をする社民党という存在もわけがわからない。憲法「改正」という一大問題で相反する政策を持つ民主党と手を結ぶという行動が国民の政治不信をますます助長することになっているのである。
マスコミは、国民が有する多種多様な現実や要求に焦点を当てて、その問題に各政党が過去においてどのように行動してきたか、そして今後どのように打開しようとしているのかを真摯に報道すべきである。
今年は、いっせい地方選挙や参院選が行われる年である。国政のみならず、地方政治の現実にも光を当て、国民が本当に知りたい政党の姿を報道して欲しいと願っている。

新聞の自殺行為

2006年09月02日 | マスメディア
新聞の役割とは一体なんだろう。
2000年6月に制定された「新聞倫理綱領」の冒頭の文章を以下に示しておこう。
「21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。
国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。」
誠に、見事な倫理綱領ではないかと感心するばかりである。
いずれの新聞社も第2次世界大戦、太平洋戦争の激化ともに、言論人としての精神を失い、大本営発表を鵜呑みにした記事を報道し続けた。戦後はその反省の上に立って、この倫理綱領の精神を心に刻みながら、平和で民主的な社会の実現を目標に発行を続けてきたものと理解している。
それでは、新聞各社は実際に「憲法改正」の議論について、どのような態度をとっているだろうか。
戦争を放棄を明記した憲法9条を含む「改正」案が自民党から提案されているが、これに対して正面から批判の論陣を張った大手新聞社は1社もない。また、安倍晋三の「憲法や教育基本法の「改正」し、「美しい日本」を作る」との発表についても、いかにも客観的な報道を装いながら、その実、彼の主張をそのまま発表するだけである。戦前の大本営発表とどれほどの違いがあろう。
自衛隊の海外派兵という明確な憲法違反の行動に対して、新聞はどのように報道しただろうか。
1面の見出しには、「イラク派兵を決定」などと大々的に報道し、隅っこに、「憲法上の疑義もある」などと小さく報道するだけである。なぜ正面から、「憲法違反のイラク派兵を決定」、「イラク派兵は止めよ」と主張できないのであろうか。
中には、憲法「改正」を社是であると主張するような愚かしい新聞もあるが、先に掲げた倫理綱領に照らせば、言語道断である。
ここ1年ほど格差社会について、告発の連載を続けている新聞社があるが、そのような悲惨な実態があることを報道するのみで、その根幹にある政府の構造改革路線への批判やその転換に話が及ぶと、いきなりトーンダウンしてしまうのだ。所詮、ここまでの報道が限界なのである。
大手新聞社といえども、読者からの購読料だけで経営をしているわけではない。財界、大企業や政府関係の膨大な広告、そして選挙ともなれば、自民党は大のお得意様であり、そのお得意様の主張を公然と批判することはできないのである。
これが、現在の大手新聞社の実態であり、乗り越えられない壁なのである。
しかし、大手各紙は、このような報道姿勢をいつまで続けるつもりだろうか。憲法「改正」までが日程に上っている現在、どこまで「沈黙」や「客観報道」で済ませることができるだろうか。それは新聞の自殺行為であると思われる。